2026年3月24日火曜日

初耳学 西野亮廣「夢とお金の熱血授業」

生きている証拠は呼吸春の空

行動は生きたる証拠春あした

春の夕焼恋愛は勘違い

春の雲みんな誰かの所有物

春の月誰かの支配受けて生く

 

■初耳学【西野亮廣(あきひろ)先生

「大好評!夢とお金の熱血授業」給料を上げ方まで熱弁】

夢の叶え方を知るカリスマ先生

 

持論

才能不足で夢は諦めても

お金の知識不足で夢を諦めない

 

給料と頑張りは全く関係がない お金とは問題解決の量

 

西野亮廣のお金の授業

   会社員必見!給料の上げ方

   石田親子億単位のお金の悩み

   「パワハラ」との向き合い方

   ボランティアを思考

   子どもに絶対しちゃダメなお金教育

 

各世代で武器になるものが変わる

10代 友達

20代 体力 量質転化 質は量をこなさないと手に入らない

   成果物は質 成長は量

   ワークライフバランス 寝言 会社終わり勉強は自由

   量をこなさないと勝てない 夢を掴む環境に没入

   経験を積み スキルをつける 夢への近道 没入してキャリアを開いた

   25歳の時 芸人としての多忙時期 絵を描き「絵本作家」

   エンタメ事業の礎

30代 質 勝者同士で組む より勝つ 敗者同士で組む より負ける

 

今日のハイライト

木を植えるのに一番良いタイミングは20年前

次に良いタイミングは今日(30代以降の人へ贈りたい)

若い時 挑戦価値は大きい 夢への一歩 年齢は関係ない

全世代のベストタイミングは❝今❞

 

   給料の上げ方が体系化されていない

給料上げるポイント

 1自分を高く売る

 2お金とは問題を解決した量

  給料を上げる近道 社長の問題を解決 キャッシュフロー

  利益が確定しているのに倒産 黒字倒産

  経常利益を増やすこと 

  自分の価値に自信があるなら正しく評価してもらう努力する

 

   年に数回しか使われない「多目的ホール」が地方に増える根本原因

地方問題 活用されていない施設を利用

夢は地方創生 施設を利用して国際演劇祭

資金の集め方

選択肢として持つべき 事業投資型クラウドファンディング

クラウドファンディング:応援が多めのオンラインショッピング

返礼品を作ることに追われる 本業に時間を使えない

これがクラウドファンディングのNegativeな所

従来との違いは? 事業の利益を分配する

目標に全力で挑戦することのみに専念できる

地道な行動こそが夢が現実に

 

   パワハラと言われるのは指導者の影響力が落ちているのではないか?

人材育成は…人としてモテるのが重要

「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」

自分を疑う 部下にとって魅力的か?

 

   ボランティアを辞める2つの理由 ボランティアの最期

1飽きた時 2経済的困窮 自分の生活が困窮すると人助けはできない

ボランティアは続けることが重要

自分にメリットがないと続かない 無償の愛を届けると長続きしない

GIVE9割でいいが TAKE1割ないと事業として成り立たない

人助けは終わってしまう 慈善事業=無償 収益化すると非難を浴びる

社会貢献の仕組み 資金がないと継続不可 

慈善活動 自身もプラスになる仕組み作り

西野はミュージカルに子ども34千人を無料で招待している

子どもはいずれ大人になる 働ける年代になった時

自分の活動を応援してくれたら 回収できる 先行投資といえる招待

GIVEしているようでファンになってくれれば

最終的には自分たちにTAKEはある このTAKEを日本人は止めろという

TAKEを設計するマインドが抜け落ちている

自分の事を考えていい 自分の事を考えないと人は助けられない

強くなりきちんと経営することは重要

 

   夢のためにお金が必要 子が将来苦労しないため全親に伝えたいこと

悪者は大体金持ち 金持ち=悪者

子どもが金持ち嫌いマインドを持たせない

金持ち嫌いコミュニティーができる 金持ちは人

自分に対して石を投げる人 自分に石を投げるコミュニティー

絶対近寄らない 金持ちに唾吐くと良いことが一個もない

日本に世界中の金持ちが集まってきてくれて日本に住んでくれたら

税金めっちゃ落ちる 超金持ちが税金を払ってくれる

日本は金持ちに唾吐きまくっている 金持ちが離れていく

自分の税金が上がる 子どもたちの時代には終わらせないといけない

日本が作った悪い習慣 最終的に子どもを守れない

子どもへの教育は「金持ちを嫌っちゃダメ」

金持ち=悪いを抱かせない

お金から遠ざけると夢を遠ざける可能性が出てくる 

2026年3月23日月曜日

100分de名著 田島征三「ぼくのこえがきこえますか」

AIは記憶力のみお水取り

AIは思考力ゼロ東風(こち)吹かん

AIは多数決春の筍

AIや正義を持たぬ春の夕

陽炎や創造性なきAI

 

100de名著 絵本スペシャル③田島征三「ぼくのこえがきこえますか」

沈黙に耳を澄まして

サヘル・ローズ 伊集院光 阿部みちこ

作者は絵本作家の田島征三(1940年生まれ・86)

「日・中・韓平和絵本」シリーズとして2012年に刊行

帯 わたしたちは戦争がだいきらいです!

 

サヘルさんの養母の言葉

「イラクを憎まないで欲しい 戦争は勝ち負けではない」

親を殺された憎しみを種に少女兵として戦場に出ていたかもしれない

どう言った言葉を受けるかによって人間は変わっていく

 

「くにのために たたかえ」と

みんなに はげまされて、ぼくは せんそうにいった。

かあさんだけが ないていた。「さようなら。かあさん」

 

めいれいだから、てっぽうを うった。

ぼくと おなじ にんげんに むかって。

 

てきのほうだんが ぼくに むかって とんできた。

ぼくは にげることも よけることも できなかった。

 

恐怖心がこの砲弾の大きさ

戦争を始めた人間はここには立たないという無責任さ サヘル

 

為す術のなさ 伊集院

 

かみのけと めが もえた。

あしも おなかも かおも なくなった。

ぼくの からだは とびちった。

 

言葉の残酷さのギャップが突き刺さる怖さ

日常にあふれている美しいものが戦争が始まった瞬間恐怖に変わる

今も花火にトラウマを感じる サヘル

 

命の根っこに見えた サヘル

怒りをそのままにしてしまうと 憎しみの連鎖だけれども

怒りという感情を癒すことで そこから根っこが生えて新しい何かが宿る

イランは長年シリアのアサド政権に軍事支援をしてきた

憎しみの種が戦争で生き延びた人たちに残されてしまう

残された人たちをどうやって癒せるのだろう サヘル

 

怒りが殺意になる前の段階 伊集院

 

魂となってお母さんの元へ

 

かあさんが ないている。

もう ぼくが せんししたことを しったのだろうか。

「にいさんの かたきを うってやる!」

おとうとが いかっている。

 

おとうとの いかりが みえる

ゆきばもなく とろとろと うずまく いかり。

 

あっ おとうとが せんそうに ゆく。

やめろ。もし きみが しんだら 

かあさんは ひとりぼっちに なるんだよ。

 

怒りで出来上がっている弟 同じ赤色 

 

敵を討ったからといって 亡くなった魂は戻ってくるわけではない サヘル

 

てきも いかっている。にくしみが もえあがっている。

だれのために たたかうのか。

だれのために ころし だれのために ころされるの

なんのために しぬの ひどい しにかたをした ものたちが

てきも みかた もなく たましいになって のぼってくる

 

おとうとが しんだ かあさんの かなしみが みえる

どんな いかりよりも つよく ふかく はげしい かなしみ

 

最語の言葉

ぼくたちの すがたは だれにも みえないけれど あなたに つたえたい。

ひとが ひとを ころす せんそうの こと。

あなたと おなじように いきていた ぼくたちのこと。

ぼくの こえが きこえ ますか

 

「俺は誰のために殺してきたんだろう」伊集院

仰向けに寝て空を見た時

 

戦争の無意味さ・重さを突きつけられる 

お互いに銃を向けている誰かも分からない 

でもそこで引き金を引いて人を殺してしまう 報われない サヘル

 

私たちが日常を当たり前のように過ごさない サヘル

 

絵本作家 田島征三(86)の言葉

どこの国の人にも どの時代の人にも 

説得力のある絵本にしなくてはいけない

ひとつのスローガンとして強烈に訴えれば

届きやすいようにみえる

けれどひいてしまう人々は 直接的であればあるほどひいてしまう

人の心に沁み込むような 表現の仕方を僕はやりたかった

主人公に託した思い

憎しみというものは なにも生み出さない

主人公の「ぼく」は 必死になってその声を届けようとする

今生きている若い人たちに なんとか 分かってほしい

それは決して諦めていない「お願い 聞いてくれ」

この本を読んだ人たちに届けよう気持ち努力は

最後の最後まで表現しようとしている

 

戦争を憎んで人を憎まない それはできるのかなあ 伊集院

 

どの国の戦争に置き換えても読める 

ここに描かれている血の色だって同じ色

人が人なんだよ サヘル

 

みんな勘違いして読んでほしい ウクライナの人が書いたと思って…。

ロシアの人が書いた本です。と思って読んで欲しい。伊集院
みんな同じ感情で動くのにどうして我々は戦争をしてしまうのだろう 伊集院

 

「聞こうとしてますか」という問いに見えるタイトル 阿部

 

しっかり想像力を働かせないと聞けない言葉がいっぱいある 伊集院

 

NHKさまの秘めた思いしっかり受け止めました。

今こそ立ち上がらないと…。

二度と戦争を始めてはなりません…。

2026年3月22日日曜日

あの人に会いたい 西村京太郎

台湾を詠む

山猫が残す足跡田打かな

山猫や木についた犬の爪痕

親の死後生き延びた山猫の春

山娘稲刈り終えた田で涎

山猫に優しい農業春光

 

■あの人に会いたい 西村京太郎 2022(令和4)年 91歳没

ある場面があるじゃないですか 対決の場面とかなんか

そういうところは大体書き方が分かっちゃっているから

消しゴムは絶対に使いません

Q一日どれくらい書かれるんですか

15枚から20枚ぐらいです

Q犯人の動きとか そういうのも 電車に乗ってから思いつくんですか

そうですね 寝台車なんかに乗って車掌さんに聞くんです

「死体を隠せるところありますか」とかね びっくりするけどね

「隣に戸棚があります」とかね 教えてくれるんです

 

毎日毎日空襲を受けているじゃないですか だから勝てそうもない

気がするわけですよね だけど学校では校長先生が「絶対勝つ」と

言っているから 武器も持っていないんだからね だけど

言われるとそうなっちゃうんです 疑わない ほとんど疑わないです

終戦 1945815

 

当時(松本)清張さんがワァ~っと出てきたころで ずいぶん読みましたよ

清張さんの 「これなら書ける」と思ったんですよね 

本当は書けないんですけど 読むのはできるけど書けませんよね

だけど若かったから このぐらい書けるんじゃないかと思って

辞めちゃって 決心をしたというか 甘くみたわけですね

 

昭和30年代の東京

1年目でダメでお金がなくなっちゃって 全然お金がないじゃないですか

家にも入れなくちゃいけないから 新聞を見たらトラックの運転手を

募集していたから おふくろに「実は本当はもう役所を辞めていたんだ」と

「お金がなくなっちゃったから あしたからトラックの運転手になるから」

と言ったら泣きましたよ 

 

昭和389月号「オール讀物」文藝春秋 

1963年「歪んだ朝」で新人賞を受賞

 

昔は書きたいものを書いていたんです その時は読者をほとんど

意識しないんですよね ある人に「あんたの一応面白いんだけど

読者がついていかないんじゃないか」と言われました

いろいろ考えて自分で書きたいものを書くのは良いんだけど

読者が読んでくれるんだから読者が喜ぶようなものを書くという

そういう気に少しなりました 思考錯誤しながら書いたのが

1966年「D機関情報」

戦争中のスパイの話を書きたくてね いい小説だと思うんです

自分で凄く苦労して書いたんですよ それ売れなくて3000

刷ったのかな「売れ残った」と言われて 「これほど売れない

小説はなかった」と言われて 

 

僕はその頃「いいものは書くけど売れない作家」と言われていたんです

(昭和)53年頃ですか「次にどんなの書く」って言うわけです 不安だから

売れそうなのを向こうは出版したいわけですから その時「昭和7年の

浅草を書きたい」って言ったんです 「それはどう考えても売れません」

と言う そういう古い奴は「ほかに何かないですか」って言うから

東京駅に子どもがいっぱいブルートレインを見ていたわけです

ブルートレインは人気があるからストーリーも何もわからんないけど

「ブルートレインを書きたい」と言ったわけ そうしたら「浅草より

いいからブルートレインを書いてください」って言うから 取材に

行って書いたのが初めなんです 

 

1978年「寝台特急殺人事件」ベストセラーになりました

Q鉄道はどういう所がミステリーの舞台としていいんですか

いろんな人が乗っていますよね 犯人も乗っているだろうし サラリーマンも

乗っている いろんな人が乗っています それが面白いんです 

 

西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ23

ターミナル終着駅殺人事件 人気を不動のものとしました

 

一駅の区間の所要時間が40分なんて書いてある時があるんです

どう考えたって距離が短い所で40分かかるはずがないんだから

なぜ40分かかるのかって見に行くわけです するとそこで

待合せの時間があったりとか いろいろありますから 

それが分かるわけです 「何々駅のトイレから出てきたことにしたい」

となるじゃない 書いている時に トイレを見てこなかったら

見に行かなきゃならない トイレだけ見に行きますね それ間違えると

すぐ指摘がくるんです 「そこにトイレはない」とかね

 

土地の人が乗ってくるといちばんいいんです 話をして子どもなんかが

乗ってくると どんなお菓子を食べているのか 聞いたりして 地方の

お菓子があるわけです それをお菓子をもって死んでいればそれが

何かになるじゃないですか 

 

トラベルミステリーという新しいジャンルを確立した西村氏

手掛けた作品は600以上になります

Q伝えようと思ったものは?

旅の楽しさですかね それからどこへ行ってももっともなんだけど

人生があるという そこに住んでいる人がいますよね そういった

人が好きなんです 山の上に一軒家があって どんな生活をしているのか

思ったり 考えるのが楽しいです そこに人間がいるという

ことじゃないですか いろいろ聞いたりするのが面白いです

2015年「十津川警部八月十四日夜の殺人」より

終戦記念日 戦争を忘れていく危機感

86歳の時 自伝的ノンフィクション 2017

十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」西村京太郎著

 

戦争は始まっちゃうと ひたすら国のためで 特攻なんかだと

「死ね」と言われて 本当に「死ね」なんて言ってはいけないんです

人間なんだから 神様じゃないんだから あの怖さとかは分からないもんね

爆撃を受ける怖さとか だから一度書いておいたほうがいいと

思って書いているんだけど 正しくても間違っていても 戦争はだめですよ

 

自分の人生しか生きられない いろんな人の人生を生きたいわけ

Q人間は面白いものですか

そうですね それが極端にいくと殺人までいってしまう

一生懸命愛したり 一生懸命殺したりする どちらも人間

  

2026年3月21日土曜日

きみと食べたい 吉田羊&平野紗季子

台湾を詠む

穿山甲(せんざんこう)我が物顔で闊歩せり

穿山甲静かに地面掘り起し

山娘子育て中の凶暴性

巣より落つ雛の生存春の月

六月や雨に打たれて雛の死す

 

■「連食テレビエッセー きみと食べたい」~福島県・いわき編~

吉田羊 平野紗季子

参照:https://www.nhk.jp/g/pr/blog/3hpi0_t2fgl/

 

その土地の、人に、文化に、歴史に出会うための入り口だ。

常磐線が海沿いを走る。視界がふっと開けて旅が始まる。

お互い、食べ物の事となると超真剣。愛の深さはほぼ互角。

さて、喫茶でぬくぬくになった体で、いよいよレストランへ。

夕日がきれい

美しい夕暮れを背負った小高い丘の住宅地に、ぽつり。

ついに来れた、憧れのお店。煉瓦造りのポーチ、

ステンドグラスの向こうに暖かな灯りの覗くレストラン。

オーナーシェフの萩春朋さん

キッチンには、暖炉のように薪窯。火が、館の中心にある。

それだけで呼吸が深くなる。始まりは人参のお皿だった。

堂々と、雄大なお姿。「今 一番おいしいニンジン ニンジンを

薪窯の上に3日間ぐらい置いて自然と縮めたもの」「甘い」

一口食べると、甘い。甘くて味が濃い。時が素材の力を引き出すのか。

ニンジンのソース 余計なものはいらない 下に敷かれたパウダーは、

雪のようなチーズ。チーズ冷たいんですね うん アイスだった

その冷たさが、いわきに吹く清らかな風と繋がる。なんてピュアな料理。

きっと畑の風景がそのまま皿の上にある。

海から直送されたアワビ 常磐もの:福島県・茨木県に水揚げされる魚介類

郡山の鈴木さんのカリフラワー カリフラワーのソース ちょっとソース

なめたい おいしい え、これ鮑がスターなのは間違いないけど…

カリフラワーも同じくらい主役じゃん Wセンサーで画面が強い

薪火で焼いたカブ 卵のソース+米油とカブの葉っぱ

ちょっと欲張っちゃったな 私もそれぐらいいってますよ

火傷上等1/2サイズでかぶりつくと、ジューシーさが半端ない

ほら見て引き払ったあとが水浸しですよ ホントみずみずしい

 

ようこそ蕪温泉。ジューシーで甘―い湯気が立ちのぼり、はぁ~。

大地と炎の記憶に包まれて、心までツヤツヤだ。なんて野菜が

輝くレストランなんだろう。萩さんは、どうしてこんな料理が

作れるのか。「昔はこうじゃなかったんですよ」

「もともとフランス料理を作っていたので全部ソースをかけちゃうんですね

ソースをかけるとどれも同じような味になってしまって生産者の

特徴が出にくくなるんで一時ソースを捨てたんですよ ソースを

やめてみたら気づいたことがあってお皿の上からふわっと素材の香りが

したんですよね それが始まりでこういう料理を作っていかないと

ダメだなと思って」

 

素材を塗りつぶすのではなく、その持ち味を生かす仕事がしたい。

生産者さんが喜んでくれる味に辿り着きたい。自分がやりたいのは、

フランス料理ではなく“畑の味の料理”だと気づいた。

 

畑で食べる野菜ってエネルギーが100%なんですね そのまま食べて

おいしいんですよ とれたてって 塩すらはじくエネルギーなんです

そうそのままがおいしいんですよ 流通にのって店頭に並ぶ頃には

香りとかエネルギーは80%ぐらいに落ちると思って畑に行かないと

わからなかった 100%のものを保持しつつ調味料を極力抑えて

別な香りで上げていく 

 

萩さんの料理は潔く、まるで野菜の命を、その輪郭を、指で

なぞり直して輝かせるみたいだ。

 

海の味も福島はおいしいですからね マコガレイの刺身

乳酸発酵させたニンジン あ震えちゃった 振動してしまいました

うまみがすごい カレイとかヒラメって淡白なイメージだけど

こんなに甘味があるんだね 

 

俺がチャンピオンだぜと言わんばかりのムキムキ食感だ!

どんな高級魚にも怯(ひる)まぬ刺身のアスリート、突然のリングインだ!

水産加工のスペシャリスト!梅田将一さん

締め方から冷やし込みまで技術を駆使し、市場では価値の付きづらい魚も

最高のの状態に仕立てるスペシャリストだ。

日戻りの常磐ものがピッカピカに光っていたのだ。

「この輝きを、どうやったら落とさずに手渡せるんだろう?」

海から漁師さん、漁師さんから梅田さん、梅田さんから萩さんへ。

全員が、福島の海の眩しさを本気で信じている。

 

皮目を薪火で炙ったサバ(常磐もの) 完熟ピーマンのソース

米+甘酒のドレッシング 

鮮魚店 松田義勝さん

 

なんかすごい組み合わせですね サバとろっとろ 知らない組み合わせ

なんですけど 完璧に調和してて ピーマンとサバ まさかの握手。

厚切りの濃厚な鯖を、赤い甘みがすーっとさらう。

合わせるのはどぶろく:2022年に誕生した南相馬の醸造蔵のお酒

 

今、テーブルに広がるのは、萩さんが拾い集めた福島の鮮やかで美しい地図

その多層的な世界に、私たちはただただ夢中だった。「でも」

震災1年目は記憶が全部白黒なんです なんか白黒なんです

 

2011311日東日本大震災

大変だったのはしばらく1年から2年 お客様がほとんど来ない状態

本当に来ない状態で原発事故もあって野菜が売れなくなって

漁業関係の方は本当に数年間 海がストップしてしまったので

 

そんな時、足が向いたのは畑だった。自分も大変でしたけど

自分は安全と思われるところの食材を買って店で提供する

事も出来たんですけど 農家の人は代々受け継いだ土地ですよね

離れることができなくて 生産者と共にどうせこの店がだめになる

くらいなら 一緒にやって新しい価値観を生み出したいなと思って

 

畑の味を生かしてこの土地にあうものをかき集めて料理をする。

震災当時農家の白石さんと野菜の直売会をやって いろんな人が

買ってくれるんですけど 帰りにごみ箱に捨ててあったりとか

そう言うのをたくさん一緒に見てきて美味しい素材が0円以下の

価値になったなっていうのがあって 僕は生産者と共に

戻していかなければいけないと思いました

 

でも、だからこそ、萩さんは決意した。

この土地を、この土地の食材を、生産者と一緒に背負うのだと。

 

東京電力 福島第一原発の事故のあと

国は放射性物質が基準値を超えた食品の出荷制限を指示

【いわき市で出荷制限となった主な野菜・果実】

ホウレンソウ カキナ 2011321日出荷制限

 

カリフラワー 蕪 ブロッコリー キャベツ 白菜 小松菜 アブラナ

2011323日出荷制限 201154日解除

 

柚子

2012110日出荷制限 2015129日解除

 

20121012日出荷制限 20141117日解除

 

いわき市では現在も野生のきのこなどが出荷制限されている

漁業は原発事故直後の315日から沿岸漁業および

沖合底引き網漁業の操業自粛を余儀なくされた

 

20126月 相馬二葉地区で「試験操業」開始

モニタリング調査で安全が確認された魚介類3類が対象

201310月 いわき地区でも「試験操業」開始

モニタリング調査で安全が確認された魚介類18種が対象

漁獲できる魚種が徐々に拡大 20213月「試験操業」終了

現在は漁獲量・漁獲金額が震災前の状態に戻る

「本格操業」を目指している

 

最後の料理は、かぼちゃだった。かぼちゃのソース

飯舘村で誕生した品種「いいたて雪っ娘」

 

味が、濃い。濃すぎる。

「お砂糖を入れて かぼちゃスイーツ作りました」って言われても

「そうでしょうね」ってなるぐらい自然な甘み

これはかぼちゃの中のかぼちゃ。マトリョーシカを開けに開けて、

最後に出てきた“一番真ん中のそれ”が、多分このかぼちゃ。

 

近くで採れたゆずとりんごのアイスクリーム

清潔で真っ白な世界に、果実の香りが祈りのように漂っていた。

 

川俣朝のししゃも+猪苗代町の米

田村市の渡部さんの小麦で作ったパン

 

命に大きいも小さいもないし だからこそ日々エネルギーある食材とか

命のある食材を お客様に食べていただく努力をしなくちゃいけない

と思ったんです 食材が高価だからおいしいってことではない

命を伝える料理 それを使っていかなければならない

 

福島にしかないお料理ですよね そういう意味で言うと

ここでしか食べられない

 

みんなの結晶ですよね 

 

その日採れた野菜、その日獲れた魚、高級かどうか、価値があるかどうか、

そう言う尺度は関係ない。

 

命に大きいも小さいもない

目の前の食材を、目の前の時間の中で、最大限に生かす。

萩さんの料理は今を生きる料理だ。命を伝える料理だ。

畑の野菜が、その日の土の匂いをしていること。

日戻りの魚が、目の奥まで澄んだまま光っていること。

その瞬間は、放っておけば すぐにくすんでしまうから。

消えてしまう前に手渡す。そんな切実さが、儚くて

小さな光が、皿を満たすから、私たちの胸の奥にまで届くのだろう。

今日の食材は、どこで生まれ、ここまで来たのだろう。

 

海だ 輝いてますね 気持ちいい 私たちは冬の海に出かけた

薄磯海岸 

 

平野紗季子エッセー

青くて白くて、波と風の音の中、

砂に埋もれる貝殻のかけらをずっと見ていた。

 

地元の方って季節をお魚で感じてるんですよ

夏の暑い時にはカツオだよね 秋はサンマだよね

冬はアンコウだよね 干物だよねっていう

そういうふうにもう生活の中にお魚がいたので

やっぱりこの時期になるとこれが食べたいっていうのが

たぶん地域の方たちはそういうふうに思ってくださっているので

 

この時期のこの風が干物をすごくおいしくしてくれるんです

実はこの干物を作り始めたのが私に息子が生れてから

どうにかして小さい子どもでも食べられないかっていうのを

父がすごく考えて父の作る干物は50代からグッと優しくなった

それで目も取ってあるのです

もちろんめひかりは家族の大好物でもある。

メヒカリも獲れなくなった時期とかあったんですか?

1年以上獲れなかった それが獲れない時期って 冬も寒いだけ

本当だったら干せてたのになっていう やっぱり悔しさっていうか

寂しさっていうかそういうのは感じました

干物を作れるようななったときは何か言葉にならないっていうか

子どもたちの口に入れてあげた時にやっぱりにっこり

笑ってくれるじゃないですか 本当それだけで嬉しかったです

やっと食べれたんねって 一度失いかけているんですよ 私たちは

「もうダメだ」と思っていたと さっき父も言ってたんですけど

なので 守っていきたい すごく大切にしていきたい

 

日常、というものの尊さを、幸子さんは身をもって知っている。

めひかりの干物は驚くほどジューシーで、噛もうとする側から

溶けて消えてしまった。間違いなく人生一の干物だった。

アンコウの「どぶ汁」

どぶ汁:アンコウの肝に味噌を溶き

アンコウの身と野菜から出た水分のみで調理

どぶ汁も最っっっ高!!!

 

そして向かったのは白石さんの畑。とにかく、風が、容赦ない。

農家(8代目)白石長利さん

生命力が漲っている。

目の前に、気の私たちの胃袋を沸かした人参の故郷が…!

獲れたて0秒で、かじりつく。(テロップの漢字が違っている。)

これが100%の味なのか…。

素材という言葉が追い付かない濃度に、私たちは思わず空を仰いでいた。

大切にしているものは?土ですね。

よく草を抜いてご年配の人って根っこの土を凄く丁寧に落とすんですよね。

作物とか草の根っこのところについている土っていうのが

一番いい土って呼ばれている なのでそれをちゃんと畑の在ったところに

落とすっていうのがじいちゃんからの教えで この土がないと当然

農家っていう職業も成り立たないですし 自分が生れてきたときから

この環境なんで当たり前なことが一日にして当たり前じゃなくなったと

思わされたのが震災だった 

 

この畑の土は、何代も何代も、人の手を通って耕されてきた。

ときには近くの川が氾濫し、震災が襲い、それでもまた、鍬を入れて、

土を立て直してきた。この土があるからこそ、この野菜がある。

土はふかふかで、ほどけるみたいに軽い。指先が、味の秘密に触れている。

そんな気がした。

 

萩さん 白石さんとも仲良しお店 店主 吉野康平さん

 

東京に上京してきたときに駅前に屋台があってラーメンの

久しぶりにラーメンが食べたいと思って出てきたのがしょうゆラーメンで

ひっくり返しそうになった 豚骨じゃないんかーい!

 

醸造家 立川哲之さん

学生時代にボランティアで福島沿岸と関わり2020年に小高へ移住

20249月震災以降13年半空き家だった古民家を

改装し酒蔵へと息を吹き込んだ

彼が作るのはクラフトサケ。日本酒の技法をベースに、醪(もろみ)

()さずにどぶろくを作ったり、フルーツやホップを加えたりする

新しいお酒の形だ。

木の香りもします 

今朝まで木桶にいたどぶろくなので 杉桶も福島の杉で作って戴いていて

木桶職人 鴫(しぎ)原廣さんに 一番核となっているのがお米で

米農家 根本洸(こう)一さんが 有機農法で作っている米で

酒を造っています

 

大学時代に震災のボランティアで福島宮城岩手に来てましてボランティアに

行っているというと すごいいいことをしてそうな響きですけど

本当は仲良くなったおじちゃんたちに会いに行ってるだけみたいな

特に農家さんたちだったり 漁師さんたちがめちゃめちゃかっこいいなって

いうのがあって 小高でいうと避難指示区域で5年間人が住めなかった

地域に戻って農業を再開するっていう所に覚悟じゃないですけど

農業をやるとかそれ以上に土地を守るだったり自分たちのプライドを

守っていくみたいなところがあるなっていうのを感じて 

 

「この土地に自分ができることはないか」

酒造りへの関心と共に少しずつ発酵していった。

目標は「お酒を通して福島の沿岸に田畑を増やすこと」

お酒が生れるにはお米が必要で、お米が必要なら田んぼが必要になる。

一本の酒が、農地と人の手を呼ぶ戻す理由になる。

今は自分たちもよそ者が移住してきて造った酒でしかないと思っている

地域の人たちがおらが町の酒じゃないですけど 自分たちの酒

自分たちの町の酒というふうに思っていただけたときが地酒に

なる時なのかなと思っている

 

地酒になりたい、は、土地の未来に向かって慎重に置かれた一歩だった。

ぷくぷくしゅわしゅわと、この土地の空気の中で居心地よさそうに

弾けるどぶろく。発酵は、待つことだ。手放すことだ。

そして、毎日少しずつ変わっていく。希望のかたちだ。

 

福島で出会った味はどれも眩しかった。

その眩しさは、きらびやかな演出ではなく、

誰かが必死に続けてきた手つきの結果だった。

だからこそ、眩しいと同時に同じだけの重みがあった。

味の話をしているはずが、時間の話となり、

時間の話をしているはずが、それは命の話だった。

私は福島の旅で、何度も、おいしいを

未来へ向くための言葉として受け取った。

それは同時に、今、自分の両手の中にある日常を、

抱き直すことでもあった。

いつもは、いつまでもじゃない。

だからこそ、大切なことなんだろう、

私はどんな風に生きてゆけるだろう、と考える。

考え続ける。答えはまだない。

 

どれがまた食べたいですか?

石焼き芋!食べたい!

だから旅は、まだまだ終わらない。