また一人脱落者出づ遍路宿
花遍路希望を見つけ離れゆく
青き空悩みと共に遍路傘
笑みと笑み見返りのないお接待
遍路杖四国で心救われて
■100分de名著 選 ヘーゲル❝精神現象論❞②
論破がもたらすものー「疎外」と「教養」
斎藤幸平 伊集院光 阿部みちこ
今回のテーマはずばり「なんでも論破したがる人」
世の中の矛盾を鋭く突いて痛烈に批判する実にスカッとしますよね
でもヘーゲルは「精神現象学」で このような
「ああ言えばこう言う意識」を持つことをこう批判しています
自己自身をも他者たちをも欺くものとなるのである
❝精神現象論❞目次 意識 自己意識 理性 精神 宗教 絶対知
精神とは?
人々の意識はどのように精神として統一され発展していったのか
こうしてすでに精神の概念が、
私たちに対しては目の前に存在している。
これからさき意識に対して生成してくるものは、
「精神とはなんであるか」をめぐる経験である。
つまり精神とは絶対的な実体であって(中略)それぞれに存在する
自己意識という対立が存在し、おのおのがかんぜんな自由と
自立性をもちながらも、その対立が統一されている。
絶対的な実体である精神とはすなわち、
「私たちである〈私〉であり、〈私〉である私たち」なのである。
私の判断は精神に反映される様々な価値観や世界観に規定されている
同時に私たちの世界観や価値観を生み出しているのは誰かといえば
「日々の私」なのである
私たちの日々の判断や行為を通じて実態も変わっていく
精神が歴史的に発展していく その歴史を描いたのが「精神章」
一番近いのは「空気」ではないか 伊集院光氏
空気は自分たちが生み出しているから
私たちは意識的に変えていくこともできる
精神の変容 伝統的規範 教養
私たちの意識は2つの矛盾する選択肢に直面する
それが国権と財富です
国権はいわば国家のことで社会の秩序を保つことを重視する
財富は資本主義に基づく経済活動を重視し
「個」の自由を尊重する
対立しあうようにみえて相手なしには成立しない
経済の繁栄なくして安定した国家は築けない
国家の保障なくして自由な経済活動はできない
見方や立場によって善悪の評価が変わる
近代社会の特徴
伝統的な地位や規範が崩れていく時代
自分で善悪を判断できるようになった
規範と一心同体の状態から離れていくこと
ヘーゲルは「疎外」と呼んだ
絶対的に善いことや絶対的に悪いことはない
教養の意識とは?
陶冶(とうや)・形成
自然的な欲望を捨ててよりよい姿を目指していく
伝統的な価値は近代社会において崩れ去っているので「人それぞれ」
それが社会を不安定化させる要因にもなる
国権 財富
秩序の維持こそ善とする立場 善 悪
経済成長こそ善とする立場 悪 善
(どちらの意識も)よりよい社会を目指すが
判断基準が異なると真逆からぶつかってしまう
多角的に見て行くことができるようにならないといけない
物事の善悪は見方ひとつで変わるので視点論点を次々と変え
相手を論破するための主張を延々と繰り出す
それはつまり一般的な欺罔(ぎもう)であって、自己自身をも
他者たちをも欺くものとなるのである。このような欺瞞(ぎまん)を
口にするとは恥知らずなことであるが、その無知こそが
まさにそれゆえに最大の心理なのだ。
ラモーの甥 哲学者(私)
徳や哲学は万人のために作られたものでしょうかね❓
そんなものは、もてる奴がもち、保存できる奴だけが
保存するもんです。(中略)いい酒を飲み、うまい料理を
たらふく食い、きれいな女どもの上を転がりまわり、
やんわりした蒲団に休む!それ以外、すべては空(くう)の空ですよ。
論破とは❓「エスプリに富んだ会話」
論破の先にあるもの
実体(規範・ルール)
固定されているもののいっさいが解体し、すべての契機をつうじて、
その契機が世界が現に存在していることにかかわるかぎりで引き裂かれ、
骨という骨にいたるまで打ち砕かれているという感情である。
私たちは他者の意見も踏まえながら新しい価値観を
作らなければいけないが教養の意識には価値観を
固定化するための姿勢が欠如している
論破合戦から何も生まれない 伊集院光氏
論破は相手を黙らせることはできるかもしれないが
相手が納得し説得されているかというと否定的な
感情だけが残る 社会は分断されていく 教養の意識の限界
今回のポイント
近代がもたらした疎外はポジティブなこと
私たちは社会で前提と自明視されているものを
反省的に捉え自由な価値観を表明できるようになった
ただし自由な価値観は人によって様々なので
ぶつかり合ったり善悪が容易に反転してしまい
行き過ぎるとなんでも疑うようになり
社会の常識・規範・ルールが崩れてしまう
どうやって疑うと同時に新しいルールや価値観を
固定化していくことができるのか❓が問題になってくる
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