2026年7月19日日曜日

青木功&キャサリン・ジョンソン&「季語はいきもの」&「海鞘(ほや)」

夏空や「行って」四回繰り返す(雨ニモ負ケズ)

餌食となるプラチナ世代恐き夏

五九郎まつり業績偲び夏の道

扮装し五九郎まつり歩く夏

浴衣に羽織五九郎まつり練り歩く

 

■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん 

ゲストは青木功氏。

幼少期は野球青年だったとか。

小遣い稼ぎで始めたキャディーのバイトが

ゴルフのきっかけだったとか。

林由郎氏を持つ兄弟弟子の尾崎将司さんの話では

「彼が出てきたから今私はここにいる」と豪語。

初対面の奥さまからの言葉「Shut up!」には大爆笑。

日米首脳によるゴルフ外交のエピソードには

魅了されてしまいました。





 





■数学者 キャサリン・ジョンソンの言葉

私は、自分には無理だとは思わなかった。

やるべき仕事があるなら ただそれをやるだけ。

人が決めた限界ではなく 自分がどこまで行けるかを信じたかった。

 

私感

黒人でしかも女性で、こんな素晴らしい女性を知りません。

今度生まれ変わった時は、彼女のような女性に生まれ変わりたい。

彼女こそが私の理想の女性です。最高の女性に拍手を送ります。

 

■夏井いつき俳句チャンネル

【一句一遊】お便り紹介21【「季語はいきもの」の話】

 

歳時記 

運動会() 

我が国での最初の運動会は明治7年。1874年に東京築地の海軍兵学寮で

催した共闘遊戯会と言われます。

その後として運動会は大学で行うことが多く人気が沸くに従って

お祭り気分の余興的な種目も加わった。

しかし一方スポーツが眼目となり競技会となり今日では各学校を始め

会社工場団体なども催し町村にも広まっている。

遠足は春の季語。遠足を春の季語春期と定めた理由と同じように

天高く晴朗の秋空は運動会を催すには公的な季節である。

運動会()

学校会社団体などでは春になると運動場で広い野外公園遊園地などで

思考を凝らした運動競技の会を催す。

ただし一般的には運動会は秋に行うことが多い。

 

私感

今回初めて自動読み起しの文面をテロップしてくれてあったのですが

誤字脱字が多いのには驚きました。

また活舌が悪いと読み取りは不可であるとも感じました。

AIは前後の文面を忖度しないことがわかりました。

AIが文字の理解ができるようになる時が待ち遠しいです。

 

■夏井いつきのおウチde俳句

一分季語ウンチク「海鞘(ほや)

「海鞘」と聞いてあぁ美味しそうって

思われる方もいるかもしれませんね。

海のパイナップルとも呼ばれる動物でございまして

一見貝のように見えるんですが実は生物的な分類をしていくと

脊索動物門という分類になっております

これ実は魚とか人間とかと同じような

グループの一員となっておりまして

見た目は甲斐なのにそんな何だか複雑なことなのと

そこのギャップを科学的に見ていくと

面白い季語でもあったりするんですね

食べても美味しいものではあるんですが

実はこれ科学の分野でも色んな実験に使われる

結構珍しい種類の生きものになっているようでして

受精卵からどのように生物が発生していくかを観察するモデル

なんかにもなっているそうでございます

季語としての扱いよりも科学的なマニアックな方に

軸足をおいた一分季語うんちくでした

2026年7月18日土曜日

知恵泉 澤田美喜

引き合わん孤独の力夏の月

夏の雨本読み漁る夫かな

雲の峰エイジウェルを謳歌せり

小顔に見えぬサイドバングや茂り

容赦なき現場検証夏の天

 

■知恵泉 澤田美喜 2000人の孤児を救った❝ママちゃま❞

副島淳 サヘル・ローズ 植松三十里

 

神奈川県大磯町 エリザベス・サンダース・ホーム

アメリカ兵と日本人女性の間に生まれた孤児たちを救った

「エリザベス・サンダース・ホーム」創設者、澤田美喜。

父は三菱の創始・岩崎彌太郎の長男・久彌。

何不自由なく育ったお嬢様は大スター、

ジョセフィン・ベーカーとの出会いで価値観が一変する。

財閥解体の逆境の中、私財を投じて設立したホーム。

だがそこにGHQから横やりが、司令部に乗り込み放った一言とは。

独立後の日本社会から向けられた差別や偏見。

不屈の信念で子どもたちに与えた立ち上がる力

 

両方の親から良いものを継いでいる。他の子どもの持っていないものを

そこに私は見出すことが出来る。

 

明治34(1901)美喜 誕生

あだ名は 女彌太郎

津田梅子と出会う 英語に興味を持ち後にクリスチャンとなる

華族との見合い 

 

私が華族をきらったのは、祖先の栄光と地位を、それにふさわしくない

子孫達がかさにきて、そっくり返っているのがたまらなくいらだった

澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より

 

外交官 澤田廉三 海外生活をスタート

1922年 ブエノスアイレス 1924年 北京 1931年 ロンドン

1933年 パリ 1935年 ニューヨーク

4人の子どもにも恵まれる

世界的Dancer ジョセフィン・ベーカー(1906-1975)と知り合う

黒いビーナスと称されていた

衝撃的な事件 当時のアメリカでは人種差別があった

「あなたたちのその白い皮膚の下には黒い心がある。

 (中略)私の黒い皮膚の下には真っ白い心がある。」

 

 彼女の意地はすばらしいものでした。(中略)

見返してやるという努力とその意地をそのまま私も教えられました。

澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より

 

昭和20(1945)終戦 美喜44歳の時でした

アメリカ兵と日本人女性の間に子どもが生まれることは不思議ではありませんでした

黒い肌をした赤ん坊の遺体と遭遇 経済的理由で捨てられる子が多かった

 

❝神からの啓示❞

もしお前が、たとえいっときでも この子の母とされたのなら、

なぜ、日本国中の、こうした子供たちのために、その母になってやれないのか

澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より

 

両方の国から要らないといわれる子供、親からも邪魔もの扱いにされ、

闇から闇に葬られる子どもの現実を直視したとき、

私の運命は決まったのである。

 

施設を作ることを決意

 

澤田美喜の知恵

理不尽への怒りを力に変えろ!

岩崎家 大磯別邸 GHQによって財産を接収されていたので買い戻す

私物を売却 借金 5,000通の手紙を書き寄付を要請

昭和23(1948)エリザベス・サンダース・ホーム設立

GHQが孤児を集めてはならないと言ってきた

美喜の抗議の前にGHQは沈黙 警告を無視しホームを継続

闘いは始まりに過ぎなかった

美喜は赤ちゃんを助けただけではなくお母さんも助けている

 

副島淳さんの知恵

❝壁❞を超えるには回り道も有効

サヘル・ローズさんの知恵

❝弱さ❞を受け入れられるのは❝強み❞である

 

予期せぬ事態が…。子どもたちが置き去りに

「捨てられているのを見つけるのが門から入ってすぐ門の外へ

この藪の所が一番多かった」

子どもたちの数は200人を超えていた

 

「ちゃんと顔上げて、まっすぐ前を見なさい」「顔を隠すんじゃない」

 

就学問題

昭和28(1953)聖ステパノ学園小学校設立

 

「この仕事を信仰半分、意地半分で押し通してきました。」

澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より

 

昭和29(1954)ジョセフィン・ベーカー来日

全国をチャリティーコンサートしその売上金を美喜に

手渡すだけではなく2人の子どもを養子とする

その後、モナコ公妃 グレース・ケリー

ノーベル文学賞作家 パール・バックらから支援の手を差し伸べられた

 

植松三十里の言葉

「始めるとお金がついてきた」

善意でやってることは善意を引き寄せる

楽天的なところがあって その楽天性が通っちゃう

あれだけの行動力を持っていると

 

昭和34(1959)聖ステパノ学園中学校設立

 

澤田美喜の知恵 自ら立ち上がる力を授けよ

職能訓練

 

植松三十里の言葉

職を身につけてもその職を続けられない事象が出てきた

子どもも辛かっただろうし 美喜自身の心も痛めたと思う

 

そこで活路を見いだしたのは海外だった

地道な努力の甲斐があり500人以上の子どもが海を超えました

 

ブラジルへの移住

過酷の現実

 

七つの海を越えた子供たち あの子供たちは日本を出てから

私は本当に何にも物質的な援助をしてやることはできなかった

自分の将来の幸せを生み出す健康を与えてやることと

それを考える思想力を持たせてやること ダウンしたときに

立ち上がるだけの信仰を渡して 希望を持つことのできる

気持ちを持たせてやったこと その3つ以外は何にもしてやることは

できなかった 彼らは何度も転んでいつでも自分で立ち上がってくるから

私にその失敗を知らせてくる その最中に決して弱みを吐かなかった

ということだけは 私にとって非常にうれしいことだった

 

澤田美喜の言葉

人生は、自分の手で、どんな色にでも塗りかえられるもの

澤田美喜「黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道」より

 

サヘル・ローズの言葉

母親ならではのバトン 命のバトン

自立させるには自ら失敗する姿を見せろ

ただ子供たちの命を守ってきたわけではなく

子どもたちの尊厳 「生きる権利」をひも解いていかなくてはならない

大事な「尊厳」という教えをいただいた

 

副島淳の言葉

厳しさを与えて自信を持たせる 優しいだけの愛じゃない

 

植松三十里の言葉

自分で道を選んで 自分で立ち上がっていく

現在も澤田美喜をしのんで母の日に卒業生がホームに集まる

2026年7月17日金曜日

100分de名著 親鸞❝教行信証❞①

夏の朝死すまでずっと茹でこぼし

暑き日よテンション下がる茹でこぼし

汗拭い野菜も肉も茹でこぼし

夏の霧言われるがまま茹でこぼし

夏の夕栄養なくす茹でこぼし

 

100分で名著 親鸞❝教行信証❞①逆境の中で鍛えられた思想

釈徹宗 伊集院光 阿部みちこ

 

日本の思想史上 親鸞が最大の人物だろうと思っている

司馬遼太郎

 

親鸞(1173-1262)

教行信証 悪人と仏の物語 いちばんダメなやつでも救われる教え

 

知恩報徳:仏や先人たちの恩・徳に報いること

知恩:クリタジュニャ(サンスクリット語)

先人が私のためにしてくださったことをしっかり受け止める

「知恩報徳」の心で読む

地名に過去の災害が反映されている

先人からのパスはかすかなもの

 

浄土宗の宗祖 法然(1133-1212)

「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば 誰でも極楽浄土へ往生できるという

「専修念仏(せんじゅねんぶつ)を説く

1201年 親鸞が入門 

1207年 承元の法難によって四国に流罪となる(のちに放免)

 

法然への批判に対する論駁(ろんばく)の書

 

仏や菩薩のいる世界 浄土 阿弥陀仏

阿弥陀仏の修行者時代の名前 法蔵菩薩

 

第十八願(至心信楽の願)

心からこの願いを信じて念仏を称える者を極楽浄土へ往生させる

浄土仏教

 

大乗仏教:紀元前後のインドで成立 他者の救済に努める「菩薩の道」を重視

中国の僧・善導による「観無量寿経疏」一心にもっぱら阿弥陀仏の名号を念じよ

称名念仏(しょうみょうねんぶつ)

 

法然 「南無阿弥陀仏」とだけ称える 専修念仏の教えを説いた

 

法然は従来の仏教の枠組みからこぼれる人の救いを求めていた

一切経:仏教に伝わる全ての経典・律・論の総称

仏教の教えからこぼれ落ちる人とは?

生き物を殺すのはだめだ 嘘をつくとだめだ 

という教えはあるがなかなかそういう教えに従えない人もいる

 

地震・飢饉・感染症が頻発した 災害の世紀と言われる12世紀

限界状況(哲学用語):自分の力や理屈では克服できず回避することもできない状況

限界状況の人たちが救われる道とは何かが法然のテーマ

 

謎の包まれた親鸞の人生 明治時代には架空人物説もあった

 

比叡山・延暦寺

建仁元年(1201)比叡山を降りる

親鸞が百日参籠(さんろう)をした六角堂(京都・頂法寺)

親鸞夢想之像

元久2(1205)法然に「選択集」の書写を許される

元久2(1205)専修念仏の禁止を訴える「興福寺奏状」が朝廷に提出される

承元元年(1207)後鳥羽上皇が法然一門に専修念仏停止を命じる(承元の法難)

 

承元の法難:法然一門のうち4人が死罪 

親鸞は僧籍剥奪のうえ 続名・藤井善信(よしざね)与えられる

「禿(とく)」という字を名字として愚禿・愚禿親鸞と名乗る

「涅槃経(ねはんぎょう)」に出てくる姿は僧侶のようだが名ばかりの僧侶

非僧非俗 という立場をとる

日本仏教は「半僧半俗」の文化が豊か 例えば山伏も「半僧半俗」

僧でもなければ俗人でもない 愚かな一人の人間

 

教行信証を書き始めたのは おそらく50歳くらいから書き始めて

30年以上 人生の後半書き続けていた

80代が執筆活動の最盛期

 

親鸞の80代 ●住居が火事になる ●長男と親子の縁を切る

内面を表現することが親鸞にとっての生きる道

知恩報徳の日々だった

 

「教行信証」の構成

総序(まえがき)

   教巻 ②行巻 ③信巻 ④証巻 ⑤真仏土巻 ⑥化身土巻

 

四六駢儷体(べんれいたい)

四字と六字を基本とした漢文の文体

親鸞自身の感情が表現されている

 

ひそかにおもんみれば、難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海を

度する大船(たいせん)、無礙(むげ)の光明は無明(むみょう)

(あん)を破()する恵日(えにち)なり。

阿弥陀仏の教え 大きな船 王舎城(おうしゃじょう)の悲劇

 

提婆達多(だいばだった)釈尊の弟子

頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)阿闍世(あじゃせ)の父

阿闍世(あじゃせ)マガタ国の王子

 

頻婆娑羅王の殺害を助けるから私を教団のトップにしてくれ 提婆達多

韋提希(いだいけ)  阿闍世の母

 

(現代語訳)

ここに浄土の教えを説き明かす機縁が熟し、

提婆達多が阿闍世をそそのかして

頻婆娑羅王を害させたのである。

そして浄土往生の行を修める正機が明らかになり、釈尊が韋提希を

お導きになって阿弥陀仏の浄土を願わせたのである。

 

悪人が救われる物語

権家の仁(ごんけのにん):私たちを救うために

人間の姿を借りてこの世に現れた仏や菩薩

 

いちばんダメなやつでも救われる教えを親鸞は求めた

そうでないと自分は救われない

立派なこともいいこともできない 自分を見つけ続ける

 

   教巻 「無量寿経(むりょうじゅきょう)」という経典が

   真実の教えだと述べられている 「無量寿」は阿弥陀仏の別名

法蔵菩薩が四十八願をたてて 世自在王仏の元で修業し阿弥陀仏になる物語

 

(現代語訳)

その真実の教(きょう)を顕(あらわ)せば「無量寿経」である。

この教の大意は、阿弥陀仏はすぐれた誓いをおこされて、

広くすべての人々のために法門の蔵を開き、

愚かな凡夫を哀れんで功徳の宝を選び施され、

釈尊はこの世にお出ましになり、仏の教えを説いて、人々を救い、

まことの利益(りやく)を恵みたいと思いになったというものである。

そこで、阿弥陀仏の本願を説くことをこの経のかなめとし、

仏の名号をこの経の本質とするのである。

 

なぜ「無量寿経」が真実の経なのか

第十八願が親鸞の教えの一番の軸

 

第十八番願

たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽して

わが国に生まれんと 欲ひて、乃至十念せん。

もし生まれざれば、正覚を取らじと。ただ五逆と誹謗正法を除く。

 

法蔵菩薩が悟りを開いて阿弥陀仏になる時に立てた願い

 

2026年7月16日木曜日

渋谷龍太&毒蝮三太夫&アガサ・クリスティー

雲の峰老いと病と抗いて

偏見と差別を超えて夏を生く

いっぱいに阻む手開く夏の日よ

夏日影拒否する手さえ美しい

夏の月百五歳まで生きたごぜ

 

■仕事をするうえで大切にしている事

SUPER BEAVER

渋谷龍太氏の言葉

「地に足をつける」

「楽しいを犠牲にしない」

「周りの人を大事にする」

Ryōta Yanagisawa氏の言葉

「今できることを全力でやる」

上杉研太氏の言葉

「楽しいと思える努力をする」

藤原36広明氏の言葉

「いろんな人に助けられたということを忘れない」

 

「人として」

作詞:柳沢亮太 作曲:柳沢亮太

 

人は騙す 人は隠す 人はそれでも それでも笑える

人は逃げる 人は責める 人はそれでも それでも笑える

 

あなたに嘘をついて 後悔をした

僕も騙されているかも しれないけど

疑って 暴くよりも 嘘ついた人が気付いて

傷付いて 解るほうが いいと思うんだ

 

そうなんだよ

信じ続けるしかないじゃないか 愛し続けるしかないじゃないか

身に覚えのある失敗を どうして指差せる?

受け止める以外はないじゃないか 愛し続けるしかないじゃないか

馬鹿だねって言われたって カッコ悪い人にはなりたくないじゃないか

人として 人として かっこよく生きていたいじゃないか

 

僕は迷う 僕は悩む だけど逃げたくないし 自分を棚に上げたくはないし

疲れるなあ 虚しいなあ それでも 誰かのせいに したく無いんだ カッコ悪いから

 

どうなんだよ

信じ続けるしかないじゃないか

愛し続けるしかないじゃないか

わかってるって 自分が一番可愛いなんて 誰だってそうだ

じゃあ 共に笑うにはさ

 

そうなんだよ

信じ続けるしかないじゃないか 愛し続けるしかないじゃないか

身に覚えのある失敗を どうして指差せる?

受け止める以外はないじゃないか 愛し続けるしかないじゃないか

馬鹿だねって言われたって カッコ悪い人にはなりたくないじゃないか

人として 人として かっこよく生きていたいじゃないか

 

https://www.uta-net.com/movie/208825/

 

■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん 

ゲストは毒蝮三太夫氏。

毒舌の原点はご両親でした。

立川談志師匠の話では、

溢れる思いを語ってくださいました。

彼の話は下記にて文字起こししてくださっています。

ほぼ日

https://www.1101.com/n/s/5080/sandayu_dokumamushi/2025-07-10.html

ぜひご一読ください。魅力満載です。

 








■推理作家 アガサ・クリスティー

「小さな兵隊さんが10人、ご飯を食べにいったら

1人がのどをつまらせて、残りは9

小さな兵隊さんが9人、夜ふかししたら

1人が寝ぼうして、残りは8人」

10人の小さな兵隊さん」という童謡を元に推理作品を描いた

1939年「そして誰もいなくなった」

動揺の歌詞になぞられれて殺される

10体の人形が1体ずつ減っていく

解決してくれる探偵がいない事

作家人生をかけて取り組む問題

ドイツ軍がポーランドに侵攻

1939年 第二次世界大戦へ突入

イギリスの死者は4万人以上 200万人が家を失う

戦争という名のもと 命を奪うことが正当化された時代

戦争での人殺しは法律で裁かれることはない

法で裁かれなかった罪と人はどう向き合えばいいのか

 

ポアロ最後の事件「カーテン」

車椅子を使っているポアロ

「最近起きた5つの殺人事件には同一犯人がいる

その人物が新たな殺人を企んでいる それを止める手助けをして欲しい」

2つの殺人事件が発生 事件から4か月 ヘイスティングスへ1通の手紙

その中には犯人の正体 驚きの真相が書かれていました

法律で裁くことのできない罪があったというものでした

この答えをポアロに託しました

ポアロは大きな決断をして事件を解決に導き 生涯を終える

読者に安らぎを与えるものではありませんでした

ポアロの決断た正しかったのか 

読者一人一人に問いを残すこととなりました。

終戦から30年 1975年「カーテン」出版

法と正義の限界を描いた作品に多くの読者はショックを受けた

その翌年 アガサ・クリスティー1976年没85

裁かれない罪と向き合い続けたアガサ・クリスティー

その問いは今も本の中で生き続けています

2026年7月15日水曜日

兼題「白玉」&「季重なり」

理不尽を生きるよすがや夏木立

立ち上がるだけの信仰持ちて夏

夏日影尊厳なくすことなかれ

夏蛙権利ばかりを前面に

道徳と秩序なき人草茂る

 

NHK俳句 兼題「白玉」

選者:星野高士 レギュラー:松井玲奈 司会:柴田英嗣

年間テーマ「虚子の近代俳句」

 

7月 花咲く4T

大正2年に虚子が始めた「台所俳句」女性にも俳句の道が開かれた

虚子の門下で4人の女性が活躍した

橋本多佳子(1899-1963)

三橋鷹女(1899-1972)

中村汀女(1900-1988)

星野立子(1903-1984)虚子の娘 星野高士先生の祖母

いつしか4T と呼ばれるようになった

 

星野立子(1903-1984)

立子は凄く繊細な人 句会では(集中して)話しかけづらかった

囀りをこぼさじと抱く大樹かな   星野立子

「囀(さえずり)」が春の季語

求愛の鳴き声 それを大樹が守っているよう 大樹を擬人化している

さえずりと大樹のからみ合いに 立子はつながりを感じた

「かな」は詠嘆(表す切れ字) 「大樹あり」では弱い「かな」で力強さが出る

大きな母性がより表現されている

 

髙山虚子から立子へ

お前の俳句は筋の正しいものであることがわかった

「玉藻」創刊号 昭和5年6月1日 発行 女性が主催する初めての俳句誌

96年間ずっとやっています 今は星野高士先生が主宰している

現在「玉藻」1143号 令和86月 発行

俳句の作り方(テクニック)を聞くと…。

「自分を信じて 自分のことを素直に言う」と立子に言われたとか…。

その言葉はいつも頭の中にある 技じゃない自分の目を信じろ 高野

心が動いた瞬間を捕まえないとダメなんですね 松井

 

橋本多佳子(1899-1963)

東京都出身 夫は九州小倉の実業家 23歳の時、自宅で開かれた

高浜虚子の句会で 虚子の句に感動して句作を始める

雪はげし抱かれて息のつまりしこと   橋本多佳子

38歳でご主人を亡くしている もう一度会いたいと思っている

上五の「雪はげし」は現在の事 雪が凄く降っている

中七と下五はご主人との思い出 息が詰まるほど抱かれた経験があった

雪が激しい夜に現在と過去が重なって感情がリアルに伝わってくる

字余りが切ない思いが表れている 自分の思いは5文字で言い足りない 星野

思い出の中で堪えている感じが伝わってくる 松井

激しい雪の中に自分の孤独感を見ている 星野

あふれんばかりの愛情と苦しさが収まらないから1音余らせている 柴田

 

三橋鷹女(1899-1972)

千葉県出身 27歳で句作を始め 高浜虚子の弟子 原石鼎に師事する

夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり   三橋鷹女

言葉はきれいなものを表現するために使いたいけど

私は嫌いなんだと言い切れる意志の強さがすてき 松井

「嫌いなものは嫌い」というのはまず食べ物 

夏痩せの状態を臨場感あるように詠んでいる

食べ物だけではなく人間も嫌いの中に入っていると思う

あの人は会いたくない そういう感情が「夏痩せ」の裏に出ている

嫌いなものを具体的に言っていないところが良い

 

中村汀女(1900-1988)

熊本県出身 18歳で句作を始め高浜虚子に師事

俳句誌「ホトトギス」の同人となる

あはれ子の夜寒の床の引けば寄る   中村汀女

親が子を大事に思う気持ちと子どもが親を信頼しているのがよく分かり句 

すごく温かい句 松井

吾子俳句 わが子への愛情や成長の様子を詠んだ俳句

偏った愛情表現になってしまうから 評価されない

吾子俳句は主観的になりがちだけど この句は子どもとの距離感がいい

間近にいる自分の子どもをそのまま詠うのではなく

ちょっと突き放して詠う これができるかどうかが大事 星野

自分が見ているものを全部書こうとしてしまうけど

そこから一歩引くことが大事 松井

 

虚子の選句眼は優れているが選句眼と同時に人を見る目も必要

プロデューサー的な能力が凄い人

 

今週の兼題「白玉」

白玉は暑い時季に涼しさを呼ぶ(食べ物) 江戸時代から甘味処で人気

「白玉」は夏の季語

食べ物の俳句は「おいしく作ってくれ」というのが条件

・特選句 兼題「白玉」

白玉や友だちといふ間柄   山田蹴人(しゅうと)

白玉の白に陰あり窪みあり   川辺朗

白玉やけふは誰とも会ひたくなく   伊藤映雪(えいせつ)

白玉や裏表なきひととゐて   花見鳥

白玉のくぼみをぢつと見てをりぬ   丹下京子

白玉のつるんと通る病み上がり   村松陽子

 

・特選三席 兼題「白玉」

一席 白玉と白玉うまくすれ違い   そまり

二席 窓際の暗さ白玉待ちながら   靭(うつぼ)草子

三席 白玉や嘘つくときのかたえくぼ   出井(でい)美恵子

 

・白玉の浅きくぼみに子のちから   松井玲奈

添削(そのままの報告になっている 実体験がリアルに出過ぎている)

白玉のくぼみ浅くも子のちから

(子の力だからくぼみはまだ浅い だけど「頑張れよ」という励まし

 子は成長している これから くぼみを深くできる)

 

・今月のポイント

「語順を工夫する」

 

・はみだせ!教室俳句

滋賀県 長浜市立びわ中学校

教室俳句コンテスト 指導アイディア部門 最優秀賞

岡﨑隆祥(たかよし)先生

 

自分が作るのも苦手ですし 授業でも季語をやって 

有名な俳人の名前を押さえて テストというイメージだったので

俳句の授業が得意ではなかたので こうやって工夫してみると

こういうふうに返ってくるんだなと感じた

交流の効果に手ごたえを感じた

 

交流前

夏の昼秒針響く古時計   3年生女子

交流すると

「夏の昼はセミとかうるさくない?」みたいな

「古時計だからもっと静かな方がいいんじゃない?」という意見が出て

「秋の宵秒針響く古時計」に変更した 交流がプラスに働いたなと感じた

交流後

秋の宵秒針響く古時計   3年生女子」

 

風光る子の声響く教室や   岡﨑隆祥

 

先生の声じゃなくて子どもの声が社役になるようなそんな教室を作りたい

僕が作ったってなってしまうと 子どもたちも達成感ないと思うし

自分で納得してというのが大事 考えさせてみて 作って終わりじゃなくて

さらにもう一段階推敲するのは大事だなと思いました

 

■夏井いつき俳句チャンネル

【一句一遊】お便り紹介22【再!「季重なり」の話】

 

季重なり

金目鯛しかし明るく病んでいる   元野オペラ

目は月の半身として金目鯛   常幸龍BCAD

金目鯛の月を渇望する眼(まなこ)   岩

鱗に陽眼に月の金目鯛   瓜太朗

 

   季語を季語で合体させる

   季語に強弱をつける

   季語と季語を並列させる