青き空多忙極めて年来る
年新た今年こそはとまた決意
二日には面白きこと願います
■追悼 谷川俊太郎さん~Nコン合唱曲 子どもたちへのことば~
Nコン課題曲を作詞
「青空のすみっこ」
「生きる」
「いのち」
「信じる」
「とどいてますか」
(詩を)読む人 聞いてくれる人に なにか感動を与えたい
笑いであっても 涙であってもいい 言葉の意味だけでなく
日本語の響き 音を大事にしている 本能的ですけど
「とどいてますか」
こんにちは とどいてますか わたしのこえ
こんにちは とどいてますか ぼくのこえ
わたしたち ホモサピエンス ちきゅうというなの
うつくしいほしに いきています
くさやきや けものやとりや さかなやむしの
いきものなかまと おおむかしから
うちゅうにひろがる そらのしたで
わたしたちうたいます いろんなこえで あなたにむかって
わたしたちきょううたいます あしたにむかって
合唱に限らず子ども一人一人がなにかいう時や歌うとき
相手に「とどいているか」をいちばん気にしないといけない
みんなSNSとかあるから 本当に言いたい放題になりかねない
でも すごく言いたいことがあっても それが相手に
とどいているかどうかが 言葉の一番大事なところ
だから「とどいてますか」っていうのは 僕にとっては
すごく基本的なことば
「青空のすみっこ」1974年中学校の部課題曲
青空のすみっこで ひらひらの雲が湧いた
とどきそうで とどかない
青空のすみっこで ひらひらの雲が消えた
青空のすみっこを 一羽の子鳥が飛んだ
つかめそうで つかめない
青空のすみっこに 一羽の小鳥が消えた
「生きる」1995年高等学校の部課題曲
空の樹にひとに 私は自らを投げかける
やがて世界の豊かさそのものになるために
…私は人を呼ぶすると世界がふり向く
そして私がいなくなる
生きているということ いま生きているということ
泣けるということ 笑えるということ
怒れるということ 自由ということ
人は愛するということ あなたの手のぬくみ いのちということ
やがて世界の豊かさそのものになるために
空の樹にひとに 私は自らを投げかける
やがて世界の豊かさそのものになるために
〈六十二のソネット〉から「62」
世界が私を愛してくれるので(むごい仕方でまた時にやさしい仕方で)
私はいつまでも独りでいられる
私に始めてひとりのひとが与えられた時でも
私は世界の物音ばかりを聴いていた
私には単純な悲しみと喜びだけが明らかだ
私はいつも世界のものだから
空の樹にひとに 私は自らを投げかける
やがて世界の豊かさそのものになるために
…私は人を呼ぶすると世界がふり向く
そして私がいなくなる
(作曲した)新実さんがこの二つを結びつけたのはちょっと
意外だったんですけど 読んでみるとね (二つの詩には)同じような
テーマがあるんですね 人間というのは一人で生きていながら
必ずどこかで ほかの人と 自分の愛する人と繋がっているし
その人を通して もっと広い世界につながっている というのは
共通のテーマでね そういうことを 自分のことばで 歌って
もらえるといいなと思う 人の書いたことばを歌うというのではなく
自分のことばに翻訳して 歌ってもらうといい
誰かの声で 自分の詩が広まることは 新鮮な体験でした
第75回NHK放送文化省 受賞Message(2024年3月)
私は自分では演奏しませんが 音楽が大好きで
自分の詩が歌になることはいつでも歓迎していました
「課題曲を歌おう」2004年3月放送
「信じる」2004年中学校の部課題曲
笑うときには大口あけて
おこるときには本気でおこる
自分にうそがつけない私
そんな私を私は信じる
信じることに理由はいらない
地雷をふんで足をなくした
子どもの写真目をそらさずに
黙って涙を流したあなた
そんなあなたを私は信じる
信じることでよみがえるいのち
葉末(はずえ)の露がきらめく朝に
何をみつめる小鹿のひとみ
すべてのものが日々新しい
そんな世界を私は信じる
信じることは生きるみなもと
「信じる」っていう抽象的なことばだけではちからがないと思ったので
なにか具体的なことを書きたいと思った 第一に「自分を信じる」って
いうことを ことばにしたくて 今の子どもたちは 自分を信じ切れない
子どもたちがいるような気がする 真実ということは 自分を
肯定する事でもあるし 自分を愛する事でもある 人間って そういう
ところから始めた方がいい という考え方が まず頭にありました
信じるっていう行為の中には 感情がすごく感情が入っていると思う
感情抜きでは語れない事だから 感情というのは 理由を考えても
わからないもの 理由がない激しい感情 強い感情 深い感情
そこのところを書きたいなと思いました
はじめ この詩を「信じよう」ってかたちで書きだしたんですね
だけど それがどうしてもうまくいかなかった 信じるっていう
心の働きは すごく心の深いところで起きるものだろうと思うので
だから 松下さんが曲の終わり方を歌い上げないで すごく静かに
終えてくださったことが 僕はうれしかった 信じる働きというのは
とても静かで深いものだと 頭に入れて歌ってもらえるうれしい
「いのち」
命の多様性ということを 具体的に歌詞の中で出せたらいいな
相当 試行錯誤した 大きな象と小さなアリみたいな対比をすることで
命の多様性を出そうと思った
「いのち」
サバンナに立つ象の足元
アリが一匹迷子になっている
太平洋の青い深みで
イワシの群れが銀にひらめく
コンクリの割れ目に咲いて
たちまちに踏まれた花も
大空に輪を描くトビも
みんないのち いのちをうたう
いのちがいのちを奪うときも
いのちからいのちは生まれ
いのちがいのちと争うときも
いのちはいのちとむすばれている
ホモサピエンスであるより先に
ヒトもひとつの無名のいのち
生きとし生けるもののふるさと
地球は生きていのち育む
のびやかに地を蹴るいのち
ひたむきに夢見るいのち
いま響くこの歌声も
みんないのち いのちをうたう
初めて聴くんです きょう すごくダイナミックで
スケールが大きいというのが第一印象ですね
ことばが立ち上がって 空へ飛び立ったみたいな
そういう印象になる
Q.お二人にとって「いのち」とは?
難しいよね ひとことで言うのは いのち=波動
人を好きになったときに 好きになった気持ちって
全然目に見えないんだけど ちゃんと どこかにある
心と体の中にある 波動的なものが「いのち」
波動的なものが 植物になったり動物になったり
人間になったりしていると考えると 「いのち」は
すごく広く 考えられるんじゃないかと思う
Q.「いのちをうたう」とはどういう意味?
詩の場合は いろんな比喩的な言い方というのがあるからね
あなたは 自分はいのちでしょ 人間なんだけど 元をたどればいのち
今 歌ってたじゃん そういうあなたのことだと思うといいんじゃないの
全国コンクール高等学校の部 2010年10月放送
パックンのインタビューでは谷川氏「優劣付けたくないですね」
きょう 入場料払ってないのが 申し訳ない気がして
やっぱり(11校の演奏が)微妙に違うんですよね
それがすごくおもしろい
作曲されると 詩に潜んでいるドラマみたいなものが
音楽によって出てくる そのドラマの解釈が
ひとつずつ(学校によって)違う
昔 これはうちの父が覚えていたんですけど うちの庭で
犬がカマキリかなんかを ちょっかい出して殺そうとしていたら
幼児の僕がすごい勢いで泣いたんですって 僕 わりと
子どもの頃から 生き物を殺すのが苦手だった 僕 ゴキブリと
同居している 殺しにくい ネズミもいるんですけどね
できるだけ邪魔にならないよう 時々 食べ残しを置いといて
やったりして 飼ってるっていうわけじゃないけど その方が
気持ちが楽 殺すよりも
身体をすこやかに 魂もすこやかに 生きていってください
これからの未来は きっと大変なことがあるだろうけれども
それに負けずに 生きていってほしいと思います
誰かが歌っていると 自然に自分もそこに参加したくなる
一人の自分の歌が そのまま何人もの違う自分の歌になる
それが合唱の始まりです 単数のメロディが 複数の
ハーモニーになることで生まれる美しさ それは人間社会の
ありかた そのものではないでしょうか
