2023年10月18日水曜日

レオナルド・ダビンチ ザ・プロファイラー

大元(おおもと)を見失うとは秋あわれ
望みなく生まれて死せり秋の月
秋の風意識の動く迷いかな
秋の夜相対的な言い回し
秋旱相反するや二元性

■ザ・プロファイラー 
「万能の天才」は永遠の努力家 レオナルド・ダビンチ

この人物はいかなることも成し遂げることはできない

昔から現在に至るまで私はどんな作品も完成させたことはなかった
レオナルドの手紙

私は陛下のために誰も見たことがないほどの
強力な兵器を作ることができます
パトロンへの自薦状

教えてくれ本当のことを言えば私はしなかったんだ
レオナルドの手稿

1452年 レオナルド・ダビンチ ビンチ村にて誕生

家族や友人から離れ田舎へ山や谷に出かけよう
一人になれば真の自分でいられる
レオナルドの手稿

1465年(13歳頃)フィレンツェの工房に入る
アンドレア・デル・ヴェロッキオも工房だった
ヴィーナスの誕生に参加 
ボッティチェリもここで働いていた

画家は創造主である   絵画論

もし作品の中に何か間違いを発見した場合は
その作品を公開することで自分のしみったれた根性をも
公開することなきよう間違いを訂正した方がいい
レオナルドの手稿

「岩窟の聖母」は教会側から受け取り拒否
書き直し・金銭未払などを25年にわたる裁判で争った

フィレンツェからミラノ公国へ
「最後の晩餐」

私は陛下のために誰も見たことがないほどの
強力な兵器を作ることができます
敵の強固な城を攻める方法もお見せできます
自己推薦状

平和な時には彫刻や絵画をこなし立派な騎馬像も作れます
自己推薦状

ミラノで名声を上げたのは1490年(37歳)結婚式の舞台の演出
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の壁画制作の依頼
これこそが「最後の晩餐」

人物を描いた絵画は描かれた人物の動作を通じて
その人の考えを見るものが容易に
理解できるようにしなければならない
レオナルドの手稿

フランス王ルイ12世が壁を外して
フランスに持ち帰ろうとした

1502年(50歳)フィレンツェに戻る

その渦の観点力が3枚の扉(弁)の側面部に
衝撃を与えそれらを閉じるのだ
レオナルドの手稿

画家になりたいものはまず科学を学べ
科学から得られたことで(絵画制作を)実践をせよ
絵画論

人間と世界は似ている
レオナルドの手稿
アナロギアという考え方

ヴェッキオ宮殿の大広間の壁に絵を描いてくれという依頼が舞い込む
その反対側の壁の発注を受けた画家はミケランジェロ
28歳年下の若手芸術家

二人は対照的
レオナルドは正式な教育を受けず苦労続き
ミケランジェロは若くして名声を得ていた
寡作だったレオナルド 多作だったミケランジェロ
レオナルドが得意としたのは絵画 ミケランジェは彫刻
相容れない二人はライバル心を燃やしていた

絵画というものは浮き彫り(彫刻)のようならいいものとなる
そして浮き彫り(彫刻)は絵画のようになるほど悪くなるのだ
ミケランジェが知人に宛てた手紙

彫刻は科学ではない 製作者に肉体的苦痛と
汗をもたらす点で機械的作業と言える
彫刻は眺めるものに絵画がもたらす感動をなんらもたらさない
レオナルドの手稿

フィレンツェ共和国を讃える絵
レオナルドは「アンギアーリの戦い」(1504年~)
姿勢や身ぶりを上手に描くため腱や骨や筋肉の
構造を知る解剖が画家には必要だ
絵画論

ミケランジェは「カッシーナの戦い」(1504年~)

人の裸体を優美さのない材木のように描いている
まるで人間ではなくクルミの入った袋
筋肉が束になった大根のように見えてしまう
レオナルドの手稿

二人共フィレンツェを去ってしまう
決着はつかなかった

幾何学⇨建築
幾何学⇨人体⇨解剖
人間の両腕は身長と等しい

「モナ・リザ」(1503年~)未完成だと言われている
爪に色が塗られていない
15年以上描いたがそれでも完成できなかった

フランス国王フランソワ1世
芸術面では遅れていたフランス

レオナルドほど博識な人物がこの世にいるとは思えない
その知識は彫刻、絵画、建築にとどまらず
また真に偉大な哲学者である
同時代の芸術家の証言

レオナルドは宮廷画家として研究や創作に没頭する
「聖アンナと聖母子」「洗礼者ヨハネ」「モナ・リザ」の
3枚を持ち込んでいた

自然界は光と影で構成され輪郭線などないという理論のもと
「スフマート」という超絶技巧で描いた
「煙のような」という意味
輪郭線を描かず陰影で表現する描き方

X線解析するとモナ・リザの下絵が消えた
16層もの絵の具が重なって描かれていることが解った

理想的な人間
同性愛者だったレオナルドは若く美しい男性を弟子にとり
彼らをモデルに描いていた
「洗礼者ヨハネ」も弟子がモデルと言われている
レオナルドにとっての理想的な人間とは中性的な存在
そのため、モナ・リザから女性らしい官能性を排除している
モナ・リザはレオナルド
が追い求めた理想的の人だったかもしれない

モナ・リザは母性を描いたのだという説もある
1493年7月カテリーナ(幼い時に引き離された母)来たる
2年後母が亡くなる

池上英洋 東京造形大学 教授
穏やかな表情には母の面影があるのかもしれない
彼の最終的なイメージが入っている作品
実際のモデルがいる作品とは考えられない
普遍的・理想的な美を持った人間像を
示しているに違いない
母性を含めた暖かみのある女性像が彼にとっては理想に近かった

1519年5月2日 レオナルド・ダビンチ死去(67歳)
生涯で遺した作品はわずか十数点

本当のことを言えば私は成功しなかったんだ
レオナルドの手稿

完成と同時に崩壊が始まる   田中道子

生涯をかけて人間の愛を描こうとしていた   岡田准一

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