2024年6月24日月曜日

100分de名著 宮本常一「忘れられた日本人」(3)無名の人が語りだす

夏の原強き陽射しと対峙せり
サンバイザー日除けとならずうつむかん
夏座敷足投げだして深呼吸
山笑うルソーも笑う緑かな
夏の鉢消えてしまったミニトマト

■100分de名著 宮本常一「忘れられた日本人」(3)無名の人が語りだす
畑中章宏 民族学者
土佐源氏 宮本常一の代表作

私たちが教科書で習う歴史は貴族や武士が文字で記録した話
その一方で庶民が歴史の中に記録されるのは
災害や飢饉の時に死んだ人の数で語られるだけ
小さな歴史

あんたなどこかな?はァ長州か、(中略)
あんたもよっぽど酔狂者じゃ。
乞食の話を聞きに来るとはのう…。(中略)
しかし、わしはあんたのような物好きにあうのははじめてじゃ、
八十にもなってのう、八十じじいの話をききたいというて
やって来る人にあうとは思わだった。
しかしのう、わしは八十年何もしておらん。
人をだますこととおなご(おんな)をかまう事ですぎてしもうた。
わるい、しようもない牛を追うていって、
「この牛はええ牛じゃ」いうておいて来る。
そうしてものの半年もたっていって見ると、
百姓というものはそのわるい牛をちゃんとええ牛にしておる。
そりゃええ百姓ちうもんは神さまのようなもんで、
石ころでも自分の力で金にかえよる。
そういうものから見れば、わしら人間のかすじゃ。
ただ人のものをだまってとらんのがとりえじゃった。
「おかたさまおかたさま、あんたのように牛を大事にする人は
見たことがありません。どだい尻をなめてもええほど
きれいにしておられる」というたら、それこそおかしそうに、
「あんなこといいなさる。どんなにきれいにしても
尻がなめられようか」といいなさる。
「なめますで、なめますで、牛どうしでもなめますで。
すきな女のお尻ならわたしでもなめますで」いうたら
おかたさまはまっかになってあんた向こうをむきなさった。(中略)
牡牛は澄ました後牡牛の尻をなめるので
「それ見なされ…」というと「牛のほうが愛情が深いのか知ら」
といいなさった。
わしはなァ その時はっと気がついた。
「この方はあんまりしあわせではないのだなァ」とのう。
わしはなァ、人はずいぶんだましたが、牛はだまさだった。(中略)
女もおなじで、かまいはしたがだましはしなかった。(中略)
ああ、目の見えぬ三十年は長うもあり、みじこうもあった。
かまうた女のことを思い出してのう。
どの女もみなやさしいええ女じゃった。
土佐源氏

立川志らく師匠の朗読を聞いて感想
(宮本に)心を開いて話し始めてエンジンがかかっていく感じ
落語に通じるものがある(伊集院光氏)
はみ出した人間の語りを生かそうとしている
こういうことはこれまでの民俗学にも歴史書にもなかった(畑中章宏氏)

「土佐源氏」は存在したのか?
「土佐源氏」は実際に検証が行われていて
モデルの人物はいたが一部創作が指摘されている
科学的に検証できないが庶民がそういう体験をしたという
言い伝え自体が重要
ばくろうの人から各地で話を聞いて「
土佐源氏」という1つのキャラクターにした
民俗学の聞き書きの場合脚色して虚構化する語りが認められている
わざわざ訪ねて来てくれた宮本に対してサービスをして
話を盛ったり仲間の体験した話を
自分のことのように話したのかもしれない

伊集院光氏
宮本を前に喋ることがうれしくなったおじいさんが
自分の思い出とごっちゃになっている
色々なものをどんどん提供している
聞く側が奥行きをどう感じるかが大切でそれが全くないと「報告」

なぜ「土佐源氏」を書いた?
ばくろう(移動しながら牛馬を扱う仕事を生業としていた人
不定期にやって来て物を売り芸を披露して
去っていく人々が見過ごされてきた
宮本常一は社会の周縁にいる人々にも社会の構成に含まれている
私たちの一部であることを示そうとした

伊集院光氏
世の中のメインから外れた暮らしをしている人の集合体
「小さな歴史を忘れてもらっちゃ困るんですけど」
「おまえこれを『いない』とは言わせないぞ」

間もなくこの人々の代筆を私がするようになる。
手紙も読んであげねばならぬ。
三十代の人でも字を知らない人がある。(中略)
長屋の人たちは悪い人はいなかった。
しかしみな気が弱く小さかった。
人の邪魔にならぬように精一ぱい生きているのだが、
みな袋小路へ追いつめられて生きているようで
新しい世界をきり拓くことを知らなかった。
私はそうした現実に義憤をおぼえるよりも、ここにまた一つ
世界があり秩序があり、それなりに生きている姿に
いろいろのことを考えさせられたのである。(中略)
そういう人たちを内包して生活している社会が、
政治社会の外側に存在していた。
その人たちの生活を向上させる方法はないものであろうか。
慈善事業としてでなく、自分たちで起(た)ち上って
いくような道はないものかと考えた。
「民俗学の旅」より

周防大島の場合には島民の間で
大きな経済格差や貧富の差はなかった

伊集院光氏
「ただそこで隠れているか」というとそういうこともなくて
一方的に「かわいそうだ 気の毒だ」と思ったわけでもない
慈善事業としてこの人たちを助けるのも違う

攻撃しあったりするのではなく調和や助け合いで維持されている
階層構造を革命的にひっくり返すのではなく相互扶助によって
それぞれの階層が全体に豊かになればいい

小笠原(中略)あんたが、下の田ではたらいているときに、(中略)
今夜は戸をたててはいけんぞ(中略)、というて、表のあかりが
見えるようにしておいた。
金田金 へえ、そうじゃったのかのう。わしはまた、あの家は
いつでも夜おそうまで表にあかりをつけてくれているで、
鍬先が見えるもんだから夜おそうまで仕事ができてありがたかった。
宮本 この座談会でそれが語られるまで、一方はその好意を相手に
つたえておらず、相手の方は夜のおそいうちだと
思いこんでいたという事実である。
村共同体にはこうした目に見えないたすけあいがあるものだと思った。

「名倉談義」の意図
「民衆は常に搾取されて虐げられてきた」
という歴史観が学問の世界を覆っていた
貧しい村でも相互扶助で飢餓のような事態も乗り越えて
今日まで生きながらえてきたという無名の人々の歴史があった

伊集院光氏
貧しい農民は搾取され続けるか
談判や反乱を起こして権利を勝ち取るか
二択ではないという提案を宮本はしている
緩やかな助け合い

ある朝のことでありました。
目がさめて何気なく見ると、
あの家に後光がさしているではありませんか。
わたしはおどろきましてな。それも実は何でもない事で。(中略)
朝日が出て、その光が水のたまった田にあたって、
和さんの家へあたります。あさひが直接にもあたります。(中略)
それがあの家をかがやくように明るうして、中二階のガラス障子が
それこそ金が光るように光ります。(中略)
まァとにかくおどろきましね。
この家はこれからきっとよい事があると思いました。
ここでこうして見ておりますと、言葉一つかわさなくても、
どの家がどういう風か手にとるようにわかります。
そしてみんなの家によい事があると、ほっとするのであります。
何と申しましても村の内が栄えるのが一ばんよい事であります。

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