2026年7月20日月曜日

兼題「ソーダ水」&題「来」

髙島屋を詠む

(髙島屋)夏の風時空を超えた空間よ

夏の雲景色一目髙島屋

(髙島屋)夏空を象のたかちゃん今もなお

蓮の花瞬時に歴史ミルフィーユ 

日本橋のコンポジション夏館

 

NHK俳句 兼題「ソーダ水」

選者:小川軽舟 ゲスト:桂吉坊 司会:柴田英嗣

年間テーマ「暮らしを思い出す」

 

桂吉坊

自分は俳句を作らないけど 落語の中には川柳や俳句も出てくる

小川

吉坊さんの「そってん芝居」という落語を聞いた 芸達者な人だなと思った

 

「そってん芝居」:落語の演目「芝居噺」の一つ 床屋が客の頭を剃りながら

芝居噺に興ずる剃刀を片手に「忠臣蔵」を熱演

 

桂吉坊

支障の吉朝が大師匠の米朝が覚えていた噺を復活

「お前が言っている言葉でお前は見えているのか」自分が見えていない景色を

しゃべっても それで聞いているお客さんは分からない 

 

小川

俳句に通じる話ですね 俳句も作者がもっているイメージをどうやって

読者に伝えるかで言葉を選ぶ そもそも作者が伝えたいイメージを

見えていないといけない 「お前に見えているのか」というのを

今度 句会で行ってみたい

 

兼題「ソーダ水」

炭酸飲料は何でも夏の季語になる 「ソーダ水」という独特のイメージが立つ

私は小さい頃に飲んだクリームソーダ グラスに入った緑色のイメージ

弾けるような明るい若々しいイメージ 

グラスにつがれて恭(うやうや)しく店で出てくるイメージ

荒井由実「海を見ていた午後」の中にイメージ通りのソーダ水が使われている

♪「海を見ていた午後」荒井由実(1974)

ソーダ水の中を貨物船が通る 

 

桂吉坊

炭酸水が苦手 グラスの中を進んでいるように船の影が見えるいい景色

 

柴田

ソーダ水というと柔らかくて儚いイメージもある

 

名句鑑賞

ソーダ水待たされてゐて疑わず   鈴木榮子

暮らしの一場面がパッと見えてくる句 ソーダ水の季語は恋に似合う

この句も恋の句として読むのが自然 待ち合わせ時間が来ても

相手がやって来ない 昭和の時代に作られた句なので携帯電話も

メールもない ないさら一途な相手への思い 待つことの切なさを歌った句

 

一生の楽しきころのソーダ水   富安風生

懐かしむアイテムとしてソーダ水がある

太平洋戦争が終わってすぐの頃に詠んだ句 富安は既に60歳代

若い頃を懐かしんで詠んだ句 ソーダ水が季語になったのは

大正から昭和の初めにかけて 大正ロマン 昭和モダン

和洋折衷の近代市民文化 ハイカラな文化に対する憧れが

ソーダ水にまとわっている ほろ苦さが出ている

 

桂吉坊

憧れは未来に対しての感じ この句では楽しかった過去の事

時間を超えてる感じが面白い

 

サイダーや有給休暇もう夕日   小川軽舟

サイダーも似たような炭酸飲料 ソーダ水と同類に扱っていい

サイダーというとソーダ水と見えてくるイメージが違う

冷蔵庫に冷えていてコップについで飲む 家庭的なイメージ

 

桂吉坊

せっかく取れた休みなのにもう夕日 何してるの?

ほろ苦いっていう事

 

小川

やっととれた有給休暇やりたいことがいっぱいある

あっという間に1日が過ぎてサイダーに夕日が射している

切ない名残惜しさを詠った

 

・暮らしの中に俳句のタネを見つけよう

動くまで亀を見てをり夏の雲   小川軽舟

「見たものを写生しなさい」と言われるけど 亀を見て「甲羅干ししてる」

とか詠んでも面白い句にならない そういう時に作者を出してみると

臨場感が出てくる

「動くまで亀を見てをり」とすると亀が動いていない事も分かる

時間を持て余してやるせない作者の感じも読者に伝わる

 

・特選三席 兼題「ソーダ水」

一席 ふるさとへ渡船七分ソーダ水   大下高明

二席 ソーダ水みな将来の夢をきく   嶋津奈(だい)

三席 君のゐし未来なつかしソーダ水   池田宏陸(ひろむ)

 

・特選句 兼題「ソーダ水」

遅刻魔の友待つ午後のソーダ水   杉本ありさ

ソーダ水まんまと本音聞き出しぬ   松川歩美

サイダーや天然芝のドッグラン   猪田宗孝

上京のハチ公前のソーダ水   亜灯(あとう)りりな

ソーダ水個人情報明かし合ふ   吉田真稚恵

初恋の人も白髪ソーダ水   深澤一華(いちか)

 

・落語家 桂吉坊さんの一句

喉元を波打ち泡が踊りこみ   桂吉坊

自分が初めて飲んだメロンソーダを思い出し詠んだ

「踊りこみ」って落語にも出てくる泥棒の事

「おどしこ」が語源らしい 要は押し込み強盗

それを思い出すぐらいの無理やり喉元に入ってくる感じ

泡が入っていく喉元がいいと皆が言う 凄く心躍る感じだと想像する

その2つの意味がある

 

小川

「踊りこみ」という言葉がおもしろい

句として成り立つためには五七五の中に

「ソーダ水」という季語を入れないといけない

「波打ち」「踊りこみ」がそれぞれ強い言葉

「踊りこみ」が一番面白いポイントとしたい

その手前はちょっとさらったした方がいい

添削

ソーダ水喉に泡立ち踊りこみ   桂吉坊

「踊りこみ」が生きるよう「喉に泡立ち」で少しさらりとさせた

 

・とびだせ!教室俳句

千葉大学教育学部付属中学校 大澤由紀先生

五月雨を集めて□最上川

「五月雨を集めて早し最上川」という作品になる前の段階が

「五月雨を集めて涼し最上川」だったんだって

推敲とする前と後とでどう違ってくる?

推敲を楽しむ

涼し:雰囲気 早し:情景描写

追加情報

松尾芭蕉は5月に最上川を訪れた

句会で「集めて涼し」と詠んだ

句会の数日後に川下りを体験

 

自分の体験を生かした俳句に挑戦するそうです。

 

NHK短歌 題「来」

選者:大辻隆弘 ゲスト:中島京子 司会:尾崎世界観

年間テーマ「伝統的なことばを生かして」

 

中島京子

父が志摩三平という筆名で歌を詠んでいた

旧制高校時代から死ぬ直前までやっていた

でも私は娘なので短歌から遠ざかっていた

近づかないようにしていた

 

今月のポイント

「動詞~終止形の切れ味~」

動詞は後ろに言葉が繋がることで変身していく

走る+ない=走らない

走る+=走って

走る+とき=走るとき

文語は変身するパターンが今の言葉と違う

ちょっと違う変身の仕方がかっこいい新鮮

 

常磐線わかるる深きカーヴ見ゆわれに労働の夜が来んとして

岡井隆「斉唱」

岡井隆が医学部の学生だった時の歌 彼は昼間は学校に行って

夜は医療所でボランティアをしていた それが荒川区にあった

病気の人に対峙をして その人々に何か語らなければいけない

緊張感や決意が出ている 若い時の気負いのある歌

「見ゆ」言い切りの形 そこで文章が切れる 終止形

「見ゆ」が凄くシャープ 文語ならではの終止形の切れ味

 

中島

昔の言葉はリズムがすごくある 歌のための言葉でもあるので

読み上げた時に生かされるような言葉の使い方がある

 

・入選九首 題「来」

あげ玉を天かすという日々になりあなた由来の言葉ふくらむ

黒木智栄美

遠きより薬背負ひて来し人は幼き吾(われ)をおぼえてゐたり

富永英二

久々に会いたる人がイヤホンを外してわれの方に歩み来

大津穂波

ゑんどうの上にひろがる空を踏み黒き長靴ずずんと来たり

水野芳

来店の階段降りる靴音にいつものモカの火を整える

古関聰(あきら)

一席 「また来てね!」「お前が来いよ!」青年の声が響き渡る商店街

友常(ともつね)甘酢

二席 将来の中に静かにいることに耳のうぶ毛を撫でる春風

小川拓馬

来週に行く駅ビルに若き頃働いていた書店がありぬ

佐藤綾子

三席 力もて平和を語る時代来つ 子を持たぬ吾の薄き唇

新井正記

 

・短歌魔改造ラボ

雨の名前をいくつ覚えて膝上に辞書をひらいて六月は来る

中山史花

6月はブルーな感じがする雨の多い季節 五月雨 荒梅雨 青梅雨

ずっと6月が来ないかなと思った時に 

やっと6月がやってくるそういう感情を歌っている

6月に対して非常にポジティブ 

添削

膝の上に辞書をひらきて雨の名をあまた覚えて六月は来つ

34句の「辞書をひらきて」を先の持ってきた

多分辞書を開いて覚えたのではないか だから先に

「辞書をひらきて」をもっていったほうが流れとしては自然

言葉が詰まっているので字余りになっても「膝の上」として

初句はゆったりと出る 

「つ」の助動詞はやっと待っていたものが来たというニュアンスがある

 

・「堤中納言物語」中島京子著

作中の和歌を現代短歌に訳す時気をつけたことは?

だいたいは和歌の解説みたいになる それだと勿体ない

五七五七七のリズムは日本人が大事にしてきたリズム

それを残したいと思った

大辻

五七五七七のリズムは意味を伝えやすい 

自分の思いが乗りやすい そういう器

プレイボーイが女の人に総スカンをくらって

悔しまぎれに帰っていく時の歌

元歌 

百かさね濡れ馴れにたる袖なれど今宵やまさりひちて帰らむ

中島訳 

幾重にも涙に濡れた袖だけど さらにびしょぬれ 今日は帰るよ

 

文語だと何もかもが高尚な気がしてしまう

これはコメディーなので笑えるようにした方がいいのではと思った

 

「堤中納言物語」を訳すことで 小説家として気づきはあった?

これは日本で一番最初に作られた短編集 アンソロジー

編集者がいる 読んでいるとその編者の好みがよく分かる

通奏低音のようにおかしみがある 

 

大辻

短歌の場合 基本は一種の歌を頑張って作る でも発表する時には

連作にして発表したり 歌集にしたり 編集する

短歌一種作るのも大変だがどう並べるかは本当に難しい

それが逆に面白い

 

中島

「堤中納言物語」は教科書。

 

短編と中長編どっちがやりやすい?

長編の方がちょっと苦しい 長編は

「この長編はどこへ私を連れて行くの?」みたいなところがある

 

・いちご摘み

剥がせない過去があなたに燃えるたび合わせ鏡のようにさびしい

石村まい

回りつつ日焼けする月アルバムのあなたはらしくなく笑ってる

丸田洋渡(好きな歌人 今橋愛)

 

俳句と短歌ともに新人賞は出していて

結構落ちることばっかりだったんですけど

もう新人賞にとらわれない自由な創作をしたいと思って

これで最後にしようと思った賞が❝新しい歌集選考会❞の応募だった

5百種を選りすぐった

薔薇と蜂 製氷室に蜂がいる 薔薇の溢れる製氷室に

いい意味でぼんやりしている歌が多い気がして 

いつもの石村まい節が出てるなと思いました

月は日焼けしない訳なんですけど 

でも太陽にずっと当たってるわけなので 月も日焼けするだろうと 

普段笑わない人だけど笑ってる写真が残っている

 

遠ざかる過去のもどかしさ…。摘んだのは「あなた」

2026年7月19日日曜日

青木功&キャサリン・ジョンソン&「季語はいきもの」&「海鞘(ほや)」

夏空や「行って」四回繰り返す(雨ニモ負ケズ)

餌食となるプラチナ世代恐き夏

五九郎まつり業績偲び夏の道

扮装し五九郎まつり歩く夏

浴衣に羽織五九郎まつり練り歩く

 

■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん 

ゲストは青木功氏。

幼少期は野球青年だったとか。

小遣い稼ぎで始めたキャディーのバイトが

ゴルフのきっかけだったとか。

林由郎氏を持つ兄弟弟子の尾崎将司さんの話では

「彼が出てきたから今私はここにいる」と豪語。

初対面の奥さまからの言葉「Shut up!」には大爆笑。

日米首脳によるゴルフ外交のエピソードには

魅了されてしまいました。





 





■数学者 キャサリン・ジョンソンの言葉

私は、自分には無理だとは思わなかった。

やるべき仕事があるなら ただそれをやるだけ。

人が決めた限界ではなく 自分がどこまで行けるかを信じたかった。

 

私感

黒人でしかも女性で、こんな素晴らしい女性を知りません。

今度生まれ変わった時は、彼女のような女性に生まれ変わりたい。

彼女こそが私の理想の女性です。最高の女性に拍手を送ります。

 

■夏井いつき俳句チャンネル

【一句一遊】お便り紹介21【「季語はいきもの」の話】

 

歳時記 

運動会() 

我が国での最初の運動会は明治7年。1874年に東京築地の海軍兵学寮で

催した共闘遊戯会と言われます。

その後として運動会は大学で行うことが多く人気が沸くに従って

お祭り気分の余興的な種目も加わった。

しかし一方スポーツが眼目となり競技会となり今日では各学校を始め

会社工場団体なども催し町村にも広まっている。

遠足は春の季語。遠足を春の季語春期と定めた理由と同じように

天高く晴朗の秋空は運動会を催すには公的な季節である。

運動会()

学校会社団体などでは春になると運動場で広い野外公園遊園地などで

思考を凝らした運動競技の会を催す。

ただし一般的には運動会は秋に行うことが多い。

 

私感

今回初めて自動読み起しの文面をテロップしてくれてあったのですが

誤字脱字が多いのには驚きました。

また活舌が悪いと読み取りは不可であるとも感じました。

AIは前後の文面を忖度しないことがわかりました。

AIが文字の理解ができるようになる時が待ち遠しいです。

 

■夏井いつきのおウチde俳句

一分季語ウンチク「海鞘(ほや)

「海鞘」と聞いてあぁ美味しそうって

思われる方もいるかもしれませんね。

海のパイナップルとも呼ばれる動物でございまして

一見貝のように見えるんですが実は生物的な分類をしていくと

脊索動物門という分類になっております

これ実は魚とか人間とかと同じような

グループの一員となっておりまして

見た目は甲斐なのにそんな何だか複雑なことなのと

そこのギャップを科学的に見ていくと

面白い季語でもあったりするんですね

食べても美味しいものではあるんですが

実はこれ科学の分野でも色んな実験に使われる

結構珍しい種類の生きものになっているようでして

受精卵からどのように生物が発生していくかを観察するモデル

なんかにもなっているそうでございます

季語としての扱いよりも科学的なマニアックな方に

軸足をおいた一分季語うんちくでした

2026年7月18日土曜日

知恵泉 澤田美喜

引き合わん孤独の力夏の月

夏の雨本読み漁る夫かな

雲の峰エイジウェルを謳歌せり

小顔に見えぬサイドバングや茂り

容赦なき現場検証夏の天

 

■知恵泉 澤田美喜 2000人の孤児を救った❝ママちゃま❞

副島淳 サヘル・ローズ 植松三十里

 

神奈川県大磯町 エリザベス・サンダース・ホーム

アメリカ兵と日本人女性の間に生まれた孤児たちを救った

「エリザベス・サンダース・ホーム」創設者、澤田美喜。

父は三菱の創始・岩崎彌太郎の長男・久彌。

何不自由なく育ったお嬢様は大スター、

ジョセフィン・ベーカーとの出会いで価値観が一変する。

財閥解体の逆境の中、私財を投じて設立したホーム。

だがそこにGHQから横やりが、司令部に乗り込み放った一言とは。

独立後の日本社会から向けられた差別や偏見。

不屈の信念で子どもたちに与えた立ち上がる力

 

両方の親から良いものを継いでいる。他の子どもの持っていないものを

そこに私は見出すことが出来る。

 

明治34(1901)美喜 誕生

あだ名は 女彌太郎

津田梅子と出会う 英語に興味を持ち後にクリスチャンとなる

華族との見合い 

 

私が華族をきらったのは、祖先の栄光と地位を、それにふさわしくない

子孫達がかさにきて、そっくり返っているのがたまらなくいらだった

澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より

 

外交官 澤田廉三 海外生活をスタート

1922年 ブエノスアイレス 1924年 北京 1931年 ロンドン

1933年 パリ 1935年 ニューヨーク

4人の子どもにも恵まれる

世界的Dancer ジョセフィン・ベーカー(1906-1975)と知り合う

黒いビーナスと称されていた

衝撃的な事件 当時のアメリカでは人種差別があった

「あなたたちのその白い皮膚の下には黒い心がある。

 (中略)私の黒い皮膚の下には真っ白い心がある。」

 

 彼女の意地はすばらしいものでした。(中略)

見返してやるという努力とその意地をそのまま私も教えられました。

澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より

 

昭和20(1945)終戦 美喜44歳の時でした

アメリカ兵と日本人女性の間に子どもが生まれることは不思議ではありませんでした

黒い肌をした赤ん坊の遺体と遭遇 経済的理由で捨てられる子が多かった

 

❝神からの啓示❞

もしお前が、たとえいっときでも この子の母とされたのなら、

なぜ、日本国中の、こうした子供たちのために、その母になってやれないのか

澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より

 

両方の国から要らないといわれる子供、親からも邪魔もの扱いにされ、

闇から闇に葬られる子どもの現実を直視したとき、

私の運命は決まったのである。

 

施設を作ることを決意

 

澤田美喜の知恵

理不尽への怒りを力に変えろ!

岩崎家 大磯別邸 GHQによって財産を接収されていたので買い戻す

私物を売却 借金 5,000通の手紙を書き寄付を要請

昭和23(1948)エリザベス・サンダース・ホーム設立

GHQが孤児を集めてはならないと言ってきた

美喜の抗議の前にGHQは沈黙 警告を無視しホームを継続

闘いは始まりに過ぎなかった

美喜は赤ちゃんを助けただけではなくお母さんも助けている

 

副島淳さんの知恵

❝壁❞を超えるには回り道も有効

サヘル・ローズさんの知恵

❝弱さ❞を受け入れられるのは❝強み❞である

 

予期せぬ事態が…。子どもたちが置き去りに

「捨てられているのを見つけるのが門から入ってすぐ門の外へ

この藪の所が一番多かった」

子どもたちの数は200人を超えていた

 

「ちゃんと顔上げて、まっすぐ前を見なさい」「顔を隠すんじゃない」

 

就学問題

昭和28(1953)聖ステパノ学園小学校設立

 

「この仕事を信仰半分、意地半分で押し通してきました。」

澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より

 

昭和29(1954)ジョセフィン・ベーカー来日

全国をチャリティーコンサートしその売上金を美喜に

手渡すだけではなく2人の子どもを養子とする

その後、モナコ公妃 グレース・ケリー

ノーベル文学賞作家 パール・バックらから支援の手を差し伸べられた

 

植松三十里の言葉

「始めるとお金がついてきた」

善意でやってることは善意を引き寄せる

楽天的なところがあって その楽天性が通っちゃう

あれだけの行動力を持っていると

 

昭和34(1959)聖ステパノ学園中学校設立

 

澤田美喜の知恵 自ら立ち上がる力を授けよ

職能訓練

 

植松三十里の言葉

職を身につけてもその職を続けられない事象が出てきた

子どもも辛かっただろうし 美喜自身の心も痛めたと思う

 

そこで活路を見いだしたのは海外だった

地道な努力の甲斐があり500人以上の子どもが海を超えました

 

ブラジルへの移住

過酷の現実

 

七つの海を越えた子供たち あの子供たちは日本を出てから

私は本当に何にも物質的な援助をしてやることはできなかった

自分の将来の幸せを生み出す健康を与えてやることと

それを考える思想力を持たせてやること ダウンしたときに

立ち上がるだけの信仰を渡して 希望を持つことのできる

気持ちを持たせてやったこと その3つ以外は何にもしてやることは

できなかった 彼らは何度も転んでいつでも自分で立ち上がってくるから

私にその失敗を知らせてくる その最中に決して弱みを吐かなかった

ということだけは 私にとって非常にうれしいことだった

 

澤田美喜の言葉

人生は、自分の手で、どんな色にでも塗りかえられるもの

澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より

 

サヘル・ローズの言葉

母親ならではのバトン 命のバトン

自立させるには自ら失敗する姿を見せろ

ただ子供たちの命を守ってきたわけではなく

子どもたちの尊厳 「生きる権利」をひも解いていかなくてはならない

大事な「尊厳」という教えをいただいた

 

副島淳の言葉

厳しさを与えて自信を持たせる 優しいだけの愛じゃない

 

植松三十里の言葉

自分で道を選んで 自分で立ち上がっていく

現在も澤田美喜をしのんで母の日に卒業生がホームに集まる

2026年7月17日金曜日

100分de名著 親鸞❝教行信証❞①

夏の朝死すまでずっと茹でこぼし

暑き日よテンション下がる茹でこぼし

汗拭い野菜も肉も茹でこぼし

夏の霧言われるがまま茹でこぼし

夏の夕栄養なくす茹でこぼし

 

100分で名著 親鸞❝教行信証❞①逆境の中で鍛えられた思想

釈徹宗 伊集院光 阿部みちこ

 

日本の思想史上 親鸞が最大の人物だろうと思っている

司馬遼太郎

 

親鸞(1173-1262)

教行信証 悪人と仏の物語 いちばんダメなやつでも救われる教え

 

知恩報徳:仏や先人たちの恩・徳に報いること

知恩:クリタジュニャ(サンスクリット語)

先人が私のためにしてくださったことをしっかり受け止める

「知恩報徳」の心で読む

地名に過去の災害が反映されている

先人からのパスはかすかなもの

 

浄土宗の宗祖 法然(1133-1212)

「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば 誰でも極楽浄土へ往生できるという

「専修念仏(せんじゅねんぶつ)を説く

1201年 親鸞が入門 

1207年 承元の法難によって四国に流罪となる(のちに放免)

 

法然への批判に対する論駁(ろんばく)の書

 

仏や菩薩のいる世界 浄土 阿弥陀仏

阿弥陀仏の修行者時代の名前 法蔵菩薩

 

第十八願(至心信楽の願)

心からこの願いを信じて念仏を称える者を極楽浄土へ往生させる

浄土仏教

 

大乗仏教:紀元前後のインドで成立 他者の救済に努める「菩薩の道」を重視

中国の僧・善導による「観無量寿経疏」一心にもっぱら阿弥陀仏の名号を念じよ

称名念仏(しょうみょうねんぶつ)

 

法然 「南無阿弥陀仏」とだけ称える 専修念仏の教えを説いた

 

法然は従来の仏教の枠組みからこぼれる人の救いを求めていた

一切経:仏教に伝わる全ての経典・律・論の総称

仏教の教えからこぼれ落ちる人とは?

生き物を殺すのはだめだ 嘘をつくとだめだ 

という教えはあるがなかなかそういう教えに従えない人もいる

 

地震・飢饉・感染症が頻発した 災害の世紀と言われる12世紀

限界状況(哲学用語):自分の力や理屈では克服できず回避することもできない状況

限界状況の人たちが救われる道とは何かが法然のテーマ

 

謎の包まれた親鸞の人生 明治時代には架空人物説もあった

 

比叡山・延暦寺

建仁元年(1201)比叡山を降りる

親鸞が百日参籠(さんろう)をした六角堂(京都・頂法寺)

親鸞夢想之像

元久2(1205)法然に「選択集」の書写を許される

元久2(1205)専修念仏の禁止を訴える「興福寺奏状」が朝廷に提出される

承元元年(1207)後鳥羽上皇が法然一門に専修念仏停止を命じる(承元の法難)

 

承元の法難:法然一門のうち4人が死罪 

親鸞は僧籍剥奪のうえ 続名・藤井善信(よしざね)与えられる

「禿(とく)」という字を名字として愚禿・愚禿親鸞と名乗る

「涅槃経(ねはんぎょう)」に出てくる姿は僧侶のようだが名ばかりの僧侶

非僧非俗 という立場をとる

日本仏教は「半僧半俗」の文化が豊か 例えば山伏も「半僧半俗」

僧でもなければ俗人でもない 愚かな一人の人間

 

教行信証を書き始めたのは おそらく50歳くらいから書き始めて

30年以上 人生の後半書き続けていた

80代が執筆活動の最盛期

 

親鸞の80代 ●住居が火事になる ●長男と親子の縁を切る

内面を表現することが親鸞にとっての生きる道

知恩報徳の日々だった

 

「教行信証」の構成

総序(まえがき)

   教巻 ②行巻 ③信巻 ④証巻 ⑤真仏土巻 ⑥化身土巻

 

四六駢儷体(べんれいたい)

四字と六字を基本とした漢文の文体

親鸞自身の感情が表現されている

 

ひそかにおもんみれば、難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海を

度する大船(たいせん)、無礙(むげ)の光明は無明(むみょう)

(あん)を破()する恵日(えにち)なり。

阿弥陀仏の教え 大きな船 王舎城(おうしゃじょう)の悲劇

 

提婆達多(だいばだった)釈尊の弟子

頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)阿闍世(あじゃせ)の父

阿闍世(あじゃせ)マガタ国の王子

 

頻婆娑羅王の殺害を助けるから私を教団のトップにしてくれ 提婆達多

韋提希(いだいけ)  阿闍世の母

 

(現代語訳)

ここに浄土の教えを説き明かす機縁が熟し、

提婆達多が阿闍世をそそのかして

頻婆娑羅王を害させたのである。

そして浄土往生の行を修める正機が明らかになり、釈尊が韋提希を

お導きになって阿弥陀仏の浄土を願わせたのである。

 

悪人が救われる物語

権家の仁(ごんけのにん):私たちを救うために

人間の姿を借りてこの世に現れた仏や菩薩

 

いちばんダメなやつでも救われる教えを親鸞は求めた

そうでないと自分は救われない

立派なこともいいこともできない 自分を見つけ続ける

 

   教巻 「無量寿経(むりょうじゅきょう)」という経典が

   真実の教えだと述べられている 「無量寿」は阿弥陀仏の別名

法蔵菩薩が四十八願をたてて 世自在王仏の元で修業し阿弥陀仏になる物語

 

(現代語訳)

その真実の教(きょう)を顕(あらわ)せば「無量寿経」である。

この教の大意は、阿弥陀仏はすぐれた誓いをおこされて、

広くすべての人々のために法門の蔵を開き、

愚かな凡夫を哀れんで功徳の宝を選び施され、

釈尊はこの世にお出ましになり、仏の教えを説いて、人々を救い、

まことの利益(りやく)を恵みたいと思いになったというものである。

そこで、阿弥陀仏の本願を説くことをこの経のかなめとし、

仏の名号をこの経の本質とするのである。

 

なぜ「無量寿経」が真実の経なのか

第十八願が親鸞の教えの一番の軸

 

第十八番願

たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽して

わが国に生まれんと 欲ひて、乃至十念せん。

もし生まれざれば、正覚を取らじと。ただ五逆と誹謗正法を除く。

 

法蔵菩薩が悟りを開いて阿弥陀仏になる時に立てた願い