冬銀河闇に身を置き安堵せり
雪は死を闇は命を育まん
寒き夜や光と闇と風の音
皮膚で感じる不安と歓喜夜長
瞬間を感じた気配冬日没(い)る
■10min.ボックス現代文 武蔵野(国木田独歩)
半ば黄ろく半ば緑な 林の中に歩いて居ると、
澄みわたった大空が 梢々の隙間からのぞかれて
日の光は風に動く 葉末〱に砕け、その美しさ言ふつくされず。
日光とか碓氷とか、天下の名所は兎も角、
武蔵野の様な広い平原の林が隈なく染まって、
日の西に傾くと共に 一面の火花を放つ
というも特異の美観では あるまいか。
「武蔵野」1898年(明治31)に発表
国木田独歩(1871―1908)
新しい見方を新しい文体で表現しました
新しい自然美の発見
楢(なら)の類だから黄葉する。黄葉するから落葉する。
時雨が私語(ささや)く。凩が叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲へば、
幾千万の木の葉 高く大空に舞ふて 小鳥の群れかの如く
遠く飛び去る。木の葉落ち盡(つく)せば、幾千里の方域に亘(わた)る。
林が一時に裸になって、蒼ずんだ冬の空が
高く此上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈黙に入る。
空気が一段澄みわたる。
此茶屋の婆さんが 自分に向て、「今時分、何にしに来たゞア」
と問うた事があった。自分は友と顔見合わせて笑て、
「散歩に来たのよ、たゞ遊びに来たのだ」と答えると
婆さんも笑って、それも馬鹿にしたような笑ひかたで、
「桜は春咲くこと知ねえだね」と言った。
小金井は桜の名所、それで夏の盛に其堤をのこ〱歩くも余所目には
愚かに見へるだろう、しかし其れは未だ
今の武蔵野の夏の日の光を 知らぬ人の話である。
をり〱落葉の音が 聞こえる計り、四辺(あたり)はしんとして如何にも淋しい。
落葉を踏む 自分の足音ばかり高く、時に一羽の山鳩 あわたゞしく飛び去る
羽音に驚かされる計り。
日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れむとする、
寒さが身に沁む、其時は路をいそぎ玉へ、顧みて思はず新月が
枯林の梢の横に寒い光を放てゐるのを見る。
海外文学の影響
ツルゲーネフ 著 二葉四迷 訳 「あいびき」
この中には今まで描かれたことのない自然美が描かれていた
樺(かば)の木立ちも、降り積ッた儘で また日の眼に逢はぬ雪のやうに、
白くおぼろに霞むーと小雨が 忍びやかに、怪しげに、
私語するように バラバラと降ッて通ッた。
自分がかゝる落葉林の 趣を解するに至ったのは奇妙な叙景の筆の力が多い。
これは露西亜の景で而(しか)も林は樺の木で、武蔵野の林は楢の木、
植物帯からいふと 甚だ異て居るが落葉林の趣は同じことである。
武蔵野に散歩する人は、道に迷ふことを苦にしてはならない。
(中略)
武蔵野の美はたゞ其 縦横に通ずる数千条の路を当もなく歩くこと
に由って始めて獲られる。春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、
月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、
ただ此路をぶら〲歩て思ひつき次第に右し左すれば随所に
吾等を満足さするものがある。
■プレバト纏め 2024年11月28日
撮影の休憩で一句
永世名人 千原ジュニアのお手本 俳句史に残る句集作り
冬の暮子役がくれるガム硬し
(子役を入れるだけで撮影現場であることがわかる
硬しという描写が季語を補強している 永世名人らしい一句)
昇格試験 的場浩司
冴ゆる夜や野の石拾う老殺陣師
(冬の季語:冴ゆ 寒さが一層極まった様子 かなりの情報量
17音に入れ込む 説明はできないできない説明を
老殺陣師という下五を置くことで読者に全部想像させている
演者が怪我をしないよう思いを持ってやっている)
1位 野村麻純
缶コーヒー壷装束(つぼしょうぞく)の日向ぼこ
(冬の季語:日向ぼこ 壷装束:平安時代の公家や武家夫人の外出姿
缶コーヒーと壷装束の距離がめちゃくちゃ良い 季語に全てを託している)
2位 松下由樹
足袋重ね自製みそ汁暖を取る
添削(冬の季語:足袋 防寒用の履物 素材がリアル 不要な言葉が1つ
暖を取る状況にある 「撮影の現場」とわかる言葉を入れると良い
上五を字余りにしたので中七下五でリズムを取り直す 俳句の定石の1つ)
ジャーにみそ汁足袋重ね履くロケ現場
3位 西村真二
敵役と輪になりすする粕汁や
添削(冬の季語:粕汁 「すする」無くていい 理由をほのめかす 心遣いの粕汁)
敵役と輪になり晴れ待ちの粕汁
4位 純名里紗
チャルメラの湯気立つ夜空降る笑顔
添削(冬の季語:湯気 ストーブに乗っているやかんから立っているのが湯気。
ラーメンの湯気ではない。)
ラーメンの振舞い極寒のロケ地
5位 石井正則
江戸を出て髷(まげ)で珈琲時雨傘
添削(冬の季語:時雨傘 俳句は文字が全て 「で」は散文的な助詞)
髷のまま珈琲飲みに出て時雨
次回のお題は「銭湯」
0 件のコメント:
コメントを投稿