2024年11月6日水曜日

名越康文氏 SNSの時代に空海に導かれ

削ぎ落しあるがままなり秋高し
秋晴る音が心を表現す
秋の夜や自分の音を追い求め
秋の空物価高騰ナイジェリア
我が身を切らぬ政治改革夜長

■こころの時代 SNSの時代に空海に導かれ~精神科医 名越康文~
どうせ死ぬのになぜ生きるのか
矛盾 仏教 空海
本尊 如意輪観世音菩薩
岡本児遍照殿 弘法大師像(あすか大師) パンドラの箱
パンドラの箱が開く音が聞こえた 
最後死ぬのに何で人の命を救うのか
「仏陀」増谷文雄・著
仏教への信頼 大きな心の震え 
彼女の死 刻まれた思い
だから生きていくしかない これを解いていくしかない
思春期の精神医学 自分自身を苛(さいな)んでいるのは怒り
大慈悲
月輪観(がちりんかん) 真言密教でのめい想法のひとつ
大日経
三句の法門 菩提心 大悲 方便こそ究竟(くきょう)なり
心の中にあるさびしさに気づくこと
心の中にある痛みを見つめること

動けば変わる
うわさ話は人生最大の浪費
正しさという悪意
文化とは不合理
少数派でい続ける勇気

とげとげしい言葉の正体はさびしさ
怒りに対する武器は慈悲
怒りに満ちたことばの奥にはさびしさがある
心の傷つきがマックスになった時代
祈ることが世界最古で最も強力な心理療法

三句の法門から学ぶ 自分を磨き、幸せになるための心がけ 精神科医 名越康文氏
https://shimbun.kosei-shuppan.co.jp/kouenroku/12258/

■新プロジェクトX オウムVS.科捜研~地下鉄サリン事件 世紀の逮捕劇~
Q.化学は今後どんな存在であって欲しいですか❓
服藤恵三氏 曰く
私の持論として「化学は嘘をつかない」という言葉と
「化学は多数決ではない」という言葉をよく使います。
化学というのは自分では意志がない。
使う人によって悪いことにも良いことにも使うんです。
そこをどう制御するのか❓っていうところがその人間に問われている。
真実を見る目をもっと俯瞰的に全体像を見ながら
この位置づけがどのようなものなのか❓
しっかり把握しながらこれを使わなくてはならない。

2018年7月 麻原彰晃と土屋正実の死刑が執行された。
麻原を尊師と敬う後継の団体は今も活動を続けている

■先人たちの底力 知恵泉 小堀遠州 仕事で輝くためのススメ
本来の日本らしさ ディープな日本カルチャー
世界遺産 二条城 生ける美術館 二の丸庭園を作庭したのが小堀遠州
千利休 古田織部 小堀遠州 三大茶人
詫びの利休 へうげものの織部 綺麗さびの遠州
遠州は 建築家 料理家 行政官 枠にとらわれない幅広さ
雲の上の偉人かと思えば私たちと変わらない人だった
「人手が足りなくて困っている」
「小堀政一書状」より(宇蛇松山城破却について)
見えてくるのは 人間らしさ

村雨辰剛(たつまさ) 青木崇高(むねたか) 橋本麻里 高井正智アナ
華蔵寺(けぞうじ) 愛知県 小堀遠州風

茶の湯の世界で何か新機軸を出す新しい美意識を表現する
そこにワインが入ってくることでパーティーみたいな感じに気分が変わる
そういうことを遠州はやってのけた人

小堀遠州と言えば庭作り 滋賀県大池寺
サツキの大刈り込み 海を表した庭
天龍寺 曹現池庭園 幾何学的なデザインを取り入れた
独創性と遊び心

長年続いた戦国時代 ついに終焉へ 天正7年(1579年)
滋賀県長浜市武家の息子として生まれた
幼い頃、父より茶、書画、和歌などを学び15歳の頃
才能を認められ古田織部に弟子入り 
日本最高峰の芸術的教養を身につけ学芸の道を突き進みます 
26歳の時 突然知らされた父の死 思いもよらない方向へ
徳川家に仕える小堀家の家督を受け継ぐ 茶の湯とは全く異なる仕事
城や寺の造営を手掛ける作事奉行を任される 建築の総合プロデューサー
その上 国奉行という重責も担う
二条城・寛永行幸 徳川幕府の威信をかけた大イベント
朝廷の好みを加え改築すること イベント全体のコーディネートも頼まれる

知恵その一
仕事を真剣にするなら遊び心も忘れるな

自分の好きな分野を生かす 雅な世界 それは大の得意分野だった
鮮やかな唐門 「七五膳十九献立巻」本膳料理 センスが映える
茶会を開催 24回 参加者は延べ100人を超えた
「小堀遠州茶会記集成」茶会というより「打ち合わせ」
朝廷の評価は「これから御所の作事は遠州に頼む」
行幸は大成功を収める

言われたことを熟すだけではなく「自分の得意とする分野」を取り入れ
仕事に彩りを与え大きな成果を上げるという知恵だった

小堀家は元々浅井家に仕えていて豊臣家へ最終的には徳川家に仕えた
一万石の小大名なので大名として大きくなるというより
有能な官僚として仕えて仕事する 基本断ることはない

遠州の精神を広めた意外な理由とは?
茶の湯の世界 58歳の頃から将軍徳川家光の茶の湯 指南役に
寛永の飢饉 

知恵その二
一大事には我欲を捨てよ

遠州は農村運営を知るスペシャリストだった
農村法令の作成 新法令を考案 

支配地の田畑の状態を見回る 郷民には普請等の生業を与える
仕置き悪しき代官を処罰するなど
「小堀遠州の茶会」より(「御当家令状ニ七八」要約)
上記からは大きな責任感が伝わってくる

一年間の空白 茶会は一切開いていない 
疲弊した農民へ全身全霊を注いだ
一年後、堰を切ったように茶会が開催された この茶会が法令を広めた
(法令を)広めることは寛永の飢饉対策奉行として必要だった
茶器に呼んで「法令を広めなさい」と飢饉があって大変でも茶会は必要
彼が愛してやまなかった茶の湯は趣味という我欲を超えて
全国の人を救うための重要手段でもありました
自分の欲を後回しにして人のため全身全霊で役目を果すこと
それが江戸時代屈指の文化人小堀遠州の生き方でした

茶の湯は非公式の大事な話ができる場でもある
遠州はそれをとてもうまく利用できた
茶会を通じて自分の才能を発揮もした

本人の責任感 結果を出す自分
将軍との近さ 人柄も知っているからこそ安心して頼める
求められたら応えていく人物

引退後、大徳寺に庵を構えてという時期もありましたが
最後まで仕事はしていた
「書」の名手 仕事で使う公文書には「御家流」を用い、
茶の湯に関しては「定家流」で記していた 使い分けていた
「官僚としての顔」と「茶人としての顔」を使い分けている
両方を持ちながら生涯を終えた
遠州の茶の湯は遠州流茶道として現在も受け継がれている

日本文化の礎を築いた茶人 小堀遠州の知恵を味わってきた
政治だったり行政だったり担う人が文化芸術の素養を
持っていることが これだけ社会の役に立つ 文化芸術をもっと大事に

映画「素晴らしき哉人生!」(1946年公開/アメリカ)
監督:フランク・キャプラ 不朽の名作として知られる
この映画の主人公に似ていたと、話す青木崇高氏。
茶会で得られるものってすごく実は大きかったりして
人生を豊かにする いろんな関係者を呼んだお茶会っていうのは
今まで習ってきたお茶会とは違った景色で日本をよくするために
集まった同志たちで作った最高のお茶会だったのかもしれない
すごい豊かな人生を歩まれたんじゃないかなと思ったと、青木崇高氏。

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