2023年10月7日土曜日

国枝慎吾氏 アナザースカイ

竹の春明るき未来掴み取れ
風爽か貴男と決めて飛び降りた
陽が沈み月が昇りてまた明日
失せる喜び失せぬ悲しみ月更くる
(大谷翔平選手)インターナル・ブレース天高し

■アナザースカイ 車いすテニス国枝慎吾が運命のウィンブルドンヘ
ウィンブルドンが鬼門でもあったので僕にとって
「重い気持ち」と「興奮」と両方心にありながら向かいました

2016年からシングルスが始まったんですけど
昨年此処で優勝した事で自分自身も
テニスのキャリアに一区切りついたな、と
コート上で思えたので引退を決意した大会にもなりました
これだけのお客さんがいるので、車いすの試合でも
スタンド満席になる ウィンブルドンの聖地で
お客さんの前でやれて幸せだなと思った

東京パラリンピック終わってから引退というものが
すごく僕の中で迫っているなと思った
思いとどまったのはウィンブルドンがあったから

引退してテニスの見方が変わった
「この選手に対してはこう攻めたらいい」
そういう考えで見るじゃないですか
この選手もっと「こうした方が良いのにな」
っていう目で見るようになりました
コーチだとかもある意味興味ある所なんだと思います

(現役が)終わったからこそ言える事がある

テニスの試合は自分とも戦わなきゃいけないし
相手とも戦わなきゃいけないし僕の場合はそれにプラス
「人の目との戦い」車いすテニスをより発展させたい
スポーツとして見られたい

ただ「勝つ」だけでは意味がなかった

アテネ五輪の時に結果が出てなかったら
おそらくニ十歳で辞めていたと思う
テニスは世界を周るスポーツなので
まだまだ車いすテニスの賞金はそれほど多くない
特に僕が三十歳ぐらいの時は
1番でかい大会で優勝しても30万円ぐらい
遠征費も両親に頼っていた
それがアテネ五輪の金メダルをとった事で
もしかしたら金メダルがあればテニス選手として
就職させてくれるかもなっていう想いでちょっと繋がった

2008年北京パラリンピックシングルスで金メダル
その時金メダルをとってなかったら
こうしてプロとして活動はしていなかった
その後全然生活できなかったらこの先
プロの車いすテニス選手を選ぶ人がいなくなる
僕なりの責任の取り方が「勝つこと」だった

最初の2004年のアテネの時はパラリンピックの扱いが
どっちかというと福祉
車いすテニスがスポーツとして観られることはない
その舞台に車いすテニスを上げていかないと
世の中に認知され広がることはない
東京パラリンピックでたくさんの方々に
車いすテニスを見てもらうきっかけがあって
ようやくその戦いが東京で終えられたと僕の中で思った
それが引退の理由でもあります
自分の役目というか役目としてたものに
決着がついた感覚がありました

前人未到の記録とともに現役を引退
車いすテニス選手「国枝慎吾」の名は世界に轟いた
そして、道は、続いていく
夢の数だけ空がある

錦織圭選手も言ってたけど
「一言一言でHPが1ずつ減っていかない?」

試合に帯同するようになったきっかけは?
2016年に怪我してその時に
もう引退かなっていう感じだったので
最後にグランドスラム(4大大会)を観ておこうと思って
なんだかんだ最後の5年間ぐらい一緒に帯同してた
良い現役時代のところを観れたので良かった
ホテルに帰ったら妻との時間がある
家のようなアットホームな空気が流れるっていうのは
ON/OFFの切り替えが上手くなった

接戦でどっちが勝つか最後わからないみたい感じで
勝ったので…
あの時の喜びを超えるものは多分この先はない

1番最初に目が合うのは妻

やっぱりアスリートって怪我したり
思うような成績が出せなくて辞める方も多い
こんなに欲しいタイトル全て手にして引退できるなんて
「名誉なこと」「全然いいよ」って感じでした

これから二人でやりたいこと
本当に荷物少ない状態で
「海外行きたいな」とはずっと思ってましたね
これからチャンスがあると思うので

前人未到の頂まで昇り詰めることができた
二人で新しい空を探そうか

奥さま愛さまはモルディブに行きたいと言われているそうです。

アメリカで英語の勉強をしようかなと思っています。と、国枝慎吾氏!




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