鳥に見立てた壷の命や冬ぬくし
おこり炭一から百を創造す
冬薔薇(そうび)墨絵のごとく楚々として
冬薔薇土手をひっそり色づけて
風と戯れ弄ばれて落葉時
■木村多江の、いまさらですが…
「人生100年時代。大人になっても学びたい!」
「第九」歓喜の歌〜ベートーヴェンとシラーが込めた思い〜
1789年、ベートーヴェンはボン大学に入学し、哲学や文学を学びます。
その年に勃発のフランス革命の理念「自由・平等・友愛」に触れ、深く共感していきました。
そして「第九」の詩の元になった作家シラーの「歓喜に寄せて」に出会います。
初演から200年ベートーヴェンの「第九」
ユネスコの「世界記憶遺産」EUの「欧州の歌」にも引用されています
「なると第九」板東俘虜収容所で日本で初めて演奏された
松江豊寿所長が情けを重んじる人だったため捕虜たちは人道的に扱われた
収容所には自由な雰囲気があり地域住民とは文化交流が行われていた
1918年に平和を願って演奏された
最近の研究でベートーヴェンは明るいひとだった
多感様式と呼ばれた感情表現を重んじる音楽を教えます
1786年Friedrich Schiller「歓喜に寄せて」が発表される
1787年16歳宮廷学士としてウイーンに派遣される
目的のひとつはモーツアルトに会うためだった
1789年ボン大学に聴講生として入学 哲学・文学・芸術史を学ぶ
フランス革命の理念 自由・平等・友愛に深く共感していく
読書協会にも参加 「歓喜に寄せて」を作りたいと友人に話している
1792年 ボン ハイドンにカンタータの譜面を見せ才能を認められる
ウイーンへ留学 マリー・アントワネットの弟がべートーヴェンの支援をしていた
新時代の音楽家 シラーの詩と出会う
「歓喜に寄せて」はみんなで楽しむために書かれた
「第九」が作られるまでに40曲以上が作られていた
初版は王制批判があった フランス革命の暴走に加担することを危惧した
「歓喜に寄せて」初版 短縮版 訳:矢羽ゝ崇
喜びよ 美しい神々の火花よ 楽園のエリュジウムの娘よ
私たちは炎に酔って 天なるものよ そなたの聖所に入る
そなたの力は再び結び合わせる 世の習いという剣が分け隔てたものを
物乞いも王侯の同胞となる そなたのその柔らかな翼が憩うところ
抱き合え 幾百万の人々よ この口づけを世界中の人へ
同胞たちよ 星の天幕のかなたには 一人の愛しい父が住んでいるにちがいない
暴君のくびきから救いを 悪漢であっても寛大さを
死の床にあっても希望を 審判の時に恩寵を
死者もまた生きよ 同胞たちよ 飲もう そして声を合わそう
全ての罪人は許されてあれ 地獄がなくなるように
(青文字は初版のみの表現)
1794年マリー・アントワネットが暗殺されフランス革命が激化
1795年ピアノ三重奏曲を作曲 Op.1として出版
楽譜の出版 演奏会 ピアノ教師 が主な収入源となって行く
1802年月光ソナタを出版 教えていたGiuliettaに捧げられたものでした
この頃より難聴に悩み始めていた
1803年交響曲第3番 英雄を作曲
元々この曲はナポレオンを讃えた曲でしたが
翌年ナポレオンが皇帝と名乗ったことに幻滅し
ボナパルトと書かれた楽譜を一部破り捨てた
1808年交響曲第5番運命と交響曲6番田園を自らの指揮で初演
難聴の為、指揮も十分に振れず疑心暗鬼に陥る
1809年ウイーンはナポレオンに占領され財政破綻状態となる
弟の下で宮廷学士になるためウイーンを離れようとするが
音楽愛好貴族が年金を支払うことでそれを阻止された
傑作の森
小山実稚恵さん曰く
ベートーヴェンは革新的な未来に向かって歩く作曲家
ハイドンヤモーッツァルトから学んだことを自己流に変化させた
多感様式 「人間」というものを打ち出した作曲家
「第九」は交響曲に初めて歌を差し込んだ作品
既成概念に拘らない大きな想像力の持ち主
1812年ロシア遠征で大敗を記したナポレオン
1813年戦争交響曲 ウェリントンの勝利
難聴の進行 リウマチに苦しみ 弟カールの死去 甥の親権を実母と争う
経済的にも借金 追い込まれていった
1822年 交響曲の作曲依頼
1824年交響曲第9番が完成 5月7日ついに第九を指揮 初演似て大喝采
1827年初演から3年後 享年56でベートーヴェンは生涯を閉じる
死の直前、ベートーヴェンが口にした言葉
Plaudite amici commedia finite est!
喝采せよ、友よ、喜劇は終わった!
ベートーヴェンはシラーの詩を減らし 自分の詩を足した
物乞いも王侯も同胞となる ではなく 全ての人間は同胞となる
を選択した 誰にでもどの時代にも伝わる構成にした
シラーが求めていたことは政治体制の変革ではなく
人間個々の内面が美的に変化してゆくこと
「第九」はオーケストラの技術不足もありすぐには広がらなかった
「第九」はベートーヴェンに影響を受けた者たちが広めた
メンデルスゾーン、リスト、マーラーなどが広めた
ベートーヴェンは音楽家だけではなく美術家にも影響を与えた
グスタフ・クリムトは「ベートーヴェン・フリーズ」を描いた
1901年ウイーンで描かれた。タテ2m×ヨコ34m 壁画
左の壁には幸福への憧れ 中央には敵対する力 右の壁には芸術 歓喜 接吻
全ての人間は同胞となる 歓喜の大合唱が描かれている
ワーグナーの総合芸術の理念に基づいているとも言われている
熱狂的なベートーヴェンファンと言えばワーグナー!
ワーグナーが「第九」を演奏した時は300人もの大合唱団を編成して
歓喜の歌を演奏し観客を興奮のるつぼにへと引き込んだ
ワーグナーはこの時自分で解説書を書いて
印刷して配るほど「第九」に入れ込んでいた
1870年普仏戦争 プロイセンを中心とするドイツ諸邦とフランスとの間に
起こった戦争 この戦争の勝利によりドイツ統一が達成された
ベートーヴェン生誕100年が祝われていた
この時ワーグナーは プロイセンの勝利は「ドイツ精神」の勝利
=ベートーヴェンの勝利だ
ドイツは偉大なるベートーヴェン 偉大なるワーグナーを生んだ国
だからドイツは偉大なのだと国民のナショナリズムを書き立て
「第九」もプロパガンダに利用された ヒトラーの「第九」は有名
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886~1954)
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の指揮者を長期にわたって務めた
ベートーヴェン ワーグナー ブラームスなどのドイツの作曲家を得意とした
ユダヤ人音楽家を擁護
1942年 国民を鼓舞するためにフルトヴェングラーを囲い込み
ヒトラーの誕生祝賀演奏会にで「第九」を演奏させた
ナチスのニュース映像に使われてしまった
1989年12月今度は喜びを分かち合うために「第九」が演奏された
それは、ベルリンの壁崩壊を祝した演奏だった
11月に壁が崩壊し その年のクリスマスに壁のなくなったベルリンで演奏された
指揮はユダヤ系アメリカ人でウエストサイドストーリーの作曲家としても知られる
レナード・バーンスタイン(1918~1990
交響曲第3番カディッシュ平和運動にも熱心だった)
歓喜の歌詞のFreude(喜び)をFreiheit(自由)に変更し演奏した
オーケストラは東ドイツ 西ドイツ フランス アメリカ イギリス ソ連
の音楽家で構成されていた
「第九」は人類すべてのもの 音楽は国境を超えるを体現している
喜びよ 美し神々の火花よ 楽園エリュジウムの娘よ
私たちは炎に酔って 天井なるものよ そなたの聖所に入る
そなたの力は再び結び合わせる 世の習いが厳しく隔てたものを
全ての人間が同胞となる そなたの柔らかな翼の憩うところ
そなたの力は再び結ぶ合わせる 世の習いが厳しく隔てたものを
全ての人間が同胞となる そなたの柔らかな翼の憩うところ
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