一月をだるま朝日の現れり
冬凪やだるま朝日を狙う音
骨となりソ連より帰す冬北斗
八十二年ぶり阿波へ寒昴
冬銀河娘に抱かれ遺骨帰す
■鶴瓶とサワコちゃん
今回のゲストはシンガーソングライターの小椋佳氏。
生まれは昭和19(1944)年。
現在82歳と高齢ながらライブ活動を精力的にこなし、フランス語も勉強中。
自身の音楽のルーツとなった琵琶奏者のお父様の事、
急に優等生になった中学時代の秘密を告白。
大学4年生の時にあった歌手デビューの懸け橋、寺山修司さんとの出会い。
銀行へ就職を控えていた小椋が、26年間もの長きにわたり
銀行員と音楽家の“二足のわらじ”で活動することとなったのは
“言葉の錬金術師”と言われた寺山修司さんとの出会いからだったとか…。
ある事がきっかけで楽曲提供をする事になった美空さんとのエピソードでは
レコーディング秘話や、小椋が見た美空さんの素顔などが語られました。
・小椋佳氏ならではの日本語の気づき
し忘れてきた 何かをするつもりだったのに、うっかり忘れてその場を離れてしまった事
置き忘れてきた 置いたまま持って来るのを忘れてしまったりした状態
七転び八起 何回失敗しても、それに負けず、また勇気を奮い起こす事
起き上がりこぼし(小法師) 重心の原理で倒れても自ら起き上がる、日本の伝統的な縁起物
・「幸せの瓶詰」寺山修司作 ミュージカル
芝居を見る人間ではなく 芝居を作る人間にならなくてはいけないと思った作品
・「寺山修司サロン」寺山修司氏より「遊びに来ないか」の誘い
毎回、即興で作曲した 居候のような状態となる
田中未知(昭和20年~)ヒット曲「時には母のない子のように」の作曲担当
浅川マキ(昭和17年~平成22年)昭和40年代に「アングラの女王」と称された歌手
「夜が明けたら」「かもめ」などがヒット
その後、銀行員になったためサロンへは行けなくなってしまった
寺山修司からレコーディングの依頼
「初恋地獄篇」(昭和45年発売)
小椋佳
初のレコーディング作品 カルメン・マキなどが参加したLPレコード
売れもしなかったLPを音楽ディレクターが注目
初対面の時「止めるわ」と言われる 予想と違っていたため
ディレクターの予想は美しいティーンエイジャーだった
そのディレクターから「作品を頂戴」と言われる 彼は歌手探しを始めた
やっと見つけてきた その人の名は伊藤陽水
井上陽水(昭和23年~)「アンドレ・カンドレ」としてデビュー
後の名曲「白い1日」は作詞:小椋佳 作曲:井上陽水
小椋佳も唸った井上陽水の名曲「傘がない」「人生が二度あれば」
銀行の留学制度の試験に受かり留学することに
一度見送ったディレクターからレコーディングのお誘い
収録したテスト版がポリドールの販売会議に お蔵入りとなった
大阪に左遷されたディレクターは森谷司郎(昭和6年~59年)
黒澤明の助監督も務めた映画監督と知り合う
(「八甲田山」や「日本沈没」などのヒット作を手掛けた監督)
お蔵入りしたテスト版を森谷監督が鑑賞 正月映画に全曲が使われる事に
「初めての旅」
銀行員をしながら音楽活動も充実
年間2400時間を銀行に使っていた LP1枚150時間しかかからない
昭和50年/1975年 布施明に楽曲提供した「シクラメンのかほり」が大ヒット
阿久悠(昭和12年~平成19年)和田アキ子「笑って許して」ピンク・レディー「UFO」
尾崎紀世彦「また逢う日まで」ささきいさお「宇宙戦艦ヤマト」など
生涯で作詞した歌は5000曲以上
晩年友達となった 「君に文句がある」とクレーム
「時の流れのように」「勝手にしやがれ」で今年のレコード大賞は決まっていた
なのに 訳の分からない「シクラメン」に持っていかれた
頭に来てんだよ と…。阿久悠氏…。
「彷徨」(昭和47年発売)小椋佳の3枚目のオリジナルアルバム
日本国内でのLP総プレス枚数 第2位 作曲依頼が殺到していた
・「俺たちの旅」(昭和50年発売)ドラマ「俺たちの旅」の主題歌
B面「ただお前がいい」もドラマ挿入歌としてヒット
ドラマ放送から50年 スペシャルコンサート開催中
アニバーサリー 小椋佳もコンサートに参加
放送から50年後に映画化「五十年目の俺たちの旅」
・そもそもの美空ひばりとの出会いは
三橋美智也(昭和5年~平成8年)
昭和歌謡の黄金時代を築いた歌手
レコード総売り上げ総枚数は1臆600万枚を誇る
小椋佳の音楽ルーツは三橋美智也
「おんな船頭唄」(昭和30年発売)
三橋美智也のブレイクのきっかけとなる曲 200万枚を売り上げる大ヒット
小椋佳氏の一番好きな曲は「母恋吹雪」(昭和31年発売)
200万枚を売り上げる大ヒット曲 氷川きよしや福田こうへいなどがカバー
憧れの歌手 三橋美智也からオファー 最後のLPで小椋佳の歌を歌いたい
半年かけて12曲を作った レコーディングが始まって2曲目で挫折
ご本人は音域と歌い方ができなくなっていた 全部没になってしまった
全曲キングレコードからコロムビアレコードへ行くことになった
芸能生活40周年記念アルバムを作る美空ひばりさんが出てきた
「私が全曲貰うわ」となった 三橋美智也のために下した曲は美空ひばりへ
旅ひととせ(昭和61年発売)美空ひばりの芸能生活40周年記念作品として制作
全12曲全て小椋佳が作詞作曲 渾身の12曲
このアルバムのために 講談社「季語大辞典」購入
月ごとに季語を入れた 季語を150使っている
小椋佳が垣間見た 美空ひばりの素顔
あれだけの歌手になってもレコーディングになると覚悟が違う
一曲につき3回しか歌わない オーケストラと同時録音から歌ってきた人だから
コロムビアでは権力者になっていた 周りは物が言えなくなっていた
それは違うと思って美空ひばりへ忖度なしの小椋佳の作り手魂
素直に聞き入れてくれた 美空ひばりは舞台で目立つ歌い方が癖になっていた
下から上に音を持ってくる時の歌い方を注意
「それは下品だしこのレコーディングでは止めてください」と言い放った
「飛んでほしいところを引きずらないでください」と言ったら「そうね」と
すぐに直されたとか… プロ歌手としての柔軟性と対応力を持っておられた
確かに美空ひばりは「しゃくりあげ」ておられました
あたかも自分の人生を歌っているかのように「愛燦燦」を歌い上げた
練習を間違えていたのでこの曲のレコーディングでも直したとか
一回上げる所を二度上げていたので注意。そく直されたとか…
注意する方も注意される方も素晴らしい 拍手喝采
美空ひばりにとって歌は命だった 歌を大切に考える人だった
「美空ひばりに注意して仕事を下ろされた」という噂もあったので
誰も注意できなくなっていた
でも、ご自身は好きな歌をもっともっとよく歌いたかったのでは…❓
・小椋佳の今後 妥協なしに納得できるミュージカルを作りたいと思っている
82歳の小椋佳が挑戦するミュージカル
デビューから2000曲を作成 これからも作り続ける 依頼があるので
鶴瓶の勘違いから着想「起き上がりこぼし」決定?
哲学をずっとやってきて 若い頃どう生きていけがいいか❓
自殺までしようとした男が
「人間はこういう風に生きてこういう風に生きればいい」
と言えるようになりました
そんな本も一冊書いてみようかな❓
お釈迦さまも間違いがあった サルトルも間違いがあった
現在もライブ活動は現役 声が出る限り歌い続ける
3カ月ごと季節ごとのLive
人生最後の夢として
妥協なしに納得できるミュージカルを作りたいと思っている
紙で1500人入る劇場を作ります
坂茂(ばんしげる昭和32年~)
紙を主要な建築材料として使う建築家
緊急時用のシェルターのデザイナーとしても知られる
ミュージカルのタイトルは「麟太郎」
勝海舟の幼名 2~3年後を目指している
・旅ひととせ
旅ひととせ
夢のあと
遠い故郷(ふるさと) 遠い空
季節は巡り
幾年(いくとせ)過ぎて
またこの地へ
戻るだろうか
旅ひととせ
夢のあと
過ぎた思い出
抱きしめて
過ぎた季節を
懐かしむ
またいつの日か
帰るだろうか
・萩の賑い
鱗雲行く 指月(しづき)山を
望む白砂 菊が浜
萩の城下の 鉤(かぎ)の手道で
出会う娘の 街化粧
十九、二十歳(はたち)の 流行(はや)りの旅か
萩は華やぐ娘らの
希望ばかりの 明日を映すか
白いまばゆい 壁囲い
若い恋なら 楽しいだけの
刈りの野遊び 村芝居
萩のすヽきに 野分(のわき)の兆し
見えず浮かれる 紅葉酒
・鶴瓶ちゃんとサワコちゃん
昭和の大先輩 小椋佳の言葉
「誰のようにも生きられず 誰のようにと生きもせず 小椋佳」
寺山修司、井上陽水、森谷司郎監督、阿久悠、三橋美智也、美空ひばりとの出会いをお話しくださいました。
小椋佳大ファンとしては珠玉の時間でした。
一言一言に耳を欹てていました。
妥協なしのミュージカルが楽しみでなりません。

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