寒茜生きることへの強き意思
冬の月中興の祖となりにけり
隙間風手間暇かけて生きてます
鐘氷る真直(まなお)に夢二見た女
しづり雪品なきしぐさ言の葉よ
■久夫氏のお見舞い
久夫氏が17日真夜中緊急搬送
18日午後一番に心臓バイパス手術
19日お見舞いへ
久夫氏の笑顔にほっとする。
面会中リハビリの医師より容態の説明を受ける。
その後義兄のリハビリを一緒に体験。
踵上げ体操⇨スクワット⇨柔軟体操⇨Walk(フロアーをかなりのスピードで1Km闊歩)。
こんな有意義なお見舞いは初めてだった。
楽しかった!
次回は紀満子義姉をお連れしなくては…。
■あの人に会いたい
ノートルダム清心学園 前理事長 渡辺和子 1927―2016
シスター渡辺和子さん。
9才の頃、二・二六事件で陸軍総監だった父親を、
青年将校たちによって自身の目の前で殺された。
29才で修道女として生きることを決心。
2012年に出版された『置かれた場所で咲きなさい』では、
“思い通りにはいかない人生でも幸せになれる教え”が、
やさしい言葉で綴(つづ)られている。
人並みならぬ数々の苦難を乗り越えてきた渡辺さんの壮絶な人生を、
哲学に富んだその言葉とともに振り返る。
「置かれた場所で咲きなさい」渡辺和子著
ノートルダム清心学園理事長/幻冬舎刊
何もできなくていい。ただ笑顔でいよう。
たんぽぽの花はばらの花になれない
けれどばらの花もたんぽぽになれない
自分はたんぽぽとしてたんぽぽらしく
一生懸命に咲けばいいんじゃないか
父親は陸軍教育総監 渡辺錠太郎氏
昭和11年ニ・二六事件 2月26日早朝 陸軍の少年将校たちが
渡辺さんの自宅を襲撃 父親が殺害される一部始終を目の前で目撃
「お父様が射殺された現場に渡辺さんいらっしゃったそうですね」
「私いつも父と母の真ん中に川の字になって寝ておりましたから
ちょうど父が外でひどい音がしたのでもう覚悟をしていたのか
起き上がりまして (父は)拳銃をふすまから取り出して 私には
和子はお母さまの所へ行きなさいと そのときには弾が寝間を通っていて
私も弾をかいくぐって 父のそばに戻りましたらば とっても
困った顔をいたしまして 立てかけたテーブルの陰に入るようにと
(父が)合図をいたしまして 私もその場の雰囲気から
陰に入りました途端に 父の真正面のふすまが開き 軽機関銃が据えられて
結局 逃がさないためでしょうか 足を狙い撃ちしまして そのうちに
青年将校や兵隊さんが6~7人 寝間に入っておいでになって
私が物陰から見ていた目の前で 父を突いたり切ったり
最後のとどめを刺して…。
18歳の時カトリックの洗礼を受けます。
父の非常にむごたらしい死を この目で見たので
自分自身が新しい人になりたい(という思いで)洗礼を受けますと言った
ノートルダム修道会 29歳の時でした
人に尽くすことを知っていきました
(昭和38年)36歳でノートルダム清心女子大学の学長になりますが
自分は何をすべきか この時点では試行錯誤が続いていました
道徳の時間では何を教えたらよいのか迷っていました。
そんな時、尊敬する神父から一編の詩が渡辺さんに気づきを与えてくれました。
「髪が植えたところで咲きなさい」
咲くということは諦めることではなく
周りの人たちを幸せにすること
境遇は得られない しかし生き方は変えることができる
幸せを感じられるかどうかは 自分次第…。
本当に目からうろこが落ちた
幸せは自分の心が決めるという言葉があるが
今までは幸せにしてもらうはずだとか
こんなに苦労して分かってくれるはずだとか
それをすっかり変えましてね
発想を転換するとうか そうしたら 学校が明るくなりました
この詩との出会いは これまでの蟠りを拭い去るきっかけともなりました。
それは二・二六事件から50年後のことでした。
昭和61年事件から50年目の法要に父親を殺めた青年将校たちの出席を決意します。
思い切って出かけた将校らのお墓参りで心の変化が…。
安らかにお休みくださいと心の中でつぶやいて 立って
こんなところに長くいる必要もないと思って
とんとんと二段下りてきたら そこで 2人の男の方が涙流して待っていらして
僕は高橋少尉の弟です 僕は安田少尉の弟です
ああ あの時に父のとどめを刺しに来た二人の(青年将校の弟)
本当は僕たちが先に閣下のお墓をお参りするはずなのに
和子さんが先に 兄たちの墓に参ってくださり 本当に申し訳ございません
ところで閣下はどこにお墓をお持ちですかと おっしゃったんですね 二人で
すらすらすらと(お墓の場所を)書き留めてありがとうございましたって
以来 安田さんは毎年欠かさず渡辺錠太郎さんのお墓参りに訪れている
敵さえも愛することができたら 人間にとっては素晴らしいことだと思います
無条件に相手を受け入れることは なまやさしいことではない
けれども その人をじっと見つめて
ああ この人は幸せになる権利を持っている
ようやくこの時に苦しい時にどうすべきか
この難しい問いへの答えをようやく見つけることができました
「人生には穴が開くことがある しかし 人を恨んだり
なぜなぜと聞くのでなくて 穴が開くまで見えなかったものを
その穴から見てやろうと そして 見えるんだと そういうほうへ
自分を切り替えていきたい」
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