おこぼれの魚求めてゆりかもめ
餌をまた鷺に横取りゆりかもめ
春の空ペリット吐かんジョウビタキ
王様になったトランプ春嵐
■10min.ボックス古文・漢文 漢文(2)漢詩
春暁 孟浩然
春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声 花落つること知る多少
春暁の原文 孟浩然
春眠不覚暁 処処聞啼鳥
夜来風雨声 花落知多少
漢詩の黄金期 押韻(おういん) 同じ発音を含んでいるao
李白(酒と月をこよなく愛した詩人) 長江で詠んだ詩
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る 李白
故人西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月揚州に下る
孤帆の遠影碧空に尽き
唯見る長江の天際に流るるを
故人西ノカタ辞㆓シ黄鶴楼㆒ヲ
煙花三月下㆓ル揚州㆒ニ
孤帆ノ遠影碧空ニ尽キ
惟ダ見ル長江ノ天際ニ流ルルヲ
春望 杜甫
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり
家書万金に抵たる
白頭掻けば更に短く
渾べて簪に勝へざらんと欲す
国 破 山 河 在
城 春 草 木 深
感 時 花 濺 涙
恨 別 鳥 驚 心
烽 火 連 三 月
家 書 抵 万 金
白 頭 掻 更 短
渾 欲 不 勝 簪
漢詩の影響は松尾芭蕉は
「おくのほそ道」の中で杜甫の詩を引用しています
国破れて山河あり 城春にして草青みたりと
笠打敷て時のうつるまで なみだを落し待(はべ)りぬ。
■10min.ボックス現代文 坊ちゃん(夏目漱石)
親ゆずりの無鉄砲で子供のときから損ばかりしている。
小学校にいる時分、学校の二階から飛び降りて、
一週間ほど腰を抜かしたことがある。
なぜそんなむやみをした、ときく人があるかもしれぬ。
べつだん深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、
同級生の一人が冗談に、いくらいばっても、そこから飛び
降りることはできまい、弱虫やーい、とはやしたからである。
人におぶさって帰ってきたとき、おやじが大きな目をして、
二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かすやつがあるか
と言ったから、この次は抜かさずに飛んでみせますと答えた。
四国松山
二時間目に白墨を持って控所を出た時には何だか敵地へ
乗り込むような気がした。教場を出ると今度の組は前より
大きな奴ばかりである。おれは江戸っ子で華奢に小作りに
出来ているから、どうも高い所へ上がっても押しが利かない。
喧嘩なら相撲取とでもやって見せるが、こんな大僧を四十人も
前へ並べて、ただ一枚の舌をたたいて恐縮させる手際はない。
しかしこんな田舎者に弱身を見せると癖になると思ったから、
なるべく大きな声をして少々巻き舌で講釈してやった。
新人教師VS生徒たち
「なんでバッタなんか、おれの床の中に入れた」「バッタた何ぞな」
と真先の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ
校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きな
ずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」というと、
一番左の方にいた丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」
と生意気におれを遣り込めた。
夏目漱石(1867―1916)
教頭のなにがしというのがいた。これは文学士だそうだ。
この暑いのにフランネルのシャツを着ている。
文学士だけにご苦労千万な服装(なり)をしたもんだ。
しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。
おれと同じ数学の教師に堀田というのがいた。これは逞しい
毬栗坊主で、叡山の悪僧というべき面構えである。
やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハといった。
何がアハハハだ。この坊主に山嵐という渾名をつけてやった。
画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、
扇子をぱちつかせて、御国はどちらでげす、え?東京?
そりゃ嬉しい、お仲間が出来て…。こんなのが江戸っ子なら
江戸には生まれたくないもんだと心中に考えた。
おれはいきなり袂へ手を入れて、玉子を二つ取り出して、
やっといいながら、野だの面へたたき付けた。
玉子がぐちゃりと割れて鼻の先から黄味がだらだら流れだした。
野だはよっぽど仰天した者と見えて、わっと言いながら、
尻持をついて、助けてくれといった。
「だまれ」と山嵐は拳骨を食らわした。赤シャツはよろよろしたが
「これは乱暴だ、狼藉である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは
無法だ」「無法は沢山だ」とまたぽかりと撲る。「貴様のような
奸物はなぐられなくちゃ答えないんだ。とぽかぽかなぐる。
船が岸を去れば去るほど いい心持ちがした。
神戸から東京まで直行で新橋へ着いた時は、
暫く娑婆へ出たような気がした。
山嵐とはすぐ分かれたきり今日まで逢う機会がない。
餌をまた鷺に横取りゆりかもめ
春の空ペリット吐かんジョウビタキ
王様になったトランプ春嵐
■10min.ボックス古文・漢文 漢文(2)漢詩
春暁 孟浩然
春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声 花落つること知る多少
春暁の原文 孟浩然
春眠不覚暁 処処聞啼鳥
夜来風雨声 花落知多少
漢詩の黄金期 押韻(おういん) 同じ発音を含んでいるao
李白(酒と月をこよなく愛した詩人) 長江で詠んだ詩
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る 李白
故人西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月揚州に下る
孤帆の遠影碧空に尽き
唯見る長江の天際に流るるを
故人西ノカタ辞㆓シ黄鶴楼㆒ヲ
煙花三月下㆓ル揚州㆒ニ
孤帆ノ遠影碧空ニ尽キ
惟ダ見ル長江ノ天際ニ流ルルヲ
春望 杜甫
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり
家書万金に抵たる
白頭掻けば更に短く
渾べて簪に勝へざらんと欲す
国 破 山 河 在
城 春 草 木 深
感 時 花 濺 涙
恨 別 鳥 驚 心
烽 火 連 三 月
家 書 抵 万 金
白 頭 掻 更 短
渾 欲 不 勝 簪
漢詩の影響は松尾芭蕉は
「おくのほそ道」の中で杜甫の詩を引用しています
国破れて山河あり 城春にして草青みたりと
笠打敷て時のうつるまで なみだを落し待(はべ)りぬ。
■10min.ボックス現代文 坊ちゃん(夏目漱石)
親ゆずりの無鉄砲で子供のときから損ばかりしている。
小学校にいる時分、学校の二階から飛び降りて、
一週間ほど腰を抜かしたことがある。
なぜそんなむやみをした、ときく人があるかもしれぬ。
べつだん深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、
同級生の一人が冗談に、いくらいばっても、そこから飛び
降りることはできまい、弱虫やーい、とはやしたからである。
人におぶさって帰ってきたとき、おやじが大きな目をして、
二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かすやつがあるか
と言ったから、この次は抜かさずに飛んでみせますと答えた。
四国松山
二時間目に白墨を持って控所を出た時には何だか敵地へ
乗り込むような気がした。教場を出ると今度の組は前より
大きな奴ばかりである。おれは江戸っ子で華奢に小作りに
出来ているから、どうも高い所へ上がっても押しが利かない。
喧嘩なら相撲取とでもやって見せるが、こんな大僧を四十人も
前へ並べて、ただ一枚の舌をたたいて恐縮させる手際はない。
しかしこんな田舎者に弱身を見せると癖になると思ったから、
なるべく大きな声をして少々巻き舌で講釈してやった。
新人教師VS生徒たち
「なんでバッタなんか、おれの床の中に入れた」「バッタた何ぞな」
と真先の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ
校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きな
ずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」というと、
一番左の方にいた丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」
と生意気におれを遣り込めた。
夏目漱石(1867―1916)
教頭のなにがしというのがいた。これは文学士だそうだ。
この暑いのにフランネルのシャツを着ている。
文学士だけにご苦労千万な服装(なり)をしたもんだ。
しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。
おれと同じ数学の教師に堀田というのがいた。これは逞しい
毬栗坊主で、叡山の悪僧というべき面構えである。
やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハといった。
何がアハハハだ。この坊主に山嵐という渾名をつけてやった。
画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、
扇子をぱちつかせて、御国はどちらでげす、え?東京?
そりゃ嬉しい、お仲間が出来て…。こんなのが江戸っ子なら
江戸には生まれたくないもんだと心中に考えた。
おれはいきなり袂へ手を入れて、玉子を二つ取り出して、
やっといいながら、野だの面へたたき付けた。
玉子がぐちゃりと割れて鼻の先から黄味がだらだら流れだした。
野だはよっぽど仰天した者と見えて、わっと言いながら、
尻持をついて、助けてくれといった。
「だまれ」と山嵐は拳骨を食らわした。赤シャツはよろよろしたが
「これは乱暴だ、狼藉である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは
無法だ」「無法は沢山だ」とまたぽかりと撲る。「貴様のような
奸物はなぐられなくちゃ答えないんだ。とぽかぽかなぐる。
船が岸を去れば去るほど いい心持ちがした。
神戸から東京まで直行で新橋へ着いた時は、
暫く娑婆へ出たような気がした。
山嵐とはすぐ分かれたきり今日まで逢う機会がない。
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