2025年1月27日月曜日

古今和歌集&走れメロス&田名網敬一

寒紅をさして夢見る舞踏会
寒菫差し伸べられて手を取られ
大木と対等に立ち冬を舞う
舞踏会胸の目意識堂々と
寒雀独りぼっちを舞い踊る

■10min.ボックス古文・漢文 古今和歌集
久方の光のどけき春の日に静心(しずこころ)なく花の散るらむ   紀友則

月見ればちぢに物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど   大江千里

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに   小野小町

古今和歌集の選者 
紀友則 紀貫之 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね) 壬生忠岑(みぶのただみね)

やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、
見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。

日本人の季節感 
春の詩 342首
やどりして春の山辺に寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける   紀貫之

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる   藤原敏行

平安時代の恋と歌 360首
見ずもあらずも見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮らさむ   在原業平

知り知らぬなにかあやなくわきて言はむ思ひのみこそしるべなりけれ   読み人しらず

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを   小野小町

■10min.ボックス現代文 走れメロス(太宰治)
メロスは激怒した。必ず、
かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。
笛を吹き、羊と遊んで暮らしてきた。
けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

暴君が治める町
友の名はセリヌンティウス

老爺は、辺りをはばかる低声で、わずか答えた。
「王様は、人を殺します。」「なぜ殺すのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、だれもそんな、
悪心をもってはおりませぬ。」「たくさんの人を殺したのか。」
「はい、初めは王様の妹婿様を。それから、ご自身のお世継ぎを。
それから妹様を。それから、妹様のお子様を。…」
聞いて、メロスは激怒した。「あきれた王だ。生かしておけぬ。」

待つ者、待たせる者

暴君ディオニスの面前で、よき友とよき友は、二年ぶりで相会うた。
メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言でうなずき、
メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。
セリヌンティウス、わたしは走ったのだ。
君を欺くつもりは、みじんもなかった。
信じてくれ!わたしは急ぎに急いでここまで来たのだ。
濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に
峠を駆け降りてきたのだ。わたしだから、できたのだよ。
ああ、このうえ、わたしに望みたもうな。ほうっておいてくれ。
どうでもいいのだ。わたしは負けたのだ。

桜桃忌(太宰治をしのぶ日)

セリヌンティウスは、すべてを察した様子でうなずき、刑場いっぱいに鳴り響くほど
音高くメロスの右ほおを殴った。殴ってから優しくほほ笑み、
「メロス、わたしを殴れ、同じくらい音高くわたしのほおを殴れ。
わたしはこの三日間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。
生まれて、初めて君を疑った。君がわたしを殴ってくれなければ、
わたしは君と抱擁できない。」メロスは腕にうなりをつけて
セリヌンティウスのほおを殴った。「ありがとう、友よ。」
二人同時に言い、ひしと抱き合い、それからうれし泣きにおいおい声を放って泣いた。

■あの人に会いたい 田名網敬一(アーティスト)
1936-2024(令和6)年 88歳没
ポップアートを牽引

これ全部切り抜かれて使えるようになっている
自身の作品を編集的絵画と呼びます
人間って新幹線に乗っていてもほら窓の外を見ていると
無意識のうちに編集しているわけよね
ここは面白い ここは面白くないとか取捨選択しているでしょう
最終的に到着したときに その風景全体の中から
印象的なものが残るわけじゃない だから編集しているのよ 目で

おおきな水槽があって その中に非常に高額な金魚がいたんですよ
防空壕があって そこからこう見ていると スクリーンみたいに見えて
それで戦争が始まって 焼夷弾とか やたら落っこってきますよね
金魚鉢の向うに その…恐怖が その戦争があって それを…
金魚鉢を透かして僕はそれを見ていたんですね

アンディ・ウォーホルに衝撃を受ける

今までの画家の場合というのは 大体 原画一点主義だったのが
プリントの作品を まあ彼の場合には重要な武器にしているわけですよ
それがまあ全世界にばらまかれるわけですね 同じ絵がね
それが結局(アンディー・ウォーホルを)
スーパースターにしたんじゃないですか

いろんなものがね こう融合して 一つのものを作っていこうという
そういう大きなムーブメントが60年代にあったんですよ
それが70年代になって解体されて
個々にやるようになってしまったんだけれど
そのときにいろんな面白いものが生まれてきたんですよね
僕はね もう要するに好きなことしかしない
というのがね 僕の人生観なんですよ

幼少期の記憶

まあ大体 出かけない日は描いているんですよ
四畳半ぐらいのちっちゃな部屋があって
そこに…結局それが装置になっているわけですよ
その中に自分が入ることによって 
その記憶とこう交信できるっていうの
全部同じサイズなんですよ
描くとまあ 貼りつけて そのときの 気分というかね
そういうものをここに メモしておくんですかね
そうすると これをこう並べていくと
ぼく自身の記憶のまんだらができるんですよ これずっと繋げていくとね
まんだらって要するに修行僧がどう修業していくか
というための図でもあるわけじゃないですか
それと同じように自分の過去の記憶っていうのは
まあ僕が今 実人生であるとすれば 夢もそうだけど
もうひとつの全然違う人生ですよね 記憶の中にある人生って

これが例えば3年前でこっちは今とか だから時間のあれを
めちゃくちゃにしているんですよ 絵もスタイルも もう全然違っていて
それをこう組み合わせることで 時間差で 何か別の見え方が
できるのかなっていうのと 

こういうリアルな感じにしたくないわけね もうちょっと おもちゃのような
だからもっとずんぐりした形に形にしたいわけよね
今の大人の僕じゃなくて 子どもの目に映った飛行機なんですよ
こういうだから形に見えたのね

結局 僕の記憶の中でやっぱり 最も僕の心を長い間占めて 
苦しめたっていうか 僕自身がもうずっと自覚せざるを得ないような人生を
送ってきたものの象徴なのよ B29というものは
それはアメリカでもあるし 戦争でもあるわけでしょう
それがだから 僕は長い人生を生きてきたけどさ
最後に見るのはやっぱりその景色なんだよね

僕は五感で作品を作っている 僕の場合 耳で聞いたり 触角であったり
匂いだったりっていうものを作品化していく

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