秋の葉の硬き音こそこすれ合い
秋の潮巧く書いたと褒められて
秋湿り身体も本もくたびれて
AIの消費電力いなつるび
AIへ疑問を抱き秋晴る
■村雨さんの日本庭園たしなみ巡り イタリア大使館に日本庭園が
村雨辰剛
駐日イタリア共和国大使 マリオ・アンドレア・ヴァッターニ大使
妻 明美子(ゆみこ)さん
2025年 大阪・関西万博ではイタリア政府代表を務めた
「ファルネーゼのアトラス」「キリストの復活」を展示
伊太利大使館に日本庭園が!?
イタリア大使館ですが庭園はとても日本っぽい 歴史的な庭園です
約400年前の大名庭園が❝イタリア大使館の庭❞
この庭園は大使公邸の宝物
今年は日本イタリア国交樹立160周年
日本庭園を守り続けた理由とは?
江戸・明治・昭和のそれぞれの痕跡を見ることができる
たくさんの時代の痕跡が…。
唯一無二の日本庭園 東京港区三田にあるイタリア大使館
イタリア大使館 敷地面積約6,600坪 多くを占める日本庭園
ローマ時代 2世紀のローマ 温泉から来た鉢が飾られている
胡蝶蘭を飾っていたのは ローマ帝国の遺物でした
エンリコ・カステッラーニ作「SUPERFICIE BIANCA(白の表面)」1966年
ルーチョ・フォンタナ作「CONCETTO SPAZIALE(空間概念)」1966年
デザインしたのはイタリア人と日本人の建築家
ピエルフランチェスコ・ボルゲーゼ 村田政真(まさちか)
寄木細工をイメージ 池のサロン 日本庭園の大パノラマ すだれ
イタリアのアンティークな家具 ローマの石×日本の木
日本庭園に合わせて建物を建築
畠山望美 法政大学建築学科教務助手
2022年 日本庭園の大規模な学術調査
たしなみポイント
屋敷の視点場が江戸時代からほぼ同じ
磯渡り:池を渡る飛び石 江戸時代にはなかった
江戸時代は堤だった 池は分断されていた
残しつつ変えていくところがこのお庭の魅力
元々江戸時代には松平隠岐守の中屋敷があった
大使館の庭はこの大名庭園として造園された
イタリア大使館 日本庭園の歴史
江戸 松平隠岐守の中屋敷
1866年 日伊国交樹立
明治 1878年松方正義の本堤
昭和 1932年イタリア大使館
池泉回遊式庭園 歴史の痕跡を辿る旅
江戸時代の痕跡 弓や鉄砲の訓練をする的場 反対側には馬場
明治になってから洋館が建てられることで芝生になった
芝生=明治の庭園の趣
築山 頂上からは増上寺の五重塔・芝浦の海が見えます。
たしなみポイント
江戸時代の築山は❝景色❞兼❝展望台❞
イタリアの管理下にあったため日本都市開発の対象にならなかった
この池には絶滅危惧種Ⅱ類 アズマヒキガエル ホソミオツネントンボ
が確認されている
雪見灯篭 藤棚があったと推定されている 痕跡がある
藤棚の下は舟で通れるものだったと思われる
蹲踞があって踏み分け石があってこれは露地
たしなみポイント 飛び石 踏み分け石 蹲踞は茶室の痕跡
千利休作と伝わる茶室「待庵」のレプリカ(あったのは明治時代)
松平家の中屋敷:赤穂浪士の預かり屋敷10名が切腹した地❝武士の庭❞
元禄15年(1702年)旧暦12月14日
赤穂浪士の碑
イタリア大使館移転後 当時の大使が10名の赤穂浪士をしのび石碑を建てた
明治時代の痕跡
明治時代 明治20年明治天皇の行幸があり、
お迎えするためにこの滝が作られた ❝御幸の瀑(みゆきのたき)❞
青石:深い青緑色が特徴 遠方から運ぶ高価な石だった
佐渡赤玉石:新潟佐渡市などで産出 元は赤い天然石
たしなみポイント
意志に打ちつけ少ない水量で遠くに音を響かせる
(天皇行幸の)約1か月前に庭師に言われたとか 一カ月弱の工期だった
現在は沓脱石(くつぬぎいし) 以前は恵露核があった
今はないが以前はあった滝の前の赤い橋
恵露閣から滝が正面に見えるよう位置を合わせて造られた
1945年 東京大空襲で建物は焼失 庭園はほぼ無傷で残った
庭園を守るため日伊共同で現在の景観に
現在に恵露閣や茶室跡を発掘した人物
国際考古学民俗学研究所副所長 イヴァン・ヴァッリアーレ
ポンペイ遺跡発掘・修復などに携わる
イタリア大使館日本庭園の発掘調査で指揮を執っている
2023年最初の発掘でここに建てられた大きく美しい恵露閣に復元できた
大使館がもつ日本の文化財の発掘は我々イタリア人にとって意義深い
恵露閣を発掘模型で復元 毎年11月に発掘調査を行っていますが
昨年は庭園の西側で初めて江戸時代の松平家に関する地形を発見できた
昭和40年(1965年)竣工大使公邸
昔は池と建物の間には芝生が植えられていた
たしなみポイント
池との距離を近づけて建物と庭が一体化!
今年は日本とイタリアの友好関係160周年
今の日伊関係は前と比べたら深くなったし強くなった
それはこの場所のおかげだと思う
歴史と友好の庭園に🥂
