夏の朝三重菱(さんじゅうびし)へ願い込め
和の美学陰翳礼讃風薫る
夏点前組子障子の伝統美
柔らかな光を受くる夏の銀
アンティーク燻す輝き夏の夜よ
■新美の巨人たち アメリカの国民的画家 アンドリュー・ワイエス
恐ろしさのないものは何にせよ本当に魅力はないと思う
すばらしいものすべて恐ろしく、そして悲しい。
私があの窓を開けると、海から風がカーテンの吹き上げた。
それはすごい瞬間だった。私は興奮して卒倒してしまうところだった。
アンナ・クリスティーナ・オルソン
彼女のような何か巨大なもののそばにいると、
薄汚い取るに足らないものは消さってしまう。
クリスティーナは私にとってすばらしい人だ。
下がってひざまずくしかない。
1892年スウェーデンの船乗りジョン・オルソンが
クッシングの農場の娘ケイトと結婚
1893年 クリスティーナ誕生
若い時は健康でしたが、彼女は年を重ねるごとに
体の自由がきかなくなり進行性の神経疾患で歩けなくなりました
クリスティーナが家事 弟のアルヴァロが農場で働く
私の庭はとてもきれいです。百日草とキンセンカは特に美しい。
種子から育てたダリアも少しあります。
来年はもっと大きい花の種子を買うつもりです。
それを咲かせるのがとても楽しみです。
クリスティーナ46歳の時にワイエスと出会いました。
1947年クリスティーナ・オルソンを描きました。
戦後アメリカが世界の中心になって発展していく中で
取りこぼされていった人たちをワイエスは描いた
国民的画家といわれるほどに人気を博した
今日の一枚はクリスティーナ・オルソン54歳の時の横顔
オルソン嬢 1962年 59歳 生れたばかりの子猫を抱いています
〈アンナ・クリスティーナ〉習作 1967年 74歳
ドアが開いて誰かを待っているような横顔
1967年12月 アリヴァロ・オルソン死去(弟 病死)姉に尽くした人生
1968年1月 クリスティーナ・オルソン死去
生前最後に遺した言葉
「私は絵の中にいるんです」
それでもワイエスはオルソンハウスを描き続けました
やがて消えて行く記憶の悲しみ アルヴァロとクリスティーナ 1968年
オルソン家の終焉 1969年
女が一人遠くを見つめています 激しく変わり続ける時代からも
華やかな文明社会からも 遠く離れて強さも儚さも絶たれた命が
海からの風に吹かれて今のアメリカが失ったもののように
アンドリュー・ワイエス作「クリスティーナ・オルソン」
私はここにいます
■日曜美術館❝境界❞に寄せるまなざし アンドリュー・ワイエス
アンドリュー・ワイエス(1917-2009)
91歳のアンドリュー・ワイエスの言葉
「ここを自分の家だと思っていいわよ」って言ってくれたんだ
孫ヴィクトリア・ワイエス
いまも毎日描き続けるそのエネルギーはどこからくるんですか❓
アンドリュー・ワイエス
生きていることで受ける刺激からさ
朝起きた時は死にそうなほど疲れていても
何かの拍子でスイッチが入る 窓の外に何かを見つけて
イマジネーションが働いて 魂のエネルギーが生れるんだ
1917年生まれ ペンシルベニア州チャッズフォードで育つ
5人兄弟の末っ子 著名な挿絵画家N.C.ワイエスから影響を受ける
アンドリュー・ワイエス
クリスティーナは妻ベッツィの親しい友人で
妻はよく彼女の髪をとかしてあげていたよ
ベッツィとの長い付き合いもあって初対面の時から
あたたかく受け入れてくれた
「ここを自分の家だと思っていいわよ」って言ってくれたんだ
まるで屋根裏部屋でひび割れた骸骨が
かたかた音を立てているような印象がある
「Two Worlds of Andrew Wyeth」
1967年12月 弟 アルヴァロ死去
1968年1月 姉 クリスティーナ死去
正直に言うが私は自分のことを抽象画家だと思っているんだ
「アンドリュー・ワイエスへのインタビュー」リチャード・メリマン1965
■日曜美術館 アートシーン「川合玉堂-なつかしい日本の風景-」
川合玉堂(1873-1957)の言葉
大自然に接してその感じをしばしば受けておくと
描く時には自分の主観でもって そこへ表現するというのでしょうか
色はそうでなくても 自然そのままじゃなくても
見る人がその人その人の経験から 自分の想像を引き起こして
楽しんでもらえるということがあるようですね
能阿弥
あけぬ暮れぬ 願うはちすの花のみを
まづあらわせる一筆ぞこれ
老能七十五歳


