2026年2月5日木曜日

浅野忠信×山田五郎

黒松を赤い羽毛が忙しなく

日向ぼこ定住決めた渡り鳥

蒼き空交喙鳥(いすか)真冬に求愛す

冬木立苔敷詰めて住処とす

松かさを交差した嘴で食む

 

■スイッチインタビュー 浅野忠信×山田五郎EP2

▽大ヒットドラマ「将軍」秘話

82回ゴールデングローブ賞 助演男優賞 受賞 

樫木藪重役 浅野忠信

 

浅野忠信という❝器❞

浅野 自分で言うのも変ですけど得意な分野だなって

   役作りしている最中からいけるっていう感触はありました

   キラキラしているヒーローみたいな役ってやったことないんです

   一癖ある人とか何か抱えている人みたいな役が多い

   そういう意味ではそっちだった藪重はいけると思った

   書かれている事実は悪者 それ以上僕が「俺が悪いんだぞ」

ってやるとうるさいなとちゃんと普通にしていなきゃいけない

みんな藪重がずる賢いやつだし悪者だっていうのは分かるけど

よく見て下さい 「悪いのは周りの人です」そこに気づいた時に

意外とピュアで素直な人なんだなって見えてきて

山田 本当にずる賢い奴はあたふたしない 全体に凄く何とかしましたね

   あのドラマはお金をかけた時代劇 日本では撮れない

浅野 僕が吊るされて上に行く時は撮影できる時にしてねと言っておいた

   僕がクレーンで上がった後で打ち合わせが始まる 怖い思いをしていた

 

授賞式でのスピーチ(20251月 ロスアンジェルス)

Maybe you dont know me.Im an actor from Japan.and my name is Tadanobu Asano.

 

浅野 アメリカのスタッフから授賞式にノミネートされるって

   エミー賞が取れなかったのですが 余りにもいけるって言われていたから

   いけるつもりでいっっちゃった 取れないじゃんって思って 

物凄く落ち込んだ その前に英会話レッスンやっていて 物凄く丁寧な

スピーチを考えていた ハリソン・フォードさんもいるし

俺がとれるわけがない スピーチが全部ぶっ飛んで 頭真っ白になって

「ヤバい何を言ったらいいんだ」ステージに立った時に みんなの

見る目が「おまえ誰?」って顔してたんですよ 

山田 「Maybe you dont know me.」的な

浅野 SODA!やっていてよかったなと思いました ここで喜ばないと

   いつ喜ぶんだろう 今までのアメリカだけじゃない 日本での

   キャリアも含めて「自分のやってきた事って間違いじゃなかった」

   って実感できました

山田 最高の瞬間ですね

 

1973年横浜生まれ 母方の祖父はアメリカ人 金髪でよく笑う子だった

 

山田 「いだてん」の時のあの政治家も相当悪い奴 嫌な奴でしたね

浅野 とことんいっていいんだ ゴーサインが出たなと思った

   主人公たちは「いい者」としている どうやってやるの?

   「僕とことんいっていいってゴーサイン出てますよ」

   おもしろかった 役を演じる喜びと「僕が悪者やっていいって

   言われて来た人です」っていう喜びがあった

 顰蹙を買っていいっていうのが最大限に面白い

 他の俳優さんたちはその役を通じて共感を得なきゃいけない所がある

 (SHOGUN)藪重でも川島さん「いだてん」でも顰蹙を

 買わなきゃいけない 現場でもやっちゃいけない事を

 とことんやっていい役割だと思っている みんながやらない事を

 率先してやれる それはめちゃくちゃ面白い 監督から

 「違います」って言われても「そりゃそうだよ 違う事を

やりに来ている」って感じなのでそれはめちゃくちゃ面白い

 

2021年 独立

 

山田 基本「浅野忠信」どの役やっても いい意味で

浅野 役はまず自分に落とし込んで作る 本当に自分抜きでは考えられない

山田 「浅野忠信」っていう器に入れるわけですからね

浅野 「おかえりモネ」のあの役でも 役をいただいた時に自分と

   全く違うんですけど ある種似た状態にあるなと思えた コロナ禍だったり

   自分の父親の事件があったり 自分の中でも 何か空っぽになった

   気持ちがあって あの役はもう僕以外に空っぽな状態「今の自分

   だったらできる」震災に対して僕が俳優としてできる事ってなんだろう?

   やっと震災に対しての 僕の気持ちを表す事ができる それを

   見てくれた人のリアクションを僕はちゃんと受け止めるべきだと思えた

   本当に自分のその感覚がなければあの役はできなかった 

山田 (台詞で)「立ち直らねえぞ」

浅野 良い台詞をいただきました 台本になると纏めようとしたり収めて

   美しくしがちあそこで「俺は立ち直らねえぞ」っていう台詞を読んだ時

   「まさにこれなんです」って思いました 僕からは出てこない台詞

   ですし 彼には物凄く重要な台詞 

 

浅野 コロナ前までは父親と仕事していた 厳しく断らせてくれない 

   僕も「修行したいな」っていうのがあった 脚本がつまらないもの

   率先してやるようにしていました だから(僕の所に)来たんですよね

   面白くしてほしいって事ですよね じゃあやってみましょう

   僕も修業の身ですから はみ出さない事には進まない そのはみ出す

   練習をさせて貰った だから本当に無茶な役なほどやっていました

 

山田 お父様がマネジメントやられていた頃と 今とで違います?

浅野 違います もうこれ以上止めようと思いました そういうやり方を

   そのタイミングで「SHOGUN」をいただいたんで もう引き出し

   満杯です いけますと 嫌われてもいいやと思った だから

   物凄い断ってますね 本当に感じる役しかやりたくない 今までの

   修行期間で不可能な事に十分 自分は挑んできた 

「いいかげんやめろ」って言われた気がした 本当に自分がやりたい役

って何だろう やりたい役と出会うって事に前向きに向き合わないと

失礼になる 50歳の何でもない1人の男 僕と同じような男が

どう振る舞うのかを作っていきたい 世の中の事件に絡めていない

話がいい

山田 普通の話に普通の50歳のおっさんとして それも意外に見たことのない

   浅野忠信かもしれない 

 

浅野 若い頃に生意気だった「役者なんかやる事ないじゃん」

絵描きだったら絵の練習したり 俳優も演技の練習はするけど

俳優の練習って何だろうって思った時 この生活以外ないなと思った

山田さんとお話しする 皆さんと新たな出会い 1人になって

落ち込むとか 「全部役者の練習じゃん!」っておもって 

そうすると「やる事ないな」と バンドをちゃんとやらなきゃ

絵を描かなきゃ そうすると「何かをやっている人」になる

役が来た時 「あの時のこれに当てはめられる」「絵を描いて

いる時の自分と同じだ」何かやってなきゃって思いました

俳優のために

山田 浅野忠信っていう器はすげーな 

   映画撮ればいいじゃん

浅野 俳優ってやっぱりゼロからの仕事じゃないな 本当にたった1人で携帯

置いて 1人で作っている作品 俳優として1人で作品を作ったら

どうなるんだろう 

山田 楽しいらしいじゃん 映画撮るのって 人間の最高の道楽って

   建築と映画撮る事だって 

浅野 建築はやってみたい どうしても住む所って考えて建てがち

   ではなくて本当に自分の絵の中で見てみたい景色を建ててみたい

山田 建ててみたいね建ててみたいな

浅野 夢の中で見た家があって 白い何でもない庭スペースがあって

   どんどん階段で下りていく家 それを作りたい

山田 押入れの奥に穴があって そこを通っていくと違う部屋に出る

   古い洋館みたいな部屋 凄い好き 閉所恐怖症で穴が凄く

   怖いんだけどその部屋に行きたいから通っていく 

浅野 模型だけでも作ってほしいと思っちゃいました

山田 まずい事聞いちゃったな

 

最高の時間になりました…。感謝感謝感謝…。

2026年2月4日水曜日

村雨さんと日本庭園たしなみ巡り 三溪園

寒風や半田素麵揺らしけり

「はた」にかけ「はし入れ」忙し天日干し

冬空よ自己満足の人生よ

知的障害抱えた家族冬ぬくし

寝姿の似る夫と犬小春

 

■村雨さんと日本庭園たしなみ巡り 三溪(けい)

広さ東京ドーム約4個分 175,000

17棟の建造物 10棟 国の重要文化財 3棟 横浜市の有形文化財

研究者の間では「東の桂離宮」と呼ばれている

明治時代に実業家が私財で作庭

名建築とともに見る庭

 

庭師 俳優 村雨辰剛

 

大池

三溪園 開園120

三溪園保勝会 事業課長・学芸員 吉川利一さん

春は桜 夏は蓮 秋は紅葉 冬は梅 一年を通していろんな花が楽しめる

外苑と内苑の二つの庭からできている

1906年 原三渓が外苑を造り一般に公開した

生糸の輸出業で成功 富岡製糸場を所有 

三重塔 三溪園のシンボル 国の重要文化財

三重塔この池も元々ここにあったものではない

原三渓の構想にデザインをして造り上げている

人力で池は掘られた 出た土で山の形を整えた

旧燈明寺三重塔(京都にあった室町時代の建物)解体して三溪園で組み立て直した

日本の古き良きものが次々に失われていくことに対して危機感を持っていた

存続の危機にある歴史的建造物を三溪園の地に移築・収集

近代化が進む日本 横浜 

日本の美を守り 伝えるため 三溪園を市民に開放

哲学がある 庭園を造り自分だけで楽しまず広く公開して日本の良さを

みんなに分かって貰って分かち合おう 当時は入口に「遊覧御随意」と記載

初音茶屋 当時の来園者へのおもてなし 

戦前まで来園者へ無料でお茶を提供していた

その中には芥川龍之介がいた ここで俳句を作った

「ひとはかり浮く香煎(こうせん)や白湯の秋   芥川龍之介」

内苑 臨春閣(りんしゅんかく) 三渓がプライベートで作った内苑

国の重要文化財

移築当時は聚楽第(じゅらくだい 豊臣秀吉)の遺構とされ

「桃山御殿」と呼ばれていた

近代の研究では紀州徳川家の別荘「巌出(いわで)御殿」とする説が有力

臨春閣と調和するように池を造成 

 

たしなみポイント 

州浜(すはま):水辺に石を敷き詰める表現手法

州浜がある池は海や川を表現していることが多い

 

水辺を意識すると建物の特徴が見えてくる

紀の川に面して立てられていた部分と言われている

建物が元々あった環境を再現したかのよう

良い石が使われている

 

原三渓直筆の手紙

大名品ナレバイザ知ラス 普通之品ハ一切 買入中止仕候

 

視点を変えて庭を見る 橋も素敵 原三渓によるデザイン

唐破風 国の重要文化財 高台寺 観月台 原三渓は豊臣秀吉好き

庭師に名所・旧跡を視察させた

 

作りたい景色が明確だからこそこういう風景を見ていてほしい

 

通常内部非公開*不定期公開

臨春閣 江戸時代初期の建物 1649年の建物 

研究者の間では東の桂離宮と呼ばれている

幕府の御用絵師 狩野派による障壁画 各部屋に豪華な美術品

波の欄間 銀箔(ぎんぱく)が酸化している 想像図

一番メインの棟 和歌の色紙がはめ込まれた欄間

菊の透かし彫り 一番見せたい庭園の風景

原三渓が思い描いていた理想の風景 デザインの中心

「臨春閣」の名の由来

臨春閣の移築当時は橋の向こうに桜の木を植えていた

桜を見る⇨春を見る⇨臨春閣

 

二階へ

村雨の間 襖の絵の名が「村雨松林図」

村雨:急に激しく降ったり弱く降ったりするにわか雨

金箔と銀箔 

百人一首の色紙

ここからの眺めが先ほどの眺めと同じように素晴らしい

たしなみポイント

座ることで美しい風景が見えてくる

目の前に三重塔が見える 座って見上げた先に三重塔

三重塔の上に昇る月 天体まで計算に入れていた

 

臥竜梅(がりゅうばい)

三溪園の梅を題材にした作品 国の重要文化財 弱法師(右隻)下村観山

原三渓は若手芸術家の支援に尽力 横山大観も

原三渓はの影響で新しい芸術が生まれた

 

「鴨の嘴(かものはし)よりたらたらと春の泥   高浜虚子」

 

最近では横浜市中区本牧出身 クレイジーケンバンド 横山剣

三溪園をイメージして「松並木ストラット」を作った

現在でも文化サロンのような役割を果たしている

 

🎵Deep inside ma soul 松並木のふたり🎵

 

聴秋閣(ちょうしゅうかく) 国の重要文化財

二条城にあった建物 楼閣建築(外の流れを楽しむための空間)

火灯窓 木のタイルで敷き詰められている 

建物の前が池で当時は庭園で舟遊びが流行っていた時代

対岸から船でここまで近づいてきて直接舟で上がった空間ではないか

水辺にあった建物の構造をいかした作庭

 

聴秋閣から臨秋閣への水の流れ⇨川から海への流れを表現

たしなみポイント

水の流れをたどってみると発見があるかも…。

 

*聴秋閣奥の遊歩道は新緑と紅葉の時期のみ解放

聴秋閣越しに三重塔 縦の構図

ここは原三渓が最後に移築した建物

 

作庭家はみんな 庭に魂が宿ってしまう 僕が今まで見てきた庭の中で

三溪園ほど魂が宿っている庭はなかったかもしれない

原三渓の残した想いは凄い 村雨

2026年2月3日火曜日

近田春夫氏&「雨氷」&「紙衣(かみこ)」&寺山修司俳句

静謐の祈りを込めた黄花亜麻(キバナアマ)

モラエスが愛した黄色黄花亜麻

黄花亜麻滝の焼餅頬張らん

眉山町岩肌埋める黄花亜麻

和田の屋へ植えたモラエス黄花亜麻

 

■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん

ゲストは近田春夫氏。

先輩からの言葉は「適当に親切 近田春夫」でした。

幼稚園児にしてIQ169だったとか

内田裕也率いるロックンロールのバンドに参加。

初舞台の時の前座がなんと矢沢永吉率いるキャロル。

その時のTalkは抱腹絶倒。

近田春夫氏の生涯を映画にしてほしいと思いました。




 






■夏井いつきのおウチde俳句

一分季語ウンチク「 雨氷(うひょう)

 

あまり耳慣れない現象ですね 冬のかなり厳しい寒さの中で

ひょっとしたら川沿いに 草などに氷がついているというか

草を含んだ氷の筒といいますか そういったものが存在しているのを

見た方はいらっしゃるでしょうか?

この「雨氷」というのは過冷却された 雨が氷点下に地表に

凍結したもののことをいうようですね それがちょっと

日があたった緩んでくると 氷のまま川に向かって流れだす

このことをかつては流氷と呼んだそうです ですが現在では

この流氷という言葉は 春先に北方に流れ着く あの流氷の事を

指すようになって 現在ではこの「雨氷」というものは

区別して呼ばれているそうです

 

■夏井いつき俳句チャンネル

【新刊案内】夏井いつきの俳句添削辞典

出版社:朝日出版社 価格:2070(税込)

 

「具体的なので役には立つ」と、夏井いつき先生。

ウリはチャート!

有季定型の一句を作る時に辿れるチャートがある。

問題点と解決策が記されている。至れり尽くせりである。

俳句初心者から使用できるようになっている。

最後の最後まで付き添ってくれる本になっている。

本屋さんでチャートのところだけでも見てほしい。といつき先生力説。

俳句の本のStandardになってくれるのではないか。と正人先生。

最後の所に「穴埋めクイズ」50位推薦句が掲載されている。

添削力がついているかどうかが試す事ができる。

 

私感

これは買ってみなくては…。

 

■夏井いつきのおウチde俳句

一分季語ウンチク「紙衣(かみこ)

 

読んで字の如く紙で作った衣なんですけれども

どういうものかというとですね

和紙を糊でつないで そこの上に渋柿からとった

渋を塗って乾かして 揉んで柔らかくして衣服として

仕立てたものだそうです 紙で作って衣装 渋を塗らないものは

「白紙子(しろかみこ)」といい さらに「素紙子(すかみこ)」という

言い方もあるそうで その「素紙子」というのは

この紙で作った衣装以外のものを 身に纏わない

それだけを纏ったことを「素紙子」というそうです

冬といったら色んな防寒具も季語になっているわけですが

何でこんな寒そうなものが季語になっているのかと

気になる季語ではあります

現代ではある修行の中での行衣(ぎょうい)として

着ることがあるそうです

 

■寺山修司の有名な俳句

流すべき流燈われの胸照らす

さんま焼くや煙突の影のびる頃

鵞鳥の列は川沿ひがちに冬の旅

葱坊主どこをふり向きても故郷

他郷にてのびし髭剃る桜桃忌

秋暁の戸のすき間なり米研ぐ母

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹

わが夏帽どこまで転べども故郷 

2026年2月2日月曜日

兼題「猫の恋」&テーマ「手」

冬の水形失ひ揺らぎをり

夾纈(きょうけち)技法蘇る鳥ならひ

蒼き空交喙鳥(いすか)真冬に子育てす

松のタネくちばし違え啄ばまん

青森の松ぼっくりを食む交喙鳥

 

NHK俳句 兼題「猫の恋」

選者:堀田季何 レギュラー:庄司浩平 司会:柴田英嗣

年間テーマ「俳句のコリをほぐします」

 

・今週のテーマ「描写」

どうしたら物事をうまく描けるか 俳句の肝

 

   蘭鋳の爆発寸前のかたち   奥坂まや

蘭鋳:夏の季語 少し破調 中七から下五へ句またがり

ツボポイント

物事をうまく描くには4つのステップがある

1      物事をよく見る 俳句で「見る」というのは五感全て

2      ハッとする本質を見つける

3      諦めない

4      ハッとした瞬間を詠む

 

夏の夜遅く、暑中見舞いを書いている

A 夜遅く暑中見舞いを描きにけり

暑中見舞い 夏の季語

B 仕事終へ子どもに暑中見舞い書く

「子どもに」という相手が出てきます 

「仕事終え」という状況も加えられている 

しかし状況の報告の息を超えられていない

C 子へ宛てて暑中見舞いを急ぎ書く

「急ぎ」作者の状況に目を向け動きを加えている まだ状況説明のまま

D ひさびさに子へ手紙書く夜の秋

具体的な言葉を外し 「夜の秋」夏の季語に変えた 

「ひさびざに」距離感が出ている

E 子へ宛てて長き手紙や夜の秋

「久々」より「長い」手紙の方が多く語れるじゃないか

長い手紙は間隔が空いている事と手紙の長さ両方描ける

F 頼もしき子へものを書く夜の秋

子を「頼もしき子」へ ある程度大きいし離れて暮らしている事もわかる

G子へものを書けば寂しく夜の秋

「自分」を描写 距離感も感じられる 

H 子へものをあと幾度書く夜の秋

発見が入る 

 

   子へものを書けば遺書めく夜の秋   西村和子

AHがほぼ含まれている ポイントはよく見る

「子どもにものを書いていること」をさらに見続ける

描写しながら想像していかないと 疑問が答えになって出てきそう 柴田

フォーカスする所を変えている 所がポイント 庄司

ツボポイント

物事をハッとするまで諦めずによく見る

 

・実践 うさぎを描写した句を詠もう!

寝ていても耳は起きてるうさぎかな   柴田英嗣

添削 寝ていても耳起きてるうさぎかな

 

一噛みの静かな怒りうさぎかな   庄司浩平

「怒り」と「かな」の余情がけんかしてしまう か行の韻を踏む

添削 一噛みの静かな怒りうさぎなる

   一噛みの静かな怒り飼兎(かいうさぎ)

 

見てゐないやうで見てゐる兎の目   飯島晴子

 

まとめ 俳句とはものも心もよく見ること

 

・今週の兼題「猫の恋」特選六句発表 (猫盛る 猫の契)

宇宙探査船の帰還猫の恋   小林さおきち

(二物衝撃 闇の奥に目標がある)

私 ついてくるな私は恋猫ではない   丹下京子

夜半の叫び恋の猫ならよいのだが   Junimond

ファシズムの吹き荒れる街猫の恋   小島ただし

カタカナデ書カレタ詩歌猫ノ恋   加藤幸龍

トルソーの並ぶ倉庫や猫の恋   須藤縦横(たてよこ)

 

・柴田・庄司の歩み

見て見て見てとにかく見てまいります   柴田

観察だ!よく見よう うさぎも見ている。たぶん。

 

NHK短歌 テーマ「手」

選者:横山未来子 生徒:菊池銀河と横田真子 司会:ヒコロヒー

年間テーマ「三十一音で扉が開く」

 

・表記を工夫しよう

口癖がかすかに聴こゆぬくたいわ亡き叔父の白きダウンを着れば

菊池銀河

「」も表記の工夫の一つ

短歌は五七五七七の五句からできているが一行につなげて書くのが基本

 

電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ

東直子「青卵」

読点を効果的に使った歌 読点、句読点はOK

句読点

間を置いたり息継ぎのようなニュアンスを表す際に使う

 

空間にこゑの影あり そのこゑを浴びしわれらに震へとどめて

横山未来子「とく来りませ」

空白

リズムの上で少し間を置きたいときや場面を展開する時に使う

 

ソウデシ‘ュ’と言つてしまつて(気づかれた?)生徒の顔がいくつか上がる

大松達知「ゆりかごのうた」

記号や空白はそれぞれ効果が違うものなので

自分の短歌にあうものを選んで使うと表現の幅が広がる

 

・入選六首 テーマ「手」

やけどして手を流水で冷やす時 わたし自分が大事なんだな

佐藤てお

一席 私 僕たちの手は星だから近そうで余りに果てしない距離がある

ナカムラロボ

 手()折られた花の水にはザラメ糖ひとりよがりの優しさもある

玖嶋(くしま)さくら

通りから玄関までの二三段お隣さんも手摺がついた

竹村哲男

手術終()へぐにやぐにやのからだ支へられああ生きてゐる春の日の中

林路子

司書の手が棚を辿れば本の背は連なりやわらかな波になる

常田瑛子

 

・「手」をテーマに詠む!

躊躇せず手を握り合えた幼少期いつから君に触れたくなったか?

菊池銀河 添削

ためらわず手を握り合えた幼少期いつから君に触れたくなったか?

横山未来子先生 銀河さんの短歌は発想が自由

歌人の道 レベルアップ

言葉を詰め込みすぎるので初めて読む人にもわかりやすい作品にしよう!

 

雨の窓揺られて指で描いたあとにこちゃんなのに泣いて見えたの

横田真子 添削

揺られつつ指で描いたにこちゃんは泣いて見えたの雨の車窓に

真子さんの短歌

身近な素材から感動を素直に表している!

歌人の道 レベルアップ

助詞の使い方や言葉の流れを意識してみよう!

 

・ことばのバトン

あなたが見たのと同じ月を見る

細川はな(子規庵宇宙の会)

やる気ゼロ家でゴロゴロ本でも読むか

柳下恭平(書店主)

月見たら本でも読むかなあって思った後の一句…。

 

本はリハーサル 本を読めば疑似体験ができる

エンターテインメントだけじゃなくて実用的なことも全部できる

2026年2月1日日曜日

知恵泉 織田有楽斎

寒波来る十郎兵衛こそ写楽です

しばれるやMTC(エゴマオイルも)過熱不可

冬深しベスト尽くして諦めず

(鳥インフルエンザ)しづり雪哺乳類をも感染(うつり)をり

(鳥インフルエンザ)冬ざるる絶滅危惧種へ迫る危機

 

■先人たちの底力知恵泉 

信長の弟織田有楽斎(うらくさい) 逃げるが❝価値❞そして静寂の境地へ

有名な茶人 茶の湯のスキルがあってのこそ

戦国三英傑に仕えた

千利休も認める茶の名手だった 血筋と茶の湯で戦国を泳ぎ切った

 

ゲスト 今村翔吾(時代小説家) 

2022年「塞王の楯」第166回直木賞受賞

元ダンスインストラクター 

 

天野忠幸(天理大学教授)

有楽斎は❝権力者じゃない織田信長❞

 

有楽斎は字が上手かった 文化人としては超有名人 

目立った活躍はほぼない 今村

 

信長とは13歳離れた弟 家臣も領地も持っていない

信長からも期待されいなかった存在 天野

 

信忠が討死していなければ秀吉の代わりに信忠が明智光秀を

討った可能性もありますから そうなりますと次の豊臣政権

さらには徳川政権というのは考えられません やっぱり

信忠としてはお父さんが危ないというねこのまま自分が逃げると

後世に何を言われるか分からない 武将としてのプライドというか

矜持があったのであえて危ないところに身を置くという

選択をしたのでしょう

小和田哲男

 

本能寺の変から無事生きて帰った織田メンバー

 

織田有楽斎

天分16(1547) 信長より13歳年下

 

有楽斎の場合は確かな資料の「信長公記」です 太田牛一の書いた

天正91581年までは表に出てこない 信長の弟なんだけれど

存在なき存在 信長を父親代わりみたいな感じで見ています

完全に信長に育てられたって感じです 

小和田哲男

 

信忠の後見役となる

大阪本願寺合戦 武田勝頼との戦い ともに出陣

天正9年京都御馬揃え では6番目の序列

本能寺の変で一変 

本能寺より2㎞離れた妙覚寺に信忠と有楽斎は一緒待っていた

 

知恵その一 負け戦は戦うな 別の道が必ずある!

信忠は切腹 有楽斎は一人逃げる道を選択

 

当時武将たちの間でよく言われていた言葉は

「戦にて負け候らえば自害に及ぶこと侍の本用に候」 

つまり負けたならば潔く腹を切るというのが当時の武士道というか

武士の考え方で信忠も覚悟を決めたと思いますが明智軍の方で

有楽斎の方はあまりよく顔を知らなくて雑兵に紛れて一緒に

逃げちゃったので逃げ延びることができた お兄さんの信長が

それに近いことをやっている 例の「金ヶ崎の退き口」ということで

ボロボロの体になって京都に逃げ戻って生きています そういったのを

見ている有楽斎ですから死ぬのが美徳ではないとみっともない

生き方をしても生き延びることが次につながるという思いを持って

生きた武将だと私は見ています

小和田哲男

 

このことで「逃げの有楽」というニックネームをつけられた

有楽斎は命を優先 

 

小牧・長久手の戦い 羽柴秀吉が織田信雄を支える振りをしながら

天下をかすめ取ろうとしたことを知った信雄はと徳川家康を仲間に

引き入れ戦う決意をした 

天正12(1584)有楽斎は共に戦うことになったのですが 

「これは負け戦じゃ生き残る道を探さなければ」と、

秀吉に早くに和平を打診していたとか繰り返し和平工作を行った 

信雄・家康軍は善戦するが戦をやめるようアドバイス!

「死んでしまっては何も残りませんぞ」と

子どもを人質に出す この選択が正しかったことは歴史が認めています

秀吉 1598年没 有楽斎 1622年没 信雄 1630年没

 

最大にして最後の和平工作 大阪の陣

家康方 32000石 関ヶ原の戦いで手柄を立てていた

 

大阪城にいる淀殿は自分の姪ですから自分の身内の一人として何とか守りたい

家康との関係を順調に持っていこうとする思いはあった 

小和田哲男

 

慶長19(1614) 大阪冬の陣 勃発

豊臣方に不利な条件で講和 これ以降政治の世界に顔を出すことはなかった

 

織田源五(有楽斎)は人ではないよ □残後党

信長に似てたと言えば似てた 今村

 

自分ひとりの決断で動きまわることができる 天野

逃げる途中で殺されると最悪 天野

 

自分ができる最善策が❝逃げる❞だった 今村

 

慶長20(1615)

有楽斎は茶の湯に没頭 茶釜・茶杓

豊臣秀吉 徳川家康とも茶を通して交流

豊臣秀頼(秀吉の後継者) 徳川秀忠(家康の後継者)など 

若い世代のリーダーとも語り合うこともあった

強力な人脈があればこそ「交渉役」に当たれた

 

引退後は茶にどっぷりつかった老後を過ごした

建仁寺塔頭(たっちゅう) 正伝永現院

人生最後の4年間を過ごした寺

有楽斎 晩年の境地とは 

正伝永現院住職 茶道有楽流正伝会 家元 真神啓仁

「鳴かぬなら生きよそのままホトトギス」

もっと本来人間自由であるべきや というのが僕の有楽斎のイメージ

相手に何も極力求めないような「あなたはそのままでいいんですよ」

というイメージを持って その句をみんなで考えてつけてみました

 

知恵その二 「鳴かぬなら生きよそのままホトトギス」

あなたはそのままでいいんですよ

 

茶室 如庵(復元)

客の緊張をほぐし 心を落ち着かせる 

二畳半台目の空間 「二畳半 一畳半は 客を苦しめるに似たり」有楽斎

鱗板(一層の余裕を空間に持たせている)

窓が多い 隙間を開けて竹を打ち付けた窓は有楽窓と呼ばれている

程よい明るさと風が通るよう設計されています 

古い暦を補強のために土壁に張った 独特の侘び感を与えています

❝それ茶の湯は客をもてなす道理を本意(ほい)とする也❞有楽斎

「有楽流」として受け継がれた

毎年 法要が営まれている

20251113日 執り行われました

 

有楽斎子孫・医師 織田正道氏

1113日だけはやっぱりそこに タイムスリップするような感じ

ここにくると有楽とのつながりだったりこの静けさだったり

そういうものを感じる面はあります 決して僕は茶道をやっている

わけではなくて何でもないんですけど (有楽斎は)権力とか力では

得られない真の豊かさを茶の湯に見出したのではないかなと思います

 

元和7(1622)織田有楽斎 逝去

75歳でこの世を去りました

 

400年を過ぎた今も受け継がれています

 

拡大の先にも宇宙はある お茶の世界に寄り切ったところの宇宙

信長が外に膨張していくエネルギーだとすれば

有楽斎の場合は内側に内側に… それが茶だったのかな それが情熱であり

好きである心だったのかな… 似た者同士 向かうエネルギーの先が違うだけ

やはり織田なのではないか やはり織田の同じ血が流れている

テーマとは有楽斎が面白いと思ったものを選んだり 

彼の楽しみで作ったものが多い

今村

織田有楽斎の竹茶杓 銘 落葉

有楽茶所銘釜

 

世俗の色々なしがらみから解き放たれる空間があの茶室の中

 

村田珠光(14231502)「わび茶」の創始者とされる人物

利休より先輩の頃から

マウント取るのはダサいと言われるようになった

なので言えなくなった

みんな平等という立場でお茶を嗜む 今村

 

この時代の「自由」に当てはまる言葉は現代にはない

有楽斎は生き方で❝自由❞を体現した

有楽斎は織田ブランドを頼っていない

地震で織田ブランドを作ってしまった 今村

 

自分が生きていける術をどういう風に見出すか 天野

多様性の象徴ではなかったのか 司会者