走馬灯夢見た景色違えども
万緑へ差し込む光独りかな
青嵐野暮な筆より強き意思
夏の露零(こぼ)るる涙あたたかき
風青し強き風には回れ右
■こころの時代 ヴィクトール・フランクル(2)苦悩を生き抜く
小野正嗣作家 勝田芽生日本ロゴセラピスト協会会長
「駅の看板があるーアウシュビッツだ!」
この瞬間 だれもかれも、心臓が止まりそうになる。
「夜と霧」を著したヴィクトール・フランクル(1905~1997)
わたしたちは自分が身ぐるみ剝がされたことを思い知った。
今やこの裸の体以外、まさになにひとつ持っていない。
これまでの人生との目に見える絆など、まだ残っているだろうか。
必要なのは生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、
むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを
期待しているかが問題なのだ
およそ生きることそのものに意味があるとすれば、
苦しむことにも意味があるはずだ。
「夜と霧」
せっかくの一緒の昼食は台なしだった。
ところが、彼女は私を待っていて、帰ってきた私に
かけた最初の言葉は、「ああ、やっと帰って来たの。
ごはん待っていたのよ」ではなく、「手術はどうだった。
患者さんの具合はどう?」だったのだ。
この瞬間、私はこの娘を妻にしようと決めた。
「フランクル回想録」
フランクルの孫 アレクサンダー・ヴェセリー
私は父に訊いた。
「痛みはまだありますか?」
「いいや」
「なにかしてほしいことは?」
「ない」
私は父に接吻し、立ち去った。
二度と生きている父と会えないのはわかっていた。
「人生があなたを待っている」
父 ガブリエル 母 エルザ 妻 ティリー
アパシー 無関心・無気力
別れるとき、私たちは淡々とお互いを見た。
私は彼女にたとえどんなことがあっても生き抜くようにと言った。
「親衛隊員に体を与えてでも生き抜いてほしいという意味だった…
「人生があなたを待っている」フランクルの伝記 クリングバーグ著
ビルケナウに到着したときに失ったもう一つの宝物は
結婚直前にティリーに贈ったネックレスだった。
そのチャームは小さな地球をかたどっておあり、ぐるぐる回転する。
海はブルーで、「全世界は愛を中心の回る」と書いてあった。
「人生があなたを待っている」フランクルの伝記 クリングバーグ著
わたしの列の男たちがひとりまたひとりと親衛隊将校の前に進み出る。
漢は心ここにあらずという態度で立ち、人差し指をごく控えめに
ほんのわずか こちらから見て、あるときは左に、
またある時は右に、しかしたいていは左にー動かした…。
夜になって、わたしたちは人差し指の動きの意味を知った。
わたしは、収容所暮しの長い被収容者に、
友人のPの行方が分からない、ともらしたのがきっかけだった。
「その人はあなたとは別の側に行かされた?」
「そうだ」
「だったらほら、あそこだ」
あそこってどこだ?手が伸びて、数、百メートル離れた煙突を指さした。
「あそこからお友だちが天に昇っていってるところだ」
「夜と霧」
絶滅収容所
アウシュビッツでの第一夜、わたしは三段「ベッド」で寝た。
一段の、むき出しの板敷きに九人が横になった。
靴は持ちこみ禁止だったが、禁を犯してでも枕にする者たちもいた。
糞にまみれていることなどおかまいなしだ。
こうして、正常な感情の動きはどんどん息の根を止められていった。
「夜と霧」
白昼夢と睡眠中の夢だけが、被収容者たちに
わずかのあいだ過酷な現実を忘れさせてくれた。
いい夢をみるときは、熱いお風呂と、ウィーン時代に大好きだった
甘い菓子のシャウムシュニッテンがたびたび登場した。
「人生があなたを待っている」フランクルの伝記 クリングバーグ著
とっくに感情が消滅していたはずのわたしが、それでもなお
苦痛だったのは、なんらかの𠮟責や
覚悟していた棍棒(こんぼう)ではなかった。
監視兵は、わたしというやつを、
わざわざ罵倒する値打ちなどないとふんだ。そして、
たわむれのように地面から石ころを拾い上げ、わたしに投げた。
わたしは感じずにはいられなかった。
こうやって動物の気を引くことがあるな、と。
こうやって、家畜に「働く義務」を思い起こさせるのだ、
罰をあたえるほどの気持ちのつながりなど
「これっぽちも」もたない家畜に、と。
「夜と霧」
わたしはトリックを奔した。突然、私は皓々(こうこう)と
明かりがともり、暖房のきいた豪華な大ホールの演台に立っていた。
そして、わたしは語るのだ。
講演のテーマは、なんと、強制収容所の心理学。
…このトリックのおかげで、それらをまるでもう
過去のもののように見なすことができ、
わたしをわたしの苦しみともども、わたし自身がおこなう
興味深い心理学研究の対象とすることができたのだ。
「夜と霧」
自己距離化
トイレへ行く時間もなかったから、服に小便をするしかなかったが、
凍てつく外気の中で作業をしたあとはその暖かさが嬉しかった。
スープの列に並んでいるときですら、小便をするのが楽しくてね。
ほんの一瞬だが、温かいお茶をすするような気分だったよ。
「人生があなたを待っている」フランクルの伝記 クリングバーグ著
私は、高熱にうなされながら、
その裏面に速記でキーワードを走り書きしていった。それを助けに、
「医師による魂の癒し」を再構成しようと思ったのである。
私自身について言えば、失った原稿を再構成しよう
という決意が、明らかに私を生き残らせたのだと確信している。
「フランクル回想録」
自己超越
誰かが反対の方向からやってきた。外国人の労働者で彼は手の中で
なにかをもてあそんでいたので、私はなにを持っているのかとたずねた。
そしてそれが「全世界は愛を中心に回る」というまったく同じ言葉を
刻んだ例の地球のチャームだとわかったんだ。
そこでいくらでも払うから売ってくれないかともちかけると、
彼は売ってくれた。
私はそれを大切に保管して、ティリーと再会する瞬間を待ち続けた。
私はとても幸せだった。
「人生があなたを待っている」フランクルの伝記 クリングバーグ著
私は友人のパウル・ポラックを訪ね、私の両親、兄、
そしてティリーの死を報告した。
今でも覚えている、私は突然泣き出して、彼に言った。
「パウル、こんなにたくさんのことがいっぺんに起こって、
これほどの試練を受けるのには、何か意味があるはずだよね。
何かが僕に期待している、何かが僕から求めている、
僕は何かのために運命づけられているとしか言いようがないんだ。」
「フランクル回想録」
「医師によるメンタルケア」ヴィクトール・フランクル著
たとえば、こんなことがあった。
現場監督(つまり被収容者ではない)がある日、
小さなパンをそっとくれたのだ。
わたしはそれが、監督が自分の朝食から
取りおいたものだということを知っていた。
あのとき、わたしに何だをぼろぼろこぼさせたのは、
パンというものではなかった。
それは、あのときこの男がわたしにしめした人間らしさだった。
人間とはなにものか。人間とは、ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として
祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。
「夜と霧」
私の戦争中の体験を聞いてください
テュルクハイム収容所の指揮官で
ナチスの親衛隊長であったホフマン氏のことです
私は知っています
ホフマン氏は町の薬局で自腹を切ってユダヤ人の
被収容者のために薬を買っていました
皆さんの言いたいことは分かりますよ 非難でしょう
「フランクルさん それは例外だということを
忘れてはなりません」と その通りこれは例外です
しかし こうした例外こそが人間には必要なのです
理解し許し和解に至るためには 私たちが多くのことを
ないがしろにしてきたのは事実です
しかし 相手を責める前に まずは心から理解しようとし
思いやってください 今 私たち一人一人の良心は
呼びかけを受けています
誰も家で待っていてはくれませんでした
唯一私を待っていたのは「誰か」ではなく「何か」でした
それはロゴセラピーの本を書くことです
大きな「意味」に応えることや
自分を超えた何かへによって人はより人間らしく
それが人生の苦境を乗り越える支えとなるのです
ヴィクトール・フランクルの肉声より
これこそが次世代に託せる
最も意味のあるものではないでしょうか❓ ルートヴィヒ・ザイツ氏
自分を守るだけのもので幸せにはなれないのでは…❓
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