霾(つちふる)や陽射しは弱く風はなく
春風や祖母の形見で街闊歩
ビスケット口いっぱいに春の色
ほろ苦きチョコまたひとつ春日向
歯ごたえのある硬きせんべい日永
■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「竜天に登る」
長い季語です この「竜天に登る」とはどういうものかというと
もちろん 空想上の生物であります竜 それが本当にそのまま
天に昇るわけではないわけですね この季語は時候の季語になります
一年の間のこの位の時期 そういうものになってきます
ではどの辺りの時期なのかといいますと これは仲春の季語になります
春分の前後といいますか 中国の説文解字という文章の中で
秋分、秋の頃になると竜は淵へと沈み 春、春分の頃になると
沈んだ竜が天へと昇っていく そういうふうに語られています
時候の季語というのは明確な映像を持たないのが
特徴ではあるのですが この季語は「竜天に登る」という
いかにも本当に生物がいるかのようなこの言い回しから
独特な描かれ方をする事も多い季語になっています
俳人好みの季語でございます
■10min.ボックス古文・漢文 方丈記(鴨長明)
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。
世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
知らず、生れ死ぬる人 いづかたより来りて、いづかたへか去る。
また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、
何によりてか目を喜ばしむる。
その主と栖と無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。
鴨長明の人生と「方丈記」
後鳥羽上皇に認められ四十代の時新古今和歌集の編纂の職に就く。
五十歳で出家。その八年後、書き上げたのが「方丈記」
火(大火) 辻風(竜巻) 都遷り(ミヤコウツリ) 飢渇(飢饉) 大地震
空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅なる中に、
風に堪へず、吹き切られたる焔飛ぶがごとくして、
一二町を超えつつ移りゆく。その中の人現し心あらむや。
人のいとなみ 皆愚かなるなかに、さしも危ふき 京中の家を作るとて、
宝を費やし、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍る。
すなはちは 人みなあぢきなき事を述べて、
いささか心の濁りも うすらぐと見えしかど、
月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。
語り継がれる「方丈記」
芥川龍之介「本所両国」を発表
その最終章は「方丈記」
知らず、生れ死ぬる人、何方より来りて、何方へか去る」…
方丈の庵 終の棲家とした この庵で人生を振り返り記した
ゆく川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
■10min.ボックス現代文 サーカス(中原中也)
「山羊の歌」
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処での一と殷盛り(ひとさかり)
今夜此処での一と殷盛り
サーカス小屋は高い梁(はり)
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が
安値(やす)いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外は真ッ闇 闇の闇
夜は劫々(こうこう)と更けまする
落下傘奴のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
葛藤を生きた詩人
「汚れっちまった悲しみに…」より
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
「少年時」より
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた…
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!
音の響き オノマトペ
「一つのメルヘン」
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
「サーカス」
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
七五調で書かれている
同じ言い回しやくりかえしが使われている
それが歌うようなリズムを生み出している
心の奥底の風景を描き出している
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