春光や傘とミシンの出会いめく
馬上から薔薇の芽見つむ春の風
春の怪絵画の中の絵画かな
鳥の巣の卵の脅威春を生く
よっこいしょ巣から飛び立つ春の鳥
■世界遺産ワーカー ワルシャワ歴史地図
ワルシャワ工科大学教授 ヤン・ザフファトヴィチ
「失われたのものの復興は未来への責任である」
ショパンが「革命」を作ったのは21歳の時―
当時ポーランドはロシアの支配下に置かれていた
作曲のきっかけは自由と独立を求めた「11月蜂起」(1830)
善戦するもロシア軍に鎮圧され祖国独立は夢と消えた
ショパンはその時の心境を日記に綴っている
「シュトゥットガルトの日記」より
❝僕はここにいる無力だ!手には武器もなくここにいる!❞
❝ときどき嘆き苦しみ絶望をピアノに吐き出すことしかできない❞
「革命」は自由と独立の象徴となり ワルシャワ蜂起の最中も
戦後がれきと格闘する復興の日々もワルシャワ市民を鼓舞し続けた
ワルシャワ工科大学教授 ヤン・ザフファトヴィチ
「旧市街は復元されたからこそ登録に値する
もし破壊と復興の歴史がなければ登録しようとも思わない」
ワルシャワ工科大学 准教授 ピオトル・キラノフスキ
「長い議論の末 最終的に建物の歴史的価値ではなく
人々の手によって優れた再建がなされた点が高く評価されました
これは非常に特別な事です 当時の記憶をひも解くと
市民がボランティアで石を積み上げ街を再生しました
すべての人の心に「街をよみがえらせたい」という思いがありました
これはかけがえのないことです
1980年
ワルシャワ歴史地区 世界遺産(文化遺産)登録
エヴェリナ・ディモフスカ
爆弾が旧王宮に落ちて時計が止まりました11時15分でした
戦後 旧王宮は再建され時計は再び時を刻み始めました
その時刻も11時15分でした 旧市街を訪れて少し立ち止まり
自由のために命を落とした人々について考えてみてはいかがでしょうか
■さとうの芸能雑学@sato_zatsugaku
2月27日IN POST より
小学生で全国優勝。
高校生で全国2位。
将来を嘱望されたシングル選手
木原龍一。
だが大人の大会では
3年連続12位。
20歳で告げられた
「ペア転向」という選択。
「五輪を目指せるのは今しかない」
覚悟を決めた。
相方を変えながら五輪に2度出場。
しかし、どちらも予選敗退。
さらに脳震盪、肩の限界。
「次の相手を危険にさらしていいのか」
26歳のとき
彼は名古屋のリンクで
貸靴の受付をしていた。
週3日のアルバイト。
時給は大学生と同じ。
夜は宿泊施設のフロント業務。
五輪に2度出ても、
特別扱いはない。
それでも子どもには優しかった。
しゃがんで目線を合わせ、靴を渡し、
練習後にはリフトしてあげる。
引退を考えていたその時、
相方を失った三浦璃来が声をかける。
「一緒に滑ってみませんか」
初めてのリフト。
お互いに確信した。
「この人だ」
しかし試練は続く。
コロナで大会消滅。
璃来は左肩脱臼。
龍一は腰の骨折。
それでも積み上げた。
結成3か月で国際大会5位。
3年目、北京五輪7位入賞。
4年目、主要大会制覇。
そして挑んだミラノ五輪。
初日、痛恨のミスで5位。
龍一の涙が止まらない。
心が折れかけた。
だがフリーで世界最高158.13点。
合計231.24点。
6.9点差を逆転し、金メダル。
日本史上初、ペアでの金。
受付で貸靴を渡していた青年が、
世界の頂点に立った。
あの日リンクでしゃがんでいた彼は
まだ諦めていなかったのだ。
■普通が奇跡 中山卓也君

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