2024年7月20日土曜日

偉人・敗北からの教訓 第52回「聖徳太子」

梅雨末期存在感を示す蟬
牛蛙おやつ頬張る待ち時間
マーケット冷気を纏い深呼吸
とれとれの保存しきれぬ夏野菜
襲い来る異様な暑さ過疎の街

■偉人・敗北からの教訓 
第52回「聖徳太子・アジアの超大国との外交交渉」

聖徳太子 隋や唐と対等の外交を結ぼうとした人
冠位十二階 憲法十七条 国家の基盤を整えた人物

聖徳太子の栄光と敗北
574年 奈良県明日香村に用明天皇の皇子として誕生
580年(数え年7歳)仏教に関心を持ち読経を日課
曽我氏とともに物部氏と争う丁未(ていび)の乱 
593年(聖徳太子20歳) 推古天皇の摂政となる
冠位十二階 603年(聖徳太子30歳)
憲法十七条604年(聖徳太子31歳)
仏教の普及による国家の安定
寺院の建立 仏教の普及による国家の安定
遣隋使を送り文化や技術を吸収 607年(聖徳太子34歳)
日出つる処の天子 607年(聖徳太子34歳) 日本に勅使と国書
聖徳太子の敗北 隋に見下された日本
成功の裏に隠された敗北
何故聖徳太子は敗北を喫したのか❓
豪族が各地に割拠して国家としては非常に未成熟な状態
620年蘇我馬子とともに「国記」「天皇記」を編纂
622年(聖徳太子49歳)斑鳩宮にて死去

天皇は畿内の豪族たちの盟主的な立場だった
隋が仏教を国教にしたことでアジア全体に広がった
宗教は政治・社会・文化に大きな影響力を持っていた
渡来僧は仏教の知識だけではなく
科学技術・医療・建築・土木あらゆる知識を持っていた

敗北の伏線~聖徳太子の目指したもの~
三宝とは仏・法・僧
「以和為貴」この国には和の心こそが何より必要だ
・仏教を学び広めることで秩序ある国家を創造する
・朝鮮半島での地位を向上させ貢物を得て中央集権体制を築く

聖徳太子 敗北の伏線
・大きな変革には外部から新たな知識や情報を手に入れることが必要
・情報や資源の入手経路を安定的に確保する

理のある国家だと隋に示すための大事業
日出づる処の天子 書を日没する処の天子に致す
なぜ倭の蛮族が天子を名乗っている 世に天子はワシ一人だ
隋から返答の国書
皇帝からの国書 勅使 裴世清(はいせいせい)
隋に完全に見下されていた
裴世清は親善とは異なる使命を受けていた
尚書祠部(しょうしょしぶ) 礼儀を司る役職
小野妹子は国書紛失の罪は許され 後に最高位 大徳を授かっている
この事から国書の紛失はわざとだった
遣隋使は屈辱的な敗北に終わった

聖徳太子 敗北の瞬間
・強大な相手に対して身の丈に合わない関係性は意味をなさない
・本来の目的達成が重要

敗北をももたらしたもの~聖徳太子のレガシー~
日本の政治に根本的な変化を与えた
遣隋使前 夜に「祭事」を行っていたが
遣隋使後 朝に「政」を行うようになった

後に太子信仰と呼ばれるようになった
「和を以て貴しと為す」の解釈
あえて「以て」という言葉が入っている
ここに深い意味があると思う
当時の官僚 大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)・
国造(くにのみやつこ)が自分の利益ばかり追求している
議論や訴訟が物別れに終わりそうになっても
和の精神を貴び歩み寄りを見せてくれ

聖徳太子の敗北から学ぶ教訓
相手の気持ちを洞察するべし

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