地獄見る覚悟はあらぬ春の空
ほど遠い明鏡止水春の夢
抗いがたき運命孕雀(はらみすずめ)
堕落こそ運命なり春の夕焼け
亀鳴くや人は堕落する生き物
■司馬遼太郎・菜の花忌シンポジウム 街道をゆく
語り 古屋和雄 パネラー 今村翔吾 岸本葉子 磯田道史
第27回菜の花忌シンポジウム 2024年2月12日
東京 文京シビックホールにて開催。
シンポジウムのテーマは、「『街道をゆく』―過去から未来へ」。
国際日本文化研究センター教授の磯田道史氏と
作家の今村翔吾氏と
エッセイストの岸本葉子氏が
元NHKアナウンサーで文化外国語専門学校校長の古屋和雄氏の司会で、
『街道をゆく』が過去から現在、
そして未来へどのように読み継がれてゆくのか、を話し合った。
今村翔吾氏
街道をゆくは小説とのリンクを僕は小説家なので常に感じている
岸本葉子氏
人の書かれた歴史に司馬さんは強い感銘を受け興味を持ったんだと思う
磯田道史氏
僕が残したもので最後まで残るものは街道がゆくだと彼は言っています 司馬さん
司馬さんのメッセージを読み解く
司馬遼太郎・菜の花忌 街道をゆく ~過去から未来へ~
磯田道史氏は司馬の作品を
海外・古い核・エスニシティの境目・日本を変える境目に分類している
「私にとっての旅」より抜粋
人間という痛ましくもあり、しばしば滑稽でまれに荘厳でもある
自分自身を見つけるには、書斎で思案しているだけではどうにもならない。
地域によって時代によってさまざまな変容を遂げている
自分自身に出遭うには、そこにかつて居たあるいは現在もいる
山川草木の中に分け入って、ともかくも立って見ねばならない。
たとえ廃墟になっていて一塊の土くれしかなくても、
その場所にしかない天があり、風のにおいがあるかぎり、
かつて構築されたすばらしい文化を見ることができるし、
その文化にくるまって、車馬を走らせていたかぼそげな権力者、
粟粥の鍋の下に薪を入れ込んでいた農婦、村の道を歩くむすめ、
そのむすめに妻問いの手続きを考え込んでいる若者、
彼女や彼を拘束している村落共有の倫理といった、
動き続ける景色を見ることができる。
今村翔吾氏は滋賀県湖西の安曇川町(現:高島市)でダンス教室をしていた。
「湖西のみち」へは毎週行っていた。
司馬氏は風をとり入れて文章の中に封印している
「街道をゆく・湖西のみち」より抜粋
「近江」というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、
私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。
司馬の口ぐせ 「愉快である」
五感を開いてその場に立っている
言葉の営みを通しても感じようとしている
竹内街道 甲州街道 葛城みち 長州路 韓のくに紀行
陸奥 備薩 河内みち 甲賀と伊賀のみち 大和・壷坂みち
を経て73年11月にモンゴルに立った
モンゴルでは 草原 動物 遊牧民が描かれている
少年の心にかえってたくさんの体験を重ねる
ゴビ砂漠は良質のオリーブオイルのような香りで覆われていた
ツェベックマさん モンゴルで現地通訳・ガイドを務めた女性
小説「草原の記」でその半生が描かれる
「周縁」部に生きた人間 考えられない流転を経験
人に書かれた歴史 司馬は強い感銘を受け興味を持った
オホーツク人 北海道のオホーツク海沿岸などに暮らした民族
糸満の漁師 沖縄本島の南端・糸満地域を拠点とした漁師たち
司馬の中に無意識の塊を作る 薫習(くんじゅう)
それが我々を感動させる
小説を書くというのは空気の中から水を取り出すようなもの
第一回新潮日本文学大賞文芸部門 受賞の言葉より抜粋
私は十代の終わり、モンゴル語を学んで、ほぼ化石になりかけた
この言葉のことを思うと、さびしくなることがあった。
そういうとき、しばしばバスクを思った。
ピレネー山脈に孤立しているこの謎深い少数民族の言語が
モンゴル語系だという説が当時流れた。
バスクはフランスやスペインでは陋劣(ろうれつ)な印象を
一般的にもたれているが、当時の私には銀色の星のように思われた。
そのころ、日本の最初にキリスト教をもたらした
フランシスコ・ザビエルが生粋のバスク人であることを知り、
自分の感情に引き込まれていくような思いがした。
街道をゆく(南蛮のみち)は、そういう感情のながれを綴ったものである。
みどりさん(司馬さんの妻)と余呉湖(よごこ)で
デートをした際ずっとバスクの話をしていたか…。
司馬さんは私たちに何を訴えるのか❓
文明と文化の違いを踏まえながら考えていく
バスクへの尽きぬ回想より抜粋
「多数者には文明しかない。少数者には、びっしり文化が詰まっている」
ここで仮に定義しておこう。文明とは普遍的なもの、
そして文化とは特異なもの、不合理なもの、更には
それなしでは人間の心の安定がえられないもの。
大民族が威張り返っている十九世紀、二十世紀前半までは、
バスク人は少数者としてまことにつつましかった。
しかし、いまはちがう。
二十一世紀では、普遍的文明は世界を覆うだろう。
普遍的慣習の世界化とか、英語などの共通語化とか、
そういうことが高まるだろう。
ただし、一方で、その傾向に背を向けて、
少数者が激しく自己主張し、ときにバクダンを投げつけて
自己の存在を示そうとする時代が来るにちがいない。
人類は普遍性の便利さを享受(きょうじゅ)する一方、
特殊性を声高く叫ぶことに精神の安寧を感じる時代が
きそうだということである。
消火器としゃちほこ 意味の連環
僕が遺したもので最後まで残るものは街道をゆく
と司馬は言っています
失われたものを拾いに出かける最後のチャンスかもしれない
胞衣(えな 産後の胎盤・へその緒など)の扱いも昭和30年ですっかり変化した
日本人らしさが失われている時代
文明なのに文化の顔してやってくる
軌道に乗らない人が増えている
関西で今村翔吾さんは本屋を営んでいる
本屋がなくなるのは嫌だから感情論でやっている。
未来の子どもたちにバトンをつなぐために
書店というものの研究を実地で行っている状態です。
本屋さんが好きだからやる!夢中になれるからやる!これが大事。
世の中に求められるものではなく
あなた自身が面白いと思うもので生きる。
好きに生きて行ってください。
今村翔吾さん
本物に触れる 幼稚園生に「街道をゆく」を読ませてほしい
岸本葉子さん
まず読んで欲しい。スマホを持たないで歩いて欲しい。
その場に立って欲しい。風の匂いを感じて欲しい。
磯田道史さん
「万巻の書を読み万里の路を行く」
中国の書画家・董其昌(とうきしょう)の言葉 日本では富岡鉄斎が実践
日本という島に生を受けた以上、行くべき。
あなた自身の街道をゆくをつくる 心の中にリアルに描いて欲しい
司馬遼太郎氏が阪神大震災の被災者に記した文章
世界にただ一つの神戸 なにか、励ませ、という。
そんな電話が「神戸っ子」の大谷さんからかかってきたとき、
その声に、雄々思いがした。
当方は大阪にいて、連日、神戸の惨禍の報道に浸かっていて
自分が被災者でないことが申し訳ないという気持ちでいたときに、
そんな電話がかかってきた。
家族をなくしたり、家をうしなったり、途方に暮れる状態でありながら、
ひとびとは平常の表情をうしなわず、たがいにたすけあい
わずかな救援に、救援者が恥じ入るほどに感謝をする。
そういう人が多かった。
神戸に、自立した市民を感じた。世界の他の都市なら、
パニックにおちいっても当然なのに神戸の市民はそうではなかった。
無用に行政を罵(ののし)る人も、まれだった。
行政という「他者」の立場が、市民にはよくわかっていて、
むりもないと考える容量が、
焼けあとの中のひとびとにあるという証拠だった。
この精神は、市民の個々がくらしを回復して行くことにも、
きっと役立つにちがいない。
神戸。あの美しくて、歩いているだけで気分のよかった神戸が、
こんどはいっそう美しく回復するうえで、
この精神は基本財産として役立つに相違ない。
神戸。私はつぶやきつづけている。
やさしい心根の上に立った美しい神戸が、
世界にただ一つの神戸が、
きっとこの灰燼(かいじん)の中からうまれてくる
司馬遼太郎
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