2024年12月25日水曜日

日曜美術館 熊野&吉良上野介&三遊亭小遊三&「金字塔」

酸強き甘き蜜柑や傷みあり
面白がれる能力持ちて冬日向
デザインは判断力と龍の玉
霜の夜や辛いときほどスキルアップ
冴ゆる夜を衣纏った下品かな

■日曜美術館 熊野 聖なる謎~神の像・神の宝~
全ての命の源である水 万物を生み出し育む母なる力を
この滝に感じていたのでしょうか❓

熊野の聖地を生み出したのは人知を超えた大地のエネルギーだったのです。

此の神の魂を祭るには花の時には亦花を以ちて祭る
「日本書紀」

全てを焼き尽くす火はまた全てを育てる命の源
火への畏怖と恵みへの感謝が満ちていきます
そして山を炎が下って行く遥かいにしえ
熊野の大地を生み出したマグマのように
熊野は聖なる謎に満ちている

■偉人・敗北からの教訓 
第71回「吉良上野介・怒りの矛先となった忠臣蔵の敵役」

吉良上野介 敗北の伏線
気付かぬうちに恨みを買うことも
日頃から相手の気持ちを読んだ行動が肝要

吉良上野介 敗北の瞬間
自分の身に危機が迫ったらできる限りの対策をとることが肝要

吉良上野介の敗北から学ぶ教訓
過ぎたるは及ばざるがごとし

■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん【落語家・三遊亭小遊三▽笑点の裏側を公開?】
どんな一日でしたか❓その答えは…。
「明日になってみなきゃ分かんないでしょ!」
昭和の大先輩 三遊亭小遊三師匠の言葉
「寝ていて転んだ試しなし」















■漢字ふむふむ 歴史に翻弄された金字塔
中国で「金字塔」はピラミッドのこと
日本では後世に長く残るような”不滅の業績“
中国でピラミッドを表す「金字塔」という漢字は
19世紀後半に日本に入ってきたと考えられます
「万国史記」(1879年)ベストセラーになり
金字塔が多くの人に知られることとなった
日本でも金字塔はピラミッドのことだった
遣欧使節団 1864年日本人で初めてピラミッドを見学した
この幕末の使節団には福沢諭吉も1862年に参加していた
明治時代中頃に差し掛かると金字塔に新しい使い方が!
ジャーナリスト徳富蘇峰(小説家徳富蘆花の兄)は
イギリスの鉄道工事を目の当たりにして感動!
この言葉にならない驚きを伝えたい そこで閃いたのが金字塔
「金字塔の如く」と例えられた 第二次世界大戦では
世界戦史に不滅の金字塔を打ち立てたのだ
ソ満國境線上空に不滅の金字塔と使われた
戦意や国威の発揚を促す言葉として利用された
つまり後世に残る偉大な業績を表す簡単な言葉として
金字塔は使われいった
いつしか金字塔は”不滅のモノ“”偉大な業績“の象徴として捉え
比喩的な意味を拡大していったのではないかと考えられる


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