振り返るニホンカモシカ夏の雲
美馬の夏低空飛行オスプレイ
むっくりと沸き上がりくる夏の雲
夏の草背を向けあいて離れあい
夏の露静けさきらり東祖谷
■こころの時代 「浦」と兄 歓待の言葉を求めて 作家 小野正嗣
私たちはずっとこの小さな浦に住んでいます。
このくすんだ緑色をした小さな湾にはりついた
小さなちいさな浦に私たちはもう何代も前から生きているのです。
耕すべき土地などほとんどありませんし、
あったとしてもひどく痩せた土なので、
もっぱら甘藷を栽培するばかり、大した収穫は望めません。
贅沢などできないのは当然ですが、贅沢は生きていくことだけを
考えればそれほど必要なものではありません。
みんな等しく貧乏であるということが、おたがいのあいだに
妬みや嫉みといった感情が生まれ根を張るのを
妨げてくれているのかもしれません。
小野正嗣「ブイになった男」
兄の名は「小野史敬(ふみたか)」さん
昔、夫を亡くした女がいた。時が流れ、老婆になった女は
それでも浜辺に立ち寄ることを忘れない。
ある日、人影が見える。老婆は夫がやっと戻ってきてくれたと
涙を流して喜び、その影に向かってせつせつと
一人生きてきたことの辛さや悲しみを訴える。
それを見ていた漁師たちは老婆を哀れむ。
老婆がわれを忘れて語りかけているのは、
海亀の屍肉(しにく)にたかる無数の蠅と蚋(ぶゆ)から成る
揺れうごめく虫柱にほかならなかったからだ。
でも誰に老婆がおかしくなったとか惚けたとか言えるだろう。
小野正嗣「水死人の帰還」
海の向こうに戦争に行っているときは
心のどこかでいつもびくびく怯えていた。
死への怯え、おののきそのものとしてオジイは生きていたからだ。
自分自身の影を見て驚くということもあるかもしれないが、
破れ目なく均質にどこまでも広がる怯えの暗がりのなかでは
足の先を見つめようが振り返って踵の後ろを
探ろうが影など見えるわけもない。
姿形を失おうとも故郷に帰ってこられただけでもいい。
もちろん、たんに帰ってくることができただけでなく
「生きて」帰ってくることができた自分が
そのような幸運にあずかった自分が
異臭を放つ肉の塊に向かってきいたふうな
口をきける筋合いのものではない。
もちろん、それはオジイにもよくわかっている。
それでもシベリアに永久に残された仲間の兵士たちことを思うと、
強い風が吹くたびにほどけ散る黄色い墓石を見つめながらオジイは、
帰ってこられただけでもいいではないか、と漏らさずにはいられない。
穴を掘ろうとしても突き刺すシャベルがぽきりと
折れてしまいそうなくらい硬いシベリアの凍土に埋められた仲間たちは
いくらアイロンをかけようとしても皺のとれない衣服のような皮膚を
直接骨に張り付け、目に入ってくる土にもかかわらず
凍り付いた瞼を閉じることもできず、今なお死んだときの姿を
そのままとどめているのかもしれない。
小野正嗣「水死人の帰還」
さて今、わたしらの町、わたしらの国に来られたからには、
気の毒な人が救いを求めてくれば、当然してあげねばならぬように、
着るものはもちろん、その他何事であれ不自由はさせません
ホメロス「オデュッセイア」松平千秋訳(小野正嗣「歓待する文学」収録)
いまやあらゆるところにつながりどこまでも自在に伸び広がっていく
道路を使えばどこにでも行けたのに、信男がヨシノ婆を
マイクロバスに乗せて行く場所はふたつしかなかった。
くる日もくる日も、波のような律義さで信男といっしょに
海岸沿いの道路を走るマイクロバスは
いつのまにか海とほとんど同じ色になった。
信男がマイクロバスを走らせているのは、けっして海岸線を
縫い合わせるためではなかったのかもしれなかった。
信男は必死で逃げようとしていたのだ。しかし、入り組んだ海岸線を
行ったり来たりすることしか、そうやって結果的に
海辺の土地を際立たせることしかできないのだから、
そして自分という殻のなかだけではなくこの土地にも
閉じこめられてどこにも行くことができないのだから、
いくら運転がうまくてもどうしようもないのだ。
あたかも新道やら高速やらバイパスで外部に開かれることを
余儀なくされた土地が、信男からどんなささやかな出口であれ
奪うことによって復讐を果そうとしているかのようだった。
小野正嗣「マイクロバス」
文治の目にはこの景色が見えているのだろうか。
文治のまなざしを思い出して、ふと尊は思った。
とぼとぼと歩く文治は、まるで外の世界から、
この土地から拒まれているみたいではないか。
でも、ミツコの話から理解するかぎり、文治は緑の山と濃紺の海に
挟まれたこの土地から一度も出ることなく死んだのだ。
生まれてこの方ずっと暮らしたその場所に、
どうして居場所がないなんてことが、あるのだろうか。
文治さんは知恵が足らん人でかわいそうに学校にも
行かれんかったらしい、とミツコは言った。
現実にどこにもいけないのであれば、
せめて心の中ではよそに行ってみたい。
しかし、かりにそう思ったところで、
人から話を聞いてもわからず読み書きもできなければ、
どうやって、ここではない別の世界を思い描けるのか。
外側からも内側からも拒絶されて文治はどこに行こうとしているのか。
どこにも行けないから、いまもなおここにいるほかないのだろうか。
小野正嗣「獅子渡り鼻」
みっちゃんの息子はな、表情に乏しくて、
喜怒哀楽がようわからん子でなあ…。
学校に行けるようになるんじゃろうかって心配し、
行けたら行けたで今度は人並みのことがでくるんじゃろうかって、
また心配してのお…。心配は尽きん。
運動も勉強も人並み以下じゃけど、病気をせんのだけが
取り柄じゃってみっちゃんが言うから、そうよ、そうよ、
元気が一番じゃねえか、
それだけでいいじゃねえかってわたしらも言うたんよ。
いじめられても誰も恨まん、人の悪口も絶対に言わん、
わたしらを見たらいつも嬉しそうに挨拶をしてくるる、
足の悪い年寄り衆のために代わりに墓参りに行ってやる…
そげな子があんたんところの子のほかにどこにおるんか!
わたしらは本当にそう思うておるから…
元気じゃったらいいじゃねえか、
誰に迷惑をかけるでもなし、って言うたらな、
そうかなあ…そうよなあ、えーこ姉、ってみっちゃんが訊いてくるから、
そうよ、そうじゃねえか、ってわたしも言うたんよ。そうじゃねえかって
そしたら、みっちゃんが泣いてなあ…。
泣かんでもいいじゃねえかって言うわたしも泣いておったてな、
一緒に泣いたんじゃ。
小野正嗣「九年前の祈り」
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