2024年5月21日火曜日

ロートレックからの招待状(2002年)

恐竜が松茂町を駆ける夏
眉描けど汗に流れてまぬけ顔
柄長(えなが)群れ首をふりふり場所を変え
鳴海織部へ鱧とオクラと梅肉と
松越しの満月浴びん夏座敷

■プレミアムカフェ ロートレックからの招待状(2002年)
父の言葉
息子よ 日光の下で送る生活だけが本物の健康を
育むのだということを決して忘れるな
自由を奪われたものはやがて委縮し死ぬしかないのだ 
狩りは広大な野原での生活をいかに楽しむかを教えてくれるだろう

友人たちに言った言葉
もし僕の足があと少し長かったら絵など決して描かなかっただろう

人はその人生に耐えなければならない

シュザンヌ・ヴァラドン(1865~1938)と同性
モーリス・ユトリロ2才
画家たち(ルノワール)のモデルをしていた
情熱的な関係は2年で終止符

理想ではなく真実を描こうとした醜いものに、
ぼくの筆でつやをつけ丸みをつけ、
ほんの少し輝かせるのが好きなんだ

歌手 イヴェット・ギルベール(1865~1944)
彼女の大ファンだった

人生は醜い、しかし人生は美しい

モデルなんてたいていは人形みたいなものさ
ところがここの女たちときたら生きているんだ

ぼくはようやく自分と同じ背丈の女を見つけた

醜さの中には必ず美しいものが隠されている
誰も見つけないところにその美しさを見つけるのは、実に感動的だ

1902年 ロートレックの父がジョワイヤンに宛てた手紙
私共の息子がつくり上げたものの中に
遺産となるようなものが少しでもあるのなら
喜んであなたにその権利の一切をお譲りいたします
寛大ぶっているのではありません 
あなたは父親の私にかわって息子をあたたかく見守ってくださいました 
死んだからと言ってその絵をにわかにほめさすつもりはありません
しかしあなたは息子の作品を私以上に信じておられます 
このことに関しておそらくあなたの方が正しいのです 

ロートレックは命の限り描き続けた
その思いは父親にも通じていたと、私は信じています。

1922年 トゥールーズ=ロートレック美術館
アルビに完成
美術館の中に掲げられたプレートには
ジョワイヤンの友情に感謝する言葉が記されています

アンリは一枚の作品として残しました
モーリス・ジョワイヤンの肖像

酒からも孤独からも守ってやれなかった 
それなのにこんなにも逞しく描いてくれた
彼の信頼に応えるために私は何ができるだろうか❓

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