2025年7月22日火曜日

舟を編む⑤&「蝤蛑(がざみ)」&「川止め」&芭蕉&朝香宮允子妃&国吉康雄と藤田嗣治

 平出和也氏と中島健郎氏に捧ぐ

リュックを背負う最後の背中夏の山

2人が登る最後の夏の姿

真剣に遊び追いかけ夏の星

残された思い出と生く夏の雲

夏の月無邪気な子らと亡き夫

 

■舟を編む~私、辞書つくります~⑤

本丁ゲラ=マスター

 

かなし・い 愛しい

   身に染みていとしい。せつないほどにかわいい。

 

からか・う

冗談を言ったり困らせたりいやがる行動をして面白がる。

相手のいやがるようすをおもしろがる。

こまらせたり、はずかしがらせたりして、たのしむ。

相手がむきになったり恥ずかしがったりなどする反応を期待して

 

からか・う 方言

山梨では、「手を尽くす」という意味でも使う。

 

みどり

私いま、辞書作ってるんだ。すっごい面白い人達と

舟なんだって辞書は 言葉の海を渡る舟 

若葉

みどり精一杯からかうだよ 

 

■夏井いつきのおウチde俳句

一分季語ウンチク「蝤蛑(がざみ)

 

この文字出されても普通は読めないですよね

「蝤蛑(がざみ)」というのは渡蟹のことになります

北海道南部から九州そして韓国や中国にも分布している

そういう種類の渡蟹になっております

一般的にカニというと冬のイメージが強い方

いらっしゃるかもしれません

この冬に獲れるのはずわい蟹やたらば蟹

これらは冬の季語になっているんですけれども

こちらの「蝤蛑(がざみ)」は夏の季語になっております

夏に旬を迎えるわけです 足の一番下の部分の足

これがちょっとうちわ状というか オール状になっていまして

この足を使ってどんどん泳いでいく 

そういう種類のカニになっているようです

夏の「蝤蛑(がざみ)」冬の「ずわい蟹」「たらば蟹」

季節が違うのよということは意識をしておきましょう

 

■夏井いつきのおウチde俳句

一分季語ウンチク「川止め」

 

一体何かというと文字通り川を止めるんですけど

川を堰き止めるのではなくって 

川を渡ってはいけませんよと禁止する

そういう季語になってくるんですね

何でこういう季語が生まれたかといいますと

かつて河川が増水する時 水が溢れてかさが高くなっている時には

川を渡ってはいけないと禁止したわけですね

芭蕉の旅の中でもこんな場面が描かれているというお話も

歳時記にはあるんですが かつて川を渡らせてくれる

職業として船頭さんとか以外にも川越人足という人たちが

存在したらしいんですね 川を渡りたい人を肩車するなどして

渡してあげる そういった職業だったそうです

そういう人たちにとってはもうこれ位まで水が増えてきてしまったら

川は渡れないから だからもうこれは川止めだよとなったわけですねぇ

今としては失われた季語なのかもしれません

 

■おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな   松尾芭蕉

 

■新美の巨人たち【壮麗なるアール・デコの館「東京都庭園美術館」】

「素顔の宮家」大給湛子著 PHP研究所(電子版のみ)

白金邸の暖炉ヒーターのカバーのいくつかは、

母が描いた図案をもとに作っています。()

夜遅くまで鉛筆と定規を手にして作成していました。

明治天皇の娘ではなく、現代に生まれていたら、母はきっと

建築家か装飾デザイナーになっていたかもしれません。

 

十一月二日に、昭和天皇と香淳皇后がおそろいで病床にお出でになって、

お言葉をかけてくださいました。これは異例のことだったので、

母は、死期を悟ったようでした。()子供たちの名を呼んで、

父に「頼みます」と言ったのが最後の言葉になりました。

朝香宮允子妃(18911933)

 

精魂込めて造った白金邸を、思い通りに

ぞんぶんに使わせてやりたかったと思いました。

 

上野樹里さんのナレーション!本当に素晴らしい…。

上野樹里さんのナレーションがもっともっと聞きたいです。

 

■日曜美術館 ユニバーサルな美を求めて 国吉康雄と藤田嗣治

国吉康雄の肉声(1951)より

愛を持ち憎しみを持つ これらは全てユニバーサルなことです

ヨーロッパ人になろうとしたり東洋人になろうとするのではなく

自分自身として生きてください あなたがありのままの人間として

生きるならばユニバーサルなものを生み出せると思います

 

「君は芸術の才能を伸ばすべきだ」学校の教師の言葉

 

友人 国吉君 名声、アメリカ中を征服して、

もっとも小生の敬服する大家に御座候

有島生馬への手紙

 

国吉康雄の肉声(1951)より

この組合はわが国でも非常にユニークな存在で一度も組織された

ことのなかったものです これまで私たちは芸術は個人の道を

切り拓くもの互いを戦う相手だと思ってきました しかし

組合の活動を通じて多くのアーティストが「アーティストは

団結すべき」だと気づいたのです 

 

今朝は国吉も来たとの事 やはり見て置きたかつたのだろう」

藤田嗣治 日々の記録 19491121

 

国吉康雄

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%90%89%E5%BA%B7%E9%9B%84

藤田嗣治

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%97%A3%E6%B2%BB

 

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