湧き出でる滲むため息梅の雨
梅雨の朝ドラレコ止める駐車場
徹夜明け走る雷うつらうつ
老鶯(らうおう)や昼夜分かたず鳴き止まず
夏の帯締めて背すじの伸ばしけり
■新美の巨人たち【反逆の絵筆!萬鉄五郎「裸体美人」×シシド・カフカ】
アンリ・マティス作「椅子にもたれるオダリスク」
1928年油彩 パリ市立近代美術館
の隣に展示されている萬鉄五郎の「裸体美人」
美術家はまず壷のようなものだと思ってみるとよい。
その壷にアカデミックをだんだんつめ込んで口までになったら
なお山盛りにして棒でうんと押しつけるのだ。
きっと底からはね返してくるだろう。
その力を個性といってもよいのだ。
はね返さないのは無個性の凡くらだ。
(マロニエ 雑感 壷 より)
洋画家 小寺健吉
今考えると誰の作品も記憶にない。只一人 萬君の「草上美人」(原文ママ)
という作品だけが判然と思い浮かべることができる。
といって感心したのではない。余りひどい絵だと思ったからだ。
(雑誌「繪(かい)」1976年より)
東京藝術大学学長 日比野克彦氏
Q.裸体美人について?
黒田教授がいて生徒で萬さんがいて19人中16位?
いま初めて聞きましたけども あっなるほどね腑に落ちるなみたいな
そういう評価だったんだねこの絵は そこまで見えてくるよね
当時の絵として見れば萬さんが描きたかったこととか伝えたかったことは
その当時の一個の基準スタンダードのものとはちょっと違ってたんだろうね
そこがやっぱり個性だし魅力だしアートの一番のみんなと同じものじゃなくて
少しずつ自分なりにズレてくるってところはそれがアートの魅力なので
16位上等だと思います
Q.学校で絵を評価する難しさは?
美術の場合というのは「先生の開発した研究を私も引き継いで
その研究を突き詰めます」っていう伝承の仕方ではない
先生も一作家だし学生といえども自分も一作家だから
その姿は見るけれども同じようになるつもりは毛頭ありません
とはいえ大学とか教育機関は成績をつけるっていうのがあるので
今でも昔と変わらず難しいというか無理な部分はありますよね
萬鉄五郎の言葉
半裸の女が赤い布を巻いて鮮緑の草原に寝ころんでヘイゲイしている図
(中央美術 私の履歴書より)
睥睨 へいげいとは睨むこと
画家は明日を憂いてはいけない。
今日、今、最も忠実でなくてはいけない。
(鉄人独語より)
日比野克彦氏の言葉
これキャンバスに描かれているわけじゃないですか
キャンバスに画材がのっかっている
赤い絵の具がのっかっている
緑の絵の具がのっかっている 物質的にはそれだけ
それを観て「何か面白いな」って思うのは絵がすごいんじゃなくて
こっちの見る方の想像力があるからこそ
ただキャンバスにのっかってる画材が「うわ!」って思うわけですよ
萬さんの絵を観ていつの時代も驚く人たちがいるっていう
その「大衆がすごいよね」っていう言い方も出来るかなと思います
価値観の逆転
大正8年(1919)34歳 神奈川県茅ケ崎で暮らし始める
南画を始める 柔らかくた、おやかに
そして 1885~1927 41歳
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