萌ゆる芝体も顔も埋めけり
アルバムは石をフォーカス俯かん(無季句)
ジャケットを飛び出す尾崎風光る
一枚の葉っぱと共に春を逝く
吾のために生きた人生春の雪
■こころの時代 宮沢賢治
久遠の宇宙に生きる(5) 理想郷「イーハトーブ」の創造
来春はわたくしも教師をやめて本統の百姓になって働らきます
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
われらは世界のまことの幸福を索ねよう求道すでに道である
造化の秘密を看破するを得、一礫一岩塊と雖も深々たる意味を
有するを了解し、尽き難きの興味を感ずるは生等の親しく
経験したる所とす、
「盛岡付近地質調査報文」
花巻農学校における宮澤先生は実にすばらしい先生だった。
きわめて明晰な講義をされ、また実習も先生のときは
苦しい作業を忘れるくらい楽しかつた。
授業中レコードをかけたり、絵を見せたり、演劇をやつたり、
大勢の生徒を連れて岩手登山をしたりすることは、公立学校の
教員としては普通は出来ないことである。
教え子・小原忠の回想
日ハ君臨シ カガヤキハ 白金ノアメ ソソギタリ
ワレラハ黒キ ツチニ俯シ マコトノクサノ タネマケリ
日ハ君臨シ カガヤキノ 太陽系ハ マヒルナリ
ケハシキタビノ ナカニシテ ワレラヒカリノ ミチヲフム
宮沢賢治「花巻農学校精神歌(農学校歌)」
農業実習には私達の誰よりも多く土を耕し厩肥を土にまぶし、
私達の嫌ふ肥料を手にこねて!およそ尽すといふこと真心と
いふことは、さうしたことを言ふ言葉ぢやなかつたらうか。
教え子・松田奎介の回想
来春はわたくしも教師をやめて本統の百姓になって働らきます
いろいろな辛酸の中から青い蔬菜の毬やドロの木の閃きや
何かを予期します わたくしも盛岡の頃とはずうゐぶん
変わつてゐます あのころはすきとほる冷たい水精のやうな
水の流ればかり考へてゐましたのに いまは苗代や草の生えた
堰のうすら濁った温かなたくさんの微生物のたのしく流れる
そんな水に足をひたしたり腕をひたして水口を繕ったり
することをねがひます
宮沢賢治「保坂嘉内宛の手紙」1925年
智目行足到清涼地
早魃に悩まされつゞけた田植えもやつと終わつた六月の末頃と記憶する
玄関の側には大きな黒板が掲げられ、内は森として静まり返つてゐた。
ふとふり返ると、素処には窓越しに机に凭れてゐる先生の姿を認めた。
更にガラスに近寄れば、机によつてぐつすり眠つてをられたのだつた。
陽にやけた顔とあみ襯衣を透してあらわにみえる黒い肩、
蚊に刺されて無数の黒点いっぱいな腕、破れたかゞとの穴を
反対に上にして穿いている靴下のその穴からみえるのは、多分鍬ででも
あらう大きな切傷に沃丁が塗られ、私は思はずも驚かざるを得なかつた。
教え子・菊池信一の回想
羅須地人協会
希望の方もありますので、まづ次のことをやってみます。
「われわれはどんな方法で われわれに必要な科学を
われわれのものにできるか」一時間
「われわれに必須な化学の骨組み」二時間
働いてゐる人ならば、誰でも教へてよこしてください。
宮沢賢治「集会案内」
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙しく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識となり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して
これに応じていくことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう求道すでに道である
宮沢賢治「農民芸術概論綱要」序論
おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せわれらのすべての田園と
われらのすべての生活を一つの巨きな
第四次元の芸術に作り上げようではないか
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無法の空にちらばろう
しかもわれらは各々感じ各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本陸中国の野原である
青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て
「つめくさ灯とすも宵のひろば 互いのラルゴをうたひかわし
雲をもどよもし夜風にわすれてとりいれまぢかに歳よ熟れぬ」
詞は詩であり 動作は舞踏 音は天楽 四方はかがやく風景画
われらに理解ある観衆がありわれらにひとりの恋人がある
巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
宮沢賢治「農民芸術概論綱要」農民芸術の綜合
行往坐臥 歩くこと 止まること 座ること 寝ること
三千大千世界 久遠仏 一念三千
一しんに畔を走ってきて青田の中に汗拭くその子
燐酸がまだ残っていない?みんな使った?
それではもしもこの天候が これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ 斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
せわしくうなづき汗拭くその子
冬講習に来たときは 一年はたらいたあととは云へ
まだかがやかな苹果のわらひをもってゐた
いまはもう日と汗に焼け 幾夜の不眠にやつれてゐる
しっかりやるんだよ これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ 吹雪やわづかの仕事のひまで 泣きながら
からだに刻んで行く勉強がまもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら 雲からも風からも
透明な力が そのこどもに うつれ
宮沢賢治 詩「あすこの田はねえ」
もうはたらくな レーキを投げろ この半月の曇天と
今朝のはげしい雷雨のために おれが肥料を設計し
責任のあるみんなの稲が 次から次と倒れたのだ
稲が次々倒れたのだ 働くことの卑怯なときが
工場ばかりにあるのでない ことにむちゃくちゃはたらいて
不安をまぎらかさうとする、卑しいことだ
さあ一ぺん帰って 測候所へ電話をかけ
すっかりぬれる支度をし 頭を堅く縛って出て
青ざめてこはばったたくさんの顔に 一人づつぶっつかって
火のついたやうにはげまして行け どんな手段を用ゐても
弁償すると答へてあるけ
宮沢賢治 詩「もうはたらくな」
アルバムは石をフォーカス俯かん(無季句)
ジャケットを飛び出す尾崎風光る
一枚の葉っぱと共に春を逝く
吾のために生きた人生春の雪
■こころの時代 宮沢賢治
久遠の宇宙に生きる(5) 理想郷「イーハトーブ」の創造
来春はわたくしも教師をやめて本統の百姓になって働らきます
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
われらは世界のまことの幸福を索ねよう求道すでに道である
造化の秘密を看破するを得、一礫一岩塊と雖も深々たる意味を
有するを了解し、尽き難きの興味を感ずるは生等の親しく
経験したる所とす、
「盛岡付近地質調査報文」
花巻農学校における宮澤先生は実にすばらしい先生だった。
きわめて明晰な講義をされ、また実習も先生のときは
苦しい作業を忘れるくらい楽しかつた。
授業中レコードをかけたり、絵を見せたり、演劇をやつたり、
大勢の生徒を連れて岩手登山をしたりすることは、公立学校の
教員としては普通は出来ないことである。
教え子・小原忠の回想
日ハ君臨シ カガヤキハ 白金ノアメ ソソギタリ
ワレラハ黒キ ツチニ俯シ マコトノクサノ タネマケリ
日ハ君臨シ カガヤキノ 太陽系ハ マヒルナリ
ケハシキタビノ ナカニシテ ワレラヒカリノ ミチヲフム
宮沢賢治「花巻農学校精神歌(農学校歌)」
農業実習には私達の誰よりも多く土を耕し厩肥を土にまぶし、
私達の嫌ふ肥料を手にこねて!およそ尽すといふこと真心と
いふことは、さうしたことを言ふ言葉ぢやなかつたらうか。
教え子・松田奎介の回想
来春はわたくしも教師をやめて本統の百姓になって働らきます
いろいろな辛酸の中から青い蔬菜の毬やドロの木の閃きや
何かを予期します わたくしも盛岡の頃とはずうゐぶん
変わつてゐます あのころはすきとほる冷たい水精のやうな
水の流ればかり考へてゐましたのに いまは苗代や草の生えた
堰のうすら濁った温かなたくさんの微生物のたのしく流れる
そんな水に足をひたしたり腕をひたして水口を繕ったり
することをねがひます
宮沢賢治「保坂嘉内宛の手紙」1925年
智目行足到清涼地
早魃に悩まされつゞけた田植えもやつと終わつた六月の末頃と記憶する
玄関の側には大きな黒板が掲げられ、内は森として静まり返つてゐた。
ふとふり返ると、素処には窓越しに机に凭れてゐる先生の姿を認めた。
更にガラスに近寄れば、机によつてぐつすり眠つてをられたのだつた。
陽にやけた顔とあみ襯衣を透してあらわにみえる黒い肩、
蚊に刺されて無数の黒点いっぱいな腕、破れたかゞとの穴を
反対に上にして穿いている靴下のその穴からみえるのは、多分鍬ででも
あらう大きな切傷に沃丁が塗られ、私は思はずも驚かざるを得なかつた。
教え子・菊池信一の回想
羅須地人協会
希望の方もありますので、まづ次のことをやってみます。
「われわれはどんな方法で われわれに必要な科学を
われわれのものにできるか」一時間
「われわれに必須な化学の骨組み」二時間
働いてゐる人ならば、誰でも教へてよこしてください。
宮沢賢治「集会案内」
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙しく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識となり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して
これに応じていくことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう求道すでに道である
宮沢賢治「農民芸術概論綱要」序論
おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せわれらのすべての田園と
われらのすべての生活を一つの巨きな
第四次元の芸術に作り上げようではないか
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無法の空にちらばろう
しかもわれらは各々感じ各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本陸中国の野原である
青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て
「つめくさ灯とすも宵のひろば 互いのラルゴをうたひかわし
雲をもどよもし夜風にわすれてとりいれまぢかに歳よ熟れぬ」
詞は詩であり 動作は舞踏 音は天楽 四方はかがやく風景画
われらに理解ある観衆がありわれらにひとりの恋人がある
巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
宮沢賢治「農民芸術概論綱要」農民芸術の綜合
行往坐臥 歩くこと 止まること 座ること 寝ること
三千大千世界 久遠仏 一念三千
一しんに畔を走ってきて青田の中に汗拭くその子
燐酸がまだ残っていない?みんな使った?
それではもしもこの天候が これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ 斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
せわしくうなづき汗拭くその子
冬講習に来たときは 一年はたらいたあととは云へ
まだかがやかな苹果のわらひをもってゐた
いまはもう日と汗に焼け 幾夜の不眠にやつれてゐる
しっかりやるんだよ これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ 吹雪やわづかの仕事のひまで 泣きながら
からだに刻んで行く勉強がまもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら 雲からも風からも
透明な力が そのこどもに うつれ
宮沢賢治 詩「あすこの田はねえ」
もうはたらくな レーキを投げろ この半月の曇天と
今朝のはげしい雷雨のために おれが肥料を設計し
責任のあるみんなの稲が 次から次と倒れたのだ
稲が次々倒れたのだ 働くことの卑怯なときが
工場ばかりにあるのでない ことにむちゃくちゃはたらいて
不安をまぎらかさうとする、卑しいことだ
さあ一ぺん帰って 測候所へ電話をかけ
すっかりぬれる支度をし 頭を堅く縛って出て
青ざめてこはばったたくさんの顔に 一人づつぶっつかって
火のついたやうにはげまして行け どんな手段を用ゐても
弁償すると答へてあるけ
宮沢賢治 詩「もうはたらくな」
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