2024年12月7日土曜日

100分de名著❝百人一首❞(4)時空と国境を超えて

言の葉を視覚に変えん長き夜よ
暮易し闇の生み出す世界へと
日短し命を懸けて遊びます
情報の墓場を照らす寒昴(かんすばる)
黒に見る生のイメージ寒威(かんい)かな

■100分de名著❝百人一首❞(4)時空と国境を超えて
ピーター・マクミラン 伊集院光 阿部みちこ

落語「崇徳院」と「ちはやふる」は3倍くらい上手にやれたはず 伊集院光
「百人一首」は姿を変えて 時代も世代も国境も超えて広まってきた 伊集院光
百人一首の未来の形 英語百人一首かるた 現代におきかえた超訳 ピーター・マクミラン

百人一首の超訳
六〇 古式部内侍(こしきぶのないし)
いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立
(大江山を通って行く、生野の道が遠いので、まだ天橋立を
踏んでみたこともありません もちろん、母からの手紙も見ていませんよ。)
(超訳)別にカンニングしてないし。実力舐めんな。

五 猿山太夫(さるやまだゆう)
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき
(奥深い山で、散った紅葉を 踏み分けて歩いて行き、
鳴いている鹿の声を聞く時は、ますます秋が 悲しく感じられる。)
(超訳)ハロウィンの翌日 渋谷で踏み分ける 大量のゴミ

平安時代は自然の楽しみに満ちている 
今はほぼ都会にいる その溝を感じて欲しかった
環境やアイテムが変わっているけど思いの方は変わらない

三三 紀友則
ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらん
(超訳)このおだやかな春の日に、どうして私の鼻は落ち着きがないのだろうか
落ち着きない鼻 花粉症に置き換えられている
現代の自然環境に対する接触の仕方を表現

九 小野小町
花の色はうつりにけりないたづらに 我が身よにふるながめせしまに
美しい花の色が色あせてしまうことと 
自分の老いを重ね合わせて衰えて言う姿を嘆く歌
(超訳)
私がおばあちゃんになっても
森高千里「私がおばあちゃんになっても」をオマージュ
普遍性がすごく伝わると思う まだ愛されるのか愛してくれるのか
もちろん愛しますよ 余韻を残す
必ず超訳と一緒に現代語訳を まず理解して置き換える
(超訳)このマンションも築20年なんだ あと何年住めるだろう
最後までローンが返せるんだろうか 
普遍的ではない 日本人だけが築20年を古いと思うから
(超訳)新車で乗ってはや一五年 いつまで一緒にドライブできるか
これは普遍的 ルールがないと面白くないと思う
まずフランクに考えてみようという
「私も同じ気持ちになったことある」が大切
なぜ超訳を始めたのか❓
若い人は古典にトラウマがある 受験勉強させられて嫌になった
自分の生活と同じテーマで詠まれていることを理解してもらうため
超訳を作り始めた
美味しものを食べた時に詠んでいた人もいる
スマホには映らない心の部分まで入れてる 交流できる
古典の先入と意識は一緒 お互いがリスペクトできる
読み取った一瞬 自分のその時の感情が一瞬で記憶として残る

国堺を超える百人一首 
英語の百人一首かるたを作成 ピーター・マクミラン
決まり字 歌を特定できる字 有名なのは大山札

五〇 藤原義孝
君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな
一五 光孝天皇
君がため春の野に出でて若葉つむ我が衣手に雪は降りつつ

四〇 平兼盛
しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで
九五 前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)
おほけなく浮き世の民におほふかなわがたつ杣(そま)に墨染の袖
どちらもThough I ではじまり3節目で am try 
競技かるたの醍醐味を英語かるたにも味わえるようにした

三 柿本人磨
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝ん
山鳥の垂れ下がった尾のような、長い長い夜を、
私は寂しくひとりで寝ることになるのだろうか。
順番が溜めによってすごく理解できる 読み方にも意味がある 伊集院光
百人一首はどれも音も素晴らしい 英語で吟じることができること

(超訳)夜を長く山鳥の長い尾を感じさせるため視覚的に尾の形にした
ほぼ同じような音を何回も繰り返すことによって聴覚的な効果を生み出している

百人一首と遠くにありそうなラップみたいなもの
古典と現代に通ずるものもすごく感じる 言葉に対する繰り返しの効果

一〇 蝉丸
これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂(あふさか)の関
これがあの有名な、行く人も帰ってくる人もここで別れては、
知っている人も知らない人もここで会うという、逢坂の関なんだろうなあ。
行き交う動き 出会ったりわかれたりする世界観
一行おきに(単語を)置くことによって動きを表現
新しく感じる 現代語超訳の橋渡しになってくれる 情緒とリスペクト

一六 中納言行平
立ち別れいなばの山の峰に生(お)ふる まつとし聞かばいま帰り来(こ)む
あなたとお別れして、私は因幡の国へと去って行くが、
その因幡の国の稲葉山の峰に生えている松の名のように、
あなたが私を待っていると聞いたならば、
私はすぐにあなたのもとへ帰りましょう。
松と待つの掛詞 英語にも同じ掛詞ができる 
pines松の木 pine人を恋しく思う
今の時代は親父ギャグだと思われる
無理矢理はめたやつは親父ギャグに聞こえる
リズムも意味合いも自然だったら尊敬される

六十 古式部内侍(こしきぶのないし)
大江山いく野の道の遠ければまだふみもせず天橋立
大江山を通って行く、生野の道が遠いので、まだ天橋立を
踏んでみたこともありません もちろん、母からの手紙も見ていませんよ。
掛詞をルビで表現した 
破壊というより広げる

補いすぎると表の意味が逆転する

今後の百人一首の形は❓
これからの一千年は違う国の言葉でリメイクされていく
世界に広まる普遍的な「百人一首」を期待している

私感
ピーター・マクミラン氏の日本へのリスペクトをひしひしと感じました。
感謝の気持ちで一いっぱいです。

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