2024年3月23日土曜日

知恵泉 大倉喜八郎 富は社会に還元せよ

苦しき家計円安のせい?春思かな
鍵投げん鳴門海峡渦開き
シオマネキ藻類ぱくぱく懸命に
吉野川絶滅危惧種そこかしこ
シオマネキ天敵逃れ巣穴へと

■知恵泉 大倉喜八郎 富は社会に還元せよ
渡部志保 パトリック・ハーラン
大倉土木組(大成建設) 東京電燈(東京電力)
日本製靴(リーガルコープレーション)
日清豆粕製造(日清オイリオグループ) 
札幌麦酒会社(サッポロビール)
歌舞伎座 帝国ホテル 鹿鳴館 など…。
一代で大倉財閥を築く
東京市養育院 東京慈恵会(有志共立東京病院)へ寄付
近代的な商法を知る実業家が必要であるといい
大倉商業学校を開校
日本文化の守り手でもあった(大倉集古館)
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で失われかけた仏像を買い集め
大倉集古館を開館
その時、自宅の敷地85% 収集品600万円
(現在の金額でおよそ192億円)を惜しげもなく寄付

日本人の商売は自分さえ儲かればいい
アメリカでは日本茶の輸入を禁止
日本の商品は信用を失った 自業自得だ と言われてしまった

知恵その一 責任と信用が世界に通じる鍵と知れ!
アメリカ人に安い卸値を提示すると
それであなたに儲けはありますか?と尋ね
多くはありませんが儲けはありますというと
だったら良かったと契約をした。
相手の儲けも考えてた取引をした。
このままでは日本の商人は世界から相手にされなくなります
全く違う倫理感や道徳を持つ西洋と取引するには近代的な
商売を学んだ人を育てることが必要と思った
学校設立には渋沢栄一氏にも助けられた。
明治33年(1900)大倉商業学校 開校 全国から123人が入学
学者を作るのではなく外国人相手に商売ができる人間を育てる
実践主義 そのため英語教育に力を入れた
授業時間の3分の1が英語
商人の成功の鍵
・正直で約束を必ず守る
・常に前に進む
・早急に結果を求めない

私の夢は幾百の小大倉と幾人かの大大倉が
私の精神を後世に伝えてくれることだ
「致富の鍵」より

WinWinでなければビジネスは成り立たない 渡部志保
大倉は31才の時 鉄砲店大倉屋を開店
「言葉の命を重んずる観念」
「信用なき人は首なき人と知れ」

大正12年(1923)9月1日 関東大震災
七千万円位は失ったがそれはいつか取り返すことができる
惜しいのは美術品だ これは金銭にかえられない
「大倉喜八郎の豪快なる生涯」より

美術品と大倉喜八郎が50年かけて収集した美術品のこと
国宝級のものも含まれていました
きっかけは明治初頭の廃物毀釈運動です。
後世に残すべく借金をしても残そうとしました
その数は3000点以上収集
大倉は大倉邸の敷地内に大倉邸美術館を建て
興味のある人に見せていました。
大倉は大正6年(1917)財団法人大倉集古館を設立
自宅の土地の85%と建物を寄付
美術品600万円(現在の金額でおよそ192億円)
運営基金50万円(現在の金額でおよそ16億円)寄付
一般公開を決定
普賢菩薩騎象像(国宝)を含む多数の重要文化財を所蔵
東洋美術を知るには欠かせない場所と言われています

知恵その二 儲けは社会に返すものと考えろ!

子孫は自ら子孫の計あり 子孫の為に牛馬とならず

子孫には働いて食べていけるだけの
教育を施せば充分である
それ以上計ると奮闘する精神が薄くなって
結果子孫を滅ぼすこととなる
私が一代で儲けた金は国家社会のために投じ
奇麗サッパリの体となってこの世を辞したいのである
「致富の鍵」より

寄付のきっかけを与えたのは渋沢栄一でした。
渋沢は東京市養育院の院長を務めていました。
それを知った大倉は賛同し寄付を申し出たのでした。
自分が成功したのは自分だけの力ではないという考えからでした。
広い意味での社会の力 そういう意味から社会に還元した
東京慈恵会(有志共立東京病院)では渋沢が副会長で
大倉が理事となって経営を支援しました
渋沢が70歳で一線を退くと3歳上の大倉は
渋沢さんは渋沢さん私は私
大倉は中国での製鉄業に乗り出します。
山形有朋に言った言葉
見込みがあると信じ出資したのです
まあ見込み外れということもありましょうが
79歳で大正4年(1915)中国での製鉄会社の火入式に参加
鉱山開発・製材事業にも着手
つぎ込んだお金は4千万円(現在のお金でおよそ670億円)
中国での事業は製鉄業以外は好転することはなかった
その製鉄業は現在も稼働している
今尚、大倉の写真が飾られている

昭和3年(1928)4月22日 大倉喜八郎没(享年92)
告別式には1万1千人が参列
会場でひときわ目を引いたのは91本並べられた中国の弔旗
日中の発展に尽くした大倉を偲んだものだった

渋沢の書いた大倉像
この人は商人ながら尋常一様の人ではない
ただ金儲けにばかり腐心して
他を顧みない商人とは選を異にしている 
その人もついに逝った
「鶴翁餘影」より

全人類に対しての法師が当たり前
中間層の育成も後々会社の利益になる

自分の力が4分 社会・国の力が6分と大倉は考えていた
亡くなる2週間前にも社会の為に尽くしたいと言っていた
金は循環させなくてはならない
この考え方はウォーレン・バフェット(投資家)と同じ
現在99%を返している 自分は1%で十分と言っている
ビル・ゲイツのような金持ちにもその約束を広めている

大倉家には家憲がない
The Giving Pledge
億万長者が資産の寄付を宣言する活動

寄付、慈善事業、官民連携、SDGSなど現在に通じるものである 渡部志保
大倉とエジソンは文通をしている
エジソンは16時間働いていた
大倉と意気投合して死ぬまで働こうと言いあった
エジソンとエールの交換をしている
大倉さんは今も生き続けていると感じた パトリック・ハーラン

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