2024年9月23日月曜日

100分de名著 ウェイリー版❝源氏物語❞(3)「源氏物語」と「もののあはれ」

夕顔の大輪今も武相荘 
黒い茶碗へ浮かべた氷九月
固有名詞に宿る知識や秋高し
宇宙を遮断ギンコビロバの真っ黄色
多忙理由に許される人星月夜

■100分de名著
ウェイリー版❝源氏物語❞(3)「源氏物語」と「もののあはれ」
安田登 伊集院光 阿部みちこ

人里離れた寂しい場所ですが、美しい建物でした。
「あわれ」源氏物語を語る上でとても大事な言葉

(原文)
板谷のかたはらに堂建てて行へる
尼の住まひ、いとあはれなり。
しばしのほどに
心を尽くしてあはれに思ほえしを、
うち捨ててまどはし給ふ
「源氏物語」第4帖「夕顔」

(ウェイリー版日本語訳)
人里離れた寂しい場所ですが、
美しい建物でした。
なぜ突然現れ、
私の心を奪い、酔わせ、
あっという間に逝ってしまったのだ。
「源氏物語A・ウェイリー版」

ゲンジがはじめてフジツボに会った時
「子どもらしい夢想をふくらませ」
❝interested his childish fancy❞

「あはれ」のウェイリー版
同情心/sympathy 哀れ/pity ロマンティック/romantic
パセティック/pathetic メランコリー melancholy
静かで清らか/calm and lovely 怪しく騒ぐ/strangely stirred 
Very sorry/so depressing/fascination/strange and lovey
Apathy and gloom/O dear o dear
「レディ・ムラサキのティーパーティ」より 毬谷まりえ 森山恵 著

「あはれ」とは もともと深い溜息 あ~
源氏物語は「あはれ」の文学 944回 思わず溜息が出る「あ~」エモい
「をかし」534回 語源は「招(を)ぐ」思わず招かれてしまう ヤバい

本居宣長曰く「源氏物語」の本筆
「もののあはれ」が大事と言っている
本居宣長「源氏物語 玉の小櫛」(1799年)現代語訳 安田登
物語というものは、「もののあはれ」を知ることをその旨としている。
だから、そのストーリーには儒教や仏教などの教えに背くこと、
すなわち倫理的に問題のあるものも多い。
「あはれ(情動)」がものに動かされるときは、
「善悪」や「邪正」など考えない。
むろん、道理に反することには感動してはいけないということはわかる。
しかし、情動は心のままならぬもの。
どうしても我慢できないこともあり、そういうときには
「悪いこと」とわかっていても情動が動かされてしまうこともある。
たとえば「源氏物語」の中でも倫理的に特に問題なのは
空蝉の君、朧月夜の君、それから藤壺の中宮との関係で
この女性たちとの関係は、これ以上ないほどの「不義悪行」である。
そこに焦点を当てると光源氏はひどい男になる。
しかし「源氏物語」は、その不義悪行に焦点を当てずに
そこにあらわれる「もののあはれ」の深さにスポットを当てている。
すると、光源氏はよき人もよき人、これほどよき人はいない
よき人の手本であり、そんな観点で、その「よきことの限り」を
集めたのがこの「源氏物語」であって、
その善悪は儒教や仏教の善悪とは違う。
もし、倫理を云々したければ、その手の本を読めばいいではないか。

倫理は関係ない!「あはれ」エモーション

① 空蝉 地方次官の妻
② 朧月夜 エンペラー・スザクの妃となる人
③ 藤壺 父エンペラー・キリツボの妻 義母
(自分の父の妻に懸想する)
中世は仏教が盛んになる 仏教的にはよくない
皇室スキャンダルだらけなので明治時代には「不敬の書」となる
倫理より「心のありよう」が大事
折口信夫は「もの」=霊魂だと言っている
桜の霊魂と自分の霊魂が感応
倫理なんか入る隙間はない

「今まで書かれた世界の作品の中で
二指か三指に数えられる最大傑作の一つ」
(ウェイリーが出版社の社長に言った言葉)

千年前の物語なのに最近の小説のような感動を与えるという驚き
「源氏物語」では心の内面が詳細 豊富に描かれている

六条御息所 レディ・ロクジョウ(年上の恋人)
ロクジョウは日夜苦しみ抜き、一人胸の内で
「わたしの心はイセの岸辺の漁師の浮子(うき)、
波から波へ揉まれるばかり」という詩を繰り返していたのです。
ロクジョウは自分でもどうにもならぬ逆巻く激情に揉まれ、
くらくらと本当の舟酔いのように気分が悪いのでした。
ロクジョウも心を痛めていました。
長年、ゲンジの愛をアオイと公然と競ってきましたが、
あの惨めな〈コーチのクラッシュ〉の後でさえ
(とても悔しかったことは認めますが)、ロクジョウが
プリンセス・アオイを呪うことは、決してなかったのです。
ロクジョウ自身も気分が優れません。激情に繰り返し襲われ心が
かき乱され、このままでは少しずつ心が狂わされていくようでした。
一方、悪霊は凄まじい勢いを盛り返し、
またもアオイをひどく苦しめます。
レディ・ロクジョウの生き霊の祟りだ、と言う噂は、
ロクジョウ本人の耳にも達します。
ロクジョウはアオイへの気持ちを胸に問いますが、
そこにあるのは、深い悲しみだけ。
彼女への憎しみはもう、いっさいないのです。
とはいってもあんなにも苦悩に焼き尽くされた魂のどこか奥底に、
憎しみの炎が潜んでいないとも限りません。
娘が一人、広く立派な部屋に伏せっています。
それがプリンセス・アオイと、自分はわかっているようです。
そして目覚めているときならばありえない、思いもよらぬ
激情に駆られ、横たわる人の腕を手荒く摑むと、
ベッドから引き摺り出し、打ちすえていたのです。
ああ、恐ろしい!人の魂は、本当に肉体をさ迷い出て、
気が確かなら許すはずのない感情を噴出させるのです。
なんとしてもあの人を忘れなければ。なんとかして彼を
想わないように、と心に言い聞かせますが、そう思うたびに、
また一層ゲンジへの想いは激しく募るのでした。

圧巻!ロクジョウの心理描写

ウェイリーと同じ時代にフロイトが現れていた
夢 無意識が言われ始める 
もののけとは心の闇が作り出したものではないかと…。ウェイリー…。

能ではどのように表現されていたのか❓
内下清浄六根清浄 
これは六條の御息所(みやすどころ)の怨霊(おんりょう)なり
枕に立ち寄りちやうど打てば
一祈りこそ祈つたれ
東方に降三世明王(こうざんぜみょうおう)
成仏得脱の身となり行くぞ有難き

「源氏物語」では明確に「六条御息所の怨霊である」とは名乗らない
能では怨霊は成仏するが「源氏物語」では成仏しない

A・ウェイリー著❝The Noh Plays of Japan❞(1921年出版)
「葵上」など19の能の演目を英訳

「死んでも無くならない感情」を「残念」と言う
「残念」を鎮魂するのが能

見えない感情 亡くなってもなくならない感情を
ウェイリー訳ですごく感じた

プルースト「失われた時を求めて」(1913~1927)
詳細に心理・感覚描写で20世紀文学を切り開いた長編小説
英訳版(1922~31年)はウェイリーの幼なじみが翻訳

「源氏物語」は表に出さない「心」を描く
20世紀文学との近さを感じた

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