反逆のカリスマ尾崎風光る
春興や7メートルをダイブせり
飛び降りる壁から尾崎春の風
春まけて時代の壁を飛び越えん
■あの人に会いたい 山藤章二(イラストレーター)
1937-2024(令和6)年 87歳没
似顔絵というのは もうちょっと 風刺であると
風刺であったり 記録であったり 批判であっていいと
そういう立場で かなり絵描き側の主体性を出す絵を
描こうとスタンスを決めたわけです
らっしゃい‼
昭和51年、三木さんからはじまって25年とちょっと、
「腕はあやしいけど、ネタは新鮮」というので
やってきました 回転寿司です。
「談志は元気」(1997年)
「銀行にブスリ」(2000年)慎太郎さん銀行に突き立てる
学校新聞の中で新聞部員が先生のインタビューをする
コーナーがあったんです そこに写真じゃつまらないから
似顔絵カットを欲しいというので 山藤は得意だから
描いてくれっていうんで注文を受けて印刷されたという
今の原点ですね きちょうめんな方で融通のきかない先生でした
美術部に入りまして 絵を始めたら わりと向いていたんですね
絵がどんどん面白くなって うまくなって そこから今度は
先輩に教えられて藝大(東京藝術大学)を受けてみないかと
図案科というところがあるぞと そこへ行けば いわゆる
アーティストじゃなくて 職業に結び付く道があるということで
(受験に3度失敗)
そういう挫折とかネガティブなものを拾い集めてね
反骨精神みたいなものに結び付いていったんじゃないかな
そういうことを振り返ったときに 藝大へ行っていたら
当然今の道じゃないですよね (武蔵野美術大学へ進学)
ベン・シャーンというアメリカの画家がいたんですよ
それまでの宮廷に着飾った貴婦人がいる絵だとか生活と
隔絶した世界を描くことがアートだというようなヨーロッパ的な
美術感があったときにこういう街なかへ出ていって駅の貨車の
今でいえば国鉄民営化反対の元国鉄マンを描くとか そういう
非常にドキュメンタルな目で描いたペインターっていなかったんです
それはまさしくイラストレーターの目なんですよ
大手の企業のデザインばっかりやらされまして 当時生意気盛りで
この先 例えば 8年も10年も企業の宣伝ばっかりやって
俺はどうしちゃうんだろうという気になるわけですよ
ある日突然「辞めます」と言って辞めちゃったんです
当時もうすでに結婚して子どもが1人いたんですけど
えらいもので何も言わないんですよ「辞めたよ」と言ったら
「そうですか」ってね
フリーになって5年チャンスが訪れます
野坂昭如さんのエッセイの挿絵を頼まれたのです
普通挿絵というのは文章の邪魔をしないことが大原則なんですけど
僕はここで邪魔してやろうと 作家の似顔絵を道化にして
描いてみたり 作家を裸にしたり いろんなことをして
それをやりましたところ 編集者とか読者の方に「大変面白い」と
「文章で面白くて絵で面白い」っていうんでね 当時ちょっと
話題になりました それで僕の「山藤スタイル」みたいなものが
固まったんです
昭和51年 週刊朝日で連載が始まりました
「山藤章二のブラックアングル」
暴言か正論かのポスト 郵政民営化を唱えた小泉発言に
大揺れの政府を描いたパロディーでした
時間をかければかけるほど傑作かというと
必ずしもそうでないところが面白いです
僕のウエイトのかけ方としては半分以上文章というか字ですね
いい的確な言葉とか 決まり言葉が浮かんだ瞬間に
おそらく7~8割できたという感じですね
僕の中の一つに風刺精神と言えば 新聞的に1面が政治
2面が外交 3面経済 とかいうような 縦序列じゃなくてね
僕にとっては等距離で あらゆる人物とか出来事を見るという
だから偉い人にとっては並列化されることは
けしからんと思うかも分かりません
それがだから風刺の原点かも分からないですね
熱烈なタイガースファン 吉田監督 虎のマーク合わせて
今世紀最後かもわからない この時以来笑顔がない
ジャイアンツが僕ら髙橋選手が阪神に入ってほしいと思ってたから
そういう私怨を込めてやっぱりお金持ちにはかなわないな
金物は磁石で吸いつけちゃうなって
これは大平さんリアルですね 岸田劉生という人の娘さんを
描いた絵が何百とありますけど 「麗子微笑」
奥さまが入院された時は
ほとんど病室のベットに付き添ってやったんですけど
病院という器の 壁一重の内と外で価値観が全く違うと
病院の中というのは「生か死か」とか それから
「手足が元どおり動くようになるかならないか」ということ
みんな祈りの世界なんですよ 外へ出るとまあ実に通俗下品極まる
「損か得か」とか「もうかるとか もうからないとか」
行ったり来たりしているうちに ある達観をしちゃったんですよ
宗教家のようになっちゃったんです 今度はユーモアが
出てこなくなっちゃった それが僕にはとてもピンチでしたね
60歳を過ぎると世間とのずれを感じ始める
日本人がどんどんヘンテコになっているんでね
ボヤかないことにはいられない
誇りとか 気骨とか 品格とかね 謙譲とか
日本人が誇るべき美徳がどんどんどんどん
なくなってきていますよね とんでもない日本人
今までの日本人にはいなかったような 日本人が
どんどん出ているんでね これをとても憂えている
日本人はまだまだいらっしゃると思うんですよ
僕の役目はまだあるなと思いまして
山藤章二のずれずれ草「世間がヘン」山藤章二著 2000年講談社刊
僕のズレもね 世間が間違っていると思いながら
まだ60、70ぐらいの人が大勢いるし これからどんどん増えますからね
多分 世間をいぶかしいと思っている世代が大勢いると思うんですよ
ある種の「時代の戦友」みたいなものです
「日常最上 山藤章二」
怒ったり もめたり いざこざしながら飯を食ったり
日常の何でもないことが 実は とっても大事な最上の瞬間である
日々のこと 茶飯のことは とても幸せなことであると
幸福感を持てば その日その日が幸せに暮らせるんじゃないか
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