(小笠原諸島)春の空楽園に生くカラスバト
春融やとなりのGenre覗き込み
放物線の終点間近朧めく
生きるとは吾との闘い春の潮
春の雲苛め蔓延るどこかしこ
■100分de名著for ユース(4)石垣りん詩集
言葉で自分を見つめ直す
加藤シゲアキ 阿部みちこ 文月悠光
精神の在り場所もハタから表札をかけられてはならない
石垣りん それでよい。
夜中に目を覚ました。
ゆうべ買ったシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。
「夜が明けたら
ドレモコレモ
ミンナクッテヤル」
鬼ババの笑いを
私は笑った。
それから私は
うっすら口をあけて
寝るよりほかに私の夜はなかった。
くらし
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にははじめてあふれる獣の涙
取るに足らないものへのシンパシーを感じる 加藤
働くことと詩を描くことは切っても切り離せない 文月
月給袋
縦二十糎 横十四糎
茶褐色の封筒は月に一回、
給料日に受け取る。
一月の労働を秤にかけた、
その重みに見合う厚味で
ぐっと私の生活に均衡をあたえる
中略
私がラッシュの国電でもみくちゃになれば
この袋も日増しに汚れ
持ち主におとらずくたぶれる。
そして最後の硬貨も出払った
捨ててもいい、というときに
用心深く、何か残っていないかと
中をのぞくといるわ、いるわ
そこには傷んだ畳が十二畳ばかり敷かれ
年老いた父母や弟たちが紙袋の口から
さあ、明日もまた働いてきてくれ
と語りかける。
第一詩集 1959年刊行
石垣りん詩集 私の前にある鍋とお釜と燃える火と
屋根
病父は屋根の上に住む
義母は屋根の上に住む
きょうだいもまた屋根の上に住む
風吹けばぺこりと鳴る
あのトタンの吹けば飛ぶばかりの
せいぜい十坪程の屋根の上に、
みれば大根ものっている
米ものっている
そして寝床のあたたかさ。
負えという この屋根の重みに
女、私の春が暮れる 遠く遠く日が沈む
(自分の境遇をりんは書いた。)
書くことと働くことが寄り合わされてきた
自分の内面にありながら
はっきりした形をとらないでいたものが、
徐々に明確に出てくる、
あらためて自分で知るといった逆の効果が、
詩を書くことにはあるようです。
エッセイ「立場のある詩」より
その夜
女ひとり
働いて四十に近い声をきけば
私を横に寝かせて起こさない
重い病気が恋人のようだ。
どんなにうめこうと
心を痛めるしたしい人もここにはいない
三等病室のすみのベッドで
貧しければ親族にも甘えかねた
さみしい心が解けてゆく、
あしたは背骨を手術される
そのとき私はやさしく、
病気に向かっていう
死んでもいいのよ
シーツが 黙って差し出す白い手の中で
いたい、いたい、とたわむれている
にぎやかな夜は まるで私ひとりの祝祭日だ。
本当の思っていることを表現する場所がなかった仕事の上では
そのために本当に自分の言葉が欲しかったんじゃないか
これだけはどんなことがあっても言いたい
言うからにはどんな目に遭ってもいい
詩を書く時だけ何物も恐れないと言っては大げさだけど
書いちゃったんだと思います
2004年石垣りん死去 84年の人生を終えました
個であること生涯それを問い続けたりんの代表作です
表札
自分の住むところには 自分で表札を出すにかぎる。
自分の寝泊まりする場所に 他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。
病院へ入院したら 病室の名札には
石垣りん様と様がついた。
旅館に泊まっても 部屋の外に名前は出ないが
やがて焼場の鑵(かま)にはいると とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?
様も 殿も 付いてはいけない、
自分の住む所には自分の手で表札をかけるに限る。
精神の在り場所もハタから表札をかけられてはならない
石垣りん それでよい。
(46歳の時の詩)
❝個としての自分❞をどうしたら取り戻せるか
ある種の「宣言」
本は一回の人生にいろんなことを取り込める
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