ニトリ創業者を詠む
障害(ADHD)を味方につけて青嵐
炎天や会社をも乗っ取られ
旺盛な忘却力よ雲の峰
汗みどろ集中力の欠落よ
汗の香や整理整頓できなくて
■知恵泉 がむしゃらに軽やかに 新時代を駆ける 与謝野晶子(1878-1942)
ヤマザキマリ 迫田孝也 松村由利子
やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
与謝野晶子
みだれ髪 11人の子供を持つワーキングマザー 時短
ジャーナリスト ファッションリーダー 教育者
情熱 情動 大胆さ そういったものが横溢(おういつ)しているイメージ
100年以上前に無痛分娩を試している 新しいものへのチャレンジ精神
繊細な面と大胆な面と両方あってお喋りではなかった
明治11年堺件に生まれる(現在の大阪府堺市)
晶子の兄は帝国大学工科大学(東京大学工学部)
楽しみは読書 古典文学を愛読しお気に入りは源氏物語だった
与謝野鉄幹との出会い
花がたみ 鳳晶子 明星に寄稿
みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてゐませの君ゆりおこす
この年恋焦がれていた鉄幹と結婚 22歳
経済的苦境に陥る 11人の子供
ロマン主義から自然主義へ 明治41年「明星」廃刊
鉄幹の収入がなくなり与謝野家大ピンチ
家事の省力化 ちゃぶ台 大皿料理
生涯に詠んだ歌は3万首とも…。
旅稼ぎ
短所だらけである私の特に最も短所なのは口舌で述べることである
1900年パリ万博博覧会の渡航費を捻出するため 百首屏風を販売
とうじ100円 今で言うと100万円くらい 高価なものだった
現状を打破するには❝やり過ぎ❞も必要
ヤマザキ
自分のあるままを認めてもらっていない
孤独や疎外感を何で補っていたかというと読書
後はチラシも裏に絵を描く
絵が好きだから描くんじゃなくて寂しさを払拭するための行為
子どもが生まれた時に漫画を初めて描いた
何十足もわらじを履いていた 全部子どもの為
誰かを頼らずに育てるためには なんでもやらなければいけない
晶子は生涯で170回以上 旅に出て110か所ほどの温泉地を訪れた
全国各地に与謝野晶子の歌碑が二百数十基残っている 松村
焦り汁:焦るほど焦り汁が分泌されて凄いエンジンになる ヤマザキ
欧州の女は何うしても活動的であり東洋の女は制止的である
自分は日本の女の多くを急いで活動的にしたい
ジャーナリストとして原稿依頼
人生の後半こそ仕事を選ぶな 未来はどんどん広がっていく
全世界でスペイン風邪が流行
大人数が集まる教室で子どもたちに掃除をさせる必要はない
各教室の入り口に消毒液を置いて子どもだちに手を洗わせてほしい 晶子
平塚らいてう との論争
育児に追われる母親の保護 らいてう VS 男女平等・夫婦共働き 晶子
大正8年40歳 百選会 ファッションイベント ファッションリーダーに
20年間で400首以上を詠んだ
流行色のネーミング 平和色 新勝色・アラビクトリー 出藍色・サファイア
西村伊作 学校造り 大正10年文化学院設立
私たちの学校の教育目的は他から強要されることなしに
個人個人の創造能力を自ら自由に発揮せしめる所にあります
人間は何事にせよ自己に適した一能一芸に深く達してさえ居ればよろしい
功利的な打算を超へた高い、清い、正しい境地において
自分自らそれを楽しむ事が出来ます
いろんなものが西洋化したけれど日本人がまだついていけていない
引っ張っていってくれたおかげで現代があると考えてもいいのかな
勇気を持って1歩も2歩も3歩も進んでいた ヤマザキ
今と違って活字メディアが凄く大きな力を持っていた時代
女性向けの雑誌や新聞の婦人欄 女性を意識した紙面つくりも
始まっていて女性の書き手が求められていた 晶子自身に「書きたい」
「伝えたい」という内的な欲求があった
男女が平等であるべき思想や表現の自由は担保されるべき 松村
シスターフッド:共通の目的や目標を持った女性同士の連帯を示す概念
晶子は好奇心が旺盛な人 想像力も非常に豊かだった 読む者によって
何か違う 何を信用していいのか 自分がその中から 濾過された言葉を
組み合わせてできる考えを持っていた ヤマザキ
選ぶなということはそこから学び取れるものがあって 自分の中の
辞書の言葉がどんどん増えていく どんどん頼りがいのある自分に
なっていくから見てごらん ヤマザキ
自分の可能性を信じて見たかった 自分で自分を教育した 松村
当時の新しい生き方は専業主婦だった 当時の新しい女性の生き方に
異を唱えたのは面白い 松村
男だろうと女だろうと人間同士の共生
魅力的な人間であるかどうかの方が関心が強かったんじゃないか ヤマザキ
世界が広がるような生き方をしてみようかなという気持ちになった 迫田
「紫式部は私の恩師です」与謝野晶子
平安時代の女性たちの教養が高くて才能を伸びやかに発揮したということは
すごく勇気づけられることだった 時代を超えた視線を持てたのは
大きな強みだったと思う 今の私たちが共感する生き方や
社会のシステムを見せてくれた 素晴らしい歌人だからこそ
思い描けた想像力の産物でもあった