2026年7月8日水曜日

柳宗悦と民藝運動

トランプの壟断(ろうだん)固執汗の飯

夏のフランス独りぼっちのトランプよ

メローニへ不満たらたら夏の仏

レオへの批判メローニ憤怒蓮見

アメリカとイスラエル夏の一線

 

■民衆による民衆のための美~柳宗悦と民藝運動~

東京駒場 日本民藝館 展示されているのは民藝

民藝と提言したのは柳宗悦

軍国化 同化政策 孤独な戦いの始まり

小さくても弱くてもキラキラ輝いているような

美というのはそこに宿っているから 

それを敬う気持ちが人としても国としても大事なんだ

 

作家

当時の日本政府の植民地支配・同化政策は

柳にとってとんでもなく野蛮な事

 

哲学者

一種の社会運動であったことは間違いない

本当に自分たちが誇ることができるものはなにか

芸術の力 文化の力を真剣に信じた人

 

沖縄

 

柳宗悦(1889-1961) 民藝という言葉を世に知らしめた

名もなき職人が作った日用品にも芸術家の名品に負けない美がある

欧化政策 同化政策とぶつかることになる

時代の風潮とどのように闘ったのか

 

明治43(1910) 白樺が創刊された

創刊メンバーには志賀直哉、武者小路実篤

その中で最年少の執筆者が柳宗悦(21)だった

オーギュスト・ロダン、ファン・ゴッホ、ポール・セザンヌを担当

彼らと交流を深めた

げに藝術は人格の半影である。そは表現せられたる個性の謂に外ならない。

「革命の畫家」より

 

欧化政策 鹿鳴館(明治16年建設)

柳宗悦 明治22(1889)東京麻布に生まれる

父は海軍軍人 栁楢悦(ならよし)

母は加納治五郎の姉 勝子

 

大正13(1924)35歳で山梨を訪れた時「木喰上人」と出会った

日用品とも出会った 西洋美術にはない美を宿していた

 

私は即座に心を奪われました。

その口許に漂う微笑は、私を限りなく惹きつけました。

「木喰上人発見の縁起」より

 

柳宗悦は京都に住まいを移していた

濱田庄司、河井寛次郎と「蚤の市」に通うようになった。

売られているものは「下手物(げてもの)」と呼ばれていた。

そこにはとりわけて 彩もなく飾りもない。

至純な形、二、三の模様、それも素朴な手法。

彼らは知を誇らず、風に奢らない。

奇異とか威嚇とか、少しだにそれ等の工(たくら)みが含まれない

「雑器の美」より 

 

杉山享司(日本民芸館 常務理事)

それまで柳たちが評価していたゴッホやセザンヌは まさに天賦の才を持った

藝術家 天才といわれる人たち そういう人たちが美を生み出すことのできる

人たちだと限られた才能を持った人たちだという風に思っていたところが

目の前にあるものは無名の職人が用いることを前提に作っている 芸術家が

美を意識して作ったものではなく 「用いる」ってことを前提に使いての

事を考えて生れてきた 日常生活の道具の中に本当の美しさがあるのではないか

自然の中から湧き上がるようにできあがったものに本当の美がある

 

民衆的工藝 略して 民藝

 

本日のゲスト 朝井まかて

何か違う空を見るような発見だったのではないか

もう一人のゲスト 鞍田崇

西洋的な美術界の尺度の中だけでは測れない美しい世界があるじゃないか

 

磯田道史

未来から来た留学生

 

鞍田崇

自然から乖離した結果 本当にこれが人間らしい暮らしなのかなという

批判的な視点を培ってきた

 

磯田道史

一等国と呼ばれるようになり凄い自信を持った ところがやってみたら

そんな幸せな日本と思えない

 

帝国美術展覧会

「用途を指示せぬ美の創案」杉田禾堂

これを柳は近代人の錯覚と批判

湖西の現はした形態や模様と此の素材の性質とが、工藝美を織り出すのである。

と杉田は反論。

美の巨人と歌われた北大路魯山人も痛烈な批判を浴びせている。

徳川期の民芸さんに岡惚れして、もう一遍 元のお顔に縒()りを

戻してみたいなんてまったく寝言だ。なんたる妄想だ。

「柳宗悦氏の民藝論をひやかすの記」より

 

6年後 昭和11(1936)日本民藝館 開館

初代館長は柳宗悦

 

馬ノ目皿

この目の模様が凄くこなれて 何回も何回も繰り返し繰り返し描くことで

体や手が勝手に動くみたいな そこから体が自然に動いてくるので

作為なんてことが入り込む余地もないですし 無心から生まれる

美というものになります

 

意識よりも無心がさらに深いものを含むからです。

作為より必然が一層厚く美を保証するからです。

個性より伝統がより大きな根底と言えるからです。

「民藝とは何か」より

 

杉山享司

よく柳の思想を自我や個性の否定のように取り上げる方がいるが

そうではなくて 没個性と言いますか 個性をあえて超える

自分の力で自力を超えていく 例えば自然の恵みとか伝統の力とか

そういったものを味方にすることによって 初めて生まれ出るもの

ということを実感していく

 

染付秋草文面取壷 朝鮮18世紀

 

その冷ややかな土器に人間の温み、高貴、

壮厳を読み得ようとは昨日まで夢見だにしなかった。

「我孫子から通信一」より

 

朝鮮・鶏龍山 陶磁器調査中の柳宗悦 3年後

1919(大正8)三一独立運動

人は愛の前に従順であるが 抑圧に対しては頑強である

日本は何れの道によって隣人に近づこうとするのであろうか

平和がその希望であるなら何の痴愚を重ねて抑圧の道を選ぶのであろう

「朝鮮人を想う」より

 

皇民化政策

 

お持ちくださったお気に入りの民藝

朝井まかて 花器 河井寛次郎作

鞍田崇 からむし(イラクサ科)の繊維 すきんのう(麻繊)

 

無心は無心を狙うとなったら大変難しいことです 朝井

作るんじゃなくて「生まれる」と言う どこかで委ねるような感じ 鞍田

日本政府の植民地支配 同化政策は柳にとってとんでもなく野蛮なことで

受け入れがたいもの 一個の日本人としてのステートメントを

ペンで堂々と表明した 朝井

決して安穏な状態ではなかった 義憤みたいなものもあったんでしょう 鞍田

隣や周辺をローラーで塗りつぶすように平たく染めてゆくことへの

非常な抵抗感があり 小さくても弱くても キラキラ輝いているような

美というのはそこに宿っているから そこが大事というのが柳の思想 磯田

 

沖縄 49歳で初めて訪れた そこは民藝の宝庫だった

紅型(びんがた) やちむん シーサー 

 

私たちはまるで宝の山に入ったような想いでありました

なぜなら日本のどの地方に行ったとてこの島に於いてほど

固有の文化が濃く残っている所を見出すことが出来なかったからであります。

「沖縄の思い出」より

 

昭和12(1937)日中戦争勃発

 

方言札 標準語励行(れいこう)運動

 

小熊英二

大きな理由は沖縄の人たちの忠誠心があてにならない

つまり戦争になったときにいったいどこにつくのかわからない

はっきり忠誠心の対象を示すものとして標準語

それから天皇に対する忠誠心を教えようとした

1940年当時は朝鮮や台湾でも日本語の励行運動をやっていたから

それと重なるように見られたということもある

 

琉球方言(しまくとぅば)

 

私の家では標準語の外は一口も語らせぬようにしている

 

選択一 沖縄県民に方言を守ろうと主張し続ける 朝井 磯田

選択二 全国に歌や踊りを通して沖縄の魅力を伝える 鞍田

 

柳が選んだのは選択一

県民よ、再び云う。標準語を勉強せよ。

されど同時に諸氏自身の所有である母語を振興せしめよ。

諸君は日本国民として 不必要な遠慮は堕してはならぬ。

県人よ、沖縄県民たることを誇りとせられよ。

「琉球新報」昭和15114

 

昭和16(1941)太平洋戦争開戦

昭和16(1941)アイヌ工藝文化展

「切伏(きりぶせ)」の模様がされている 木綿の布のアップリケ

その上に刺繍で文様が施されている

切伏衣装 19世紀 

「北海道旧土人保護法」明治32(1899)制定

 

私はここでかかる解決には二つの道があると思うのだ。

第一はお互いが相手の立場に立ってみることだ。

第二の方法は何なのか。互が互を尊敬せよと云うのである。

尊敬する何ものかを掴むまで、互を見守れと云うのである。

「アイヌ人に送る書」より

 

昭和36(1961)柳宗悦 死去(享年72)

 

江戸時代 両敬関係 お互いが敬う関係っていうのは存在する

 

多様な状態の面白さがやがて人類に価値を持ち始める 磯田

2026年7月7日火曜日

村雨さんと日本庭園たしなみ巡り 三溪園

境界線を描き続けて夏の空

掌の宇宙と共に夏を生き

雲の峰笑うクマさん溢れる涙

夏の月気が小さくて弱虫で

夏の風吹く泥禿庵(でこあん)と放屁庵

 

■村雨さんと日本庭園たしなみ巡り 三溪園

村雨辰剛

 

広さ東京ドーム約4個分 175,000

17棟の建造物 10棟が国の重要文化財 3棟が横浜市の有形文化財

研究者の間では東の桂離宮と呼ばれている

明治時代に実業家が私財で作庭 名建築とともに見る庭

 

大池

三溪園は開園して120

三溪園保勝会 事業課長・学芸員 吉川利一

春は桜 夏は蓮 秋は紅葉 冬は梅

外苑(1906年 原三渓が一般に公開)と内苑からできている 

正門 臥竜梅 三重塔 聴秋閣 臨春閣

原三渓は明治時代 生糸の輸出業で成功 富岡製糸場を所有

三溪園のシンボル 三重塔 国の重要文化財

三重塔と大池は元々ここにあったものではない

原三渓の構想にデザインをして造り上げている

人力で池を掘る 出た土で山の形を整える

旧燈明寺三重塔 京都で解体し三溪園で組み立て直した

原三渓は日本の古き良きものが次々と失われていく事に対して

危機感を持っていた 存続の危機にある歴史的建造物を

三溪園の地に移築・収集した

近代化が進む日本 横浜

日本の美を守り伝える為三溪園を市民に開放

哲学がある 庭園をつくって自分だけで楽しまずに

広く公開して日本の良さを分かってもらって分かち合おう

正門には 「遊覧御随意」 昔は24時間自由には入れた

初音茶屋では当時の来園者へのおもてなし 

戦前までは来園者に無料でお茶を提供していた

その中の一人が芥川龍之介 ここで俳句を詠んだ

「ひとはかり浮く香煎や白湯の秋   芥川龍之介

 

三渓がプライベートで作った内苑

臨春閣 国の重要文化財

移築当時は聚楽第の遺構とされ「桃山御殿」と呼ばれていた

近年の研究では紀州徳川家の別荘「厳出(いわで)御殿」とする説が有力

臨春閣と調和するように池を造成

 

たしなみポイント 

州浜:水辺に石を敷き詰める表現手法 

州浜がある池は海や川を表現していることが多い

水辺を意識すると建物の特徴が見えてくる

 

池に張り出している部分は紀の川に面して建てられていた部分と言われている

建物が元々あった環境を再現したかのよう 良い石が使われている

大名品ナレバイザ知ラス普通之品ハ一切買入中止仕候 原三渓直筆の手紙より

 

視点を変えて庭を見る

原三渓によるデザインの橋 唐破風 高台寺観月台 国の重要文化財

原三渓は豊臣秀吉好き

庭師に名所・旧跡を視察させた

 

臨春閣 1649年の建物

研究者の間では東の桂離宮と呼ばれていた

幕府の御用絵師 狩野派による障壁画

各部屋に豪華な美術品

波の欄間 銀箔 和歌の色紙がはめ込まれた欄間 菊の透かし彫り

原三渓が見せたい風景 絵画のような景色 原三渓が描いていた理想の風景

デザインの中心 

「臨春閣」の名の由来 臨春閣の移築当時は箸の向こうに桜の木を植えていた

桜を見る⇨春の見る⇨臨春閣

二階へ 村雨の間 村雨松林図 

村雨 急に激しく降ったり弱く降ったりするにわか雨

金箔と銀箔

自分の家の中に描きたいくらいです 村雨辰剛

百人一首の色紙

 

たしなみポイント

座ることで美しい景色が見えてくる 座って見上げた先に三重塔

三重塔の上に昇る月

 

臥竜梅

三溪園の梅を題材にした作品 弱法師(右隻)下村観山 国の重要文化財

 

原三渓 若手芸術家の支援に尽力

その一人が 下村観山であり横山大観 

原三渓の影響で新しい芸術家が生れた

鴨の嘴(はし)よりたらたらと春の泥   高浜虚子

横山剣(クレイジーケンバンド)横浜市中区本牧出身

松並木ストラット 現代でも文化サロンでもある

 

渓谷エリア

聴秋閣 国の重要文化財 二条城にあった

楼閣建築 火灯窓

この建物の前が池で当時は庭園で舟遊びが凄く流行っていた時代

対岸から舟でここまで近づいてきて 直接舟で上がった空間ではないか

水辺にあった建物の構造をいかした作庭

 

聴秋閣から臨春閣への水の流れ⇨川から海への流れを表現

 

たしなみポイント

水の流れを辿ってみると発見があるかも!?

聴秋閣越しに見る三重塔 縦の構図

原三渓が最後に移築した建物

最終的な仕上げ これを置いたら完成

 

作庭家はみんな庭に魂が宿ってしまうと思う

僕が今まで見てきた庭の中で三溪園ほど

魂が宿っている庭はなかったかもしれない 村雨辰剛

2026年7月6日月曜日

兼題「香水」&テーマ「雷」

夏の(動物)園狸四匹生まれけり

黙ってりゃいい気になって雲の峰

夏の空何度も言うと複数に

何となく引き合う孤独夏木立

暑き夜や満腹なれどもの足らず

 

NHK俳句 兼題「香水」

選者:堀田季何 レギュラー:庄司浩平 司会:柴田英嗣

年間テーマ「もっと俳句のコリをほぐします」

 

コリの悩み 歳時記ごとに季語が違う

季語はどうやって誕生する?

上記の季語は歳時記に載った理由が違う

 

俳壇の権威者の勧め(高浜虚子 水原秋桜子 山本健吉など

それぞれの時代に歳時記を編む人たち)

パイナップル ハイビスカス(夏の季語)

 

名句は広く認知される

万緑(夏の季語)語源は中国の詩

万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男

この句がきっかけでみんなが「万緑」で句を作り始めた

苦があってから歳時記に入る事が多い

 

歴史的な出来事から生まれる

原爆忌(秋の季語) レノンの忌(冬の季語)

 

流行・文化から生まれる

ボジョレーヌーボー(冬の季語) ヴィシソワーズ(夏の季語)

 

季語が消えて行くこともある

 

   食べたかず串で数へて焼鳥屋   鷹羽狩行

焼鳥 冬の季語 本来の「焼鳥」は野鳥を山や野原で焼いたもの

生活の変化で季語の意味やイメージが変わった

   休日は老後に似たり砂糖水   草間時彦

季語は砂糖水 夏の季語

歳時記に載っていても使う時にリスクがある

歳時記に載らなくなってしまう可能性がある

   逢うときは目をそらさずにマスクとる   仙田洋子

マスク 冬の季語 「マスク」という言葉に冬のイメージはない

 

季語の「季」が揺らぐこともある

ツボポイント 季語は変質する

 

・実践

風走る 歳時記には掲載されていない

冷蔵庫 夏の季語 歳時記には入っている

ハロウィン 秋の季語 最近歳時記に入った

ハンカチ 夏の季語 汗拭ひ(夏の季語)

ゲリラ豪雨 歳時記には入っていない

 

まとめ 季語に絶対はない

 

・特選六句発表 兼題「香水」(夏の季語)

香水の消えて二人目退職者   小林さおきち

香水の霧にフォーレの音の形   西﨑秋雲(しゅううん)

(フォーレ フランスの作曲家)

香水や検閲されし夢のあと   灰島りんこ

香水や陸に上がりし日の記憶   二階堂慧(さとし)

香水は奪ふよ贅沢は敵だ   IquedaQuenshi(いけだけんし)

ガス室のボタン香水つけて押す   真夏乃雪

 

柴田 庄司の歩み

柴田英嗣 季語を知って時代を知る

庄司浩平 移ろいゆく季語柔軟に捉える

 

NHK短歌 テーマ「雷」

選者:横山未来子 レギュラー:横田真子 司会:ヒコロヒー

年間テーマ「三十一音、次の扉へ」

今回のテーマは「表記の工夫」

 

・三十一音次の扉へ

くたびれたカバンを抱え一本の橋渡る時切なかりけり

田中拓也「直道」

鞄 かばん カバン 表記でそれぞれに印象が変わる

 

黒板ノ化学式消ス永遠ヲ消スはるかなる秋の教室

小島ゆかり「はるかなる虹」

 

紙の袋にからだををさめたる猫のおのがぬくもりのなかにやすらふ

横山未来子「午後の蝶」

 

―*と蜘蛛たれてきて寒がりな振子時計を演じ始めぬ

笹井宏之「八月のフルート奏者」

 

・入選六首 テーマ「雷(かみなりカミナリ)

一席 一心に乳を飲む子の足の指時々ひらく雷の夜

すずきなずな

猫舌の君を待つ間に今日もまたラーメン鉢の雷紋数える

遠藤恵子

春雷が亀裂のように走る夜この世がスノードームなら出して

石川真琴

()り鉢の胡桃の音はごおろごろ山の向こうの雷になる

森岡さや

僕たちはうまくいかない新品の浴衣を雨で濡らして帰る

桃園ユキチ

かみなりを遠くに聞いたあの夏のそばにいたのにもういない犬

カワシマサチヨ

 

・歌人への道

「雷(かみなりカミナリ)」を入れて詠む!

バリバリとガラス引き裂くカミナリが安らぐまでに固く瞑する

横田真子 添削⇩

バリバリとガラス引き裂くカミナリが安らぐまでに固く目を閉ず

 

カミナリに撃たれたくなる長い夜超えて私は朝に出掛ける

菊池銀河 添削⇩

カミナリに撃たれたくなる長い夜超えて私は朝へ踏み出す

 

白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう

斎藤史「魚歌」

 

・いちご摘み

たましいを祈りを時を託さんとトックリキワタのが舞い落つ

屋良健一郎

紫陽花のへ手出しをしたのちに鏡にどこか色が足りない

早月くら(好きな俳人 笹川諒)

摘んだのは白 紫陽花のミステリアスな魅力です

 

しなやかなめまいがあって手をついた場所から果樹が広がってゆく

歌壇20242月号本阿弥書店より

短歌ですと思い出して自分でまた組み立て直す再生することができる

2026年7月5日日曜日

松下幸之助&俵万智&俳句道場&「あやめ」&不起訴

ワイエスを詠む

青嵐荒いタッチの水彩画

熱き日よ強き陽射しと濃き影と

夏の夕境界線を越える風

夏の空声の聞こえる煙突よ

水つなぐ葉っぱ一枚西日かな

 

■松下幸之助の言葉

「謙虚さがなくなって他人の意見も耳にはいらぬ。

こんな危険なことはない。」

PHP研究所刊「道をひらく」

 

パナソニックの社員はこの言葉をどう捉えているのでしょうか?

顧客のことなど知ろうともしていないのでは?

首相にも今一度この言葉を思い出して欲しい。

じわりじわりと国民から遠ざかっているように感じます。

どんなに嘘を塗り固めても白紙には戻らないと思います。

 

■俵万智女史の短歌

同僚が四年に一度の寝不足でオウンゴールのようなミスする

俵万智

アディショナルタイムの後も人生は続いていくよご飯にしよう

俵万智

 

■ギュッと!四国 家藤正人の俳句道場

兼題「枇杷(びわ)(夏の季語)

 

ギュッと!特選

病むひとの枇杷乞ふ息や星の夜   杏乃みずな

選句ポイント 枇杷がもつみずみずしさ

 

放送された俳句

佳作 初枇杷を皿ごと冷やし一つ寝る   大姫

手水場(ちょうずば)の際実りし果実枇杷と知る   竹田泉茶

佳作 大玉の唐川枇杷にかぶりつく   れんげ畑

熟れた枇杷皮むき口へいばる種   こま子

秀作 核心は渋きものなり枇杷食へば   西川由野

佳作 捨てられてまだ光あり枇杷の種   紫水晶

(一物仕立て 季語の持つ情報だけで十七音すべてを構成する句のこと。)

鳥だけが食べてくれるは山の枇杷   鎌田真由美

佳作 ぱんぱんの袋まるまる双子枇杷   高畑しき

秀作 枇杷を剥く艶(つや)やかなりし頃のよに   のりりん

 

・秀作への道!

「ことばの重複を省こう」

佳作 小さき手で皮剥くや給食の枇杷   紅まどんな

推こう

小さき手のいっせい給食の枇杷よ

 

■夏井いつきのおウチde俳句

一分季語ウンチク「あやめ」

 

非常に美しい花ですね 紫色が印象的で

この「あやめ」という季語 実は見た目がそっくりな他の季語が

まだ2つあります 「あやめ」と「花菖蒲」と「杜若(かきつばた)

みなさん ぜひ これInternetで写真を検索していただきたいんですが

どれもめちゃくちゃ似ているんです

見分け方のポイントとして 一番考えやすいのは

生息地になるんじゃないかと思います

とくにこの「あやめ」は山野 

山の中に自生するというところに特徴があります

よく水辺なんかを歩いていて この紫色の花を見つけた時

あっ、あやめ綺麗ねって 言いそうになるんですけれども

実は水辺に咲いているのは花菖蒲や杜若のほうであると

水辺に咲いているのはとりあえず 「あやめ」じゃないかもと

思っておくのが そこら辺を吟行する俳人の心得

初歩の心得なのかもしれません 私も気をつけます

 

■「最強ジャパン」代表選手は"不起訴だから不問"でいいのか

海外メディアが報じる性加害に寛大な日本の罪深さ #プレジデントオンライン https://president.jp/articles/-/115421

 

私は人間として、してはいけないことをした人だと思います。

不起訴だなんて、考えられません。

まずは罪を償うべきでは…。

2026年7月4日土曜日

新美の巨人たち 木下晋×星野真理

ワイエスを詠む

描きたき世界を描く夏の風

分断された時代を生きる夏野

テンペラで父を越ゆ馬鈴薯の花

父の死を乗り越えん夏の暁

いくつかの色と形よ夏に置く

 

■新美の巨人たち【鉛筆で命を描く 木下晋×星野真里】

伝説の鉛筆画家 木下晋(79)

 

命の根源みたいなものをいろんな形で表現したい

人が目を背けたるものを描く

老い 病 差別 偏見

今、パーキンソン病と闘う 妻 君子さんを描いています

チャンスだと思いますね 僕は

美しいからこそ描く その真実は

栃木県足利市

100年の俯瞰」

「瞽女(ごぜ)・小林ハル」像 小林ハル(1900-2005)盲目の旅芸人

「願い」「光陰」

 

神奈川県相模原市 画家の住む団地があります

 

妻の拒否した手

その拒否が果たして患者()にとっていいのか 僕にとっていいのか そういう…

関係性みたいなものの中で 人間の営みとか命が成り立っているわけですよね

 

木下晋の壮絶な人生とは

始まりは竹林から

1947年 富山市に生まれる

3歳の時 火事で家が全焼 近隣も焼く

木下一家が逃れた郊外の竹林 竹林の中の番小屋に移り住む

食べ物が乏しく3歳の弟が餓死 母親は家出を繰り返した

 

絶望の底で上を見て笑っていた 木下晋著「いのちを刻む」より

中学時代 初恋は美術の先生 河西修子先生

モデルを出して みんなでそれを

鉛筆スケッチするという時間があったんですね

女の子の正面に向かって 正面の顔を描くんですね

どの子も大抵 でも彼は全然正面から見ないんです

ぐるぐるぐるぐる周りを回って 横から見て描いたり

後ろから見て描いたり 他の子と全然違う態度だったんですね

えっ!と思ったんです 

2で富山大学の彫刻の先生に学ぶ

そんな最中 中3の冬 父親が事故死 頭に材木、転落死 

富山 工事場で作業中のとび職

 

飢餓と貧困 弟の死 家族の崩壊 父の死 救ってくれたのは絵画

17歳の時の作品「起つ」クレヨン・ベニヤ板

木下君みごと入選 自由美術展 高校生で初めて

19641010日 富山新聞掲載 提供:北國新聞社

「天才少年現る!」

絵で食べていけるかもしれない 高校中退

 

使っている鉛筆は10Bから10Hまでの22

ここまで使うと何となく鉛筆の先々まで神経がいくみたいな

こだわりですかね 大事なことだと思ってるんですいよね

生きていく上において 心意気っていうか

 

なぜ鉛筆だったのか?

「祖母ソノ像」(油彩・1979)兵庫県立美術館 蔵

「赤い帽子の麗子」(油彩・1977)宮城県美術館 蔵

 

1981年 ニューヨーク 海外進出をもくろむ 全く通用せず

アメリカではオリジナリティがなかったら もう絵じゃないんですよ

だったら無いものを探せばいいじゃないか それが鉛筆だったんですよ

 

1981年 冬 新潟

瞽女(ごぜ) 小林ハル(1900-2005)

いい人と歩けば祭り 悪い人と歩けば修行

 

今まで聞いたことがないような音域だから心臓を掴まれたみたいな

金縛りにあったみたいな感じだったです

最初の作品「ゴゼ小林ハル像」(1983)

102年の闘争Ⅲ」苦難の歴史の物語

 

100年の瞑想」

私は自分を捨てて ただ虚心にハルさんと対峙して描けばいいと思った

なんでこの人は こんなに美しいのだろうか?

木下晋著「いもちを刻む」より

 

「黒い闇」(1992) 「103年の闘争」(2003)

 

もう一人の惚れ込んだ人

「桜井哲夫詩集」土曜美術社販売 刊

差別と偏見を乗り超えて

「告発」モデル 詩人 桜井哲夫

13歳の時にハンセン病に罹り国の隔離政策によって療養所で一生を送った人

過剰な薬の副作用で鼻は崩れ、眼球も指も失いました

画家は皺の一つ、皮膚の些細な変化を凝視します

そこに生きてきた時間、人生の叫びが響いているから

 

木下晋の言葉

格好よかったですねぇ あんな格好いい男性は俺 後にも先にもないね

内側から格好いいんじゃないですか?

 

天の職 桜井哲夫

お握りとのし鳥賊と林檎を包んだ唐草模様の紺風呂敷を

しっかりと首に結んでくれた

親父は拳で涙を拭い 低い声で話してくれた

らいは親が望んだ病でもなく お前が頼んだ病気でもない

らいは天が与えたお前の職だ 

長い長い天の職を俺は素直に努めてきた

呪いながら厭(いと)いながらの長い職

今朝も雪の坂道を努めのため登りつづける

終りの日の喜びのために

第一詩集「津軽の子守歌」(一九八八年)より

*「らい」:ハンセン病

 

私たちも同じように多分みなさん色々抱えていて

でも「天職」って思えるならば これほどまで強い

鼓舞される言葉はないなって感じました 星野

 

木下晋は家出を繰り返した母親を描きました

「母の視た物」

亡くなる直前、人生で初めて向き合いました

その皺も克明にえぐるように

 

こんな絵も描いています「シー君の興味」猫の絵です

ほっとします 共に暮らした猫です

 

近くで見るとその細かさに圧倒されるし

遠くから見ると その柔らかさに驚くし

 

魂の写実

白い線(猫の髭)はどうやって描くのか?

一度描いた部分を消しゴムでなぞると

紙の白が出てくることで光が浮き上がってくるのです

ねりけし(練り消しゴム)はぼかしの効果

 

1970年 木下さん23歳の時に君子さんと駆け落ち同然で結婚 

以来 母セキさん 娘麗子さん 各地を転々としながら苦楽を共にしてきた

20年前に君子さんはパーキンソン病を発症

君子さんを描くようになったのはここ10年のこと

そしてある発見をするのです

 

人間がこういう状態になってくると

ひび割れの奥にある命というのか

生きようとする人間の本当の姿が見えてくるのだ

 

(その命の尊厳が美しいのだと木下さん)

 

一刻一刻と命を削っていく妻の姿はモデルとして

どんどん魅力的になっている

私はとことん描き抜くつもりである

木下晋著「いもちを刻む」より

 

彼女が病気になった時にその人間の営みを全部

こっちが取って代わるみたいなところがあるわけですからね

そうした時に単なる夫婦関係じゃなくて命に触れるみたいな

だからその命を描きたいわけですよ それこそが普遍だし 木下晋

 

製作開始から3週間 あの絵が完成しました

こんなもんかな

この手に込めた思いとは?

木下晋作「阻(はば)む手」

動きのままならない指をいっぱいに広げています

それは話すのが不自由な君子さんにとって夫とのCommunicationであり

自分を守るための意思表示でもあるのです

 

自分の思うように指が動かないでしょ

でもそれはそれで美しいなぁと思うんですよね 木下

 

こんなふうに命を感じ取って眺めて知りたいと思って形に残して

そういう活動をされている方が実際にいるっていうのは

すごく心強いし勇気を頂いたというか…

 

魂の鉛筆画、それは人が見ようとしないものに隠されていたのです

途方もない、ただ事ではない、命の尊厳がただ美しいと…