2024年5月11日土曜日

100分de名著 トーマス・マン「魔の山」(1)

状況倫理という逃げ道薄暑
夏きざす水(現実)が空気を作りをり
夏場所や虚構の支配機構あり
閉ざされしテーマパークや夏始(なつはじめ)
夏浅し空気の支配から逃れ

■100分de名著 トーマス・マン「魔の山」(1)「魔の山」とは何か
トーマス・マン(1875~1955)
小黒康正 九州大学教授

独特の語り口が魅力 おしゃべり且大切なところで沈黙
国際結核療養所での恋の茶番劇

私たちが語ろうとしているハンス・カストルプの物語は、
彼のためにするのではなく私たちにとって
かなり話甲斐のありそうな物語のためにする。
物語の過去的性格は物語が「以前」に寄り添えば寄り添うほど、
いっそう深まり、完成され、メールヒェンに近づくのではないか。
したがって、語り手はハンスの物語をさっさと
語り終えてしまうわけにはいかないであろう。
1週7日では十分ではなく、7か月でも十分ではあるまい。
まさか7年はかかるまい!(皮肉、これからのことを予告している)
ということで、物語を始めることにしよう。

ハンス・カストルプ 主人公 上流階級出身の青年

故郷や秩序と未知なるものとの間を漂いながら、
彼は自問した。あそこの上ではどうなるのだろうか。
こんな極端なところにいきなり放り出されるなんて、
賢明でもなければ、体にも良くないんじゃないか。
彼は軽いめまいと吐き気に襲われ、二秒間ほど手で眼を覆った。
もっともことなきを得たのだ。
見たところ、登板が終わっていて、峠もいくつか越している。
汽車はいまや平坦な谷合いをのどかに走っていた。小さな駅に着く。
「やあ、きみ、さあ降りるんだ」

ヨーアヒム・ツィームセン いとこ 軍人志望

「ここの連中ときたら時間の扱いが適当なんだよ。
まさかと思うだろうけどね。
3週間なんて連中にしてみれば1日みたいなもんだ。
いまに分かるよ。何もかものみこめるさ。
ここにいると考えなんて変わってしまうんだ」

昔がいつかは限定しない
病気や戦争で多くの人が亡くなる時代
いつの時代にも通用する
上と下の二項対立

「何といい部屋だ!ここだったら優に数週間は過ごせるよ」
「一昨日、ここでアメリカ人女性が一人死んだよ」
とヨーアヒムが言った。
「そのアメリカ人女性はものすごい喀血を二度もして、
それでおだぶつさ。
でも昨日の朝にはもう運び出されて、それから、
ここはむろん徹底的に消毒されたんだ。
ホルマリンを使ってのことだけど、
これがまた使い勝手がいいって話なんだ」
紛れもなく、それは咳だったーそれは男の咳だったのだ。
しかし、ハンス・カストルプがかつて聞いたことのある
他のどんな席にも似ておらず、いやそれどころか、
この咳に比べれば、彼の知っている他のどんな咳も
すばらしく健康的な生命の表れだった。

ドクトル・クロコフスキー 医師

「しかし、そうだとしますと、あなたは大いに研究に値する現象です。
つまり、私はまったく健康な人間になんか
いまだお目にかかったことがありません。
―申し分のない健康を満喫されてください。
おやすみなさい、ではまた!」

深刻な話を淡々と話す

結核療養所での暮らし 優雅な暮し 自堕落な生活の始まり
1日に5度の食事(昼食・夕食はフルコース)
食事の合間は散歩や寝椅子での安静時間
隔週日曜日はテラスで音楽の演奏会

デカダンス(没落)の時空=結核療養所
産業革命を経て都市化が進んだ時代
領土を拡大しようとして領土を巡る対立が出てくる
ヨーロッパの流れに遅れをとったのがドイツだった
国民は国家に役立つ存在でなければならない
世の中の価値規範に背を向ける
そうした生き方が「デカダンス」と呼ばれた
自称「デカダンスの年代記作家」
「ヴェニスに死す」初老の作家が少年にほれ込み没落していく物語
デカダンス(没落)の克服?小説
自覚することが克服の始まり

洗礼盤とめまい

それは、進行しながら同時に止まり、
変転しながら停止することで、
めまいを起こす単調な繰り返しとなった、
夢見心地が半分、不安が半分の奇妙な感情だった。

ハンス・カストルプは、天才でもなければ愚か者でもなかった。
スイッチバックする汽車に乗っている感じ
「ハンス・カストルプ」が意味するもの
時代の閉塞感を個人を通じて描いている

0 件のコメント:

コメントを投稿