冬深し日々濃くなってゆくお薄
信じ切る危うさあらん寒の雨
晩冬やいたる所へ痙攣が
冬の朝伸ばした箇所が攣りゆかん
■100分de名著 安克昌
心の傷を癒すということ2さまざまな心の傷を見つめる
宮地尚子 伊集院光 阿部みちこ
PTSD トラウマ体験から約1カ月経ても社会生活に
支障をきたすほどの苦痛が残る場合に診断される病名
阪神・淡路大震災までは専門家の中でさえあまり知られてなくて
1995年阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きて一気に広まった
1過覚醒 2再体験 3回避 4否定的認知・気分
1圧倒的なストレスを被ると、心のシステムが次のストレスに備えて警戒態勢に入る。
ある種の感覚が鋭敏になり緊張した状態になる。この状態を「過覚醒」という。(中略)
このような状態になると、ちょっとした刺激だけで飛び上がるほど反応してしまう。
もちろん眠ることさえ難しくなる。
2たとえば、家屋が倒壊した私の知人は、壊れる前の自分の家を
よく夢に見てうなされると言った。
また、なにかに追いかけられているような怖い夢をよく見るという人もいた。
友人の医師の勤める病院には、激しい反応を起こし錯乱状態になって
入院した人もあったそうである。
Jさんはその後も避難所から病院に通院してきていた。
食欲もなく、冷たいお握りを見ただけで身震いした。
ボランティアや他の被災者の笑い声を聞くと
不謹慎な気がして、無性に腹が立った。
夜になると、とくにいろいろな光景が頭に浮かび、
ほとんど熟睡できなかった。(中略)
やっぱり家が怖いんです。壁が崩れているし、壊れたドアがガタガタいうし
なにか物音がするとビクッとします。どの部屋の電気も一晩中点けっぱなしです。
いつでも出られるように服のまま寝ています。
部屋を閉め切るのが怖いんで、おふろやトイレのドアも
ちゃんと閉めないんです。どこにも居場所がなくて
あっちこっちうろうろしていると悲しくなって…」
PTSDの症状
1極度の緊張や警戒状態が続いているので
少しのことで怒鳴ったり暴力につながることも
23似たような経験や場所で再体験が起きやすいので
思い出させるものは避ける
刺激をシャットアウト交流が狭まっていく
(意識的な整理もできないまま体が先に反応するのは恐怖)
自分がなぜそこを避けているのか
避けている事すら気付かなかったり理由が分からなかったりする)
4社会への見方もネガティブになっていると
「分かってもらえるもんか」という気持ちもあるかもしれない
東日本大震災の「遺構を残すかどうか」でも議論になったように
「記憶として大事だから残そう」
「それ自体が再体験のトリガーになるから見る度に辛くなるからやめてほしい」
経験している人としていない人 PTSD症状を持っている人と
持っていない人では落差が激しい
「別に生きていてもしようがないんです。娘の思い出にひたって生きていたいんです。
娘のことを忘れたくないんです。お酒を飲むと、娘がいたときの記憶に
もっとひたれるようになるんです。こうやって落ち込んでいる方が
娘がそばにいる気がする。私が元気になったら娘が遠ざかってしまう」(中略)
亡くなった人は二度と帰ってこない。これは厳粛な事実である。
だから、死別体験者の苦しみとは、この動かしようのない事実を
いかにして受け入れるかという葛藤であろう。
もし死んでもべつにくいはないから、しにたかったな。
そうしたら、そのかわりにお父さんもお母さんも助かったかもしれないのに…。
ごめんなさい。(中学一年、T・Mさん)
サバイバーズ・ギルト
悲嘆 喪失感 という心の傷を訴えている
じっと静かに堪えるのが日本の文化だという意見もあるが、
それは嘘だと私は思った。文化は静かに堪えることを
遺族に強いてるかもしれない。
死別による悲嘆と喪失感
喪失体験はなくなったものに対してどんどん引き込まれていく
方向性としては逆
10年20年という時を経ても悲嘆や喪失感を
感じ続けている人もたくさんいる
泣き叫んだり取り乱したりすることが許されてもいい
「早く立ち直って元気になりなさい」という暗黙のうちに押し付けている
「喪の期間」「弔いの時間」を社会全体が尊重するのは大事なこと
個々人のタイミングをもう少し尊重したほうがよい
地震を体験し、今なお解体の進む被災地に住んでいるうちに
私は自分の価値観や感じ方が知らず知らず変化しているのに気づいた。
ここではそれを仮に「リアル病」と呼ぼう。
私の場合、リアルな事態にとらわれる一方で
口先だけのこと、やたらに理屈っぽいことに対して拒否反応が起きる
そんなことばだけのこと、ひとたび地震が来れば崩れさってしまう」。
そう思えてしかたがないのである。表玄関の復興を歓迎する反面、
それがどうしたという気持ちもそのあらわれであろう。
リアル病 安さんが自分の心の変化を言語化した
「どうせ死ぬのになぜ頑張って生き続けなくてはいけないのか」
虚無感や無常観につながる捉え方
何に価値を求めたらいいのか分からない
「あらゆるものは作られても壊されるのでものをため込んでも仕方がない」
誰かが語る言葉に対しても非常に空々しく思えて
「そんなこと行って何になるの?」「そんなことして何の役に立つの❓」
苦しみを癒すことよりも、それを理解することよりも前に、
苦しみがそこにある、ということに、
われわれは気づかなくてはならない。(中略)
それは隣人としてその人の傍らに佇んだとき、
はじめて感じられるもんなのだ。
「何をすればよいか」よりも「苦しみがそこにあることに気付く」
寄り添ってその人のタイミングを待つ
相手が話し始めたら相手のペースに委ねる
アドバイスを与えたり問題解決の方法を教えたりすることではない
精神的なテクニックで出来ることは本当にささやかなものでしかない
専門家だけではなく誰もが「この人辛そうだな」と思ったら
少し寄り添うただ一緒にいる 社会全体で担うことが重要
東日本大震災の「遺構を残すかどうか」でも議論になったように
「記憶として大事だから残そう」
「それ自体が再体験のトリガーになるから見る度に辛くなるからやめてほしい」
経験している人としていない人 PTSD症状を持っている人と
持っていない人では落差が激しい
「別に生きていてもしようがないんです。娘の思い出にひたって生きていたいんです。
娘のことを忘れたくないんです。お酒を飲むと、娘がいたときの記憶に
もっとひたれるようになるんです。こうやって落ち込んでいる方が
娘がそばにいる気がする。私が元気になったら娘が遠ざかってしまう」(中略)
亡くなった人は二度と帰ってこない。これは厳粛な事実である。
だから、死別体験者の苦しみとは、この動かしようのない事実を
いかにして受け入れるかという葛藤であろう。
もし死んでもべつにくいはないから、しにたかったな。
そうしたら、そのかわりにお父さんもお母さんも助かったかもしれないのに…。
ごめんなさい。(中学一年、T・Mさん)
サバイバーズ・ギルト
悲嘆 喪失感 という心の傷を訴えている
じっと静かに堪えるのが日本の文化だという意見もあるが、
それは嘘だと私は思った。文化は静かに堪えることを
遺族に強いてるかもしれない。
死別による悲嘆と喪失感
喪失体験はなくなったものに対してどんどん引き込まれていく
方向性としては逆
10年20年という時を経ても悲嘆や喪失感を
感じ続けている人もたくさんいる
泣き叫んだり取り乱したりすることが許されてもいい
「早く立ち直って元気になりなさい」という暗黙のうちに押し付けている
「喪の期間」「弔いの時間」を社会全体が尊重するのは大事なこと
個々人のタイミングをもう少し尊重したほうがよい
地震を体験し、今なお解体の進む被災地に住んでいるうちに
私は自分の価値観や感じ方が知らず知らず変化しているのに気づいた。
ここではそれを仮に「リアル病」と呼ぼう。
私の場合、リアルな事態にとらわれる一方で
口先だけのこと、やたらに理屈っぽいことに対して拒否反応が起きる
そんなことばだけのこと、ひとたび地震が来れば崩れさってしまう」。
そう思えてしかたがないのである。表玄関の復興を歓迎する反面、
それがどうしたという気持ちもそのあらわれであろう。
リアル病 安さんが自分の心の変化を言語化した
「どうせ死ぬのになぜ頑張って生き続けなくてはいけないのか」
虚無感や無常観につながる捉え方
何に価値を求めたらいいのか分からない
「あらゆるものは作られても壊されるのでものをため込んでも仕方がない」
誰かが語る言葉に対しても非常に空々しく思えて
「そんなこと行って何になるの?」「そんなことして何の役に立つの❓」
苦しみを癒すことよりも、それを理解することよりも前に、
苦しみがそこにある、ということに、
われわれは気づかなくてはならない。(中略)
それは隣人としてその人の傍らに佇んだとき、
はじめて感じられるもんなのだ。
「何をすればよいか」よりも「苦しみがそこにあることに気付く」
寄り添ってその人のタイミングを待つ
相手が話し始めたら相手のペースに委ねる
アドバイスを与えたり問題解決の方法を教えたりすることではない
精神的なテクニックで出来ることは本当にささやかなものでしかない
専門家だけではなく誰もが「この人辛そうだな」と思ったら
少し寄り添うただ一緒にいる 社会全体で担うことが重要
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