面白がれる能力持ちて冬日向
デザインは判断力と龍の玉
霜の夜や辛いときほどスキルアップ
冴ゆる夜を衣纏った下品かな
■日曜美術館 熊野 聖なる謎~神の像・神の宝~
全ての命の源である水 万物を生み出し育む母なる力を
この滝に感じていたのでしょうか❓
熊野の聖地を生み出したのは人知を超えた大地のエネルギーだったのです。
此の神の魂を祭るには花の時には亦花を以ちて祭る
「日本書紀」
全てを焼き尽くす火はまた全てを育てる命の源
火への畏怖と恵みへの感謝が満ちていきます
そして山を炎が下って行く遥かいにしえ
熊野の大地を生み出したマグマのように
熊野は聖なる謎に満ちている
■偉人・敗北からの教訓
第71回「吉良上野介・怒りの矛先となった忠臣蔵の敵役」
吉良上野介 敗北の伏線
気付かぬうちに恨みを買うことも
日頃から相手の気持ちを読んだ行動が肝要
吉良上野介 敗北の瞬間
自分の身に危機が迫ったらできる限りの対策をとることが肝要
吉良上野介の敗北から学ぶ教訓
過ぎたるは及ばざるがごとし
■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん【落語家・三遊亭小遊三▽笑点の裏側を公開?】
どんな一日でしたか❓その答えは…。
「明日になってみなきゃ分かんないでしょ!」
昭和の大先輩 三遊亭小遊三師匠の言葉
「寝ていて転んだ試しなし」
■漢字ふむふむ 歴史に翻弄された金字塔
中国で「金字塔」はピラミッドのこと
日本では後世に長く残るような”不滅の業績“
中国でピラミッドを表す「金字塔」という漢字は
19世紀後半に日本に入ってきたと考えられます
「万国史記」(1879年)ベストセラーになり
金字塔が多くの人に知られることとなった
日本でも金字塔はピラミッドのことだった
遣欧使節団 1864年日本人で初めてピラミッドを見学した
この幕末の使節団には福沢諭吉も1862年に参加していた
明治時代中頃に差し掛かると金字塔に新しい使い方が!
ジャーナリスト徳富蘇峰(小説家徳富蘆花の兄)は
イギリスの鉄道工事を目の当たりにして感動!
この言葉にならない驚きを伝えたい そこで閃いたのが金字塔
「金字塔の如く」と例えられた 第二次世界大戦では
世界戦史に不滅の金字塔を打ち立てたのだ
ソ満國境線上空に不滅の金字塔と使われた
戦意や国威の発揚を促す言葉として利用された
つまり後世に残る偉大な業績を表す簡単な言葉として
金字塔は使われいった
いつしか金字塔は”不滅のモノ“”偉大な業績“の象徴として捉え
比喩的な意味を拡大していったのではないかと考えられる
中国で「金字塔」はピラミッドのこと
日本では後世に長く残るような”不滅の業績“
中国でピラミッドを表す「金字塔」という漢字は
19世紀後半に日本に入ってきたと考えられます
「万国史記」(1879年)ベストセラーになり
金字塔が多くの人に知られることとなった
日本でも金字塔はピラミッドのことだった
遣欧使節団 1864年日本人で初めてピラミッドを見学した
この幕末の使節団には福沢諭吉も1862年に参加していた
明治時代中頃に差し掛かると金字塔に新しい使い方が!
ジャーナリスト徳富蘇峰(小説家徳富蘆花の兄)は
イギリスの鉄道工事を目の当たりにして感動!
この言葉にならない驚きを伝えたい そこで閃いたのが金字塔
「金字塔の如く」と例えられた 第二次世界大戦では
世界戦史に不滅の金字塔を打ち立てたのだ
ソ満國境線上空に不滅の金字塔と使われた
戦意や国威の発揚を促す言葉として利用された
つまり後世に残る偉大な業績を表す簡単な言葉として
金字塔は使われいった
いつしか金字塔は”不滅のモノ“”偉大な業績“の象徴として捉え
比喩的な意味を拡大していったのではないかと考えられる
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