風光る吸音性のある素材
春暁や紙の鼓動と息遣い
春の影物撮りとなる斧と鎌
春の色子どもの個性無限大
襟足へドライヤーあて春を待つ
■日曜美術館 時代のアートの伴奏者として小池一子 89歳の颯爽
クリエイティブディレクター 小池一子
「黒子」なのに突然黒いものを外さなきゃいけない
「黒子」が好きでやっているのにね
ある時はコピーライターとしてヒットを連発
わけあって、安い。 無印良品 愛は飾らない。 しゃけは全身しゃけなんだ。
「電車に乗っていた時(コピーが)降りてきた」と仰っていた
料品計画元会長 金井政明
ある時はファッションエディターとして
1971年 ISSEY MIYAKE 初海外
ある時はキュレーターとして
森村泰昌「美術史の娘」 内藤礼「地上にひとつの場所を」
大竹伸朗1984-1987
小池さんって楽しそうじゃん! 大竹伸朗
小池一子を知ればアートとカルチャーが解かる
今回のナビゲーターは田根剛(建築家)
時代時代の文化を作られるようなお仕事をたくさんされているけれど
時代というものをどう見てこられたのか
草間彌生 田中一光
いろんな事が面白くて!
ファッションって服だけのことではない時代感覚の表現
三宅一生1938-2022 板倉祐樹 河原遷 小林信隆
IM 服という一枚の布
身体と布。
原始から人がなじんできた関係に
三宅一生が現代の光を当てました。
MCS(三宅デザイン事務所)のデザインチームが継承し、
さらなる進化をとげています。
一枚の布であればあるほどその深度が問われる。
素材の選択、多様な織の活かし方、染めの可能性、
それらを総合した先に布の新しい魅力が生まれ出ます。
一見何気なくミニマムな表情を堪えたとしても
計り知れない奥行きのある一枚の布です。
布の可能性を深く掘り下げた成果が
アイム メンの服のかたちとなって男性の身体と出会います。
使いやすいプロダクトのように受け止めてください。
毎日あなたと共にいる服たちです。
ひとつのお洋服という世界
二人の人物との出会い 田中一光 三宅一生(細身の繊細な青年)
1970年「ISSEY MIYAKE」誕生 1971年初海外コレクション
1960年「世界デザイン会議」ファッションを文化に 共鳴した二人
この展覧会は必ず僕らが日本に持っていくべきだ 三宅一生
その展覧会とはメトロポリタン美術館1973年「Inventive Clothe」展
(独創的な衣類たち)キュレーターとしての初仕事
1975年3月「現代衣服の源流」展 幕開け 生きた服の展覧会
1978年「三宅一生の発想と展開:ISSEY MIYAKE East Meets West」
東から出た衣類が堂々と発信できる 単に東と西の出会いというのではなく
クリエーションとして出る
1987年「THREE WOMEN 20世紀の女性デザイナー3人」
文化が熟した 75年の「現代衣服の源流」展なんかはエポック(画期)を作った
発進できるようになった 「発酵」した
文化を発酵させる
経済の上昇ばかりの風潮に楔(くさび)を打つというのかしら
本当の豊かさとはそうではないでしょう
「美術/中間子 小池一子の現場」小池一子著平凡社(2020年)より
「わけあって、安い。」AD:田中一光 IL:福田繁雄 C:小池一子
「愛は飾らない。」AD:田中一光 IL:山下勇三 C:小池一子
「しゃけは全身しゃけなんだ。」AD:田中一光 IL:山下勇三 C:小池一子
「自然、当然、無印」AD:田中一光 IL:和田誠 C:小池一子
良品計画 元会長 金井政明
「印」も無いただ良い品を
田根剛が聞きたい「小池一子×ライフスタイル」
戦後の民主主義の子だから他のジェネレーションじゃ経験しないこと
金井氏(小池さんは)感受性の高い頃に(戦争を)体験されたり
世の中の体制に常に疑問の目を持っている 何が本当に豊かか
大切かをずっと考えている (コピーと商品開発の)掛け合いだった
物に成り代わって自然のままを伝える
しゃけのコピー 真ん中だけ売ってるけどこっち(頭と尻尾)も食べられる
フレークにして缶詰にできる 現場からすごく勉強になりました
金井氏 くりかえし原点、くりかえし未来。C:小池一子 日本デザインセンター
まとめたらライフスタイルの提案になる 一軒路面店を作ってください
1982年東京・青山に出店 ロンドンにも同じような店を出してほしい
NO BRAND(無印)とかGOODS(良品)と言わないで「MUJIRUSI」でいれたい
田中(一光)さんMUJIがいいじゃないですか!
上海の公演より
日本だけでこれがいいわねって言っているんじゃなくて
世界の消費者の人たちのと共有できるという感覚
田根剛氏 小池さんのお仕事が目盛りに見えてきた
時代が加速したり資本主義化している中で抵抗されているイメージ
それでも生活は続く
生活を丁寧に続けることもレジスタンス
蛹(さなぎ)のようなこれから飛び立とうとする人たちのことをお手伝いしたい
「美術/中間子 小池一子の現場」小池一子著平凡社(2020年)より
1987年日本企業が「ひまわり」落札
安田火災海上保険(現:損保ジャパン日本興亜)手数料込みで約58億円
佐賀町エキジビット・スペース設立・主宰
美術館でも商業画廊でもない「もう一つ」
市民が生まれたばかりのアートを楽しめる場所
エマージングアーティスト
これから羽ばたく人たちのための場所を作りたい
大竹伸朗さんのようなアーティストに思い切り力を発揮して貰いたい
大竹伸朗氏
小池さんのキチン(事務所)に作品を持っていった
「もっと感覚的に生きられるはずだ」AD:田中一光 C:小池一子
最初の出会いから共鳴
「大竹さんのために作ったスペース」みたいなのってすごく怖い
「やれるものならやってみな」みたいな「ここに全てをかける」
32歳の大竹さんが挑んだ個展 88点が所狭しと並べられた
オープニングには600人が詰めかけた
見る側も望んでいたスペースだと感じた
結局、作る人と伴走して共に作りあげていく
そのプロセスが一番大事で一番楽しい 達成感のある仕事
森村泰昌展「美術史の娘」(1990)
内藤礼「地上にひとつの場所を」
大竹伸朗氏の原点は佐賀町エキジビット・スペースだと…。
自分にとっての初心の場 あの1年間を忘れたら俺も終わったと同じ
佐賀町のテンションは絶対消さない
田根剛氏 原点がちゃんとあってそこから未来を目指していく
2000年 佐賀町エキジビット・スペース 閉じる
大竹伸朗氏 小池さんって楽しそうじゃん!
好奇心というものは物凄い鍵だと思う
田根剛氏 オルタナティブ(もう一つの場所)時代を動かすこと
社会を動かすことの方が大事
小池一子 ひとりじゃ何もできない シェアできる仲間の存在
一緒に生きてる人と共有する感覚のキャッチボール
続くことが大事
ひとりじゃ出来ない感覚のキャッチボール 小池一子
80代最後の年 若い仲間と今日もキャッチボールを続けています
最高に素敵な人をご紹介くださりありがとうございました。
こんな素敵な時間を持たせてくださり感謝!感謝!です。
0 件のコメント:
コメントを投稿