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■現代文 随筆 生きる喜び さくらさくらさくら(1) 俵万智
学習のポイント
一 三つの話題を整理しよう
二 海外の「桜」の受け止め方を確認しよう
三 「桜」が「女王様」?「歌いにくい花」?
さくらさくらさくら 俵万智
和歌の世界では、「花」といえば すなわち桜のことを指す。
歌人たちに 多くの名歌を詠ませてきた という点において、
桜はまさにナンバーワンの花、堂々たる名花だ。
最近では、さまざまな輸入花を 見ることができるし、
かつてないほど洗練された バラの花や蘭の花を
手に入れることもできる。シクラメンやポインセチアなど、
季節の風物詩として 定着したものである。
が、そんな中にあっても、桜だけは格別という気がする。
何というか、「花」という言葉では くくりきれない、
存在そのものが 果てしない広がりを持った、誠に不思議なものー、
それが桜だ。
けれど桜に対する思い入れは、日本人独特のもののようだ。
以前、デンマークの高校で、日本の古典について話をする機会があった。
言葉は古くなっても、その心情においては 現代の私たちが 大いに
共鳴できるものがある、というようなことを述べ、その例として
「源氏物語」に描かれた「人を恋する気持ち」や「伊勢物語」に
出てくる「桜への思い入れ」などを挙げた。「源氏物語」のほうは、
デンマークの若い人たちにも 分かりやすかったようだ。
が、桜のほうは、どうもぴんとこない という顔をしている。
例えば、と私は、在原業平の次の歌を挙げた。
世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
「伊勢物語」に登場する和歌で「古今和歌集」にも
収められている作品である。
「春になると私たちは、もうすぐ桜が咲くなあと わくわくし、
早く咲かないかなあと イライラもし、咲けば咲いたでうきうきする一方、
風や雨で散ることを心配し、散り始めると がっかりしてしまう…。
本当に桜というのは 私たちの心を振り回すもの。
この世に桜というものがなければ、春の心はどんなにかのんびりと
穏やかなものであろうかー、という逆説的な言い方で、桜のすばらしさと
存在感を たたえているんですね。」
我ながらうまく説明できた と思ったのだけれど、学生たちは
ぽかんとしている。なぜ、大の大人が そこまで一生懸命になるのか、
ずいぶん大げさなんじゃないの、という反応である。
「大げさなんかじゃありません。今だって、毎日テレビのニュースや
新聞で 報道されているんですよ。」と桜前線のことを紹介すると、
今度はぽかんを通り越して、みんなゲラゲラ笑い始める始末。
「花が咲いたとか咲かないとか いった話題を、毎日わざわざニュースで
やるなんて、ずいぶんのんきなんですね。」というわけだ。
そう言われてみると、例えば、チューリップ前線とか、ひまわり前線とか、
そういうことを年がら年中やっているとしたら、これは実に
のんきな感じがする。そういうおかしさを、彼らは感じたのだろう。
でもでも、桜前線は、おかしくないのだ。なんてったって桜である。
桜は、我々日本人にとっては 別格の女王様なのだ。そこのところが、
どうも理解されにくいようだった。しかも、これは デンマークでの
体験ではないのだが、別のヨーロッパの国で、
「何で、あんな薄汚い色の花がいいのか?」と質問されたことがある。
確かに、ピンクといっても、バラやスイートピーのように
はっきりしていない。どちらかというと、ねぼけたような色である。
しかしそれが、日本の春の優しい青空と ぼんやりした空気とに、
実によく合うのだ。例えば深紅の桜なんて、
考えただけでも眩暈がしそうだ。
桜というのは、花だけを取り出して鑑賞するものではないのかもしれない。
桜の咲いている空間ごと、そして時間ごと、
日本の春という舞台の 全てを含めて桜なのだ。という気がする。
学習のポイント
・一 接続詞に注目
話題が変わるとき 逆説や転換の接続詞を置くことがよくある
逆接の接続詞 しかし けれど が でも
桜に対する視点の変化㊀
逆接の接続詞「けれど」
冒頭の文と今出てきた二つの文をつなぐと…
⇩
和歌の世界では、「花」といえば すなわち桜のことを指す。
けれど桜に対する思い入れは、日本人独特のもののようだ。
ところで、歌人にとっては、桜というのは最も歌いたくて、
最も歌いにくい花である。
⇩
これがこの随筆で述べられている 三つの話題
桜の花などなければいいのに
⇩
桜の花ほど素晴らしいものはない
・二 海外の「桜」の受け止め方を確認しよう
・三 「桜」が「女王」?「歌いにくい花」?
桜は、我々日本人にとっては別格の女王様なのだ。
⇩
日本においては、桜があらゆる花とは別格、位相の異なる存在
⇩
そのことを擬人化して表現している
桜は日本の春を象徴する花
⇩既に数えきれないほどの「桜」の歌が歌われており、
「名歌」と呼ばれるものも沢山あるから
花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。
「徒然草」百三十七段 兼好法師
■現代文 随筆 生きる喜び さくらさくらさくら(2) 俵万智
俵万智(歌人) 代表作「サラダ記念日」(一九八七年刊)
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
学習のポイント
一 筆者の短歌 三首を見てみよう
二 「自分の心が散る」?
三 「桜」に対する日本独特の感覚と筆者の考えについて纏めよう
ところで、歌人にとっては、桜というのは最も歌いたくて、
最も歌いにくい花である。歌人と呼ばれるからには、桜の花の歌を
(それもできれば名歌を)ものにしたいと思う。
が、冒頭でも触れたように、既に数えきれないほどの歌が詠まれており、
大先輩の名歌もたくさんある。言ってみれば、日本画家にとっての
富士山のようなものだろうか。
心散るならば 満開の木の下で そっと言われたかったさよなら
散るという飛翔のかたち 花びらはふと微笑んで 枝を離れる
数年前に詠んだ歌である。
自分の心が散る時には、桜の花は満開であってほしい、と思った。
そしてまた、桜の散る様子を見ていると、それは「終わる」という
後ろ向きのものではなく、まさに飛翔しているかのように感じられた。
ならば、今散ろうとしている自分の心も、飛翔へと変えることが
出来るかもしれない…。そんな励ましを、もらったような気がする。
最後に、私が初めて詠んだ桜の歌を一首。
毎年、桜の花の季節が終わると、一つの夢から覚めたような気分になる。
それは芝居を見終わったときの感覚にも似ている。
さくらさくらさくら咲き始め咲き終わりなにもなかったような公園
一 筆者の短歌 三首を見てみよう
心散るならば 満開の木の下で そっと言われたかったさよなら
散るという飛翔のかたち 花びらはふと微笑んで 枝を離れる
さくらさくらさくら咲き始め咲き終わりなにもなかったような公園
二 「自分の心が散る」?
落ち込んだ時を指している 親しい人との別離
三 「桜」に対する日本独特の感覚と筆者の考えについて纏めよう
筆者が訪れたヨーロッパでは受け入れられなかった
日本では普遍的な感性として受け継がれている
源氏物語 伊勢物語といった古典の名作での取り上げられている
桜は私たちの心を捉えて離さない魅力がある
花雫 花灯り 花筏 花の浮橋 いろんな呼ばれ方をしている
人の思いを認めたい 千年前の人の心と共感できる
やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
「古今和歌集」仮名序 紀貫之
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