秋空や刺激はいらぬ人生に
初飛行秋の旅路や千疋屋
銀ぶらやあんぱんを手に秋の雲
Lessonの前後忙し江戸の秋
過疎の町カルチャーショック秋あわれ
■滅びゆく写真 そして人類 現代美術作家・杉本博司
記憶の始まりは海だった
現代美術作家 杉本博司(78)
「絶滅写真」銀塩写真への惜別
「海景」あるのは海と空と水平線
古代人が見ていた風景を現代人も見ることは可能か
神奈川県江の浦 幼き日の思い出
自分の記憶の辿れる一番最初の記憶 その日から記憶が始まった
意識の起源 人間ってどうして動物から人間になれたのか
海だけは古代人と共通のビジョンを分かち合える
最初のシリーズ ジオラマ
虚実があいまいな領域を写真で研究してみる
立教大学卒業後 1970年(22歳)渡米
1974年(26歳)ニューヨークへ
杉本博司(当時37歳) 写真は可能性のあるアートとして選んだ
「シロクマ」1975年
見るからに死んでいて作り物なのに
片目で見ると本当に本物に近く見える
どんな虚像でも一度写真に撮ってしまえば実像となるのだ
銀塩写真:一般的にフィルムを使うアナログ写真
劇場
映画一本分を写真に撮ってみる 2時間という時間を撮ってみた
時間って何なの?
杉本博司の言葉
私は写真をメディアとして使ってきた
写真は普通時間を止める
しかし私は写真をタイムマシンとして使い
自由自在に時間の海を泳いでいたのだ
石膏で作られた数理模型です。
自然科学の基盤として近代を支えてきた数学。
本来、目に見えない数式を可視化しようとしました
建築
多根剛
Opticks
杉本の自宅 17世紀ニュートンが試みたプリズムの実験を再現
7つの色に分かれた太陽の光そのものを撮影 色と色との間の無限の海調
写真で持って色をとる実験
絶滅する銀塩写真
銀塩写真のピークの時に伝承した事には自分で自分を褒めてあげたい
カメラを持って映しながら死んでいきたい
問題はどこで現像するのか?
香川県直島 ベネッセハウス ミュージアム
陽射しに晒される「海景」雨や風を受けやがて朽ちていく姿に
この世界の行く末が重なります
人類というのがこの文明が発達し始めてからでも
まあ2万年くらいだと思うんですけど その時間のスケールは
どれくらいのことなのか 妄想ですかね そういう創造力を逞しくして
世界中の海を巡って来ましたけれども
人類文明の先はあまり長くないのではないかっていう
人間は人間が主体だと思っていますけど 地球の生命体の
全体の価値の方が高いんじゃないかと そうすると淘汰されるべきは
人間の方ではないかなと 長いこと海を見続けてきて
というな結果に達するのかな これが嘆かわしいことなのか
環境にとっては良いことなのかもしれません 絶滅というと
NegativeですがPositiveにも捉えられる
■大江健三郎氏の言葉 偉人の年収How much?
初めての詩
雨のしずくに景色が映っている しずくのなかに別の世界がある
それらの犬は互いにひどく似かよっていた。(中略)
僕らだってそういうことになるかもしれないぞ。
すっかり敵意をなくして無気力につながれている、
互いに似かよって、個性をなくした、あいまいな僕ら、
僕ら日本の学生。(中略)僕は二十歳だった。
「奇妙な仕事」より
セヴンティーン
安保反対の運動を熱心にやりながら
天皇崇拝の右翼青年にも共感している。
それが僕です
息子が希望を持てるように「光(ひかり)」と名づけた
広島にて「広島ノート」
最悪の絶望のなかでも決して屈服しない人がここにいる
広島の現実を受け止め絶望しすぎず希望を持ちすぎない
「ぼくは ほとんど逃げだしてしまいそうだったんです」
と鳥(バード)はいった、しかし、鳥は、息子の顔を覗きこんだ。
赤んぼうの瞳に、自分の顔をうつしてみようと思ったのだった。
赤んぼうの瞳の鏡は、澄みわたった深いにび色をして鳥をうつしだした
「個人的な体験」より
日本人としてのあいまいさに引き裂かれている」私は言いましたが
その痛みと傷から癒され回復することを何より求めて
私は文学的な努力を続けてきました
この放射性物質に汚染された地面を(中略)人は元に戻すことができない。
それをわれわれの同時代の人間はやってしまった。
この思いに圧倒されて、私は、衰えた泣き声をあげていたのだ。
「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」より
ヒロシマから福島はつながっている問題なんです
原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います
私らに何ができるか?私らにはこの民主主義の集会 市民のデモしかない
もう一度被爆者を作らない 被爆者として自分たちが生き延びる
世界も被爆の状況から救い出す そういう人たちの考え方を
今新しく継承そ直そう
大江健三郎 2023年(令和5年)没 88歳
希望か絶望か、と問われる際には、ぼくはとりあえず
希望の側に立ち、人間の威厳を信じる側に立つ。
「新しい文学のために」より