潮明寺雨に打たれて七変化
夏の風四葩の花の朝露を
鴬に負けじと鳴かん夏の鳥
いざ行かんドクターヘリと夏の鳥
杖ついて停車をさせる夏の道
■こころの時代
ヴィクトール・フランクル(3)豊かさの中の「空虚」
小野正嗣 勝田芽生
人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある。
それは、生き延びる見込みなど皆無のときに
わたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ。
「霧と夜」ヴィクトール・フランクル
生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、
自分が存在することの意味をなくすとともに、
がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。
そのような人々とはよりどころを一切失って、
あっという間に崩れていった。
「霧と夜」ヴィクトール・フランクル
「意味」の喪失感は今日非常に増えています
とりわけ若者の間に広がっています
それは空虚感を伴うことがよくあります
昔のようにもはや伝統的価値観が
何をすべきかを教えてはくれません
今や人々は基本的に何をしたいのかさえも
わからなくなっています
フランクルの初めての著作 「医師によるメンタルケア」
ピッターマンは、無理やり私に白紙の書式に署名させ、
後でそれをウィーン神経科ポリクリニックの
空きポストへの願書に書き変えた。
かくして、それからの二十五年間、
私はこの病院の部長を務めることになったのである。
「フランクル回想録」
多くの患者たちが病院や診療所に殺到して空虚感を訴えています。
彼らは無意味感を訴えるのです。
それは感情的、あるいは精神的な疾患ではなく、
実存的絶望であり、精神的苦痛なのです。
「意味喪失の時代における教育の使命」
國學院大學での言葉(1969年)より
私はドイツ オーストリア スイスの学生にも調査を実施しました
25%の学生が無意味感を抱いているという結果でした
アメリカの学生ではそれが60%でした
生きていることが明らかに無意味だと思い絶望感を抱いたとしても
若者たちはそれを恥じることはありません
生きることに意味があるかどうかを問うのは人間の特権です
生きる意味が開示されるまで忍耐強く待てばいいのです
意味の喪失感
埋めたい空虚感 空洞は埋められない 過剰自己観察
発信することが目的となる
人の悲しみはジークムント・フロイトは過去が原因と捉えた
心が満たされていない時、過去の悲しい出来事が蘇ってくる
このように考えることは、ある岩が姿を現して
目に見えるようになることが
引き潮の原因だとしてしまうのと同じことです。
実際には、引き潮のときにこの岩が
水面に現れてくるだけのことなのです。
これと同じように、
何らかの劣等感や葛藤、問題やトラウマも
それ自体が病気の原因なのではありません。
不安と憂慮に駆られているので、
このようなことを絶えず考えてしまうのです。
「Theorie Therapie der Neurosen」
実存主義 マルティン・ハイデッッガー カール・ヤスパース
カミュ サルトル ポンティ 大江健三郎 は
虚無的な実存主義 悲観的な実存主義
フランクル ヤスパース は 肯定的実存主義
Existere 実存 Ex 外に sister 立つ
実存主義では運命に過去に支配されない自分が重要
精神的次元 コペルニクス的転回 天動説
ここで必要なのは、人生の意味に対する
問いかけ全体を方向転換させることです。
私たちが自分で学び、さらに絶望している人たちにも
教えなくてはならないのは、私たちが人生から何を
期待できるか、というのが重要なのでは決してなく、
むしろ、人生が私たちから何を期待しているかが
重要だということなのです。
つまり、人生の意味を安易に問うのはもうやめて、
自分自身が人生から常に問われているのだと自覚しよう、
ということです。
「夜と霧」
アンテナのことを「良心」とフランクルと呼んだ
良心とは意味を受信する器官
良心をしっかり立てて常に磨いておかなくてはならない
良心とは他者との関係のときに使う眼差しであり配慮
「苦悩に意味は何に苦悩するかではなく
どのように苦悩するかの中にあるのだ」
Viktor E.Frankl
いまの時代 自分の人生の「憎しみの連鎖」に
意識的に目を向けることが重要です
ロゴセラピーは他人の人生、人の存在を大切にすることは
自分の人生をを大切にしている事と同じ
まなざしの循環 精神性の循環
自分で自分を教育する
死を考えるとき自分がどう生きるか?を考えること
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