無機質を熱い音へと808(ハチマルハチ)
808エモーションかつセクシーへ
808独自の音を癖とする
しがみつきセンス守った808
世界中熱狂の渦808
■NHK映像ファイル あの人に会いたい
星野富弘(詩画作家)
今年4月に亡くなった星野富弘さん。
事故で手足の自由を失い、口に筆をくわえて創作活動を行う。
四季の草花を描いた水彩画に詩を添えた作品が多くの人々の共感を呼んだ。
星野さんは昭和21年群馬県生まれ。
群馬大学卒業後、中学校の体育教師になる。
2か月後、クラブ活動の指導中に首の骨を折る大けがをし、首から下の身体機能を失う。
入院中に口に筆をくわえて文字や絵を書き始め、
絵に詩を添えた「詩画」と呼ばれるスタイルを生み出した。
多くの詩画集を発表し、日本だけでなくニューヨークなど海外でも作品展を開催。
平成3年には地元に「富弘美術館」が開館し、これまで700万人以上が訪れた。
https://www.nhk.jp/p/anohito/ts/K15V8PLV63/ より
2024(令和6)年 78歳没
ほんとうのことなら
多くの言葉は
いらない
野の草が
風にゆれるように
小さなしぐさにも
輝きがある
言葉というのが どうもこれでいいのかなとかね
こんなちょっとダメだろうな
ということが随分あるんですよね
でも花のそばに書くと
花がみんな それを受け入れてくれるというか
ほわっと包み込んでくれる
だから 花だから詩が書ける
花に添えるから言葉が書ける
絵を描くのは
旅をするのとおなじ
私は今
花びらの谷間から
雄しべと雌しべの
丘に続く
春の小道を
旅している
いつも山の向うには何があるんだろう
山の向うにはきっといい
楽しい世界があるんじゃないか
宙返りに失敗しまして マットの上に落ちて
何十秒か過ぎたぐらいのときもう
自分がどういう状態になったか
っていうのはわかりました
手に触られた感覚もないですから
「あっ これはもう神経をやっちゃったな」
このままなるべく…
早く 命が終わったらいいな
そんなふうに思いましたね
私が怒ったり もう口を利かなくなったりするときも
変わらないで看病し続けてくれる
ずっとベッドの横の狭いところで寝起きして
しょっちゅう熱が出ていたり
喉の気管切開をして
その吸引を1時間か2時間おきぐらいに
そういう姿を見ていて「たった一人の母ちゃんだ」
そういう気持ちをもちました
なんとしても 一字でもいいから書きたいと思いまして
それで口に筆をくわえて
点でもいいから書こうと思って
それでも書けなくて
母が帽子の方を動かして
私の名前の一字を やっと書いてもらった
最初 片仮名の「ア」という字を
やっとの思いで震えながら
でも やはり一枚の紙の文字をいっぱいにする
っていうのは大変なことなんです
なんとかその余白を埋めたいと思って
枕元にあったお見舞いの花を
一輪 描いたのが始まりなんですね
このごろじゃぁ絵をかくことにむちゅうだよ
6月17日
けがして3年
なにかうめえ すしでも
たべようとおもったが休み
神様が たった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせて もらおう
風に揺れる ぺんぺん草の
実を見ていたら
そんな日が 本当に
来るような気がした
「なずな」
これから先 自分がどうして生きていったらいいか
というのが具体的に見えてきたんですね
いっぱいこういうものを描いて
これがおれの一生の仕事になるかもしれないなと
ブラインドのすき間からさし込む
朝の光の中で
二つのつぼみが 六つに割れた
静かに反り返ってゆく花びらの
神秘な光景を見ていたら
この花を描いてやろう などと
思っていたことを
高慢に感じた
「花に描かせてもらおう」
と思った
小さくて ちょっと目に入らない花なんですけどね
ヘソカズラ
一人では絶対描けないですから
何かみんなで一つのものを
仕上げるっていう気持ちがあるし
描きあがったものを妻が褒めてくれたり
母が驚いてくれたりするっていうのが 何か
次にまた描きたいっていう原動力って
いうんですか それになってくる
1991(平成3)年 富弘美術館 オープン
自分の描いたものをみんなに見てもらえて
たくさんの人が見に来てくれる
「力づけられました」とかね
「お前の詩で励まされたよ」って聞くと
いちばん励まされるのは私なんですよね
花ってやっぱり 秋になると枯れてきますよね
でもきれいなんですよ
虫に食われちゃったり
全部花びらがそろっていないものもあったり
それのほうが何か面白い
いろんな困難があって
きれいな花になっていくと思うんですよ
自分の本当にね 嫌な面も繕わないで
そのまま受け入れて生きていた方が楽だし
それが いちばんいいなって
冬があり 夏があり
昼と夜があり
晴れた日と
雨の日があって
ひとつの花が
咲くように
悲しみも
苦しみもあって
私が私になっていく
「悲しみの意味(サフラン)」
絵も詩も 両方とも何か中途半端というか
ちょっと足りないような
欠けたようなものの方が
一枚の紙に合わさったときにピタっといく
何か弱さというものを
そんなに隠さないで
一つの社会というものを作っていけたら
何かもっといい世界ができるような気がする
あおむけに寝たままで
次から次へと 悪くちをいった
右目の隅で桃の花が
笑いながら咲いていた
「桃の花」
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