冬茜心の突起棘のごと
顎上げて視線落として冬を舞う
豊かさを脅(おど)す貧しさ冬の景
冬の空チャリと人生下り坂
冬銀河写生の腕に磨きかけ
■100分de名著❝百人一首❞(2) 古典文学への入り口
七九 藤原顕輔(あきすけ)
秋風にたなびく雲の たえまより もれいづる月の 影のさやけさ
ピーター・マクミラン 伊集院静 阿部みちこ
今回は技法と書くためのルール
技法がわかればわかるほど和歌もより楽しめる
日本独自の美意識「はかなさ」
枕詞
三 柿本人麻呂
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝ん
(山鳥の垂れ下がった尾のような、長い長い夜を、
私は寂しくひとりで寝ることになるのだろうか。)
あしびきのは山・峰にかかる枕詞 この句では山鳥にかかる
十七 在原業平
ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 から紅(くれなゐ)に 水くくるとは
(神代にも聞いたことがない。龍田川の水面に真っ赤な色に紅葉が散り敷き、
その紅葉がつくり出す模様に、川面がくくり染めされたようだ。)
枕詞はちはやぶる。神に対応している。意味は荒々しい様。その意味は
人間の世よりもスケールの大きいい 神々の世ですら聞いたことがない。
掛詞と縁語
掛詞(かけことば)は同音異義語を利用 ひとつの言葉に2つ以上の意味を持たせる
縁語(えんご)は歌の中にある言葉から連想される意味上のつながりのある言葉
八八 皇嘉門院別当(こうかもんいんのべつとう)
難波江(なにはえ)の 葦のかりねの 一(ひと)よゆゑ 身をつくしてや 恋ひわたるべき
(難波江の葦の刈り根の一節(ひとよ)のような、短い旅の仮寝の一夜の契りのために、
我が身を捧げ尽くして、ずっと恋い慕い続けるのでしょうか。)
掛詞はかりね かりねとは「刈り根」「仮寝」
一夜(ひとよ)とは「一節」「一夜」の意味
身をつくしとは「澪標」「身を尽くし」
ここでの縁語は「かりね」「一よ」は葦の縁語
「みをつくし」「わたる」は難波江の縁語
ちはやぶるを使うことで 神々しい世界観に一気に引き込むことができる
連想させる以上に枕詞の力でどっぷり世界観に入ってしまう
他の枕詞
いにしえの⇨奈良
ねばたまの⇨黒・夜 檜扇(ひおうぎ)の黒い実
白妙の⇨真っ白な布・衣
久方の⇨光・空・月・雲・雨
言霊的な時代には相当意味があって「いにしえ」でタイムスリップ
言霊的な言葉の力 魂が持っている強さで
世界観の扉 違う次元の扉が開いてる
日本語という言語の素晴らしさ
同音異義語があるからこそ初めてできる遊び
関連している言葉をつなげる連想ゲーム
枕詞はロケットが発射しているイメージ
世界観が変わった 新しい次元の扉が開く
縁語はバームクーヘン 何層にもなっている 連想の広がりが深まる
縁語は連想ゲーム
リズムとして面白いものを聞きながら自然と風景の中にいる
三分の一以上の歌に使われている技法がある「歌枕」
「名所」を指します 沖の石 鹽竈(しおがま)神社 松島
四二 清原元輔(きよはらのもとすけ)
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
(固く約束したことでしたね。お互いに幾たびも涙で濡れた袖を絞りながら、
あの末の松山を波が越すことのないように、私たちの関係も、ずっと続くと。
それなのにあなたは…。)
ここでの歌枕は「末の松山」あり得ないことのたとえ
逢坂(あふさか)もよく使われる歌枕
一〇 蝉丸
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関
(これがあの有名な、行く人も帰ってくる人もここで別れては、
知っている人も知らない人も ここで会うという、逢坂の関なんだだなあ。)
時代によって置き換えられるのも楽しい
もう一つの技法 見立て
二九 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
心あてに 折らばや折らん 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
(注意深く、折れるなら折ろうか。真っ白な初霜と見分けがつかない白菊の花を。)
白をどうやって美しく表現するか 正岡子規は異議を唱えたらしい
見分けがつかないほど美しい白の重なり
六九 能因法師
あらし吹く 三室(みむろ)の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり
(嵐が吹き散らす三室の山の紅葉の葉は、龍田川に流れてゆき、
あたかも龍田川に浮かぶ錦のように美しことよ。)
視覚的に非常に美しいイメージを引き立てている
スピード感の違い場所の違い共通している紅
日本的な美意識「はかなさ」が反映された最も印象的な和歌と言えば桜を詠んだ歌です。
三三 紀友則(きのとものり)
ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらん
(日の光がのどかに差している 春の日に、桜の花は落ち着いた心もなく
散ることよ。どうして静かな落ち着いた心もなく、あわただしく散るのだろうか。)
ひさかたのは光にかかる枕詞 悠久のや不偏のという文脈で使われる)
日本人は儚いものの中に美しさを感じる
西洋では「美は永遠である ウィリアム・シェイクスピア」
永遠であることに価値を見いだしています。
人が呼吸し、目が見える限り、この詩は生き続け、君に命を与え続ける
西洋では人間には死がやってくるが、神と芸術は永遠に生き続けると考えられている。
はかないからこそ愛でましょう 美しく思いましょうという概念
神は永遠 人間が死ぬ 芸術と美術は永遠に生きる 神に近い存在
日本では桜を擬人化している よびかけている
どうして散っていかなくてはいけないのか❓
擬人化していることは自然と一体化していること
日本独自の美学と美意識が感じ取れる
紀貫之の和歌は映画で言うとフェードインみたいなゆっくり見せている
日本の美は不完全さが好き 詫びの世界とか…。
西洋の美は完全さを求める 完璧さがあるからこそ永遠に生きる
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