2025年1月9日木曜日

渥美清&お賽銭&「名残の空」&「闇汁」&井伊直政&上村松園

寒きびし心を込めた殴り書き
引き算はすべてに通ず明日の春
寒日和手紙の如き俳句かな
冬銀河短歌とラップ飛び跳ねん 
大切に生きてきました冬の月

■渥美清に会いたい 山田洋二×黒柳徹子
1995年(67歳)
どんな所で生まれて何をしてきて
どういう風になったのか 分からない方がいい
だけど現実にその人が舞台に出たり
現実にその人が出てくると 魅入られてしまう
そういうものに俺たちは引き込まれる
スーパーマンの撮影を見ていた子どもが
「飛べ飛べ早く飛べ」って言ったて言うけれども
スーパーマンは2本の足で地面に立っていちゃいけないんだね
だから寅さんも黙っていちゃいけないんでしょう
24時間手をふっていなきゃ

渥美清さんが残したもの 身障者のファンの人へ送ったテープ
僕は寅さんの映画に出ているおじさんです
名前は渥美清と言います
僕は今こうやって元気そうに見えますけど
生まれた時はね1900gぐらいしかなかった
お父さんの片っぽの手のひらの上にちょこんと乗っかったくらいに
それは小さな赤ん坊でした
あまり体が丈夫でなくて小学校も休む日の方が多くて
全部を通して4年ぐらいしか行っておりません
色んな病気をしました
25歳の時は死ぬか生きるかの大きな手術をして
10日間ぐらいは「もう助からない」と言われるくらいに危篤でした
でも体を大切にして一生懸命生きています
僕の体のことだけを家族の人は心配してくれました
僕が自分の体を大切にするということは
家族を大切にすることだと思っています
よしお君も辛いことやじれったいことや
悲しいことがたくさんあるでしょう
でももっと辛い人がいっぱいいます
お家の人の言うことをよく聞いてね
そして楽しく元気に毎日を過ごしてください
それではさようなら

山田洋二監督の感想
芯の方にしみとおる寂しさ

■漢字ふむふむ 再選を競い合う!?

賽は中国では競う勝負を争うという意味
元々賽は神仏に報いるという意味だったが中国では競うに変わった
きっかけは唐の時代 三蔵法師がインドから
持って帰ってきた経典の中に「波羅賽戯」という遊戯があった
6世紀中国では「波羅賽戯」が大ブームになり
かの楊貴妃も皇帝と戯れたといわれている
ゲームが広がり「賽」の「競い合う」という意味が定着していった
一方日本では「賽」の元々の意味が使われ続けられている
中国人は生きた化石だと思っているとか…。

■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「名残の空」

字の時点で名残という部分に情緒感がたっぷりな季語ですね
元々は和歌の世界 しかも古い時代の和歌に
詠まれた言葉だそうです 恋や離別 別れの感情を抱いて眺める
そういう空の意味だったんですけれども 現在ではゆく年を
惜しむ名残のつきない空という意味でこの歳時記には
収録されております 傍題として「年の空」という言い方も
あるのですが どちらも年末暮れてゆく年のことを思いながら
より情緒的に使いたい場合はこの「名残の空」と
いう言い方をすると そんな使い分けになるのかもしれないですねぇ
皆様はこの年末いかがお過ごしでしょうか

■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「闇汁」

闇鍋という言い方の方が耳馴染があるかもしれないですねぇ
よく複数人が集まった時にそれぞれ食材を持ち寄って
真っ暗な中で皆んなが一度に鍋に入れる何が入っているか
分からないものを皆んなで掴んで取り出して食べると
そんな冬の遊びとして愛されている季語ですね
この遊び心というのでしょうか 妙に俳人心をくすぐる
いたずら心をくすぐる季語でもあります
暗黙の了解としてちゃんと食べられる物を入れようね
というのが良識なのかもしれませんが 中にはとんでもない人も
いるんでしょうね 靴が入っていたとか そんな話を
色々耳にしたりもしますけど 昔娯楽の少ない時代には
こうやって冬を過ごしていたわけです

■偉人・敗北からの教訓 第74回「シリーズ東軍・西軍それぞれの関ケ原①井伊直政」
井伊直政 敗北の伏線
大胆な行動力が魅力だが長所が短所になることも

井伊直政 敗北の瞬間
失敗を恐れない行動力が裏目に出てしまった

井伊直政の敗北から学ぶ教訓
大成功を収めた時こそ欲をかいた深追いは禁物

■日曜美術館SPハッピーニューアーツ!
上村松園の言葉 「序の舞」1936年(昭和11年)について
この絵は私の理想の女性の最高のものと言っていい
自分でも気に入っている「女性の姿」であります

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