2025年8月7日木曜日

100分de名著 フッサール④&無言館

自分軸なきひと群れて熱帯夜

(鷲敷町)過疎の山音楽フェスの人いきれ

姫カットまた流行をり夏の月

(アオノリュウゼツラン)五十年に一度の奇跡夏の空

人が人に甘えるとき夏の潮

 

■木村多江の、いまさらですが… 学徒出陣~無言館 画学生が描いた青春~

 

「あと五分、あと十分、この絵を描きつゞけていたい」

外では出征兵士を送る日の丸の小旗がふられていた。

「生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから」

安典はモデルをつとめてくれた恋人にそういゝのこして戦地に発った。

しかし、安典は帰ってこられなかった。

「無言館」(194112月繰り上げ卒業1942年入営)日高安典より 窪島誠一郎

19454月ルソン島で戦死 享年27

 

戦地に発つというその前夜、勝吉は美校の詰襟を着て

幸子さんの前に正座し、「姉さん」と言った。

「僕は本当は戦争にゆきたくない、生きて還って絵の勉強をしたい、

それが僕の夢です」

「もし生きて還ったら、僕をパリに留学させてくれますか」

幸子さんは勝吉さんの手を握り「留学させてやるとも、

どこへでも。だからかならず生きて還っておいで…」そう答えた。

「無言館を訪ねて」中川勝吉さんより 窪島誠一郎

 

1937年国民精神総動員中央連盟の委員会でパーマネントの禁止が可決された

「炎のごとく」杉野芳子(ドレスメーカー女学院 院長)

私は怒るより感動していました。これが最後だと思うと

かけずにはいられなかった。若い女性のおしゃれへのいとおしみ…。

これはけっしていけないことではない、いじらしいとさえ思ったからでした。

 

あれほど憧れていた美校で学んだのは数週間。

友と親しくなるヒマもなく読みたい本も読めぬまゝ出征せねばならない。

出征直前の何日かは入営後の自分の運命を考え孝はねむれなかった。

仕方ない、仕方ないと自分にいいきかせ「それにしても口惜しい」

手記にそう記した。在学中、納得できる絵を

一枚も描けなかったのがせつなかった。

「無言館を訪ねて」佐藤孝さんより 窪島誠一郎

 

スケッチブックがなく、戦地では紙クズを拾って絵を描いていたという。

「昨日、戦争が終わった夢をみたんだよ」、とほほえんでいた喜八郎は、

写真機材を積んだトラックで移動中、夜間戦闘機に撃たれて死んだ。

喜八郎の身体は粉々になって吹き飛んだという。

 

合掌…。

 

100de名著 フッサール❝超越論的現象学❞④現象学で何ができるか

西研 伊集院光 阿部みちこ

 

われわれは()われわれの哲学的思考において人類の公僕なのである。

❝幸福❞についての哲学対話

本質観取 主観

 

例えばこの机の知覚という例から出発して机という近くの対象を

まったく自由な任意によって変更する。

しかし、それでは知覚は何かについての知覚のままである。

その形や色などをまったく任意に変えて想像することを

始めるにもかかわらず私たちは知覚的現象という点を

同一のものとして保持する。こうしてあらゆる事実性から

解放された[知覚の一般的]類型が、知覚の「形相」となる。

「デカルト的省察」

 

本質観取

さまざまな具体例を想像してみる

具体例に共通するもの=エッセンスを言葉にして記述する

 

❝本質❞はどこから始まった❓

価値を問うところから来ている

 

西流本質観取のやり方

   問題意識を共有する(知りたい事考えたいことを出し合う)

   テーマについての多様な体験例を出し合う

   体験例の共通項を抜き出す

   ○○とは何かー定義する

 

❝幸福❞についての本質観取

1❝幸福❞体験を出し合う

 奥さんと美味しいごはん

 暖かい布団

 いい仕事の後のお風呂

出産 指を握った時

番組への本音のいい感想

 

2体験の共通項を見つける

 ささやか

 充実

 他者が喜んでくれる

 ありがたい 感謝

 

3共通項から定義を探る

 満たされている 不安がない

 

幸福とは不安なく満たされていてその境遇に感謝してありがたいと思えること

 

本質観取のテーマ例

感情 嫉妬、恥ずかしさ、不安、喜び、憎しみ

価値 活動の「良さ」、社会的な「意義」、正義などの「理念」

 

本質観取で現象学的な❝人間論❞がつくれる

 

19383月 ナチスドイツによるオーストリア併合

19384月 79歳で死去

それから4か月後 ヴァン・ブレダがフッサール家を訪れる

遺稿が運び出された

40巻以上がまとめられ現在も刊行が続いている

 

われわれは、ごく一般的に言っても人間の哲学的思考やその結果が

全人間生活において決して単なる私的な目的とかその他の限られた

文化目的という意味しかもたないようなものではない、と知っている。

したがって、われわれは()われわれの哲学的思考において人類の

公僕なのである。

人類の真のあり方は目標を目指す存在としてのみ可能なものであり、

そしてもしおよそその実現が可能であるならば それは哲学を通じて

のみ実現される。

 

本質観取は「想いを尋ねる」が鍵! 西

0 件のコメント:

コメントを投稿