風を背に月の創った海の道
モーツァルトへ音落とし込む夜長
瞬間に生まれくる音月の暈(かさ)
秋晴るところ見極め貫かん
忙しいと人遠ざけて秋の空
■偉人の年収 How much? 思想家 教育者 福沢諭吉
1872年(明治5年)「学問のすすめ」初編出版
人間はみな平等
この人間の世界を見渡してみると
賢い人もいれば愚かな人もいる
貧しい人もいれば金持ちだっている
その違いは学ぶか学ばないかである
「学問のすすめ」(現代語訳)
自ら学べば人生を変えられる
1873年(明治6年)11月「学問のすすめ」2編出版
学問とは何か
ただ文字を読むだけで学問だと思うのは見当ちがいである
(中略)実生活も学問であり実際の経済や
世の流れを知るのもが学問である
「学問のすすめ」(現代語訳)
4年間で17編出版
一心独立して一国独立する
1冊 1,650円(3銭3厘) 全17編 累計発行部数 340万部
現在価値 56億円
国民の10人に1人 驚異的ベストセラー
国民がしっかりと自分の意見が言えるようにならなければ!
議論の場を作る speech=演説
1875年(明治8年)三田演説館建設
学生に議論の練習 一般公開
議論するには根拠となる知識や情報を
誰もが手に入れられるようにしなくては
1882年(明治15年)時事新報 創刊 経営者となる
日本初の天気欄 スポーツ欄 まんが欄
総合メディアとしての新聞を生み出した
その新聞の論説で日本人の新しい生き方を書き続けた
女性も家の中にばかり居ないで自由自在に外に出て人と付き合い、
日本の半分は女性のものと思えるような社会にしよう
「日本婦人論 後編」1885年
商業や工業といった民間の経済活動に政府は干渉することなく
自由にさせるべき 魚と鳥は違う 魚は迷惑している
「実業論」1893年
そして晩年楽しみにしていたのは毎朝の散歩 諭吉(65歳ころ)
自らの人生を「福翁自伝」1899年をまとめ上げ
福沢諭吉は1901年(明治34年)没66歳
諭吉が好んで用いた言葉が「独立自尊」
自らの判断と責任で行動していこう
福沢諭吉61歳の年収は40億円
使い道は「学びを志す人々をサポート」
北里柴三郎が伝染病の研究所を設立する際 土地や建物を提供した
■10min.ボックス現代文 こころ(夏目漱石)
私はその人を常に先生と呼んでいた。
だから此所(ここ)でもただ先生と
書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚(はばか)る遠慮というよりも、
その方が私に取って自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起こすごとに、
すぐ「先生」といいたくなる。
筆を執っても心持は同じ事である。
私は最初から先生には近づきがたい
不思議があるように思っていた。
それでいて、どうしても近づかなければ
いられないという感じが何処かに強く働いた。
人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、
それでいて自分の懐に入ろうとするものを、
手をひろげて抱き締める事のできない人、
―これが先生であった。
夏目漱石 小説を発表したのは1905年(明治38年)~1916年(大正5年)
「こころ」1914年(大正3年)発表
先生の謎
「こころ」は上 先生と私 中 両親と私 下 先生と遺書
に分かれています
「私は世間に向かって働きかける
資格のない男だから仕方がありません」
「恋は罪悪ですよ。よござんすか。
そうして神聖なものですよ」
「平生はみんな善人なんです、
少なくともみんな普通の人間なんです。
それが、いざという間際に、
急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです」
「私は死ぬ前にたった一人で好いから、
他(ひと)を信用して死にたいと思っている。
あなたはそのたった一人になれますか」
「あなたははらの底から真面目ですか」
私は暗い人生の影を遠慮なく
あなたの頭の上に投げかけて上(あげ)ます。
しかし恐れては不可(いけま)せん。
暗いものを凝(じつ)と見詰めて、
その中から貴方の参考になるものを御攫(つか)みなさい。
友人K
彼の重々しい口から彼のお嬢さんに対する切ない恋を
打ち明けられた時の私を想像して見て下さい。
その時の私は恐ろしさの塊といいましょうか、
または苦しさの塊といいましょうか、
何しろ一つの塊でした。
私は先ず「精神的に向上心のないものは
馬鹿だ」といい放ちました。
これは二人で房州を旅行している際、
Kが私に向かって使った言葉です。
私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、
再び彼に投げ返したものです。
私は一言(いちごん)でKの前に横たわる
恋の行方を塞ごうとしたのです。
私の眼は彼の室(へや)の中を一目見るや否や
あたかもガラスで作った義眼のように、
動く能力を失いました。
私は棒立(ぼうだち)に立竦(たちすく)みました。
もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、
一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。
私は何千万といる日本人のうちで、
ただ貴方だけに、私の過去を物語りたいのです。
あなたは真面目だから。
あなたは真面目に人生そのものから
生きた教訓を得たいといったから。
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