夏の夜や痛みとうまく付き合えぬ
幸せは掴み取るもの夏の雲
緊張の中の余白や雲の峰
燕の子猫の餌食となりにけり
鳩の巣や猫の一撃受けにけり
■こころの時代
ひとりで生きる みんなで生きる 作家・若竹千佐子
2018年にデビュー作『おらおらでひとりいぐも』で
第158回芥川賞を受賞した作家の若竹千佐子さん。
作品は、専業主婦として暮らすなかで抱えてきた葛藤や最愛の夫との
突然の死別から立ち直った自らの経験がベースとなっている。
その若竹さんが新たな作品の舞台に選んだのが、出身地である岩手県遠野市。
自己を深く見つめつづける若竹さんの創作を通して、老いや孤独、
生死の問題とどう向き合って生きていけばよいのか考える。
「おらおらでひとりでいぐも」
あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼかおがしくなってきたんでねばが
どうすっべぇ、この先ひとりで、如何にすべがぁ
如何にもかじょにもしかたなかっべぇ てしたごどねでば、なにそれぐれ
だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから。
おめとおらは最後まで一緒だがら あいやぁ、そういうおめは誰なのよ
決まってっぺだら。おらだば、おめだ。おめだば、おらだ。
「おらは独りがいい 独りがいい 独りは気がそろう」
「ちさちゃん(結婚)決めっぺ」
「おまえは この家のために 何にもならなかった」
「終焉の日」
仕事は限りなくある やればやるほど出てくる
やった端から出てくる出てくる やってもやっても間に合わない
やってもやってもお気に召さない 仕事いっぱい、
私いっぱいいっぱい 仕事、仕事、だが、賃金なし、
無報酬で仕事と言えるか 私やりたい、こうしたいああしたい
いっさいなし、じかんなし、ゆとりなし もう、
一切のしがらみを捨てろ。一番大事なものを、大事な順から捨てろ。
親を捨てろ、子を捨てろ。自由だ、自由だ、自由に生きてやる。
夫 和美さん(享年59)20009年 交通事故により逝去
「ドラゴンボール」
小さなアパートに にぎやかな曲が流れている
年若い夫婦と小さな子供の三人家族が住んでいる
そうさ いまこそ アドベンちゃん
小さな息子にはadventureは自分と同じかわいい男の子の名前なのだ
息子のかわいらしい勘違いを笑いながら妻は傍らの夫にささやく
「ねぇ わたしたちも永遠の命がほしいと思わない」
肯定の返事が今すぐにでも聞けると思いながら
「いやだね 永遠の命があれば 俺は永遠に働きつづけなくちゃならない」
目を丸くする妻に 夫は優しい目でさらに言う
「終わりがあるからいいんだよ 終わりがあるから 今 頑張れる」
歳月が流れる 風のように 雲のように
一戸建ての家には中年の夫婦と高校生の息子 小学生の娘が住んでいる
年々膨らむ教育費をあがなうために 妻は外に働きに出る
働くということがコップ一杯の喜びとコップ百杯の忍耐とで
出来上がっていることに 妻は気づく
疲れた妻は夫にささやく 「ねぇ 永遠の命なんていらないよね」
「あはは やっと俺の気持ちが分かったか」
そして 変わらぬやさしさで妻にこう言う
「終わりがあるからいいんだよ 終わりがあるから 今 頑張れる」
歳月が流れる 風のように 雲のように
がらんどうの 静かな家の中で
独りになった妻は夫の遺影に向かってこう叫ぶ
「永遠の命なんかいらない 今すぐ
今すぐ あなたのところに 私を連れて行って」
写真の夫は やさしく妻に微笑みかける けれども何にも答えない
妻はなおも懇願する 夫は何も答えない
眠れない夜 浅い呼吸のそのうちに
それでも朝はやってくる 残酷な朝はやってくる
独りになった妻には 一日は永遠のように長いのだ
「秩父春風馬提曲 第三章」
あの人が死んでしまったんだ あの人が死んでしまった、
道々の木に呼びかけて歩きました。
木が黙ってそれを受け入れて
あたしと一緒に泣いてくれる気がしたのです。
あたしの内側から聞こえてくるあの声
和美さんの声でもあり、あたしの声でもあるのではないか、
和美さんは死んであたしの心と一体となった。
和美さんはあたしの中に生き続けている。
私は私でひとりで生きていく
「おらおらでひとりいぐも」
あのときにおらは分がってしまったのです。
死はあっちゃにあるのでなぐ、おらどのすぐそばに
息をひそめて待っているのだずごどが。
それでもまったぐいっていいほど恐れはねのす。
何故って。亭主のいるどころだおん。何故って。待っているがらだおん。
おらは今むしろ死に魅せられているのだす。
どんな痛みも苦しみもそこでいったん回収される。
死は恐れでなくて解放なんだなす。
これほどの安心ほかにあったべか。
安心しておらは前を向ぐ。おらの今は、こわいものなし。
桃子さん(1作目)の亜流じゃない小説を書きたい気持ちになりました
「かっかどるどるどぅ」共に生きる意味
ねぇ、家族ってさ、血がつながらなくっても、家族になれないかな。
みんなで一緒にご飯を食べてさ、笑ってられたらそれでいいんだ。
一緒にご飯を食べる人がいるって、それだけで幸せなことなんだ。
ゆるくつながる人間関係があればそれでいい、
それがあたしの考える家族だ。
オシラ様 馬と娘が悲恋の末に昇天し 神様になった
語り部 細越澤史子さんのお話
そうして この80になった婆様 やっとご あの世さ行っだど
毎日あの世で歩ってらず ある時 その若けぇ者さ ばったり行ぎ会ったずもな
「あやぁ おめさん 何故それの誰それだなぁ おらなぁ おめさんと
添い遂げるべと思って やっとあの世さ来た な おれと一緒になんべぇ」
そうしたどころぁこの兄コ 「何した?あらまだ二十歳だ
とってもおめえなどと一緒になってらいね」
そう言って行ってしまったんだど さぁ この婆様
泣いで泣いで泣いでらったずんどもは 諦めて天の川さ身を投げて
それが今あやめの花になって 咲いてんだとさ どんとはれ
供養絵額(くようえがく)
六角牛山(ろっこうしさん)
遠野は若竹千佐子女史にとって心の帰属する場所
老いることは経験すること 解ること
解ることは楽しい だから老いることも楽しいんだ
「母に会う」
母に会うのは正直嬉しさ半分、気の重さ半分なのだった。
この前会ったときは 私のことが分からなかった。
本を見せて、「これおらが書いた」というと
本を手にとって、帯をすらすらと読んだ。
「六十三歳の新人、新たな老いを生きる…」
裏表紙のあらすじを読むのもよどみない。
前会った時、ボケていたのがうそのようだ。
別れ際、私は四十年間言いたくても言えなかった言葉を口にした。
「仕事にいぐから」
母は満足げに「いげ」と言った。
母トミさん 2019年 永眠
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