2024年10月9日水曜日

紫式部のスマホ&「心中」&ゴッホは日本の夢を見た

ムラを詠む
集落の地盤形成秋の声
蚯蚓(みみず)鳴く有瀬(あるせ)集落今もなお
地滑り後住まい構えん星月夜
秋の山コエグロ敷きて土押さえ
秋晴る杉の古木に見送られ

■紫式部のスマホ
1
春はあけぼのがエモい。
だんだん白っぽくなってく
山のはじっこのとこの空が、
ちょっと赤みを帯びて明るくなって。
紫がかった雲が細くたなびいてるのって、
めっちゃエモいわ。
夏は夜しか勝たん。
闇夜に蛍がめっちゃ飛んでるのって神すぎ。
でもでも、一匹一匹くらいが
ほわんって光って飛んでゆくのもチルい。
雨が降ったら降ったで優勝よ。
秋は夕暮れが最高。
夕日が射して、その夕日と山の輪郭が
接近してる時間に鳥が三~四羽とか、
まあ二~三羽くらい?
いつメン連れて飛んでく姿って、もう天才よね。
あと雁とかマジメかってくらい きっちり整列して飛んでくのか
2
横目をもゆめと言ひしは誰れなれや秋の月にもいかでかは見し
3
光の君が雨夜に仲間たちと
女の品定めで盛り上がった翌日。
ようやく天気は晴れ。 
宮中にばかり籠っているのも舅の左大臣に悪いので、
光の君は女君のもとに向かおうと、退出なさいました。
左大臣邸のしつらいも、女君の様子もビシっと整えられて
気高く、どこにも乱れたところがありません。
この女君こそが、昨夜の品定め
7
「利口ぶっているだけのインチキ風流人!
式部が清少納言❝ぶった斬り❞持論展開

清少納言 知ったかぶりのドヤ顔女
斎院の女房 名歌らしきものひとつもなし
和泉式部 和歌の風格ゼロ恋の歌しかうまくない
赤染衛門 和歌が古いいまどきの和歌も詠め!
8
最終話 源氏物語 五十四帖 夢浮橋
第六段 小君、空しく帰り来る
山里らしいごちそうをいただいたけれど、子どもである小君はどう
からなくて、「薫の君が私をわざわざお遣わしくださったのに、何も
姉君から返事をいただかずに帰らなくてはならないのでうか?
一言でいいから薫様へのお言葉をください」などと訴えました。
尼君は「その通りですわ」と言って、浮舟に伝えるものの
何の返事もございません。
尼君は薫の君には正直に浮舟様のはっきりとしないご様子を
伝えるしかないでしょう。こちらは山里ではございますが
雲がはるかに遠くへだった場所というほどでもありませんから、

源氏物語の最終回、書き終えました。
日記の方も、昨日送ったものを最後とさせてください。
私の役目は終わりました。
道長様のおかげで色々な景色を見ることができました。
ありがとうございました。

雲隠れに夜半の月かな

清少納言
私はものづくしで書いたけど、式部さんは女づくし、で書いたんでしょ?
紫式部
さすがです!わかります?

これ!この切り口、面白かったです。続きを楽しみにしています。

■漢字ふむふむ「心中」
中国語で心中は文字通り、心の中という温かいニュアンスの言葉。
しかし日本では男女が死んでしまうという意味。
これはそもそも江戸時代 遊女の間で使われた遊女の恋のテクニック
本気ですよと誠意を伝えること これを「心中立て」と言った
心中立て 心中=真心 真情 
「髪切り」「入れ墨」「証文(誓いの言葉)」など
その後「爪剥ぎ」「指切り」と、エスカレートしていった。
いろんな「心中立て」の行きついた先が「情死」
2人で死を選ぶということになる
男女の死への旅立ちを近松門左衛門らが「心中劇」として作りあげた
これが大変評判になり「心中」=「情死」が一般化していった

■ゴッホは日本の夢を見た
ゴッホの残した言葉
「私の絵のすべては日本の芸術の上に成り立っている」

テオへの手紙
「体中の血液がまた巡りはじめている気がする
 パリではなかったことだ」

「親しい弟よ 僕は日本にいる気がするんだ」

ゴッホの手紙
「いっそう明るい空の下で自然を眺めたら
 日本式の感じ方や描き方がより正確にわかるだろうと思ったのだ」

「この土地が空気の透明さと明るい色彩によって
 僕には日本のように美しく見える
 黄色と菫色の花が一面に咲く 野原に囲まれた小さな街
 まるで日本の夢のようだ」

「もっと日本的な目で見ることができ 色彩の感じ方が変わってくる」

ゴッホの耳―天才画家 最大の謎―より
「オランダ人の風景画家が自分の言動もわからないほどの
 異常な興奮状態に陥っています 家族のもとに直ちに
 送還するか 精神病院への引き渡しに必要な手続きを
 お取りくださいますようお願い申し上げます」
ゴッホはアルルを追放された

ゴッホの手紙
「画家の共同体 何人もが生活を共にするという考えは
 もう二度とやらない 子どもじみた夢であった」

ゴッホからテオへの手紙
「日本の芸術を研究するとまぎれもなく賢明で
 達観していて知性のすぐれた人と出会う
 彼は何をして時を過ごすのか 
 地球と月の距離を研究しているのか 違う
 彼が研究するのはたった一本の草の芽だ
 しかし この一本の草の芽がやがて彼に
 ありとあらゆる植物を ついで四季を
 風景の大きな景観を 最後に動物
 そして人物像を描写させることになる
 すべてを描くには人生はあまりにも短い
 そう これこそ かくも単純にあたかも自分自身が
 花であるかのように自然の中に生きる
 これらの日本人がわれわれに教えてくれることこそ
 もうほとんど新しい宗教ではないか」

ゴッホからテオへの手紙
「この世に生まれてくる坊やのおじさんになるのだ思うと
 人生への関心がまた湧いてくるよ」

花咲くアーモンドの枝 について
「仕事はうまくいったよ この絵を見たら根気よく
 丹念に仕上げたと思うだろう 最高の出来だ」

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