恐竜とパン食いリレー夏祭り
恐竜と夏を競わん阿波勝浦
女子旅へ義母と娘とかしましく
背おう娘の手を引く義母の5月晴れ
移ろいゆく人の心と七変化
■知恵泉 悪評なんかぶっ飛ばせ❝自分流❞を見つけ出せ 織田信雄
「不覚人」といえば、旧織田家臣団のなかでの
信雄の異称のようなものであった。
臆病なくせに欲だけは人なみ以上にあるため、
見えすいた餌でも飛びつくところがある。
司馬遼太郎著「覇王の家」(下)新潮文庫
不詳の子とは、信雄のことだ。
あれは、お人よしを通り越して、馬鹿じゃよ。
稀代の馬鹿者じゃよ。
吉川英治著「新書太閤記」
信長の子・御本所(信雄)はふつうより知恵が劣っていたので(後略)
ルイス・フロイス著 松田毅一・川崎桃太訳「完訳フロイス日本史③」
持っていない男だと思われていました。
未来を見据えたイイ仕事はいつか評価される
信雄の場合400年後に評価され始めました
御本所(信雄)はふつうより知恵が劣っていたので、
なんらの理由もなく、彼に邸(やしき)と城を
焼き払うよう命ずることを嘉(よみ)し給うた。
城の上部がすべての炎に包まれると、
彼は市(まち)にも放火したので、その大部分は焼失してしまった。
宣教師ルイス・フロイスの記録より
ルイス・フロイス著 松田毅一・川崎桃太訳「完訳フロイス日本史③」
悪口を言われても命あっての物種
慶長19・20年 大阪の陣 幕府の勝利 豊臣家は滅亡
信雄は大和国(奈良)と上野国(群馬)の合わせて五万石の領地が与えられた
寛永7年(1630)織田信雄 死去(享年73)
のらりくらりと戦国時代を生きた
この生き方も確かにありだな
秀吉も死に家康も死に、孫の家光の時代まで生きていた
長生きということで言えば勝者
戦って潔く負けることが侍の見事さだった
今の時代になると色々な生き方が認められている
こういう生き方が見直されている
時代とともに信雄が評価されるっていうのは面白い
信長は長男である信忠に家督を譲るつもりで帝王学を信忠に授けていた
信雄は次男なので教わっていなかった
信雄の四男 信良が上野国 五男が大和国の所領を受け継いだ
豊臣家は滅んだが織田家は明治維新まで存続した
■名言
ニーチェ 曰く
「怪物と戦う者は、その際
自分が怪物にならぬように気をつけるがいい
長い間、深淵をのぞきこんでいると、
深淵もまた、君をのぞきこむ。」
エレノア・ルーズベルト 曰く
「あなたの心が正しいと思うことをしなさい
どっちにしたって批判されるのだから。」
ヘミングウェイ 曰く
「釣れないときは
魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。」
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