2023年10月4日水曜日

色不異空

日本女子オープンゴルフ選手権
秋の芝二人のえりか闘わん
秋の空キラキラネーム羽ばたけり
秋陽射しこぼれる涙かくしけり
感極まりて溢れる涙秋日和
秋の日や手術乗り越え勝利せり

■色不異空(しきふいくう)
転記:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10168510885

般若心経は、摩訶般若波羅蜜経の要約です。
摩訶般若波羅蜜経自体が難解な経典なので、
要約された内容だけで理解しようとするのは困難です。

五蘊皆空。
色不異空。空不異色。
色即是空。空即是色。

五蘊皆空を理解していれば、そのことを前提にして、
色不異空・空不異色を理解することができ、
色不異空・空不異色を理解すれば、
そのことを前提にして、色即是空・空即是色を理解できます。
なので、最初に知っておくべきことは、五蘊皆空です。

五蘊とは、この世界を構成する五つの要素のことです。
それを色受想行識といいます。

色(しき)=物
受(じゅ)=感受 感じること
想(そう)=表象 想うこと
行(ぎょう)=意志 関わること
識(しき)=認識

物(色)を見て(受)、それをリンゴだと想起(想)し、食べようと思う(行)。
これらの心の動きを認識するのが「識」です。
これは、主体と客体の関係です。
色とは、自分の外の世界のことであり、
それを自分が感じ、想い、関わりを決め、認識します。
よって、受想行識というのは自分の内の世界のことであり、心のことです。

物と心=外と内=色と受想行識

それが有るという認識は、そのものと自分との関係によってあります。
自他という因縁和合によって、認識が生起するので、これを縁起といいます。
因縁によるのであれば、それ自体のみで存在しないので、
これを無自性といい、または空といいます。
「因縁によるものを空と言う」ということが非常に重要なポイントです。

空とは無自性(実体の欠如)のことです。
因縁によるものは、縁って起こるのですから、
独自によっては存在していません。
独自によって存在するものを自性といい、
因縁によって存在するものを無自性といいます。
他との関係によって有るのですから、仮の存在であり、これを空といいます。
縁起・空と言うのは、自然界の法則ですから、すべてに共通する真理です。

五蘊皆空、つまり、存在の認識は因縁によるので空である、
ということを前提にして次に進みます。

色不異空。
空不異色。

物は空と離れていません。
空は物と離れていません。

不異というのは、ナ・プルタク "na pṛthak" の訳です。
プルタクというのは、異なる・離れる・孤立などの意味です。
ナというのは否定のことですので、
異ならない・離れていない・孤立しないという意味になります。
漢訳では不異というので、同体の意味としてとられることもありますが、
ナ・プルタクはコインの裏表のような関係です。
文字や絵画などの図は、何らかの地がなければ存在できません。
図は地と離れて存在しません。因縁によってあります。

物は因縁によって有ります。
よって、物は因縁という法と離れて存在しません。
また、因縁という法だけが、物と離れて孤立して存在しません。
因縁によるものを無自性、空といいますので、
物は空と離れていないし、空は物と離れていません。
事物・現象は真理と離れて存在するわけではないし、
真理が事物・現象と離れてあるわけではありません。
このことを色不異空・空不異色といいます。

次に、色不異空・空不異色を前提にして、さらに観察を深めれば、
色即是空・空即是色だということが分かります。

色即是空。
空即是色。

物、それは空です。
空、それは物です。

物は空です。
つまり、物は因縁によって認識されますから、それ自体には実体がありません。
よって、色即是空です。また、その物が空であるから、
五蘊という関係をつくることが可能であり、
主体と客体と見るという働きによって、その物が存在すると認識されます。

ここまでの結論としては、空即是色です。
もし、その物に実体が有るのならば、他と和合することがありませんから、
見るという関わりをすることができません。
見ることができないので、認識という作用は起こりません。
その物に実体がないので、他と和合することが可能であり、
その物を見て、認識することができます。

色即是空の色は、まだ現実だと思われている事物・現象のことです。
空即是色の色は、認識された事物・現象のことです。
この差は非常に大きいので注意が必要です。

リンゴを見るとき、私たちは現実として存在している
リンゴを見ていると思っていますが、そうではありません。
主体と客体と見るという働きによって、五蘊という因縁によって
認識された物を私たちは見ているのです。

たとえばテレビ・カメラによって撮影され、それが放送され、
アンテナで受信し、テレビに映ったものを見ているように、
眼で見て、脳が感受し、イメージとして脳が作ったものを私たちは見ています。

そのような仮設された世界を私たちは現実だと見ています。
そのことを指摘し、見ている物は仮であること、
空であることを伝えるのが、空即是色です。

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