2023年10月5日木曜日

こころの時代「宮沢賢治」より

昇る月沈みゆく陽よ秋の山
沈む夕陽と輝く湖面秋の風
地虫鳴くテクノロジーが凌駕せり
蚯蚓鳴くテクノロジーと抗(あらが)わん
新旧の交代近し秋の雲

■こころの時代 宮沢賢治 より
宮沢賢治最期の詩
方十里 稗貫のみかも 稲熟れて
み祭三日 そらはれわたる

病(いたつき)のゆゑにも朽ちん いのちなり
みのりに棄てば うれしからまし

宮沢清六「兄のトランク」
私がいまも目に見えるようなのは、
八月になると
「困ったなあ。日が出ないかなあ。
 暑くならないかなあ。」
といっていた兄の顔である。
開花期に、
寒かったり雨ばかり続けば、
必ず不作となるので、
「サムサノ夏ハオロオロアルキ」
という言葉そのままのように
兄は見えたのであった。
私は永い間傍らにいて、
ある人には立派な資格だと言われ、
或る人々にはどうしても理解されないで、
この世では、まことに不幸でもあったこの
持って生まれた性格を
弟として何ともできず全く気の毒で
しかたなかったのである。
しかし
賢治の性格も生涯も、
他からの批判や同情などと全然無縁の、
そうしか出来得ない必然的な事実であり、
結果でもあったと思う。
私の気がかりとなるのは、
兄が遺言した後で
父の問いに答えた言葉である。
「それはいずれ後でまた起きて
 詳しく書きます。」といった
その言葉についてである。
私には
あのときの兄の目の色などから
考えあわせると、
あの言葉にはもっと深い意味が
籠められていたように思われ、
賢治の将来への悲願とか誓願が
籠められていると考えていいと思うのである。
「また起きて」
という言葉の奥には
「また生まれ変わって」
という意味があるように私には思われ
もう案外賢治はあこがれの土地に
生まれ変わって、
「また起きて詳しく書きます。」
という言葉を
実行に移しているのではないかと、
子供の考えるようなことを思うのである。

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