ソラを詠む
ソラの秋コエグロ背負い急斜面
秋のソラ畑へコエグロ敷き詰めん
秋の朝雲海に立ち背伸びせり
赤蜻蛉自給自足のソラを生く
雲海に浮かぶ山々空高し
■10min.ボックス現代文 俳句(2006年制作)
柿食えば金が生るなり法隆寺 正岡子規
いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡子規
近代俳句の父 正岡子規
芸術の域にまで高めたのが松尾芭蕉
古池や蛙飛びこむ水のおと 松尾芭蕉
明治に入り発句を俳句としたのが正岡子規
卯の花の散るまで鳴くか子規(ほととぎす) 正岡子規
「俳句分類集」を作成 使いまわしの語句が多いことが分かる
写生(西洋の絵画でもち入れられていた手法)をとり入れる
新しい俳句を目指した
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり
若鮎の二手になりて上りけり
「ホトトギス」(東京版)第1号
ここから多くの作家が育った 夏目漱石もその一人
菫ほどな小さき人に生まれたし 夏目漱石
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな 正岡子規
東京都台東区根岸 子規庵
2万を超す俳句を残して34歳の若さでこの世を去りました
子規からつながる人々
高浜虚子 「ホトトギス」を引き継ぐ
季語と定型という決まりを固く守り 花鳥風月を題材に取り上げた
伝統を守る決意を詠んだ句
春風や闘志いだきて丘に立つ 高浜虚子
川東碧梧桐 新聞の俳句欄を引き継いだ
新しい俳句の表現を求めた碧梧桐は次第に季語と定型から離れて行った
紅い椿白い椿と落ちにけり 川東碧梧桐
ホトトギスの投句欄から見出された女流作家
谺(こだま)して山時鳥(ほととぎす)ほしいまま 杉田久女
彷徨うように旅を続け定型の枠を超えて生み出した句
分け入ってても分け入っても青い山 種田山頭火
17音の世界は時に限りない広がりを私たちに与えてくれます
■ザ・プロファイラー 書き尽くせぬ思い「源氏物語」作者 紫式部
おぼつかな それかあらぬか あけぐれの そらおぼれする 朝顔の花
紫式部集
ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる
紫式部集
春になれば 氷が解けるように やがてあなたの心も 打ち解けるものだと 知らせたい
藤原宣孝 紫式部集
春なれど 白嶺のみゆき いやつもり 解くべきほどの いつとなきかな
紫式部集
おほかたの 秋のあはれを 思ひやれ 月に心は あくがれるとも
紫式部集
寂しい物思いの中 当てのない行く末を考えては 将来への心細い思いを 強めるばかり
そこで取りとめのない ものではあるけど はかなき物語を書いて 試行錯誤しては
慰み事に寂しさを紛らわせていた
紫式部日記
第一帖「桐壺」
いづれの御時にか 女御 更科 あまたさぶらひ 給ひける中に
いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて 時めき給ふありけり
同僚女房に言いたいこともあるけれど「何も言うまい」と思う
わかってくれない人に 何を言ってもむだ
また何かと文句を言って「われこそは」と得意になっている人の前では
煩わしくて口をきくのも おっくうになる
紫式部日記
紫式部⇨清少納言
あそこまで利口ぶって 漢字を書き散らしていますけれど
その学力の程度も よく見ればまだまだ足りない点ばかりです
紫式部日記
浮気者=すきものと 名にし立てれば 見る人の をらで過ぐるは あらじとぞ思ふ
人にまだ をられるものを 誰かこの すきものぞとは 口ならしけむ
紫式部日記 光源氏=道長説も出るほどだった
藤壺
第二帖「箒木」
空蝉
第四帖「夕顔」
女の枕近くに夢で見たのと瓜二つの顔をした女が現れてすっと消えた
昔話にはこんな話も書いてあるが
実際に目の当たりにすると源氏はともかくおそろしくなった
第五帖「若紫」
ひらがなの物語は文学として幼稚
物語こそ心が書けると気づいた紫式部
紫式部の心を光源氏に語らせている
誰でも身の上として多少誇張などはあるにしても
この世を生きる人々の見ているだけでは満足できず
後の世にも言い伝えたいと心にしまっておけず
語ったものが物語の始まりなのです
言いおき始めたるなり
第二十五帖「蛍」
この作者は日本の歴史書をよく読み込みまことに学識があるようだ
まことに才あるべし
紫式部日記
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば
小右記
歳もまた出家しても よい年頃になってきました
罪深い私のような人間が必ずしも出家の志がかなうわけではないでしょう
紫式部日記
浮舟
紫式部の娘 賢子(けんし)もまた才能あふれる女子であった
後冷泉天皇の乳母(めのと)として宮中にあがった
後冷泉天皇の時代は文化的な時代だった
それは紫式部の娘 賢子の教育のおかげである
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