2026年2月28日土曜日

あの本、読みました? 村山由佳

冴返る腹冷やすもの避けていた❓

春まけてまぶた閉じれば気絶せり

春兆す浮かぶ映像音創り

骨法を知る人の俳句や風光る

春の闇あるべき姿追いかけて

 

■あの本、読みました?

動物が登場する小説~村山由佳・馳星周・早見和真・伊与原新

村山由佳 田畑博文 鈴木保奈美 山本倖千恵 林祐輔P

 

「藍を継ぐ海」伊与原新著/新潮社

63回直木賞受賞作 「少年と犬」馳星周著/文春文庫

2025年ドラマ化され話題「ザ・ロイヤルファミリー」早見和真著/新潮文庫

「ともぐい」河﨑秋子著/新潮社

小説×動物 魅力がより深まる

 

「しっぽのカルテ」村山由香著/集英社

森の中の動物病院が舞台

2026年本屋大賞ノミネート 「PRIZE-プライズ-」村山由香著/文藝春秋

 

小説から生物学の本まで《動物の本》特集

動物が出てくる小説

馬 「ザ・ロイヤルファミリー」早見和真著/新潮文庫

山本周五郎賞 受賞作 2025年ドラマ化され話題

 

ウミガメ 「藍を継ぐ海」伊与原新著/新潮社

172回直木賞受賞作

 

犬 「少年と犬」馳星周著/文春文庫

63回直木賞受賞作

 

熊 「ともぐい」河﨑秋子著/新潮社

170回直木賞受賞作

 

「しっぽのカルテ」村山由香著/集英社

第一話 猫 第二話 高齢犬 第三話 インコ 第四話 ウサギ 第五話 馬

物語は思い入れのある猫から

 

「しっぽのカルテ」の一文 村山由香著/集英社

「あの、」思わず呼び止めた。「い…いかがされましたか?」

再びこちらを向いた彼は、わずかに迷ったのち、上着のジッパーを

チリリと下した。お腹のあたりまで下ろしたところで、

白っぽい綿毛のようなものが覗いて見えた。さらに注意深く、

綿毛をはさまないようにして下ろしてゆく。「やっ…ちっちゃ!」

深雪は目を瞠(みは)った。子猫だとわかったとたん、

男に対して身構える気持ちが薄れた。

節の高い指が、冗談のように小さなその体をそっとつかみ出す。

全身真っ白だが、片方のまぶたは黒っぽい目やにでくっつき、

開いている側も瞳に幕がかかっていて薄青い。生まれてまだ一週間

たつかどうか。それにしても動きが緩慢だ。「さっき、

ほんの一時間ばかり前に見つけたんです」言いながら、土屋は

ジャンパーのポケットから缶コーヒーを取り出し、子猫の身体に

くっつけた。「え、それ」「〈あったか~い〉やつ」

ここまでのカイロ代わりにしてきたようだ。

「母親はたぶん野良だと思うんスけど、自分が見つけた時には

もう冷たくなってて、他のきょうだい四匹も駄目で、なんとか

息をしてたのはこいつだけで」矢継ぎ早な説明を、

「ちょっといいですか」と遮り、カウンターの外へ出ると、

深雪は彼の差し出してよこす猫に触った。

 

思いを込めて書いた❝土屋高志❞

第五話はモンゴルの馬が描かれ院長のバックボーンが明らかに

 

「しっぽのカルテ」の一文 村山由香著/集英社

「こんな話を知っているかな」いきなり言われて、高志は目を上げた。

「このあいだ、うちで最期まで面倒を見た犬の飼い主さんが教えて

くれたんだが-」院長がなぜか壁のほうを向いて続ける。

「亡くなった犬や猫やその他のペットが、彼らの天国へ行く。

そこには門番がいて、台帳みたいなものに記録するために、

それぞれ自分の名前を申告しなきゃならない。

その時、皆が同じような名前を名乗るんだと。

「僕の名前は〈カワイイ〉です」。

「わたしの名前は〈カシコイ〉です」。

生きてる間じゅう、可愛いね、かしこいねえ、と飼い主から

さんざん褒められ続けてきて、それが自分の名前だと思い込んでるから

…というわけさ。天国の名前。よくでくた話だろ」いい話だろ、

と言わないところが院長だ。

非常に分かりにくいけれども、慰めているつもりなのかもしれない。

 

性格が正反対の主人公を書く苦労

PRIZE-プライズ-」の一文 村山由香著/文藝春秋

出せば売れる、というだけではもう足りないのだった。

身体じゅうの全細胞が、正当に評価される栄誉に飢えて餓(かつ)えている。

世間や書店のお墨付きは得た、あとは文壇から、同業者から、

作家としての実力を認められたい。いや、認めさせたい。これ以上

〈天羽カイン〉を軽んじることは許さない。夫にも誰にもだ。

方法はきっと何かあるはずだった。自分だけがその方法を知らず、

誰かが、陰でうまいことやっているに違いないのだ。

(中略)

ぬるくなってきた湯に肩まで浸かる。これまでに何度も飲まされてきた

煮え湯、味わってきた悔しさのすべてが、身体の中でぐるぐると

渦を巻いて鎮まらない。足をはね上げて後ろへ倒れると、湯が勢いよく

溢れた。大の字に浮かんで天井を睨みつける。

―直木賞が欲しい。他のどの賞でもなく、直木が。

 

直木賞が欲しい…葛藤を反映

■一番恥ずかしいことは、村山にとっては自分への承認欲求だった

承認欲求と折り合いをつけた

まっとうな承認欲求は自分の中に飼っておこうと考えられるようになった

 

PRIZE-プライズ-」の一文 村山由香著/文藝春秋

「南方先生は、前回の選考を最後に直木賞の選考委員を

勇退されましたよね。その先生に伺います。直木賞って、

いったいなん何でしょう」千紘は息を呑んだ。

すぐ隣のカインは微動だにしない。

(中略)

「俺はさ、二十数年前に直木賞の選考委員になった。

じつのところ俺自身は、三回候補になっているがもらってないんです。

それなのに選考委員を頼まれて、別に恩も義理もないから

断ることだってできたんだけれども、結局引受けた。どうしてか。

〈第二の南方権三を出さないようにする〉

という使命があると思ったからです」

聴衆の間に、声にならないざわめきが広がる。「直木賞を受賞していない

俺は、自分の力だけで名前を大きくしなきゃいけなかった。

それがどれだけ大変なことか、骨身に染みているからね。

(中略)

直木賞というのは作家にとって、特大のエンジンであり、翼であり、

武器にも盾にもなるものです。受賞した後、あなたがたの本屋大賞を含め、

大きな文学賞をどれほどたくさん積み重ねたとしても、

死んだらニュースで「直木賞作家の誰々さんが」と読み上げられる。

例外はノーベル文学賞ぐらいかな。

直木賞というのはつまりそういう賞なのです。

望むと望まざるとにかかわらず作家の看板になる」

 

若手作家への北方謙三の想い

後進の作家たちへの愛がある 深い 保奈美

 

人物の細部にこだわるワケは?

担当編集が作品を読んで… 

作家×編集者の関係性

 

物語では狐の鳴き声が登場

2度現れる狐の意味は?

千紘のことは信じられなくなったという一文を入れたら

そこまでなのですが、それを書かずに読者に感じて貰いたかった。

何を書くかより何を書かないかを意識した。

 

今売れている

「動物のひみつ」アシュリー・ウォード著 夏目大訳/ダイヤモンド社 を深堀り

田畑博文 ダイヤモンド社

編集者買いがブーム?

全ての動物にある社会性

 

「動物のひみつ」の一文 アシュリー・ウォード著 夏目大訳/ダイヤモンド社

現代の人間社会は、人間関係からできている。家族、コミュニティ、

都市、国家といった規模の違う人間関係が組み合わさっている。

その中に、法律があり、文化がある。また、様々な軋轢も存在している。

その点をもって、人間は他の動物とは違う、と考える人もいるかもしれない。

たしかに人間の社会には人間だけの特徴があるが、他の動物たちが

同じような社会をまったく持たないわけではない。

社会的な動物の多くは、人間と同じように社会を作っている。

しかも、動物たちは、人間が地球上に現れる何百万年も前から

そうして生きてきたのだ。社会を作ろうとする人間の本能は、

遠い祖先から受け継いだものであり、

他の社会的な動物との共通点を多く持っている。

 

近年、隣り合う空間に棲む二匹のネズミを使った実験が行われている。

一方の空間は乾いており、居心地が良いが、

もう一方の空間は湿っていて、居心地が良くない。

(中略)

果たして、前者のネズミはドアを開けて、

後者のネズミを招き入れるだろうか。

実験では、招き入れる、ということがわかった。

また、湿った、居心地の悪い空間に棲んだことのあるネズミは、

そうでないネズミよりも早くドアを開けることもわかった。

つまり、自分の経験を基に他者の境遇を慮り、救いの手を

差し伸べる能力を持っているということだろう。

隣の空間が湿っていない場合には、ネズミはドアを開けようとしない。

隣のネズミが困っているからドアを開けただけで、

仲良くなりたくてドアを開けたわけではないということだ。

 

危険を察知してから豆腐反応を始めるまでに要する時間は

わずか五十~六十ミリ秒である。

(中略)

オリンピックの短距離走者がピストルの音を聞いてから走りだすまでの

時間の半分ほどだと言えば、この素早さをわかってもらえるだろうか。

 

厚い本だからこその価値 

2026年2月27日金曜日

スイッチインタビュー 市川実日子×藤田真央EP2

愛すべき高野(ムツオ)先生春の風

春うらら何言われてもにっかにか

懐や広さ奥行き春心

的を射る鋭利添削石鹸玉

尊敬と敬愛を持ち春の街

 

■スイッチインタビュー 市川実日子×藤田真央EP2

演技への思い&ゴジラカムカム秘話

 

実日子

自分なりに役とチューニングを合わせたい 理解したい 

一番の理解者になりたい 仲良くなりたい 

期間中は役のことをずっと考えている 私だけど私じゃないみたいな

その人の近くにいて貰って 吹いてきた風にふって乗る感じ

近くに来て寄せて寄せて「用意スタート」で ふーってこの風みたいな

イメージ 

 

真央

人物としての人物像が浮かんできた 

 

実日子

現場で人とものづくりをしていることが一番の喜び

なんで私この仕事しているのかな 表現したいというより伝えたい

何かの通訳者になっている事に喜びを感じる 自然にみんなが

わかるように通訳みたいなこと 出来た時に喜びを感じる

 

真央

私たちの世界は2年先の予定が今 決まる 最初は有名なオーケストラ

有名な都市 こんなところで弾くの? 2年前の私は全部イエス

イエスイエス 毎週公演があって練習する暇がない 

2年後の8月に何食べたいですか」みたいな 「プログラム決めてください

2年後の」 例えば同じ時期に別の(作品) その時の感情の変え方とかって

 

実日子

たった1行のセリフが覚えられなくなった 気持ちが切り替えられなくて

なんでこれが言えないの? 本当にうんって思えるものだけやってみよう

それまでやったことがない仕事がぽんぽん来るようになった

 

体のストレッチ 兼 内側の筋肉をつける 体には知性がある

筋肉にも知性がある 何歳からでも可動域は広がる 

それを知ってから感覚が変わった 巡りが変わる 勘が良くなる

自分の身体を感じられる 

 

真央

頭を一番使っていますね 

今日お会いする前にChatGPTに聞いた

キリル・ゲルシュタイン(2020年から師事しているピアニスト)

iPadを使っている 私はめくるという動作があってはじめて

次のページへ行く 譜めくり

 

美しいものに触れた時の感覚って とても貴重 

絵画だったら その場でずっといられるぐらい美しい絵に出会う

音楽だったら美しい瞬間がはかなくも過ぎ去っていく

 

実日子

美しさというものが生きる基準 日常の中で見いだす美しさに

喜びを感じる 美しいピアノの音色 喋る言葉 仕草 角度

すべてに美しさを感じた 

お茶をいれる時も美しい感覚がいっぱい 茶葉 香り 水の11

音はそんなにないけど 近いものがあってピアノの音と

人が何かを美しいと思った瞬間に立ち会えたことが凄く嬉しくて

美しさといい瞬間を貰えて生きている喜びの時間だった

人はただ生きているだけで知らぬ間に誰かに生きる力を与えている

すごく美しい記憶として刻まれている 

そんな一瞬があるだけでも豊かだな

 

真央

メンデルスゾーン「無言歌 作品672」 歌詞のない歌

こんな美しい曲が存在したんだって心を奪われた

そんな曲をぜひ共有したいな

 

実日子さま 落涙…。最高に美しかった…。

鍵盤の音、真央さまの指の美しさに魅了されたご様子でした。

あんなに近くで聴かせて貰ったらしばらく立てなくなるかも…。

2026年2月26日木曜日

100分de名著 ヤンパース❝哲学入門❞③

神通の氷瀑溶け始めけり

春あした一分違いで停められず

春の日をボールペンまで反抗期

春まけて蓄積疲労忍び寄る

春の夜や耳は遠くへ目は薄く

 

100de名著 ヤスパース❝哲学入門❞③ 世界像は多様である

戸谷洋志 伊集院光 阿部みちこ

哲学者 カール:ヤスパース

「世界像」経験がもたらす価値観の違い

「私の方が絶対的に正義だ」という発想へ

❝他者との対話❞哲学的な「交わり」

文化の違い

キリスト教世界では蛇は不吉・邪悪な存在

旧約聖書では悪しきものとして登場

日本の伝統では縁起の良い兆し 

吉兆を表し脱皮を繰り返す姿は生命力の象徴

キリスト教で育った人が日本にやってくると

蛇の「世界像」は変わっていくのではないか❓

世界像というものは常に不完全で訂正が必要なものだと考えた

 

世界像というのはいつも、誤って世界存在一般として絶対化された

個別的な認識の世界なのであります。(中略)

あらゆる世界像は世界から切り離された一断片であって、

世界は形象とはならないのであります。

草薙正夫・訳

 

世界像≠世界そのもの 世界像=世界の「一断片」

「世界像」は人間の知識の総体

 

蛇⇨旧約聖書⇨教会⇨街の人々

 

科学も世界の「一断片」である

《科学的世界像》は、それ自身がいつも、科学的な手段と

不完全な神話的形態とを持った一個の新しい神話的世界像なのであります。

 

生命を科学的に定義するのは難しい

科学的な「世界像」では逆に説明できないことがある

科学はひとつの神話に過ぎない

 

❝信仰の山❞富士山がこう見られるのは歴史の積み重ね

「世界像」ができるには長い時間が必要

 

どんな実在するものも私たちの自己確認にとって、

歴史ほど重要ではないのであります。

歴史は(中略)私たちの生活の基礎となっている

伝統の内容を私たちにもたらし、(中略)

自己が属する時代への無意識的な拘束から私たちを解放し、(中略)

その不滅の創造性において見ることを教えるのであります。

 

「世界像」は歴史の中で作られる

❝恋愛❞の歴史を考える ❝家同士のつながり❞

「歴史」を知れば絶対的価値観も相対化できる

過去をながめ返し現在を違った形で捉え直す

そうやって世界像を訂正していく

「歴史」はある種の❝物語❞

歴史の物語も絶対的な真実ではない

1つの❝物語❞を絶対化する危険性をヤスパースはよく理解していた

価値相対主義:相手を理解する態度を捨ててしまう考え方

国同士の「世界像」の違い 

「自衛」「解放」という言葉で「攻撃」「戦闘」を正当化してきた

❝正しい行為❞

 

歴史の究極目標ではないが、それ自身が人間存在の最高の可能性に

到達するための条件であると思われるようなある一つの目標は、

形式的に規定されます。それは人類統一という目標であります。(中略)

しかもそれは可知的・共通的内容として獲得されるのではなくて、

最高潮に達したとき、純粋の愛の闘争となるところの(中略)

歴史的に異なったものの無制限な交わりにおいてだけ

獲得されるものであります。

 

人類の統一 「無制限な交わり」「愛の闘争」

「人類の統一」とはどんなものか?

究極目標ではない

可能性に到達するための条件

「愛の闘争」「無制限な交わり」によって獲得されるもの

 

「人類の統一」は❝他者と一致❞することではない

調整と交渉が継続している関係性 致命的な対立を回避すること

「人類の統一」とは平和のこと(戸谷氏の言い方に直すと)

「交わり」を大切にしない人とどう向き合うか?

自分の世界観を守れるが「交わり」は失う

「交わり」を失うと自分自身も失ってしまう

平和に向かうことは相手にイラっとしてはいけないことではない

2026年2月25日水曜日

インタビューここから 俵万智

マグリットを詠む

人生を心貫き春深し

窮屈な生き方通し春惜しむ

おぼろ夜やまるで洗脳されたよう

春の夜や初恋相手と結ばれて

 (寺山修司氏)マグリットとの別れを決意柳の芽

 

■インタビューここから 歌人 俵万智

(「サラダ記念日」出版当時)書店によっては料理本の所に差してあったり

 

生野菜苦手の息子が残すので「言っとくけど俵万智のサラダやで」と

ボケてみたが、スルーされた。Xより

 

日常のちょっとしたときときめきをちゃんと掬い取ってくれる形が短歌

お金・物・時間 は使うと減る 言葉は使えば使うほど増えていく

 

俵さんにとって「ことば」とは何か?

自分の体の中のときめきが呼び起されてしまいました 司会

最近感じたんだけれども私にとってももう40年前の歌集なので

すごく時代も変わって若い人たちにどんなふうに読まれるんだろうって

若干不安もあったんですけれど やっぱり20代の歌集なんですよ

「サラダ記念日」って だから20代の人がそうやってときめいてくれる

時代じゃなくて世代なんだな うれしいです ときめいていただいて

 

「言葉の力は、生きる力。」現場で考え抜いた伝える、鍛える、表す極意

 

行動範囲がグンと広がり、ネットでのやり取りが日常になっている今、

背景抜きの言葉をつかいこなす力は、非常に重要だ。

それは、生きる力と言ってもいい。

「生きる言葉」より

 

「生きる力」はそもそもどうして書かれたんでしょうか 司会

生き方についてインタビューして それをまとめて1冊に

しませんかっていうようなお話だったんですね ゲラ(校正刷り)になって

読み始めて手を加えようとしたときに 言葉について

話しているところだけはどんどん書きたくなって これじゃ

足りない足りないっていうふうに膨らんでいって 言葉について

いま自分がこんなに書きたいんだって気づきましたっていうことで

1回ご破算してもらって それで書き始めたっていうのが経緯ですね

それは俵さんの言葉への興味があふれて止まらないっていうところもある? 司会

もともと言葉は好きだったんですけれども 特にいまの時代っていうのが

言葉の時代だなっていうことを改めて思って 言葉がこんなに世の中で

あふれているっていうこともないし みんな自分が発信できることで

言葉がすごく身近なツールとしてあるんだけれども 便利ゆえに

トラブルも起こったり どうやって使っていいか分からない

インフラはすごく整って高速でバンバン行けるんだけれども

みんな免許を持ってないみたいな状況かなと思ったりもして

どう言ったらいいかという部分を欲しているから

こうやって多くの人に届いているところはあるんですかね 司会

いま本当に言葉のあふれている時代ですけれども どっちかというと

人と人とを分断する方向で使われる言葉も目立ちますよね

でも本来 言葉はそうじゃない 言葉を使ってどう人と関係を

築いていけるか ということが言葉の力だと思うんですね

言葉ってそもそも人と人とをつなげたり 関係を紡いでいくために

あると便利だなと思って人類は発明したと思うんですね そういう 

そもそもの形で言葉をうまく使えるようになるっていうのは

本当 一生ものの財産だと思いますね

俵さんって言葉への興味がすごいと思うんですけど それは

どのタイミングからっていうのはあるんですか? 司会

小さいときから絵本を読むのは好きだったりしましたし

小学生時代のことで思い出すのはクラスにユウジくんっていう

男の子がいて その子がしくじったかな それでみんなが

大阪の小学校だったからはやしたてて「言うたろ言うたらあかんのに

あかんのに先生に言うたろ」ってはやしたてたんですよ

そのときに彼が「俺はユウタロウやない ユウジや!」って言って

みんなを黙らせてみんなドーッと笑ったんですよね あれ私の

小学校時代の思い出の中では結構ピカイチかもしれない

「ユウジすげえ」と思ったんですよ「俺はユウタロウやない ユウジや!」

って言ったそのアイデアでみんなを笑わせて何事もなく先生に

言いつけられることもなく すごいなと思っていまでも覚えている

言葉の力をまざまざと見た経験の原点にもしかしたらあるかも

すごい久し振りに思い出した いま 

そんな言葉に対する俵さんのベースがある中で短歌と出会ったのが 司会

大学生ですね 自覚的に作り始めたのは 言葉にすごく興味があるから

何かしら言葉で表現する人になれたらいいなっていう興味は

あったんですけれども 大学に入って文学サークルとかそういうの

ちょっと見学したんですけれども もうすでに書きたいことがいっぱいある

すごい人が集ってて自分はとてもまだ何にも自分の中にそれがないなと

思ったんですね 私 壮大なストーリーを紡ぐとか全然できない

自分にちょっと劣等感を持っていたんです 

そんな時短歌と出会い 初めて投稿した短歌

 

「手紙には愛あふれたりその愛は消印の日のその時の愛」

 

短歌って「手紙1通受け取った」それが作品になるんだっていう

これやったら私もできるかも 出来たっていうことの喜びがすごくあってね

短歌っていうのはそういう日常のさまつなことも作品になるっていうのかな

それがすごく励まされたと思います

いまもその気持ちはずっと変わらず? 司会

その時代その時代の自分なりの言葉で紡ぐっていうのがすごく

大事だと思いますね 短歌ってその時の心をパッケージできるっていうか

その気持ちっていうのは例えばカメラを持っていても写真には

撮れないですよね でもその目に見えないものをとっておけるって

いうのが言葉であり短歌の良いところかと思いますね

 

「また電話しろよと言って受話器置く君に今すぐ電話したい」

「サラダ記念日」

 

40歳の時に息子を出産

 

「気配濃く秋は来たれりパンのことパンとわかってパンと呼ぶ朝」

「プーさんの鼻」

 

「手伝ってくれる息子がいることの幸せ包む餃子の時間」

「未来のサイズ」

 

身近にまっさらな状態で生まれた人間が日本語ペラペラになるっていう

そこの過程を見ていられるっていうのは本当に興味深かったですし

いろいろ気づかされることはありましたね「賞味期限が切れるから」

って言ってたら「えっ何が切れるの」って言われたり❝切れる❞って

いうのは比喩的な表現なんだな 意外と比喩的な表現って日常の中で

使ってる 時間がなくなるとか 水に流すとか 子どもがつまづくことで

再発見させられる楽しさもありましたし 言葉っておもしろいなって

いうのは改めて思いましたね 子育て中

お母さんになってからの俵さんは言葉への向き合い方って変わりましたか? 司会

子どもの歌は❝刺身で出せる❞っていうのが私の実感なんですね

恋の歌は若干 手を加え 盛りつけにこだわったり ソースを

かけたりしないと 人様に出せないんですけど 子どもの歌は目の前で

起こっていることがすごくワクワクするし 子どもの言葉そのものも

おもしろいですし どんどん切り取ってどんどん出していかないと

変化していって上書きされていっちゃうんですね だから

子どもの歌は刺身で出せるなっていうのが実感で そういう意味では

ずいぶんたくさん子どもの歌を詠ませてくれた存在ですね

 

「最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て」

「未来のサイズ」

 

6年間送り続けたハガキ

ハガキ毎日書いてて

毎日ってすごいですよね 司会

毎日ともいうけど1日に1枚とも言う 

1日にたった1枚って思ってましたけど

それぐらいあふれてたってことですか? 司会

肩に力の入ったものじゃなくて やっぱりホームシックっていうのは

日常的に家族との会話がない寂しさだと思ったので その日常会話の

代わりっていう感じで 「おはよう」とか「だんだん暑くなってきたね」

とか そういうことを話す息子がいない その寂しさをこの形に

したっていう感じですね 

きょうはサラダ記念日ということでメールが来たりSNSが盛り上がったり

宮崎歌会でひと言スピーチさせられたりいろいろでした そもそも

何でもない日ということで選んだ76日だったのに 結果として

まあまあ特別な日になっています 

息子さんからのリアクションとかそういうのは? 司会

返事はそんなに来ないですけれども楽しみにしてるっていう感じでしたね

でも後にみんなで読んでたっていうことが分かるんですけどもね

3ぐらいになるとさすがに「お母さんから毎日あいつハガキ来てるぜ」

とかって なんか恥ずかしくないのかなと思ったんですよね

そしたら「やめないで」って言うから だからうれしいと思ったら

「みんなも楽しみにしてるから」って 「みんな楽しみにして

なんか癒されるんだよね」とかって読んでたらしく

 

「あす会えるあした会えると思うとき子を産む前の夜を思い出す」

「未来のサイズ」

 

これを詠んだ当時のことは覚えていらっしゃいますか 司会

やっぱり結構私も寂しかったんですね あした息子が帰ってくると思うと

すごくワクワクして あしたこそ会えるんだっていうその夜のことですね

子どもを産むときに早く出ておいでよっていう歌を詠んだりして

子どもと早く会いたいなっていう気持ちだった 出産の前の日のことと

重なるような気がして詠んだ歌ですね 

 

この「あす会える」の短歌の返歌を息子さんに詠んでいただきました

俵さんの息子さんは今や大学生

 

「ホームシックの終わりはこわい思い出す入寮の夜それからの夜」

 

韻 踏んでてちょっとうまいじゃないですか

「の」はないほうがいいんじゃない?

歌人・俵万智のほうが思いのほか強く出たな

この歌のどういう思いを込めたっていう解釈なんですけど

ホームシックという気持ちがなくなってしまうことが怖い

ずっと息子さんは感じていらっしゃって

ホームシックっていうのはさみしいという気持ちで

それほどホームシックを感じるほど思える人がいるって

いうのは大きいことだから その気持ちがなくなることが

悲しいですってそのを上の句に込めて 司会

これ寮の先生にも聞いたんですけれどもホームシックが特に重い

子どもにはちゃんと寮の先生が対応していろいろ相談に乗って

くれたりするらしいんですね 後で聞いたんですけどその先生が

「みんなそのうち忘れて楽になるから」「ホームシックで

退学した子はいないから大丈夫」って励ましたら 息子が

「いや 今これはつらいけど この気持ちは忘れたくありません」

って言った 初めて親と離れてこんなにさみしいって思う気持ちを

味わっている このことは大事にしたいって言ってっていうのは

後でそういえば聞きました じゃあ絶対「の」はいるね

それぞれの俵さんのフェーズでの言葉っていうのがあると

思うんですけど 母・俵万智としての言葉って何でしょう? 司会

子どもと自分をつないでくれるものっていう感覚はありますね

子どものおかげで自分も新たな言葉にたくさん出会いましたし

いまでは言葉について話す時間がすごく多いんですよ

「この❝を❞についてどう思う?」とか言って何時間も

しゃべっていられる感じで家庭の親子の関係をいまは

言葉が取り持ってくれているかもしれないですね

 

ホスト歌会

「ポッキーの箱に収まる100万の厚み見ている俺らの厚み」

 

各地飛びまわったり会いたい人に会ってっていう暮らしをされていて

そういう生き方ってどうしてできるのかな 司会

その唯一の共通点は「ことば」ですよ 新しい言葉とか 

生き生きしている 言葉に出会える現場かなと 私アイドルとも

定期的に歌会「アイドル歌会」をしているので もうオタクの

人たちの言葉がおもしろくて 

オタクの言葉ありますよね 「推ししか勝たん」とか 司会

「後方腕組み彼氏面」とか そうとしか言えないニュアンスを

みんなが工夫して生み出すというのは楽しいことだと思いますね

それで言うと結構 言葉って変わりゆくものじゃないですか

そうい言葉の変化に対してどう思われますか? 司会

言葉は変化するのが当然だと思いますね

だから正しい正しくないっていうのは

どんな言葉にも当てはまらないと思います

でもだいたい若い人たちから 生きのいいところから言葉って

どんどん変化していくから それを見て年配の方がちょっと

顔をしかめているっていうのも それが健全な姿かなと思うんですね

どんどん変化するっていうのは言葉が生きている証だと思うので

私は変化しているところを観察するのを楽しみにしています

これからも俵さんは言葉を紡ぎ続けると思うんですけど

俵さんにとって言葉というのはどういうものであり続けますか? 司会

ずっといい人生の相棒だというふうに思っています

言葉がそばにいてくれることで自分を支えてくれるのかなと

そばにいてくれる言葉が機嫌よくいられるように

自分も努めたいなと思いますね

言葉も乱暴に使ったり嫌なふうに使うと寂しそうに見えるんですよね

例えばなんでもない言葉でも短歌の中に使ってやるとすごく喜んで

見えるっていうこともあるし やっぱり常に一緒にいる相棒とは

機嫌のいい関係でいたいですよね

 

「傘だった言葉を閉じて歩くとき杖ともなりゆく空の下」

俵万智