山の朝雲ひとつなき雪晴れよ
現在へ導きたる冬の記憶
広重に寄り添い歩む冬ぬくし
あの冬の肌感覚のひしひしと
冬薔薇(そうび)ちょっと寂しげ俯かん
■映像の世紀バタフライエフェクト ウォール街 10月の悪夢
世界の金融市場に最も影響を与えた一人 アラン・グリーンスパンを追悼します
ALAN GREENSPAN 1926-2026
パーキンソン病の合併症で100歳で亡くなりました
「市場に委ねれば経済はうまく機能する
そして文明に大きく貢献すると信じています」
アイン・ランド(作家) 小説「肩をすくめるアトラス」
ドナルド・トランプ、イーロン・マスクの心を捉えてきた
アイン・ランド
「私は完全な自由奔放主義による規制のない自由な経済を支持します
政府を経済から切り離し生産と取引を規制から解放すれば
平和的な協力と調和 正義がもたらされるでしょう」
グリーン・スパン
「ランドが私に気づかせてくれたのは 資本主義が効率的で実用的であるだけでなく
道徳的なものでもあるということだった」
ウォーレン・バフェット
「ウォール街では刺激が多過ぎて短期的な視野に陥ってしまう
それは長期的な利益をもたらさない」
「市場はまるでバカげた客の集まる巨人なカジノで みな酒に酔って我を忘れている
遅かれ早かれ市場は企業の実態を反映するものなのだ」
1929年大恐慌 1987年ブラックマンデー 2008年リーマンショック
ウォール街 10月の悪夢 ふたりのカリスマ
1917年4月 第一次世界大戦 アメリカ参戦
チャーリー・チャップリンは戦時国債の販売促進の映画を制作「The Bond」
ベンジャミン・グレアム(投資家)
信用取引:
証券会社に預けた保証金を担保に資金や株を借り自己資金以上の売買を行う取引
ベンジャミン・グレアム
「私は決して投機的な人気銘柄には手を出さず 自分の投資は堅実だと思っていた
しかしそのために借金をしていた それが間違いだった」
1929年10月
市場で起きた大暴落によって取引所の前に大きな人だかりが出来た
ベンジャミン・グレアム
「長引く消耗 繰り返される失望 この大恐慌と損失は果たしていつ終わるのか
底知れぬ不安が私の心に重くのしかかった」
大恐慌から3年4カ月
フランクリン・ルーズベルト 第32代大統領 就任
「強欲な金融業界どもの所業は世論と言う法廷で告発され 人々の心から拒まれた
彼らは我々の文明という神殿から逃げ去った 今その神殿を真実の姿に戻すときだ」
グラス・スティーガル法 1933年6月16日
証券取引委員会 発足 1934年7月
その時、ニューヨークへ移り住んできた アイン・ランドだ
ソ連を離れ21歳で移住してきた ハリウッドで脚本家として働いた
アイン・ランド
「私はヨーロッパで生まれましたが 自らの選択と信念でアメリカに渡り
アメリカ人になりました この国こそが私の信じる道徳的価値観の
上に築かれ 作家としての自由を保証された 唯一の場所だと思ったからです」
米下院 日米活動委員会 1947年10月20日
アイン・ランド
「『ロシアでの生活は素晴らしく人々は自由で幸せだ』と売り込むものは
すべての共産主義のプロパガンダと言えます」
ロシア革命 1917年
「想像してみてください 朝から晩までいつ連行されるのかと怯えながら
絶え間ない恐怖の中で生きる毎日を 周囲は恐れているものばかり
人間の命が全く価値を持たない国で 誰がいつ自分に何をするのかわからない
友人が自分を密告するかもしれない そこにはいかなる法も権利も
存在しないのです」
コロンビア大学 ニューヨーク ベンジャミン・グレアム
「株に初めて興味を持ち始めている人々にとって 今の状況は非常に大きな
危険をはらんでいます 企業の収益は5年前より減少しているにもかかわらず
なぜ株価が2倍になるのか その理由は数式などにはなく 投資家の心理の
中にこそある 投機家も投資家もバラ色のメガネを通して市場を見ていると
いうだけで 株価を根拠なく押し上げるのだ」
バリュー投資:公開された財務情報や株価の推移などを分析し企業の価値を
見極め 割安な株を買う投資法
ウォーレン・バフェット
「19か20歳の頃 グレアムの本を読んだんだ そして自分がまったく
間違ったやり方をしてきたことに気づいた その時点から私は二度と
株をやらなかった 私はビジネスを買うようになったのだ」
バフェットは大学卒業後、2年間グレアムの会社に勤めて学んだ
アイン・ランドが勉強会を開いていた その中にアラン・グリーンスパンが
熱心に参加していた 彼に葬儀屋というニックネームをつけた
アイン・ランド
「彼はとても知的だが不幸せな人間に見えた 彼は物事を判断するための
拠り所を探していた 人生の根本的な見方を持っていなかった」
人類史上もっとも気高いわが国は個人主義という決して奪われることのない
原則の基に築かれた 私には自分自身のために生きる権利がある
アイン・ランド初出演のTVインタビュー 1959年
あなたは政府に課税する権利などあってはならないと考えている
福祉や失業保険そして家賃規制 経済危機の際の規制など
存在すべきでないと考えている
アイン・ランド
「その通りです 私はあらゆる形の統制に反対です 私は完全な自由放任主義に
基づく規制のない自由な経済を支持します つまり私は国家と経済の分離を
支持しています あらゆる不況は政府の介入によって引き起こされるものであり
政府による解決策は常に災難を引き起こした毒をさらに投与することでした
不況は自由経済の結果ではないのです」
アラン・グリーンスパン
「彼女に出会うまで 私は知的に未熟だった 私は有能な技術者であったが
ただそれだけだった ランドは人間の価値観 そして思考や行動の背景について
考察するよう私を説得した 私の視野は それまで学んできた経済学の
枠組みを越えて はるかの広がった
リチャード・ニクソン 第37代大統領
「私は財務長官に対しドルと金の交換を一時的に停止するよう指示した」
土曜の朝 民主党全国委員会のビルで 5人の男が盗聴器設置の容疑で
現行犯逮捕されました そのうちの一人は大統領再選委員会に関係
しているようです」
ウォーターゲート事件 1972年6月17日
容疑者が選挙資金を受け取っていた
ホワイトハウスでの会話記録(1972年9月15日)
ワシントン・ポストはこの件でとんでもない問題に巻き込まれるだろう
彼らの所有するテレビ局は放送免許の更新を控えている ゲームは
手荒くやらねば
ニクソン支持者がワシントン・ポストのテレビ局免許を狙う
そこで動いたのがバフェットだった
ウォーレン・バフェット
「ワシントン・ポストは市場で8000万ドルで売られていた しかしその資産は
4億ドルを下らなかっただろう 株価がウォール街の群れに左右され最も
感情的な人間 強欲な人間 悲観的な人間がその価値を決める時 市場が
常に合理的だとは言い難い 市場はしばしばバカげた値段をつける」
ホワイトハウス 1974年9月4日
アイン・ランド
「アランは私の思想を受け継ぐ者です しかし 経済の専門家としての実績は
彼自身の力によるものです 彼は真に自由な資本主義の実現を信じています
それは一夜にして成し遂げられるものではないのです」
この1年後 アイン・ランド死去(77歳)1982年3月6日
ロナルド・レーガン 第40代大統領
「アラン・グリーンスパンをFRB議長に4年の任期で指名します」
FRB(連邦準備制度理事会)議長就任 1987年8月11日
米下院エネルギー・商業委員会 1987年10月5日
グリーン・スパン
「銀行業はその性質上リスクを伴うものです リスクを一切負わない銀行があれば
それは経済的な存在意義を持たない銀行ということです」
1987年10月19日 暗黒の月曜日
株式市場の1日の下落幅は1929年の暗国の火曜日を上回りました
1987年10月19日 ブラックマンデー
FRBが潤沢な資金提供を約束したことで2つの銀行が金利を引き下げました
世界を救う委員会 グリーンスパンはマエストロと呼ばれた
さあ❝オマハの魔法使い❞ウォーレン・バフェットに会いに行きましょう
バフェットが会長を務めるバークシャー・ハサウェイは
純資産が30億ドルを超える持ち株会社です
フォーブス誌が発表した最新の長者番付によるとバフェット氏の純資産は
約21億ドルとなっています
Q.あなたが守り続けてきた投資哲学の秘密は?
秘密はありません
Q.ではなぜ誰も同じことをしないのでしょうか?
それには忍耐が必要だからです 多くの人はそれを持ち合わせていません
人々は徐々に金持ちになることよりむしろ来週宝くじに当たることを望むものです
短期的な利益ばかりを追い求めれば長期的には良い結果を得られないでしょう
Q.ハイテク企業からは距離を置いているようですね
ハイテク企業を10社挙げて10年後や10か月後にどうなるか聞かれても
私にはさっぱり見当もつきません
ネットスケープ・コミュニケーションズ
アラン・グリーンスパン IT企業の躍進を讃美した
アメリカ経済は100年に一度の技術革新のただ中にあり それが生産性と
収益を高め株価を上昇させた いま時代を象徴するのがITだ
一方、ウォーレン・バフェットはIT企業に目を向けなかった
ウォーレン・バフェット
「一度も利益を生まない企業は価値を創造するどころか価値を破壊する
加熱した市場が実体のない企業の誕生を許した 宴に長いすれば
いつか魔法は解けると知りながら誰も宴を去れないのだ」
IT企業の成功は高速インターネットのような早さで訪れました
しかし今では失敗という現実ですか同じ速度で押し寄せています
Internetやソフトウェア企業が7万人を雇用するシアトルでは
企業が事業から撤退しはじめています
NET SCAPE社は4年で市場から姿を消した
アラン・グリーンスパンFRB議長退任 2006年1月31日
「私には政治哲学があります 市場に任せておけば経済はうまく機能する
そして市場こそが文明に大きく貢献してきたという考えです
私がこのイデオロギーを持つのは それが世界と向き合い政策を
選ぶうえで最善の方法だと信じているからです」
その頃、ウォーレン・バフェットは
オマハの賢人が神格化されるようになっていた
この10年後 巨大企業の崩壊
ウォール街は激動の一日を経てパニックに陥っています
2008年9月15日 リーマン・ブラザース 経営破綻
大恐慌から80年目の出来事だった
原因は住宅ローンだった
サブプライムローン:ローン返済の信用度が低い人を対象とした貸付
返済不能のリスクが高いため金利が高い
金融ジャーナリスト
「その仕組みは所得の低い人々の信用を健全に見せるもので
ウォール街にとって鉛を金に変える装置だった 金融市場を
より効率的にするために作られたはずの発明は今やリスクを
複雑化することでそれを隠蔽するという正反対の目的に利用されていた」
米下院監視・政府改革委員会 2008年10月23日
アラン・グリーンスパンへの質問
Q.あなたは市場は自ら秩序を保つと一貫して主張してきました
聞きたいことは単純です あなたは間違っていたのでしょうか?
A.銀行などの金融機関は株主と会社の利益を守るため 最も賢く振る舞う
はずだという私の想定は間違いだったと思います
Q.いま経済全体がその代償を払っています あなたのイデオロギーが
間違った決断をされたそう感じませんか
A.誰もがイデオロギーを持っています 生きるためにはそれが必要なのです
問題はそれが正確かどうかということです 私はそこに欠陥を見つけました
しかしその事実にとても心を痛めているのです
2008年10月1日 ウォーレン・バフェットへの質問
Q.あなたはゴールドマン・サックスへの投資と同じ条件で
ゼネラル・エレクトリックに30億ドルの投資を行うと発表しました
A.私は彼らのビジネスをよく理解しています 彼らはこれから100年後も
生き残るでしょう これはとても魅力的な投資だったのです
(この投資は3年で50億ドルの利益をもたらしました)
ウォーレン・バフェット
「私はシンプルなルールに従っているだけだ 他者が貪欲な時の恐れ
他者が恐れている時に貪欲であれ」
スペースXの創業者でCEOのイーロン・マスク氏は今日 資産評価額で
世界初の❝兆万長者❞となりました
スペースX新規株式公開 2026年6月12日
バークシャー・ハサウェイ株式総会 2025年
95歳で自らの会社から退いた
株式市場が将来どうなるか ビジネスがどうなるか 私にはわかりません
私は長い間 その答えを探してきました しかし結局
その答えは存在しないものでした それでもこのゲームは面白いと思った
そして気づいたのです 正しいルールー学び それを守りさえすれば
負けようのないゲームだと
アイン・ランドの小説は彼女亡き後も読者を増やし続けた
1981年11月21日(最後の公演)
Q.私たちの自由な体制を救う望みはまだあるでしょうか
A.あります 地上にただ一人でも人間が生きている限り希望はあります
しかし勝手に救われるわけではありません それは自ら考えることの
出来る人々の自由な意志と選択にかかっています 我々はまだ
この国を見捨てるべき段階にはいません 私たちは依然として自由です
真の資本主義を実現する道はその理念を深く理解し 力を尽くして
正しい思想を広めることなのです
アラン・グリーンスパン
「ウォール街の谷間で育った私は人間の衝動が市場を左右する姿を
目の当たりにしてきた 自由放任主義も 国家による統制経済も
持続的な成長と安定を同時に手にした仕組みを私は一つも知らない
恐怖と熱狂と群衆心理に駆り立てられた競争が支配する資本主義経済で
市場は絶えず移ろいながら 決して届かぬ均衡へと向かい続けるのだ」