寒落暉蓮根畑や茜色
冬雀老いに憧れ愛しみ
赤松に守られ生きる日脚伸ぶ
寒の雨音外してもそのままに
■あの人に会いたい ヤン・ソギル(作家) 梁石日
2024(令和6)年 87歳没
それまでの在日に対する小説の書き方と言うかな
視点というかな そういうものをやっぱり変えたかったわけ
まあ日本の社会というものを同時に描くと なぜなら
在日コリアンというのは まさに日本の社会の中で生きていてね
そして日本の社会のいろんなものから影響を受けているしね
俺は包丁を持ったまま金縛り状態だ
知るを楽しむ 人生の歩き方「梁石日❝血❞の咆哮(ほうこう)」(2008年)
今度はおやじがその僕の握っている包丁をね
腕を取って自分でこう刺すわけ 本当に刺すのよ 少しずつ
そういうふうにして 強迫観念を植え付けるわけよ
ふるさとの仲間たち「コリアンタウン 生きる力をくれた町」(1997年)
鶴橋 この辺で俺がタバコを売っていたわけ アメリカの
おふくろは だから こういう所でりんご箱を置いてやな
どぶろく売っとったわけや
文学 あるいは詩によって 私のその ものの見方というかな
世界観みたいなもの あるいは思想性みたいなものが
培われてきたことは 間違いないわけだからね
土曜俱楽部「都会の風を切って走れ タクシードライバーに挑戦」(1987年)
僕はあの新宿中央公園で3日ぐらいですね そこでベンチで寝ていました
何気なく横にスポーツ新聞があったんですよ 取って見ましたら
「タクシー運転手募集意」という求人欄がね 目に入ったわけです
いろんな客がいたよ タクシーにはあれが付いているわけじゃない
運転手の写真とか名前が載ってわけじゃん サラリーマンがさ
酔っぱらったサラリーマン 「何 朝鮮籍?朝鮮籍か」とか言ってね
態度ね ゴロッと違うんだよね それであの 金を払わずにそのままね
バッと降りて行こうとするからね それでもう走って行って
取っ捕まえたわけや
初めは僕はね あんまり乗り気じゃなかったのね というのは
小説なんか 書いたことがないしね その後ね その店で度々会うわけよね
会う度に「書け 書け 書け 書け」言われて それで
「じゃあ書いてみようかな」と思って
1981(昭和56)年デビュー作「狂躁曲」を発表。
夕方5時です 千客万来「梁石日」(1999年)
本当にすぐね 3つ4つ映画の話が来たんですよ
びっくりしたんですけどね そうするとその 最後に崔洋一監督が
自分がぜひやりたいということで彼が作ったのが
「月はどっちに出ている」ですね 岸谷五朗主演で大ヒット
数々の映画賞を受賞 あの映画のいいところはね
原作 それから映画の制作 監督 こういうのが全部 在日だったわけ
在日もやればできるんだ というメッセージ
非常に強いメッセージを与えたと思う
1995年「夜を賭けて」で直木賞候補に
本格的に原稿で 飯を食えるようになったのは60(歳)ぐらいかな
だから俺は言うのよ 「俺は60ぐらいから 飯を食えるようになったんだから」
「お前 今何歳やねん」「40です」「まだお前 20年あるじゃんか」言うて
「何を今頃から うだうだ言ってんねん」「20年もあれば何でもできる」言うて
1998(平成10)年「血と骨」で山本周五郎賞 受賞
いつまでたってもね おやじとの確執というかな
私の中の おやじというものを ちゃんと処理できないわけよね
だから やっぱりちゃんとね まとめて おやじと向き合って書くと
人間の業や社会の矛盾を描き続けた87年の生涯でした。
世界のどこかで起こっている問題が 自分とは無縁ではあり得ないわけですよ
しかも その矛盾の中でもね 最もその 貧しい国の弱者やね
そういうところへ しわ寄せが来るのよ 必ず そういう所での
一番弱い存在を 描く必要があるんじゃないか 作家にはそういう
責任の一端があるんじゃないかと 思って書いているわけ
■先人たちの底力 知恵泉 斎藤道山 成り上がり者の❝人心掌握術❞
下克上 美濃の支配者 暗殺 裏切り 悪者のイメージが定着
悪いだけの人間では人の上に立てるはずがない
ゲスト 加来耕三 森保一 三村里江
油売りから国主になった男 油売りをしていたのは道山の父親
父親は僧侶から商人になり美濃の国の武士そして重臣になった
道山が国主になった
知恵その一 不平不満の中に新たな進路を見いだせ!
楽市楽座は道山が織田信長より先にやっていた
ボトムアップ型でいろんな人の思いを束ねながら上がってきた
領民たちの不平不満を救い上げることで国盗りを成功させた
竹中半兵衛(秀吉》稲葉一鉄(信長)
知恵その二 大きな敵を見つけて見方を固めろ!
調略の才能
サッカーと同じような戦術・戦略がある
弱いということは❝悪❞
より強いところと戦いほうが全体は一致団結
みんなが「挑んでやろう」という気持ちがあった
「俺たちやれるんじゃないのか」結束した力になった
相手を引き込んでカウンター攻撃を仕掛ける
自分たちが戦術・戦略として考えていた流れから
「俺たちは元々やれるんだ」というのをぶつけた
同点になった瞬間 相手の心理状態が変わった
道三は❝譲り状❞に美濃を信長に譲ると書いた
道山がいなければ信長はいなかった
戦国時代偉大なものを残した
利己よりも利他を実践した
冬雀老いに憧れ愛しみ
赤松に守られ生きる日脚伸ぶ
寒の雨音外してもそのままに
■あの人に会いたい ヤン・ソギル(作家) 梁石日
2024(令和6)年 87歳没
それまでの在日に対する小説の書き方と言うかな
視点というかな そういうものをやっぱり変えたかったわけ
まあ日本の社会というものを同時に描くと なぜなら
在日コリアンというのは まさに日本の社会の中で生きていてね
そして日本の社会のいろんなものから影響を受けているしね
俺は包丁を持ったまま金縛り状態だ
知るを楽しむ 人生の歩き方「梁石日❝血❞の咆哮(ほうこう)」(2008年)
今度はおやじがその僕の握っている包丁をね
腕を取って自分でこう刺すわけ 本当に刺すのよ 少しずつ
そういうふうにして 強迫観念を植え付けるわけよ
ふるさとの仲間たち「コリアンタウン 生きる力をくれた町」(1997年)
鶴橋 この辺で俺がタバコを売っていたわけ アメリカの
おふくろは だから こういう所でりんご箱を置いてやな
どぶろく売っとったわけや
文学 あるいは詩によって 私のその ものの見方というかな
世界観みたいなもの あるいは思想性みたいなものが
培われてきたことは 間違いないわけだからね
土曜俱楽部「都会の風を切って走れ タクシードライバーに挑戦」(1987年)
僕はあの新宿中央公園で3日ぐらいですね そこでベンチで寝ていました
何気なく横にスポーツ新聞があったんですよ 取って見ましたら
「タクシー運転手募集意」という求人欄がね 目に入ったわけです
いろんな客がいたよ タクシーにはあれが付いているわけじゃない
運転手の写真とか名前が載ってわけじゃん サラリーマンがさ
酔っぱらったサラリーマン 「何 朝鮮籍?朝鮮籍か」とか言ってね
態度ね ゴロッと違うんだよね それであの 金を払わずにそのままね
バッと降りて行こうとするからね それでもう走って行って
取っ捕まえたわけや
初めは僕はね あんまり乗り気じゃなかったのね というのは
小説なんか 書いたことがないしね その後ね その店で度々会うわけよね
会う度に「書け 書け 書け 書け」言われて それで
「じゃあ書いてみようかな」と思って
1981(昭和56)年デビュー作「狂躁曲」を発表。
夕方5時です 千客万来「梁石日」(1999年)
本当にすぐね 3つ4つ映画の話が来たんですよ
びっくりしたんですけどね そうするとその 最後に崔洋一監督が
自分がぜひやりたいということで彼が作ったのが
「月はどっちに出ている」ですね 岸谷五朗主演で大ヒット
数々の映画賞を受賞 あの映画のいいところはね
原作 それから映画の制作 監督 こういうのが全部 在日だったわけ
在日もやればできるんだ というメッセージ
非常に強いメッセージを与えたと思う
1995年「夜を賭けて」で直木賞候補に
本格的に原稿で 飯を食えるようになったのは60(歳)ぐらいかな
だから俺は言うのよ 「俺は60ぐらいから 飯を食えるようになったんだから」
「お前 今何歳やねん」「40です」「まだお前 20年あるじゃんか」言うて
「何を今頃から うだうだ言ってんねん」「20年もあれば何でもできる」言うて
1998(平成10)年「血と骨」で山本周五郎賞 受賞
いつまでたってもね おやじとの確執というかな
私の中の おやじというものを ちゃんと処理できないわけよね
だから やっぱりちゃんとね まとめて おやじと向き合って書くと
人間の業や社会の矛盾を描き続けた87年の生涯でした。
世界のどこかで起こっている問題が 自分とは無縁ではあり得ないわけですよ
しかも その矛盾の中でもね 最もその 貧しい国の弱者やね
そういうところへ しわ寄せが来るのよ 必ず そういう所での
一番弱い存在を 描く必要があるんじゃないか 作家にはそういう
責任の一端があるんじゃないかと 思って書いているわけ
■先人たちの底力 知恵泉 斎藤道山 成り上がり者の❝人心掌握術❞
下克上 美濃の支配者 暗殺 裏切り 悪者のイメージが定着
悪いだけの人間では人の上に立てるはずがない
ゲスト 加来耕三 森保一 三村里江
油売りから国主になった男 油売りをしていたのは道山の父親
父親は僧侶から商人になり美濃の国の武士そして重臣になった
道山が国主になった
知恵その一 不平不満の中に新たな進路を見いだせ!
楽市楽座は道山が織田信長より先にやっていた
ボトムアップ型でいろんな人の思いを束ねながら上がってきた
領民たちの不平不満を救い上げることで国盗りを成功させた
竹中半兵衛(秀吉》稲葉一鉄(信長)
知恵その二 大きな敵を見つけて見方を固めろ!
調略の才能
サッカーと同じような戦術・戦略がある
弱いということは❝悪❞
より強いところと戦いほうが全体は一致団結
みんなが「挑んでやろう」という気持ちがあった
「俺たちやれるんじゃないのか」結束した力になった
相手を引き込んでカウンター攻撃を仕掛ける
自分たちが戦術・戦略として考えていた流れから
「俺たちは元々やれるんだ」というのをぶつけた
同点になった瞬間 相手の心理状態が変わった
道三は❝譲り状❞に美濃を信長に譲ると書いた
道山がいなければ信長はいなかった
戦国時代偉大なものを残した
利己よりも利他を実践した
0 件のコメント:
コメントを投稿