青き空墓地に似合わぬ彼岸花
彼岸花すまして守る農地かな
堂々と公金横領秋あわれ
好かれる人になる努力残る蠅
風と戯るパンパスグラス夜長
■NHK俳句 兼題「枝豆」
選者:高野ムツオ ゲスト:池田瑠那、佐怒賀正美、サンキュータツオ、かわにしなつき
司会:柴田英嗣
年間テーマ「語ろう!俳句」
枝豆:秋の季語 旧暦では秋に収穫の時期を迎え十五夜や十三夜のお供えに使われた
①
枝豆の産毛に溶くる藻塩かな 池田瑠那
②
吾輩は枝豆捜査隊である サンキュータツオ
③
枝豆や胡坐(あぐら)の中に胡坐掻(か)き 高野ムツオ
④
枝豆をつまみ成行きのため口 佐怒賀正美
⑤
枝豆やおもてかうらか天まかせ かわにしなつき
枝豆の(の子季語)は月見豆だから十三夜の月見にお月様を拝むわけだから
天井に全て自分の運命は任せましょう という気持ちは伝わってくる
・特選三席発表 兼題「枝豆」
一席 枝豆や君を千里に置いて酌(く)む 神田央子(なかこ)
二席 潮風はわだつみの息月見豆 翡翠工房
三席 ふたたびの夫婦ふたりや月見豆 鈴木朗
・特選
歯につまる枝豆胸にくる言葉 小手川とし
菜園の枝豆を茹で妻を待つ 有本泉水
枝豆も毛ガニのような茹で上がり 久保廣高
なほ匂ひたる枝豆の殻の山 吉田貴蘭
枝豆とAIあれば一人飲み 長谷川淑子
枝豆の殻を積みつつ夢語る 碓氷茜
■NHK短歌 テーマ「方言」
選者:梶原さい子、ゲスト:高橋源一郎、司会:尾崎世界観
年間テーマ「私の宮沢賢治」
高橋源一郎著「ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ」
一応タイトルどおりなっているが中身は全部現代の風俗
宮沢賢治がA面だとしたらB面
賢治の作品には岩手の方言をいかしたものがたくさんある
いっしょけめにちゃがちゃがうまこはせでげば
夜明げの為が泣くだぁいよな気もす 宮沢賢治
岩手の伝統行事 チャグチャグ馬コを詠んだもの
馬が一生懸命走ってきた それを見ていたら泣きたくなってきた
実際の方言の混沌とした部分を書きあらわそうとした部分 梶原
方言の達者な人が読んだようには頭の中で鳴っていない 高橋
方言は文字と音と言う二重性を持っているのかもしれない 梶原
・入選九首 テーマ「方言」
金沢の犀川縁(さいがわべり)の喫茶店冬の光の「ほんなごめんね」
益田信行
もも組のさきちゃんゆうくんだいちゃんが関西弁で迫りくる朝
吉野夏美
けったマシーン自転車よりも速いねぇすべての風を味方につけて
つきひざ
三席 私 「あいつでしょ」と多分言われた青森の下風呂温泉共同浴場
川合梅子
一席 かなんなあ、ほんまになあと暑さごと紙風船に乗せるやりとり
久藤さえ
ふくしまの上に薄手の東京を羽織ってわたし生き抜いていく
吉田敦史
二席 電話鳴り店を出て行く友だちが花びらみたいにこぼす方言
大岩摩利
方言を持たない者の正月に雪は静かに積もっていって
小川拓馬
使ひ来しアクセント達を捨ててゐる四月の学食ひかりのなかで
浅見邦恵(縦の方言 高橋 これは鋭いご指摘)
・わたしの宮沢賢治
方言を歌に持ち込んで新しさ
国全体として方言は使わないようにという方向性があった 梶原
樋口一葉なんか完全に古い言葉で書いている
宮沢賢治はちょっと格別 高橋
「何の用だ。」「酒の伝票。」「誰だ。名は。」
「高橋茂吉(きづ)。」「よし。少(ぴゃ)こ、待で。」 宮沢賢治
岩手の言葉響きいかしたいという意思を感じる
日本語の近代化の中であえて方言を使っている 高橋
鹿踊りのはじまり 人間も鹿も全部方言
ぎんがぎがの
すすぎの底でそっこりと
咲(さ)ぐうめばぢの
愛(え)どしおえどし。
嘉十(かじゅう)っていう農夫なんですけど 聞こえるのがすごい
その鹿の声は土地の声 人の声でもあるという循環
人と土地の精と鹿が全部一体化している
それを全部つなげているのが言葉
歴史はその土地によって全部違う
それが方言という音になって全部違う
それが方言という音になって聞こえてくる
土地が発する音楽をずっと聞きとってきたのが 賢治という人の特殊性
ただ一人生き残れるを語る子の訛りを追うて白き字幕は
梶原さい子
この子の訛りはいなくなってしまった家族の中で育まれたもの
これからこの子は自分の本当の言葉が通じない世界で
生きていかなければならない
これから宮沢賢治の重要性がすごく増えてくる 高橋
自然主義のようなフラットな小説はあまり僕らのためにならなかった
・いちご摘み
サーフィンにガチる未来もあるんかな、の五年目の街 登山もいいね
井口寿則(好きな歌人 東直子)
⇩
背泳の腕に重たくみづ分けて触れ得ぬものを未来と呼べり
上川涼子(好きな歌人 大手拓次)
未来を概念じゃなくて自分の身体に引き寄せて考えよう
空を見上げて薄くずっと光を感じている感覚を
思い出したんだと思います
摘んだのは「未来」
昨年発表した「水と自由」で 第51回現代歌人集会賞 を受賞
芬蘭(ふんらん)は如何なる花と思ふときはるかにめぐらせる植物誌
「水と自由」現代短歌社より
私がこうやって詩歌を書いたりしているのは
私に言葉を教えてくれた人がいるっていうこと
自然を歌うことについても 自然がそこにあるという恵みを
受取っているから 自然の歌が作れる その贈りものへの
返礼として私が持っている詩歌的な技術をすべて注ぎ込もうと
試みたのが 「水と自由」という一冊です