モノクローズの果てた鶏頭寒茜
奄美大島異彩を放つノスリかな
モノクローズの枇榔樹(びろうじゅ)の森冬の空
冬陽没る輝き放つアダンの実
一村にとっての宇宙山眠る
■没後10年 高倉健にあいたい
武田鉄矢
高倉健は俳優の絵姿とか映画とかではなく「風景としての日本」を持っている
第一章 迷う
1931年福岡県中間市で生まれる
俳優という仕事がとても嫌な仕事だと思って
生きていくためにはこれしかないと
ほれた女の子と一緒になるには一緒に暮らすには
俳優しかないと思ってなったのですが
生まれて初めて顔にドーランを塗られた日 ポローッと涙が出ました
身を落としたという想いが 胸を衝いたんでしょうか
28歳で人気歌手の江利チエミさんと結婚
姓は横尾で名は忠則 冥土帰りの無宿者「♪横尾忠則賛歌」
「死んでもらいます」とかって 言葉がとても流行ったりして
どの作品やっても毎回ラストには「死んでもらいます」と言う
どうせ嘘のことをやっているんですけど 自分で何か非常に申し訳ないような
お客さんに対してですよ 心がやっていることに乗っかってないと
申し訳ないというような気が すごくしていたんですね
第二章 腹をくくる
武田鉄矢
テーマは「おかえり」なんだよ 人間が生きていく中で
家に帰って「おかえり」と 聞こえることの幸せ
健さんはファーストポジションに立ったっきり じっと立ってるんですよ
4日も5日もですよ 今、暖かい所に行っちゃうと
作った気持ちがきれそうだから 俺やっぱりここで待ってるわ
ファーストポジションにじっと待ってるんですよ
出会う方も初めての方ですし スタッフもみんな初めての人ですし
それは新鮮ですよね
元妻 江利チエミ(享年45)の訃報が届く
その時の住職からの言葉
「往く道は精進にして 忍びて終わり 悔いなし」
この言葉を旨として 高倉健として生きる
佐藤浩市
普段から高倉さんなんですよ 自分がどう思われているのか
それを裏切ってはいけない 唯一無二のスターだった
第三章 人を想う
鳥肌の立つような感動をしたとき ああよかったなって自分で
1本1本やらせていただく作品が とても重くなっている
これから50本60本も絶対できるわけがない もしかすると
今回の作品が最後かもしれない 思いながらやっている
寿命ですか 待ち時間みたいなものを 感じる時期に
なってきているのかもしれないですね
小田貴月(おだたか)さんと出会う
高倉さんが亡くなるまで17年間に渡り私生活を支える
僕は健さんと一緒に仕事ができたことを
一生の誇りとして畑仕事をします
その手紙を嬉しそうに直筆の手紙を読んでいるのを見て
高倉健という人はいろんな人に勇気を与えながら仕事を続けてたんだ
この辺で一度仕事をしておかないと みんな定年でいなくなると聞いて
心を揺り動かされた
「高倉健インタヴューズ」(プレジデント社 刊)
およそ20年ぶりに東映作品に復帰
人生の喜びわ なにかを得る事でわない。
得てから大事にしていく事。「めぐり逢ひ」
一つの約束
「人の心に残る映画を一緒に作りましょう」 チャン・イモウ
真心 思いやり 絆 言葉や国を超えて大切なものを映画で訴えたい
「千里走単騎(単騎、千里を走る。)」
73歳で単身中国へ 日本人出演者はただ一人
中国人は全て素人
お芝居じゃない何かを感じる 非常に新鮮ですね
「お芝居ってなにだったのか」って思う 今頃になって遅いけど
心の栄養をいっぱいもらったね 人を感動させるのはお金ではない
力ではない ものではない 違うものがあるはずなんだよね
何十年経っても「人を想う」」ということが
いかに美しいかってことでしょう 「人間が人間を想う」」
これ以上に美しいものはないよね
人を想い 人の想いに応える ために感性を磨き続けました
2011年3月11日東日本大震災
俳優に何ができるというのだろう?
日経電子版 2021年3月16日
少年が絶対に負けないと全身で訴えてくるようでした
背中に蹴りを入れられた感じ 強烈でした
毎日新聞 2012年7月18日
小田貴月さん
この子の表情を見ていると 自分が何もできないことを
悩んでいることが恥ずかしいと「やればいいじゃないか」って
言われているようの思うと…。
映画「あなたへ」台本の裏表紙にこの少年の写真を貼り撮影に
佐藤浩市
撮影中であれ カメラが回っていないときであれ
やっぱり高倉健さんなんですよ 生き方、佇まいが
「夕飯ご一緒してもいいですか?」お願いをしまして
「佐藤 飲み過ぎだろ」注意されたことを今でも覚えています
「自分は今日、鳩になりました」「あなたへ」ラストシーン
佐藤浩市さんは高倉健さんと共演した最後の俳優になりました
高倉さんとご一緒させていただいて「佐藤とはまたすぐ会いそうな気がするな」
と言われたので 次の作品も声をかけて下さるんだと思って すごくうれしくて
自分に対する期待みたいなものを持たせていただいた
未完の一作「風に吹かれて」東宝が企画し脚本を完成 撮影を始めていた作品
台本に赤鉛筆で印をつけたセリフがあります
人の生き方を少年に伝えるシーン
「分とは自分が持っている器のことだ。大きければいい訳でも、
でも、小さければダメな訳でもない。」
「大事なのは、自分の器がどんなものかを知ることだ。」
体調不良で病院で検査をすると悪性リンパ腫と判明。
闘病中もトレーニングに励み映画出演への想いを持ち続けました。
小田貴月さん
ずっと映画の話をしていたので担当の先生に「次の映画はね…」と
ストーリー全部話しちゃうんですよ 「先生、今度はあそこに行ってね…」
すごく楽しみにしていた 「この映画に出たいので治して下さい」
このお伝えの仕方を繰り返していましたから
しかし高倉さんの願いは叶いませんでした。
2014年11月10日 高倉健(享年83)
「高倉健、最後の手記」(文藝春秋 刊)
亡くなる4日前に綴った最後の手記
最期の言葉は…。
「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いない」
酒井雄哉大阿闍梨が浮かべる満面の笑みとともに、僕に一つ…。
(ここまでしかTV画面には映っていませんでした…。無念…。)
一つの言葉を貫き通した高倉健さんの人生でした。
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