大谷は何はなくとも夏の季語
大谷へエールを送る午前4時
大谷の笑みで微笑む夫かな
大谷の幸は我が家の幸となる
大谷と一喜一憂ともにせり
■大人のEテレタイムマシン
現代ジャーナル 瀬戸内寂聴「愛」ということば 1990年放送
シリーズ 日本語 私のみつけた美しい日本語
瀬戸内寂聴「愛」ということば
木の中から仏様にお出まし願う 木像
石の中からお出まし願う 石像
大正11年 徳島県生まれ 「かの子繚乱」「美は乱調にあり」「青踏」など
多くの作品を発表、昭和62年から天台寺住職
「愛」とは仏教では、渇愛と慈悲 百八は無限を表している
煩悩は数限りなくある 人間が一番困る煩悩が渇愛
人間の愛はお返しを求める愛 期待し満たされないと腹が立つ
慈悲は無償の愛 人間にはない 忘れてはいけない 喜びを与え苦しみを抜く
人間は男女とも愛されたい 愛されないことは一番寂しい
キリスト教では、エロスとアガペ
愛は相手の欲してるものを与えること 欲していないものは与えない事
相手が何を欲しているかを想像する力が大切
想像力は思いやり 粗暴な言葉は吐かない 暴力を振るわない
体罰は愛ではない 戦後の教育が間違った 自己主張 基本的躾はあっていい
自愛が強いのは良くない 自分が傷つきたくない 情熱の欠如
愛が使われ出したのは明治時代 それまでは惚れた 愛はLOVEを訳した言葉
I LOVE YOU.死んでもいいわと訳した人がいる 想うが使われていた
天台寺は奈良時代の創建と伝えられ、東北の名刹として知られている
近く国の重要文化財に指定の予定 秋の大祭を前に本堂の修復も進む
観音様は慈悲 本当はおひげがついている 男でも女でもない
平安時代は女は男の欲望のために使われた
平安時代より万葉時代の方が情熱的だった
出家したら男女の関係は絶たなければならない
明治時代からは尼さんでも結婚している
光源氏すら出家した女には手を出さなかった
出家には期待と信頼があった
源氏物語の中で一番不幸だったのは紫の上
出家願望が強かったのに出家できないまま亡くなってしまった
愛と恋は違う 恋はすぐ覚める 恋を愛に持ち直す
男女の間に友情はないと思っていた 年を重ねそうではないと思えてきた
性愛を抜きにすると男女もよい人間関係が構築できる
渇愛から離れれば友情でも自愛でも新しい愛の形が生れる
相手に好きな人が出来たら自分から離れるのが愛
寂聴女史はいまだ嫉妬があるらしい 私は自分から身を引く
今が一番良い時間だと寂聴女史 何が自分の中から出て来るか楽しみ
己を忘れ他を利すれば慈悲の極みなり 平安時代に天台宗を開いた最澄の言葉
忘己利他(もうこりた):
自分の利益や評価(己)にとらわれず、相手が喜ぶこと(利他)を純粋に行うこと
これこそが愛の極み
人間は孤独だから愛を求める 生まれる時も死ぬ時も独り
寂しいから愛を求める 寂しいと思う気持ちへの共感と同情
他人の痛みを思いやる心
■知恵泉 瀬戸内寂聴 愛した 書いた 祈った
岩手県天台寺(1300年の歴史を持つ寺)に一人の女性が眠っています
作家・僧侶 瀬戸内寂聴(1922-2021)
髙橋源一郎 瀬尾まなほ(22歳から10年間寂聴の秘書を務める) 美村里江
泣きたい時は泣いた方が良いのよ 泣くのが当り前よ
どん底に落ちるとね はずみで上に上がるんですよ
波乱万丈 許されざる恋 流行作家 51歳で突如出家
みんな死ぬんです 死ぬために私たちはこの世に生まれてきている
「私は死なないわ」と思う方 手を上げてください
過去のこともくよくよするな 未来のこともくよくよするな
今を切に生きてください
髙橋源一郎氏
僕が書いた作品が最終候補(群像新人文学賞)になった
寂聴さん以外全員大反対 その後デビューした作品の帯を寂聴に書いてもらった
「私が生み出した」って言ってました
大正11年(1922)徳島市の仏壇屋に生まれる
本名 晴美
文学に没頭 徳女(現 城東高校)を首席で卒業
昭和15年(1940) 東京女子大学に進学
在学中に中国の音楽史を研究する学者と20歳の時、見合い結婚
昭和18年(1943) 夫と北京へ渡り 娘を授かる
絵にかいたような良妻賢母の道を疑うことなく歩んでいました
昭和20年(1945)年 日本敗戦 晴美23歳の時でした
それまで信じていたものは 何だったんだろう ということを考えました
ただ教えられていたとおりに素直に信じて生きてきましたけれど
これからは教えられたとおりのままじゃなくて
自分で考えて自分の心と肌で感じたものだけしか信じちゃいけない
揺らぐ価値感
25歳の時、夫の教え子を恋することに 晴美にとっては初恋だった
家族を捨て出奔(しゅっぽん) あっさり破局
まだ、喋れない子どもを見捨てた事だけが後悔
独りになった晴美は以前から興味のあった文筆を始める
振り出しは少女小説「岬の虹」や童話「山羊トコスモス」
昭和32年 35歳になった晴美はセンセーショナルな作品を世に送り出す
「花芯」昭和32年(1957)知人女性をモデルに性愛をドライに描く
私ははじめてこれまでの自分が、
どれほど孤独で虚しく生きてきたかをさとった。(中略)
眠りから覚めていく細胞の一つ一つが、
越智への恋でふくらむように思えた。
瀬戸内晴美「花芯」より
越智とはじめて肉体的に結ばれた時、私の恋は終わったのだ。
瀬戸内晴美「花芯」より
瀬戸内寂聴記念館 事務局長 竹内紀子
プラトニックな恋のままなら お互いに尊重し合って
精神的に好きだけれど 寝てしまうと その思いが変質する
精神的な恋と性愛は 全く別のもの
子宮作家とレッテルを貼られ 文壇から干された
5年間完全に干されました このわからず屋と思っていました
今に見ろと思っていた 寂聴
いっぽう石原慎太郎が発表した「太陽の季節」が芥川賞を受賞
当時の分断は大半が男の人だし男社会だったと思う
寂聴さんはまだ35歳くらい よく知られていないし
❝男によって女は救われない❞みたいなことを書いている
当時は男が女を幸せにするのが当たり前の時代
生意気だって思われた 好き勝手に若い子が書いていいものか? 竹内
最大のピンチ
瀬戸内晴美の知恵
己の痛みをさらけ出す覚悟を持て
作家 田村俊子(1884-1945)
官能的な退廃美の世界を描き人気を得る
代表作「木乃伊(みいら)の口紅」「炮烙(ほうらく)の刑」「あきらめ」
女性作家のパイオニア ❝魔性の女❞というレッテルを貼られる
彼女(田村俊子)も考え方が非常に目覚めた「新しい女」
自我を持つ「新しい女」であるとともに
本能に流される無知な女の一面もある。
(晴美は)共通があるなと思ったんじゃないか
大正6年(1917)「女作者」田村俊子作
この女作者の頭脳のなかは、今までに乏しい力をさんざ絞りだし
絞りだし爲してきた 残りの滓(かす)でいつぱいになつてゐて、
もう何(ど)うこの袋を揉み絞つても、肉の付いた一言も
出てこなければ血の匂ひのする半句も食みでてこない。
昭和37年(1962)「夏の終り」
自らの不倫体験を描いた私小説
涼太とどんな激しい密会を重ねていっても、知子は慎吾への愛が一向に
薄らがらない自分を感じていた。
けれども、涼太との事が、慎吾に発覚する瞬間を想像すると、
血の凍るような恐怖が全身に流れる。
誇りはとうに見失われていた。
気づいた時には底のない虚無の淵どっぷり腰までつかっていた。
瀬戸内晴美「夏の終り」より
本当に人間は自分の中のダメなね 煩悩の五欲煩悩の
どうしようもないものを吐き出したら何かそこに光が見えてくる
そこに腰を据えて自分のしたことを見つめてみましょう
昭和38年(1963) 第2階女流文学賞を受賞
100万部を超えるロングセラー
自分が書いたものを自分が面白いと思っていた
寂聴曰く「だって面白いんだもん」
「誰も言ってくれないから自分で言うしかない」
自分の文学に自信があったし諦めなかった
過去の自分を応援している感じ
女性作家でロールモデル(手本となる人物)を発見した
「私の書くべき小説の宝庫がある」気がついた
「花芯」には社会が出てこない(「夏の終り」に)社会が姿を現す
普遍性を見つけた 高橋
自分がした事は自分で責任を持つ まなほ
自分で全てを決めるところが瀬戸内の文学にも生活にも出ていた
書いた作者の「痛み」を感じた時に「この人は信用できる」
髙橋源一郎の知恵
「痛み」を感じる言葉から「信用」が生まれる
世間を驚かせた「決断」の境地とは?
岩手県 中尊寺 昭和48年(1973)出家得度
この頃、たすうの連載を抱え忙しさはピーク
私生活でも作家 井上光晴と不倫関係に陥り 悩みを抱えていた
二人の関係を清算した寂聴は
京都 嵯峨野「寂庵」という庵を結びます
隠遁生活を送りながら作品を書き続けました
寂聴の言葉
私は立派なお坊さんにはなれないし 悟りなんか到底開けない
お坊さんなんか無理だと思いますね 出家はしてるけど
そういうふうにはなれない
出家して10年が経過したころ寂聴に転機が訪れる
きっかけを作ったのは5歳年上の姉 艶
よく十年もつづいたわね、何か御恩報じをしなければ(中略)
ここに人が集って来られる空間をつくったら
瀬戸内晴美「春美と寂聴のすべて」より
忘己利他(もうこりた)
無明(むみょう)仏教用語で無知である事
どうしようもない煩悩に身を任せている
そのときがいちばんつらい そのつらさをおさめるために
無明に光を与えなければいけない これは知恵
ある依頼が舞い込む 岩手県 天台寺 住職依頼
奈良時代開かれたとされる古刹(こさつ)でしたが荒寺となっていました
天台寺は、想像に絶する 荒廃の極みにあった。
はじめて天台寺の境内に立った時の恐怖を伴う
全身の震えは、今も忘れることが出来ない
瀬戸内晴美「晴美と寂聴のすべて」より
多い時は寂聴の法話に15,000人もの人が天台寺に訪れた。
瀬戸内寂聴の知恵 肯定力で寄り添え
寂聴88歳の時 平成23年(2011)3月11日 東日本大震災
何をあの人たちに言葉をかけていいか
何をしてあげていいか分からないね
苦しみに付き合う
明日はあるかどうか分からない
今日一日を切に一生懸命生きましょう
ありのままの自分と素直に向き合い一度しかない人生を慈しむ
なぜ出家したのか?
「小説家としてのバックボーンが欲しかった」と言っていた 瀬尾まなほ
最後のほうは「神秘的なもので導かれた」と言っていた
ロールモデルは時代によって変わってくる
古いロールモデルがある 出家
「源氏物語」(平安時代中期 紫式部作)
登場人物の多くが世俗のしがらみを断つため出家する
これは日本が歴史的に持っている知恵
(出家は)自由になるやり方の一つ
ダイレクトに言葉を届けると胸にささっちゃう
横にいるのがいい 小説だと「意味がある言葉」
現実には「意味がなくてもいい」言葉の出し方の幅が広がった
一つの大きな流れとなった
高橋さんは2015年より新聞で人生相談を担当
ヘンリー・ダーガー(1892-1973)
アメリカの作家・画家 死後15,000ページにも及ぶ小説
「非現実の王国」が発見される
友達が1人もいない 60年間小説を書いていた
亡くなってから発見される 世界最長の小説
この人生は不幸か?彼は自分のために小説を書いていた
小説家になるんだったら誰にもなれます
髙橋源一郎さんの知恵
世界は「肯定の材料」にあふれている
私自身を肯定してくれたのは瀬戸内だった
「私なんか」というような人間は寂庵にいらない
自分を愛せない人間はもう要らないって初めて怒られた
自分がいじめている自分を励ましてくれている
すごくありがたいと思った
瀬戸内のお陰で濃い10年を過ごせた 瀬尾まなほ
「源ちゃん 長生きしなきゃだめだよ」
「嫌なやつはみんな死ぬから」高橋