冬落暉度量の広き人となれ
冬の暮ステッパー音高らかに
為人(ひととなり)知ったところで冬の空
露凍るいつになったら水となる
被布羽織り闊歩する母背を伸ばし
■こころの時代 宮沢賢治
久遠の宇宙に生きる(4)あまねく「いのち」を見つめて
ああとし子
死ぬといふおまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
(あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
宮沢賢治「永訣の朝」
私もあと一年になりましたので
益々心をしめて勉強したいと思ひます。
あたりの人たちを見るといろいろ自分で
新しがったり、利己主義を構へたり
さまざまで御座います。
私は人の真似ハせず、出来る丈け
大きい強い正しい者になりたいと思ひます。
御父様や兄様のなさる事に
何かお役に立つやうに、
そして生まれた甲斐の一番あるやうに
もとめて行きたいと存じて居ります。
宮沢トシ「母への手紙」1918年
化他行 他のためにすること 利他
賢さんについて、私も下駄をはいて
台所口から庭に出ました。
ビチョビチョと降る雨雪にぬれる兄に
傘をさしかけながら、そこに並べてある
みかげの土台石にのって緑の松の葉に
積もった雨雪を両手で大事にとるのを
茶碗に受けて、そして松の小枝を折って、
病室に入りました。
賢治兄さんは何か言いながら
採ってきた松を枕元に飾り、
お茶碗の雪を少しづつさじですくって
食べさせてあげていましたっけ。
父がお医者さまとお話しして来られたのか、
静かにかやの中へ入ってから
脈を調べながら泣きたいのをこらえた顔で、
「病気ばかりしてずい分苦しかったナ。
人だなんてこんなに苦しいことばかり
いっぱいでひどい所だ。
今度は人になんか生まれないで、
いいところに生まれてくれよナ」
と言いました。
としさんは少しほほえんで、
「生まれてくるっ立って、こったに
自分のことばかり苦しまないように
生まれてくる」と
甘えたように言いました。
宮沢シゲ「姉の死」
蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
(あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを…
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あぁあのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
宮沢賢治「永訣の朝」
さつきみぞれをとってきた
あのきれいな松のえだだよ
おお おまえはまるでとびつくやうに
そのみどりの葉にあつい頬をあてる
そんな植物性の青い針のなかに
はげしく頬を刺させることは
むさぼるやうにさへすることは
どんなにわたくしたちをおどろかすことか
そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ
おまへがあんなにねつに燃され
あせやいたみでもだえてゐるとき
わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた
《ああいい さつぱりした
まるで林のながさ来たよだ》
鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに
おまへは林をしたつてゐた
どんなにわたくしがうらやましかつたらう
ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言つてくれ
おまへの頬の けれども
なんといふけふのうつくしさよ
わたくしは緑のかやのうへにも
この新鮮な松のえだをおかう
いまに雫もおちるだらうし
そら
さわやかな
terpentine(ターペンテイン)の匂もするだらう
宮沢賢治「松の針」
人は生まれて死するならいとは
智者も上下一同に知りて候へば
始めてなげくべしをどろくべしとわ
をぼへぬよし
我も存じ人にもをしへ候へども
時にあたりて ゆめかまぼろしか
いまだわきまえがたく候
日蓮聖人御遺文 「上野殿御家尼御前御書」
つぼめる花の風にしぼみ
滿つる月のにわかに失たるがごとくこそ
をぼすらめ まこととともをぼへ候はねば
かきつくるそらもをぼへ候はず
若有聞法者無一不成佛と申して
大地はささば はづるとも
日月は地に堕ち給うとも
しをはみちひぬ世はありとも
花は夏にならずとも
南無幇蓮華経と申す女人のをもう子を
あわずという事はなしととかれて候ぞ
わたくしが樺太のひとのない海岸を
ひとり歩いたり疲れて睡つたりしてゐるとき
とし子はあの青いところのはてにゐて
なにをしてゐるのかわからない
(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
五匹のちいさないそしぎが
海の巻いてくるときは
よちよちとはせて遁げ
(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
浪がたひらにひくときは
その砂の鏡のうへを
よちよちとはせてでる
宮沢賢治「オホーツク挽歌」
かんがへださなければならないことは
どうしてもかんがへださなければならない
とし子はみんなが死ぬとなづける
そのやりかたを通つて行き
それからさきどこへ行つたかわからない
それはおれたちの空間の方向ではかられない
感ぜられない方向を感じやうとするときは
たれだつてみんなぐるぐるする
にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしつて行つたとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた
それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた
それからあとであいつはなにを感じたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう
わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとつてきて
そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき
あいつは二へんうなづくやうに息をした
白い尖つたあごや頬がゆすれて
ちひさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた
けれどもたしかにうなづいた
夜があけて海岸へかかるなら
そして波がきらきら光るなら
なにもかもみんないいかもしれない
けれどもとし子の死んだことならば
いまわたくしがそれを夢でないと考へて
あたらしくぎくつとしなければならないほどの
あんまりひどいげんじつなのだ
あいつはどこへ堕ちやうと
もう無上道に属してゐる
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ
もうぢきよるはあけるのに
すべてあるがごとくにあり
かゞやくごとくにかがやくもの
おまへの武器やあらゆるものは
おまへにくらくおそろしく
まことはたのしくあかるいのだ
《みんなむかしからのきやうだいなのだがら
けつしてひとりをいのつてはいけない》
ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがなくなつてからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかつたとおもひます
宮沢賢治「青森挽歌」
親鸞は父母の孝養のためとて
一辺にても念仏まうしたること
いまださふらはず
そのゆえは 一切の有情はみなもて
世々生々の父母兄弟なり
いづれいづれも
この順次生に仏になりて
たすけさふらふべきなり
兜率の天の食に変わって
兜率天曼陀羅図(とそつてんまんだらず)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率の天の食に変わって
やがては おまえとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
宮沢賢治「永訣の朝」
来春はわたくしも教師をやめて
本統の百姓になって働らきます
苗代や草の生ゐた堰の
うすら濁つたあたたかな
たくさんの微生物の楽しく流れる
そんな水に足をひたしたり
腕をひたして水口を繕ったりすることを
ねがひます
花巻というところに 安らけき仏の世界
浄土というものが考えられないだろうかと
自分の行動を通して
こころと体をそこへ投げ出して
賢治の模索が
また新たな形で出発をしていく
激しい激しい 文筆活動は
激しい激しい 彼の身を粉にした働きへと
展開していくような そんな気が…。
北川前肇先生
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