2024年4月3日水曜日

横尾忠則 87歳の現在地

侮辱したつもりの蔑視春の空
山笑う軽蔑されし傘寿かな
分別のなき暴言や春かなし
哀れみを持たれぬ傘寿春の霜
能力と思慮の欠落春の泥

■横尾忠則 87歳の現在地
日本を代表する美術家・横尾忠則が人生相談の本を出版した

僕は耳は難聴で人と話すことはほとんどありません
それはそれで心地よいと思っています
孤独こそ最高の境地です むしろ孤独を愛しています

僕の健康法は何もありません 耳は聞こえないし目はかすむし
手は腱鞘炎だし 五感はほぼ全滅です だけど
考え方を変えればこの身体的ハンディにより
思いもしない絵が描けるという特典もあります

絵と肉体が一体化した瞬間です

ナレーション 細野晴臣(11歳年下 1976年からのお付き合い
横尾さんはYMOの4人目のメンバーになるはずだった
10年先を行く横尾さんを追いかけてきた)
「老いと創造 朦朧人生相談」
38年前に磯崎新さんが設計したアトリエに毎日通っている

人生は暇つぶしに過ぎません 僕は何もしない
何も考えない無為な時間を一日のうちにたっぷり取っています
そしてそんな豊潤な時間こそ人生の宝だと思っています

僕の場合は表現に目的はありません 
なんでこの絵を描いているのかさえ分かりません
描こうという衝動に従いご飯を食べるように描くようにしています
「あっこんな絵が描けちゃいました」で終わりです
それでいいのです

85歳で心筋梗塞 9年前79歳には難聴になった
「病室アトリエ化」2014年
病院へ来るのは自分とは何者か?ということだと思うんですよ
肉体がどういうふうな状態かと知ることは結局は
自分とは何者か❓ということにつながっていく

老いを恐怖の対象のように考える風潮がありますが
僕はそうではないと思っています
たしかに肉体的な不自由さは増えますが
それは老化現象と思って受け入れるべきです
これから先の人生を愉しみたいならば
いっそのこと運命に従ってみるのはどうでしょう

「どうでもよくなってきた」ということは
自由になってきた と考えることもできます
ただ着るものはいい加減にしないほうがいいと思います
僕は病院に行くときはうんとお洒落をしていくようにしています

コツコツコツコツ描くと疲れるんだよね これはしんどい
難聴が進み視力も低下した さらに利き手である右手が腱鞘炎に
いつも痛みがある 痛みに耐えかねると左手に持ちかえる
朦朧隊と呼び 新しい画風を手に入れたことを喜んでいる

いつ死ぬかわからないのでこの間の心筋梗塞みたいに
バーンときちゃうと救急車来た時はもう死んじゃっているみたいな
本当に外に行きたいんだけど今暑いからね
毎年熱中症になっているから
あと何年生きたいとかは全くない
突然死が襲ってくるまで絵を描いているんじゃないかな

健康のために散歩をするといいと言われても
体を動かすのが億劫になって 生活のあらゆる面で
ハンディキャップが出てきています だけど
この身体的ハンディにより思いもかけない絵が
描けるという特典もあります ハンディこそ
僕の自然体と考えるようにしました
ジョン・レノン ヨーコ・オノ 黒澤明 
デヴィット・ボウイとの写真が自宅に飾られている

グラフィックデザイナーとして時代の寵児となった

僕は一度も専門教育や大学での教育を受けていません
正統なデザインや美術教育を受けていたら
約束事に従った作品しか作ることができなかったでしょう
専門教育を受けていないために何がタブーで
何がタブーではないのかを区別することができなかった
自分の気持ちに従うしかなかったのです

人はこどもを捨てたから老人になっていくんだと
大人になるっていうことは社会で
認められたいっていう気持ちが大人にさせてしまう
だから認められたくないことの方向を
目指したような気がします

ピカソの作品に衝撃を受けたわけじゃないんですよ
たまたま見ているうちに突然自分の中に
言葉にはできない啓示のようなものを受けて
これからは美術のほうをやりなさい 突然会場の中で
逃れることができない 衝動が起こったんです
なんでこんなことが起こったのか自分でもわからない
悪魔に憑(と)りつかれて洗脳されてしまったわけですよね
戻ったらもうすぐその足でギャラリーに飛び込んでいって
絵をやりたいので展覧会やってくれますかと
絵を一点も描いていないのによくそんな厚かましい話を
ギャラリーに持っていったなと思って…。

しかしその独特すぎる作風は当時の保守的な美術の世界から黙殺された

あなたは今の仕事に満足ですか❓
経済的な条件には満足していても自由が束縛されていると感じるなら
その原因を考えてみましょう しかしその答えは簡単です
自由がそれを束縛する経済の力に屈してしまったからです
僕にとってデザイナーは「仕事」でした
それに対して絵は「人生」であり生きるということです

絵というのは僕の場合は計画なしでやるからさ
計画通りに生きていくのは難しい だから絵によって
自分の生き方とか人生が導かれているような気がしないでもない

顔描くとガラッと変わりますよ 
顔を描いたために他との関連が出てくるんですよね
そうするとそこにごそごそ余計なことしなきゃいけない
顔は一番最後に残して描いたら終わりということにならなきゃダメ

僕は飽きたところで「ヤーメタっ!」と言って描くことを放棄します
それを「完成」としてしまいます
人間というものは未完で生まれて完成を目指しながらも
ついに完成せず未完のまま死んでしまう人が大方です

「寒山百徳展」朦朧体という新しい画風を発揮した展覧会
102点の絵を一年で描いた
一切頭から言葉と観念 そういうものを全部外そうと
アスリートみたいになっちゃったんです
アスリートっていうのは瞬間芸です
絵も同じだと思って
輪郭線がまっすぐ強く描かれない 
その代わりに点描のような色の集積でものの形を描く
視覚的には淡いというか優しい 老いによる肉体的な衰え
身体的な衰え それさえが今の横尾さんご自身の
新たな表現として作品に現れている

正しい方法などありません
「きれいな絵だな きれいな色だな」と思えばそれで十分です
画家もひと言で言うといい加減に描いています
そんな絵を真剣に見る必要はありません

自分の絵はくたびれるわ
描いた時にくたびれて 今見るとまたくたびれる

僕も人前でスピーチするのは大の苦手です
大勢の人の前で見事にしゃべる人がいますよね
でも その話が上手ければ上手いほど心に響かなかったり
理屈ばかりが目立ってつまらなかったり その点
話し下手で訥々(とつとつ)としか話すことが
できない人の言葉には心は惹かれます
ときには口ごもってもみたり 
話しが途切れたりする人の方が感動的です
昔テレビに出演し一言もしゃべらないまま
収録が終わってしまったことがあります
逆にウケて話題となりましたが…。

では内面がぎっしり詰まっているというのは
どういうことでしょうか
知識がぎっしりと詰まっているということですか❓
僕は常に内面は空っぽでいることを望んでいます。
空っぽのほうがいろんなことを吸収できます

シナリオがちゃんとあってシナリオ通りに
作ったものというのは作る側の人間には
安心感があるかもわからないけどな何かそこに
冒険がないんですよね どうしていいのかわからないという
思考の迷路みたいな所に入り込んでそこであがきながら
作ったものはだいたい面白い
怒られているところを画面に映したらよかったのに

太陽のエネルギーというのは生命エネルギーでしょう
太陽が沈んでしまうと急にダメになっちゃう

Y字路とは運命の分かれ道 生と死 肉体と魂
二つの世界が交わる場所

こちらの赤い これは死の世界
死の世界にいた死んだ動物です
それが現世の世界にひょっと出て来た戸惑っているわけ
だから犬にとっては(現実世界が)異界に見える

僕の場合は死というものを物心ついて
すぐにそういうことを経験してしまった
戦時中ですからね 僕にとって貴重な経験だけれども
貴女にそういう経験を味わって欲しいとは僕は全然思わない

Y字路って一本の道が二つに分かれている
真ん中に家がある この構図がものすごく
インスピレーションを僕に与えた 普通の絵は焦点が一点
あの道は焦点が二つなんですよ その事に気付いて
これは絵のモチーフになると思った

僕は生まれて間もなく養子に行ったために
両親が本当にお爺ちゃんお婆ちゃん そうすると
僕よりも先に死ぬだろうっていうそういう不安
戦争とは別の恐怖がありました
自分が死ぬよりも親が死ぬことの方が怖かった
鉄道は汽車が通っていたからこの場所から別の場所へ
遠くへ行くっていうね こどもの
ロマンチシズムみたいなものがあったんでしょうね
ここじゃないどこか遠くへ行ける だから
今も時々電車とか汽車も描きますけど
線路を描くのが好きなんですよね

僕は二十代で両親を亡くしました
父は僕が上京して半年も経たないうちに脳梗塞で突発的に死にました
そんな状況の中僕は母が郷里の家を売って得たわずかなお金を持って
ヨーロッパ旅行をし有り金全部使い果たして帰ってきたら
がんで母は入院していました やがて息を引き取りました
何という親不孝息子であったか 
この質問に答える資格は僕にはありません

僕の生活は東京を舞台に設定されています
だから今さら帰郷することはできません
望郷の念はいつも頭の片隅にしまっておいて
引き出せるようにしています
「いつでも帰ることができる」という気持ちを
どこかに持っているので一つの場所にいても
実は心のなかで2か所を往復しています

何となく終わりですね もう俺飽きちゃってるからね
2023.9.10 
タイトルはまだ考えてないです
西脇に加古川という川があってそこに鉄橋がかかっていて
そこは僕のある意味での原点の一つなので 最初のスタートライン
そこに最終的に戻っていく そういうビジョンがあるんです

僕くらいの年齢になると死が訪れるのは時間の問題で
だれが先に逝ってもおかしくない年齢に達しています
去年から今年にかけて友人知人40~50人亡くなりました
自分だって今日明日にでも彼らと同じところへ行きかもしれません
もうすでに僕も向こうにいる彼らの仲間の一人かもしれません
最近はこちらの世界とあちらの世界の区別さえつきません
向こうもこちらも地続きです この生者のいる現世を眺めています
生と死は単に次元を異にした同じものだということです

僕の年齢になると死も愉しみの一つになります
死んだらどこへ行くのだろう 
その場所はどんなところだろうかと考えると
ちょっとした旅行気分になります
死は一つのサプライズなエンターテインメントかもしれません

妻 泰江さん

南天子画廊 青木康彦さん
画家に転身を図った時、一枚の作品も描いていないのに
個展の開催を引き受けてくれたのはこの画廊のオーナーだった
26年前に亡くなり、現在は息子さんが継いでいる
思い出を語りたくとも苦楽を共にした仲間は次々とこの世を去っている

会わないうちにずいぶんたくさんの人が死んじゃった

僕は運命を信じている運命はです
まるで予測していなかった出来事が次々に起こり
そのすべてに抵抗せずに従った結果
職業にすることになったというわけです
まさかのまさか絵やデザインを
職業とすることになったというわけです
ですから後悔も反省もまったくありません
運命に逆らって己で道を開拓するか
それとも偶然の成り行きに任せるか
あなたはどちらのタイプですか❓

運命はある日突然やってくることがあります
僕の人生でも何度も運命の分かれ道があり
そのたびにまったく逆らうことなく今日までやってきました
運命を受け入れるというのは予測不能な未来に
身を投じるということでとても怖いことです
人は皆 運命に導かれて生きていること
運命を受け入れることで開かれる人生があることを
お伝えできたのではないかと思っています

新しいテーマは大谷翔平
アメリカのコレクターの人が大谷の大ファンで
描いてくれますか❓って頼まれて

病気とか体の具合というのは休んで治すやり方と
動かして働いて治すやり方と2種類あるんじゃないですか
大谷君の場合は働きながら治しちゃう
僕もね描きながら健康になることもあるしね
絵を描くことによって今度は病気を治すと
薬なんか全然飲まないで絵を描きながら
どんどん勝手に元気になっていくみたいな

あとがき 
僕は自分の外に出したもののことはすぐに忘れてしまいます
絵なんて一筆描くごとに忘れています
実はもうすでにどんな人生相談があり
どんな回答をしたのかも忘れてしまっています
だからこそ僕は精神的に健康でいられるのかもしれません
僕は無責任にあれこれと回答しています
しかしそんな無責任さの結果によって
悩みが流れ浄化することができたとしたら
それは回答した甲斐があったというものです

横尾忠則 87歳の現在地

益々横尾忠則氏のことが好きになっちゃいました。

0 件のコメント:

コメントを投稿