身の程に型弁えて炉の薄茶
冬座敷畳をこする足袋の音
(井川スキー場)冬の陽や最後の滑り楽しまん
(井川)スキー場最後の冬となりにけり
過疎の山採算捕れぬ(井川)スキー場
■100分de名著
キューブラー・ロス「死ぬ瞬間」④希望と「死の向こう側」
島薗進 伊集院光 阿部みちこ
第五段階 受容
やがて患者は自分の「運命」に気が滅入ったり、
憤りをおぼえることもなくなる。
(中略)
そうして患者はある程度の期待を持って、
最期の時が近づくのを静観するようになる。
患者は疲れきり、たいていは衰弱がひどくなっている。
まどろんだり、頻繁に短い眠りを取りたくなる。
だがそれは抑鬱のときに欲する眠りとはちがって、
回避のための眠りでもなければ、痛み・不快感・かゆみを
忘れるための休息でもない。
しだいに長い時間眠っていたいと思うようになる。
それは新生児の眠りにも似ているが、最期の時へと近づく眠りなのである。
鈴木晶・訳
患者に益よりも害を与える
患者はただ手招きして私たちを呼び、
しばらく掛けていてくれと伝える。
(中略)
患者とともに、窓の外の鳥のさえずりに耳を傾けるのでもよい。
私たちがそばにいるだけで、
患者は最後まで近くにいてくれるのだと確信する。
重要なことの処理は済み、患者が永遠の眠りにつくのももう時間の
問題であるのだから、何も言わなくてもかまわない
ということを患者に知らせるだけでよい。
それだけで患者はもう何も話さなくても
ひとりぼっちではないのだろうという確信を取り戻す。
周りが「この人が今去りつつある」
ということに対して心の準備ができていない 伊集院
ただ静かに寄り添い「一人ぼっちではない」ということを
感じられるようにする 島薗
受容を幸福な段階と誤認してはならない。
受容とは感情がほとんど欠落した状態である。
あたかも痛みが消え、苦闘が終わり、
ある患者の言葉を借りれば
「長い旅路の前の最後の休息」のときが
訪れたかのように感じられる。
何にもできない中で 心の波が次第に静まっていく
むしろ消極的な意味で受容を捉えている
世間の出来事や問題に煩わされたくない 島薗
もう心身ともに為す術がない 伊集院
「寂しい」「なんとかまだ生きていたい」
「もうやむを得ない」「静かにこれでお別れだ」両面ある気がする
キューブラー・ロスも揺れている 島薗
勝手な解釈をつけがち 伊集院
死について語りたいと思う日もあるし 翌日には人生の楽しい
側面についてだけ 語りたいと思うかもしれない そういう事実を
軽視しない 島薗
肯定的に死を受容したG氏という患者の事例
医師 Gさん、あなたは珍しい方ですよ。自分の死が間近に迫っていながら、
恐怖を感じないなんて…。(中略)その一方で、治療や医学上の
新発見にまだ希望をかけていらっしゃるのですね。
患者 ええ。(中略)聖書では、神に願えば治癒が約束されるのです。
ですから私は神に呼びかけ、この約束をお願いしました。
どのような重篤な患者に対しても、末期だからという理由で治療を
あきらめることがあってはならない、(中略)どの患者に対しても
けっして「さじをなげ」たりしてはいけないと言いたい。(中略)
私たちのほうがあきらめてしまったら患者もまた希望を失う。(中略)
「私の知識のおよぶ限り、なしうることはすべてやったつもりです。
でも今後もあなたができるだけ楽に過ごせるよう努力を続けます」
―こういわれた患者は一筋の希望を失うことなく、その後も医師を、
最後まで苦難をともにしてくれる友人のように思うのである。
キューブラー・ロス 1947年頃 マイダネック強制収容所の跡地を訪問
テレジン強制収容所(蝶の絵)
太陽の光は金色のベールとなって輝きあまりの美しさに私の体は疼く
頭上には叫びだしそうな青い空 確信を得てわたしは思わず微笑む
世界は花で満ち 微笑んでいるかのようだ
飛び立ちたい、でもどこへ?どこまで高く?
有刺鉄線に囲まれていても花は開く
それなら この私だって!絶対死んだりしない!
一九四四年 作者不明「陽ざしあふれる夕べに」
「希望」とは?
患者はどの段階にいても希望を持っている
病気が治るんじゃないか 死んだ後に天国に行く
自分が生きてきたことや この苦しみに何か意味がある
希望を遮るようなことはしてはいけない
偽りの希望は与えるようなことも言うべきではない
否定しないほうに力点がある 患者が「見放された」
「見捨てられた」と感じてしまうことがないようにと記している 島薗
「私の知識のおよぶ限り、なしうることはすべてやったつもりです。
でも今後もあなたができるだけ楽に過ごせるよう努力を続けます」
本当に冷静な人だから言える こんなに正直に話してくれる人が
そう言ってくれているというのは すごい希望の持てる話 伊集院
いよいよ臨終が近づくと、先に亡くなった愛する人たちと再会し、
現実そのもののような経験をしているようにみえる患者もたくさんいた。
(中略)例外なく、どんな場合でも、死の直前には独特の静けさが
訪れていた。そして、そのあとは?それが知りたかった。(中略)
そんな場所があるとしての話だが、いのちはどこにいってしまったのか?
人は死ぬ瞬間に、どんな経験をしたのか?
地球に生まれてきて、あたえられた宿題をぜんぶすませたら、
もう、からだをぬぎ捨ててもいいのよ。
からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、
たましいをつつんでいる殻なの。
ときがきたら、からだを手ばなしてもいいわ。
そしたら、痛さからも、怖さや心配からも自由になるの。
神様のお家に帰っていく、とてもきれいな蝶のように自由に…。
―がんの子どもへの手紙から
「人生は廻る輪のように」上野圭一・訳
「死の向こう側」とは?
死を前にした苦しみは自分が成長するためのLesson
科学から見ると言い過ぎだと医師たちから反発を受けることもあった
全く先駆者がいない領域を突然切り開いた 彼女自身孤独だった 島薗
蔑ろにされていた子供の恐怖や苦しみを
少しでも緩和できるのは私のジャンルで何だろう 伊集院
キューブラー・ロスは人助けが生き甲斐だった
死が近いので苦しんでいる人に応じていこうとする
そうすると何かPositiveな答えを示したい
そういうことが希望と死後の生と結びついた 島薗
そこに行った彼女の優しさには素直に感心できる 伊集院
私たちは、冷たい社会ではなく、死と死の過程の問題を扱うことの出来る
社会をつくり、この問題に関して進んで話し合い、人々が死を迎える
ときまでなるべく怖がらずに生きていけるよう努力すべきだろう。
「科学こそ全てを解決する」となると人間味がなくなってくる
それを変えたい 人と人との交わりの中で死もある
誰もがその人なりの経験に基づいて死について共に考えていく
死を前にした人のケアは社会全体で取り組むべき問題 島薗
人間の穏やかな死は、流れ星を思わせる。
広大な空に瞬く百万もの光の中のひとつが、
一瞬明るく輝いたかと思うと無限の夜空に消えて行く。
臨死患者のセラピストになることを経験すると、
人類という大きな海の中でも
一人ひとりが唯一無二の存在であることがわかる。
そしてその存在は有限であること、つまり寿命には
限りがあることを改めて認識させられるのだ。(中略)
その短い時間の中でかけがえのない人生を送り、
人類の歴史という織物に自分の人生を織り込んでいくのである。
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